プロローグ・白3


「んで、そういや剣、ほら」

「ありがとうございます」

「たぶん百回くらいは斬りつけたし、充分情報とれてんだろ」


 アカは背中の童女を一度背負い直してから剣を受け取り、鞘からその刀身をすこし露出させる。

 そこに刻み込まれた解析の魔術にアクセスし、蓄積した情報を読み取っていく。

 接触回数は百どころで済んでいないが――ともあれ一分もすれば完了、アカは目を細める。


「見つけましたよ」

「おう。じゃ行こうぜ」

「……あの。やっぱり、ついてきますか、ハズヴェント」

「そりゃあな。ここまで来たんだ、最後まで付き合わせろよ」

「まあ、構いませんけどね――ちょうど」


 そこですこし、アカは笑ったように思えた。

 酷く歪な、苛立ちを伴った笑みであるが。


「ちょうどあなたの帰る場所ですから」



    ◇



 王国――正式名称ハンドバルド王国。

 そこは、大三国に数えられる大国のひとつであり、西大陸の大半を支配している国家でもある。

 国土において世界一の国家。

 人口において世界一の国家。

 軍事力においても、世界一。

 

 そんな国の王族と言えば当然に連綿たる血脈、高貴なる者である。

 現在、国のトップを座る王は十一世――ハンドバルド十一世だ。

 質実剛健にして厳格、威風堂々として苛烈。

 獅子と喩えられるほどに強壮なる男であった。


 とはいえ――


「お久しぶりですね、ハンドバルド十一世」

「何奴!? ――っ、貴方様は!」


 就寝していたと思われ、ベッドの上でパジャマにナイトキャップをかぶった姿では、どう繕っても威厳は出せない。

 権力は服の上から着飾るものとはいうが、こうも急に現れられては王様だって困るというもの。



 アカはあの直後、懐から鍵を取り出し虚空にさした。

 それで具現されたドアをくぐれば――なんと王の寝床と来たものだ。

 突然の来訪者に、ハンドバルド王は当たり前のように警戒心と恐怖心をみなぎらせ――知った顔に別の意味で戦慄する。


「赫天の……!」

「ええ、戴冠式以来ですかね?」


 実はアカ、大三国の君主にあたる国王、大王、連合総代とは代々面通しをしてある。

 三天導師の実在を君主が知らずに政治されても困る……いや、アカは困らないが他のふたりが困る。

 そしてちょっと困るだけで面倒を引き起こさないとも限らない二人なので、その忠告である。

 ――地雷式魔法陣がそこにあるから気を付けて、といったていどの意味合いだ。


 当初の縁はそんなものだが、幾度か顔を合わせているとアカとは互いにささやかな助力をし合うような関係になっていた。


 ハンドバルド王は天蓋付きのベッドから身を起こし、すこし笑った。


「いえ、二年ほど前にもお会いしていますよ」

「そうでしたか」


 王がまた天の悪戯だろうと理解し平静を取り戻し、アカはもちろん平常通り。

 一方で、巻き込まれた男がそれどころではない。


「はっ、はァ!? おう、おおおう、王様ァ――!?」


 まずドアを抜けたら遥か遠い場所という時点で半狂乱であり、挙句その場所が自ら仕える王の眼前という事態に頭は破裂しそうになる。


「なにこれなにこれ、意味わかんない! えー? はー!? なんなの誰か助けてー!?」

「落ち着きなさいハズヴェント」

「落ち着けるかボケェ!?」


 いや、夜な夜な王の寝所に現れた怪しい魔術師と軍人って、これ完全にハズヴェントが手引きしてる暗殺者じゃん! 間違いなく死刑待ったなし!


「もうお仕舞いだー!」

「大丈夫ですから、落ち着いて。というかその大声と態度が不敬ですよ?」

「っ!」


 言われた瞬間に雷撃の速度でごく自然に畏まって跪いている辺りは軍人である。

 冷や汗で全身びしょ濡れではあるが。目の焦点は合わず、口元はわなないているが。


 ふと、そこでハンドバルド王が口をつく。


「そなたは、たしか十七中隊の……?」

「おや、ハズヴェント、すごいじゃないですか、王に顔を覚えられているなんて」

「それ死刑宣告?」


 逃れようがないってこと?

 なんか負のスパイラルで後ろ向きにしか思考できなくなっているハズヴェントを放っておいて、アカは王に向き合う。


「彼の所属を知っているのなら話が早い。ハンドバルド王、夜分に申し訳ありませんが、すこし話を聞いてください」

「……この夜分に約束もなく現れたということは、それほどに重要なことと?」

「はい」

「では、聞こうか」


 王は部屋のソファに座し、できるだけ厳めしく腕を組んでそう言った。

 パジャマ姿であるが。


    ◇


 そして語ったのは今宵の物語。


 不敗の第十七部隊の壊滅。

 悪夢の鬼。

 呪われた子供。

 そして。


「この子を呪った魔術師が、この城にいます」

「馬鹿な。我が臣下にそのような愚行をした者がいると?」

「はい」迷わず頷いて「そこでハズヴェントに聞いたのですが今回の件を発見報告し、また鬼の凶悪性を説いた王宮魔術師がいたそうですね?」

「ぬ。それは……」


 口ごもる王から視線を切り、縮こまって沈黙しているハズヴェントへと声をかける。


「時にハズヴェント、そろそろ落ち着きましたか」

「話しかけるな。王の前で許可なく口を動かすなんてできねェ」


 しているじゃないか。

 というツッコミは置いておき、アカは視線で王に促す。

 王は静かに頷いた。


「よい。面を上げ、事情を説明してくれぬか。……これまでのことについては天の為した悪戯ごと、いちいち咎めてはおられぬ。そちは不問である」

「はっ! 寛大なる御心に恐悦至極に存じます!」


 命令とあらば顔を上げる。

 姿勢はそのままに固定しつつ、なんとか冷静に言葉を綴る。


「此度の件において鬼の情報を多くくださり、さらにその討伐に第十七部隊を強く推挙してくださったのは、王宮魔術師のズィンク殿とうかがっております!」

「ズィンク、あの男が……」

「ふむ」


 アカは知らない名だ。

 だが――魔力痕は把握している。直に相対することができれば即座に判断は可能だ。


「いますぐ、呼べますか?」

「そうしよう。事が事だからな。だがそなたらも退室せよ。余も着替えて玉座の間へ赴く故、そちらに移動していただきたい」


 さすがにいつまでも王様のパジャマ姿を披露していたくはないのである。


    ◇


「これは、どうしたことですかな、王よ」


 玉座の間。

 深夜であるにも関わらず十数名の武装した兵士が壁際で恭しく列し居並んでいる。

 中心に座すは当然にこの国における最高位、ハンドバルド十一世に他ならない。

 彼は一部の隙もない正装を着こなし、この夜分に眠たげな風情の欠片もなく力強い眼光をたたえていた。


 そして王に対し低みにおいて跪き、発言を許された魔術師――ズィンクはまず事の説明を求めた。

 夜も遅くに緊急で呼び出される事情が思いつかない。


 返答は別口から。


「あなたがズィンク、ですね」

「……何者か」


 その場に登壇しているのは、もう一グループあった。

 最初に発言したのは、そのグループの魔術師。


 アカは乱雑に問いを切り捨てる。


「私のことなどどうでもいいでしょう。あなた、東端の森において幼子に呪いを施し放り出しましたね?」

「っ」


 一切の前置きもない直言であった。

 それも返答すら待たない。なにせ、一目見た時点で犯人であることをアカは確信している。


「理由を推理してあげましょうか?」

「なんの、ことだ」


 とぼけた言葉など聞かない。


「あそこは東端――つまり、東大陸のほど近く。国境付近ということです」


 西大陸の果て、東大陸と最も近い位置にある森。

 あの森を抜けてすこしすれば、大陸間を繋ぐ大橋が見えてくる。

 その橋を過ぎれば東大陸――もうヒノ大国の大地ということだ。


 ヒノ大国――大三国にして東の支配者、ハンドバルド王国の最大の仮想敵。未だに小競り合いは絶えず、暫定的な条約を交わしてなんとか均衡を保っているに過ぎない。


「そんな場所で暴れる鬼。それも人為的な呪詛による鬼ですから、それが発覚すれば自然と考えるのは敵国の侵略でしょう」

「……」

「それにあんなにも国境近い場所で不敗の第十七部隊が破れたとなれば隣国に伝わる。問題ですね?」


 互いの戦意が盛り上がり、今こそ攻め時ではないかと錯覚させる。

 敵を討てと、声があがる。


「なにが問題か、言うまでもありません――戦争の引き金になりかねないということです」


 ハズヴェントが言っていた。

 ズィンクは、好戦的愛国主義。

 要は戦争による利益こそがお国のためになると信じた一派であると。


 ならばこの程度の画策をするのに不思議はない。


「なにを根拠にこのわたしを――」

「黙りなさい。あなたの言葉は聞きたくありません。正直、私は今最悪の気分です。

 あなた――この子の父親ですね?」

「なっ」

「……」


 ハズヴェントと王が息を飲む。

 同時に、アカがここに来てからすぐに機嫌悪くなった理由を知る。

 まさかあの呪詛を幼子というだけでなく、実子に施していたというのなら、それは本当に父親と呼んでいい存在なのか。


 だがズィンクは鼻で笑う。


「そんな小娘など、わたしは知らん」

「……いえ、知っているはずですよ。なにせ、この子の性別を一目で見抜くくらいですからね」

「なに」

「毛布にくるまったこの子を、どうしてあなたは小娘であると断定できたのですか? 私は王への説明の際にも子供としか伝えずにいたのですが」


 眠る童女は、今アカの作った毛布でぐるぐる巻きだ。長い髪も、顔立ちも、ズィンクの視点からではわかろうはずもない。

 事前に、彼女のことを知っていたのでもなければ。


 明らかに動揺を露わにしながらも、なんとかズィンクは言い訳を探す。


「そっ、それは……魔力の感じかたで」

「嘘ですね。私がそれは遮断しておりました」

「わたしを誰だと思っている! 王宮魔術師のズィンクだぞ! 貴様ごとき木端の魔術師の隠蔽など――」

「王、どちらの言い分を信じますか」


 言い分を切り捨て、さっさと判決を王へと求める。

 本当に、うんざりしたという風情で。

 王は間髪入れずに裁断された。


「迷うに値せず。無論、貴方様の言葉を信じよう。――ズィンク、貴様は幾度、余に嘘をついたのだ!」

「なぜ、王よ!」

「黙れ。貴様、まさか我が国に戦火を呼び込もうとするとは許しがたい! そのうえ子に呪いを施すなど正気の沙汰とは思えん!

 衛兵、捕えろ!」

「はっ!」


 号令に殺到する兵士たち。

 それでも往生際悪くズィンクは魔力を昂ぶらせ、


「くそ! わたしはこの国のために――!」

「静かにしてください、安眠の邪魔ですよ」


 いつの間に傍まで歩み寄っていたアカが、指でとんと額を小突く。

 それだけでズィンクは糸の切れた人形のように倒れ伏し、意識を失った。


 すぐに兵士たちが捕縛し、連れ去っていく。

 見送るアカの後ろから、ハズヴェントが囁くように。


「旦那、今なにやった?」

「この子と同じように」背負い直しながら「強制的に眠ってもらっただけですよ」

「いや、赤に混じって一瞬だけ緑色の魔法陣が見えたからな? おれの角度からギリギリって感じで、他にゃ気づかれてねぇだろうけどよ」

「……」


 あぁ、見えたのかと言わんばかりに肩を竦め、すぐにバラす。


「まあ、ささやかな呪いですよ。眠ると悪夢を見るという、ただそれだけのささいな呪い」

「それ絶対眠れなくなるやつだよな?」

「さて?」


 と、そこで。


「ぎぃぃぃぃぁぁぁああああああぁぁああアアアァァアアアァアアああ――!?」


 突如、ズィンクが叫びだす。

 地獄の底の金切声、悲痛と苦痛となにより恐怖が詰め込まれた絶叫であった。

 暴れだすズィンクを兵士たちは四人がかりで無理やり押さえつけ、なんとかそのまま連れて行く。


 ハズヴェントはそれを見遣ってから、無表情でアカに向き直る。

 見つめられてもアカは不変に微笑んで。


「おや、悪い夢でも見たのでしょうか」

「……そうかもな」

「ふん。あのような輩に安眠など許しはしない――悪夢とともに震えて夜を過ごすがいい」

「こわっ」


 わずかに漏れた本音に、ハズヴェントはけれど笑った。


「まあ、おれの仲間の仇でもあったしざまぁみろって感じだが……どうせ処刑だろうし。

 ――あ、そうだ、旦那」

「なんです」

「その子はどうするんだ?」

「そうですね」


 背に負う少女をちらと見て、アカはすこし考える。


「王に頼んで誰かに引き取ってもらいましょうか――」

「いやじゃ」

「え」

「お?」


 ぐいと髪を引っ張られた。

 誰あろう、眠っていたはずの童女にだ。


 アカは痛みを覚えながらも、それ以上に驚いて。


「起きていらしたのですか?」

「さっき……」

「どのくらいの、さっきでしょうか」

「あんひとが、うちのおとーさんなんじゃろ? おもいだした」

「……そう、ですか」


 父であるという言葉を聞かれ、思い出させてしまったようだ。

 あんな父親ならば、忘れたままでよかったろうに。ここはアカの不用心だった。

 反省しつつも、気にかかる発言があった。それの真意を問う。


「それで、お嬢さん。いや、というのは?」

「アカ」

「はい」


 独特の間をもって、童女はマイペースに。


「うち、アカんとこにいく」

「え……」

「おー、そりゃいいな」


 黙っていたハズヴェントがここで悪い顔して賛意を示す。

 しかし、寄ってきたハズヴェントの顔を童女が見上げると。


「お?」


 童女はアカの背に顔を押し付け隠れてしまう。

 そしてぽつりと。


「こわい」

「え? おれ? 怖い? うそぉ!?」


 割と多大なショックを受け、ハズヴェントは停止してしまう。

 ほっといて、童女はアカだけを見つめている。ぎゅっと、弱弱しい力で抱きつく。


「いっしょがええ」

「……それは」


 ――お前に弟子などできようものなら、その度に――


「できません。私とともにあるだけで、あなたは――」

「うだうだうるせぇ」


 拳骨がアカの頭頂に落ちる。

 そんなことをされたのは随分と久しぶりで、アカは目を白黒させてハズヴェントに意図を問うように見る。


 ハズヴェントは、なぜか怒っていた。


「魔法使いだの天位だの言っても、やっぱ旦那も人だな。うじうじと細かいことに悩みやがって、そんなのどうでもいいだろ!」

「っ」

「その子が一緒にいたいって言ってんだ、それが一番大事だろうが!」


 それがなににも代えがたい真理であると、ハズヴェントは断ずる。

 その感情はわかるが、けれどアカにも無理な理屈があって。


「ですが、それがこの子のためにならないのならば――」

「それを決めるのはあんたじゃねぇ。その子自身だ。勝手に決めつけんなよ、あんたは神さまかなんかのつもりか?」

「……いえ」


 数百年を生き、あらゆる魔術に精通し、天そのものとも言える彼が、ただの言葉に返すこともできない。

 酷く情けない。けれど痛快でもあって、なんだか心が落ち着かない。


 アカは背負う童女を抱え上げ、正面から目を合わせる。

 澄んだ瞳は、何色にも染まらぬ純粋な白。あぁ、それはなんと美しいことか。


「あなたの名は、シロとしましょう」

「それって」

「ええ。私の負けです。ともに歩みましょう、ここではないどこかへ」

「うん!」


 はじめて見せたシロの笑顔は、アカにこの決断をしてよかったと迷わず思わせるほどに輝いていた。



    ◇



 一晩だけ王城の一室を借り受け、アカたちはすっかりぐっすり眠りについて。

 朝、出立のため門に立つ。


「行っちまうのかよ」

「ええ。あまり滞在すると、ハンドバルド王に迷惑ですからね」


 見送りにはハズヴェントがひとり。どこか不満そうだった。


「次はどこへ行くんだ?」

「そうですね……この子のこともありますし、東大陸にでも」

「なんだよ、シロがどうした」


 当のシロは未だ夢のなか。

 アカの背に負われ、すやすやと眠っている。

 ただそれだけのことが、彼女にとって待望のこと。


 アカは慈しみをこめた眼差しをシロに送りながら。


「彼女、どうにも東訛りがあるでしょう」

「ん。そういやそうだな」

「そのことを聞いたら、どうやら旅人のひとりと幾らか言葉を交わしたことがあったそうです。彼は教師をしていて、彼女に言葉を教えたとか」

「へぇそりゃ……生きてんのか?」


 不眠の鬼は、彼女に近くあるほどに牙を剥いて死をばら撒く。

 憂鬱な想像しか浮かばないが、アカはそれでも希望はあると言う。


「わかりません。ですから、東に赴いてみようかと」

「なるほどね」


 それだけ言い終えると、なんだか沈黙してしまう。

 微妙な空白ののち、ハズヴェントは気恥しげに頭を掻く。


「あー。なんだ。こういう別れ際ってのはどうも苦手だな」

「そう畏まる必要はないでしょう。どうせ、また遠からず会えますよ」

「ん。そうだな」


 空笑いするハズヴェントに、アカはそういえばと思い出したように口を開く。


「――ハズヴェント」

「ん?」

「先日、言い掛けたことですが」

「なんか言ったっけ?」

「自分のために死ぬなんて、当たり前のことですよ」

「お?」


 それは彼らが出会って最初にした問答。

 死に掛けのハズヴェントが生き延びて、なんだか不満げだったのが未だにアカには忘れられない。

 あの時、遮られて言えなかった言葉を、今度こそ伝えてやる。


「ただ自分のために死んだ行為を、誰かが見て自分のためだと勘違いするだけです。なにせ、誰かのためは自分のためですから」

「誰かのためは自分のため……?」

「はい。そして、誰かが自分のために死んでくれたと思うのなら、それの本心は、その誰かの死を無意味に思いたくないのでしょう」

「!」


 大事なあの人の死が無意味だなんて、そんなの許せるはずがないのだから。

 だから自分のために死んでいったと意味を与えたがるのだ。


「そうして、その与えられた意味が、また生き残った誰かの活力になる」


 死者の思いを胸に刻んで今を生きる。

 それが継ぐこと。死を終わりにしない、続く命のリレー。


「…………」

「たとえばハズヴェント、私はすでにあなたのことを好きになりましたよ。友人だと思います」

「は?」


 急になにをこっ恥ずかしいことを言い出すのだ、こいつは。

 アカにその自覚はなく続ける。


「だから、あなたがどこか遠い場所で亡くなったと聞けば、私は悲しくなりますし……あなたのぶんだけもうすこし生きてみようと勝手に考えると思います」

「……そりゃ勝手だな」

「ええ、勝手です」


 なにかに納得したように、ハズヴェントは天を仰ぐ。

 どこまでも果てしなく青い空は、まるで変わらずそこにある。

 遠いな、と思う。

 けれど、届かないとは思わない。


「そうか、他者の死を思う感情は、結局自分の感情でしかないってことだわな」


 死人に口なし――どこまで行っても生者には死者の思いなんて知る由もないのだから。

 だからこそ、生きる誰かが死者の言葉を想像し、勝手に思うのだ。


「ひとは誰かのために生きて、自分のために死ぬものですよ」

「そーかもな」


 言われて、ハズヴェントはなんともなく懐からシガーケースを取り出す。

 同じ部隊の魔術師に頑丈に作ってもらった一品――たしかに彼は死んでしまったけれど、これはこうしてハズヴェントの手に残っている。

 それは、すくなからずハズヴェントにとっての救いとなっている。


「旦那」

「はい?」

「ほら、これ」


 ひょいと放り投げ、アカの手元へ。

 掴んで眺めれば、それはシガーケース。


 疑問に首を傾げる。


「なんです、これ」

「おれの宝」

「……煙草がですか?」


 半目のアカに、ハズヴェントは苦笑しながら否定を。


「ケースだよ。ダチの形見だ」

「それは失礼。ですが、あなたの宝をどうして私に?」

「預かっといてくれ――おれぁ禁煙する」

「それはまた、急にどうしました」

「十年……いんや五年、は流石に短いか……」

「?」


 なにを悩んで考えているのか、アカにはさっぱりわからない。

 だから、彼の言葉をただ待った。

 すぐになにやら結論を出し、ハズヴェントは右手を開いて五指を伸ばし、左手は人差し指と中指だけを立てる――数字の七を示す。


「ん、よし! 七年! 七年くれ! そのころにゃおれぁ国で一番の剣士になるよ。そしたら、それ、返しに来てくれねぇか?」

「……大きくでましたね」


 言うほど容易いことではない。

 きっと、死ぬほど努力をしたって届かない場所。大きな才能があったていどでは掠りもしない領域。

 多くの者が目指し脱落し夢見たある種の最果て――天。


 わかっている――ハズヴェントとてそれを一度夢見て挫折した。

 それでも、笑ってみせた。見栄を張った強がりだけど、それは確かに笑みである。


「まあ、御伽噺の魔法使いサマがお友達なんだ、それくらいやってやるさ――それくらいなんねぇと、並べないだろ?」

「そんなこと、私は気にしませんよ?」

「おれがするんだよ。それにあんた、たぶんだけど定住できねぇんだろ? だから旅してる」

「私が定住すると、困るのはその国ですからね」


 アカは各地を旅して一所に留まらない。

 羽休めはできても、根を張ることもできない根無し草。

 その強大さゆえに、安楽の地を得られない。

 けれど。


「だったらおれがあんたを見てるよ。そしたら王様も文句言わねぇだろ、それくらい強くなりゃいいんだ――子育てするんなら旅暮らしは大概だめだろ?」

「…………」


 アカは目を見開いて言葉を失う。

 背中の重みは、彼女を下したって感じている。

 人の子ひとりを背負うということは、その命に最後まで責任を持たねばならない。


 アカは、隠しきれない喜悦を笑みとかえて、約束を。


「ならば、私はあなたを信じて待ちましょう。七年後、ふたたびあなたのもとを訪れると約束します。ですがハズヴェント、ひとつ忠告を」

「なんだよ」


 格好つけたのに続けられると恥ずかしいのだが。

 気にせず、アカはいう。


「戦いに飲まれてはいけませんよ。そんな殺伐とした顔つきでは、またシロに怖がられてしまいますから」

「う……」

「国一番の剣士だからって、子供に泣かれては形無しです。心に余裕をもって、ふてぶてしく笑って――あなたらしく、頂きへ登ってください」

「ああ。ゆめ忘れやしねェよ」


 自分を失くして強くなっても、そんなのなんの意味もない。

 なにせハズヴェントという男だからこそ、


「では、また会いましょう、我が友人よ」

「ああ。またな、ダチ公」


 こうして友誼を結べ、握手で別れることができたのだから。 


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