プロローグ・白2


「行くのかい」

「ええ、そろそろちょうどよい頃合いかと」


 日の入りを見計らい、アカは立ち上がった。

 ハズヴェントはアカが拾ってきた果実をかじりながら、胡乱げな眼差しを送っている。


「鬼は夜更けに現れるって話だぜ」

「ええ、ですから、鬼が出る前に話しておきたいのです」

「……どういう意味だ」

「言葉通りですが」


 説明する気がないのか、アカは曖昧に肩を竦めた。


 ハズヴェントは直感する、この魔術師は例の正体不明の鬼についておおまかな見当がついているのだと。

 剣士であるハズヴェントには漠然とした感覚でしかないが――このアカという魔術師は、同じ部隊で戦った練達の魔術師たちよりもずっと高いところにいる気がしてならない。


 だからか、気づけばこんなことを口走っていた。

 

「んじゃ、おれもついてくよ」

「それは」

「おいおい、見知らぬ旅の魔術師さん? ちょっと怪しいから署まで同行してもらえるかい――って言ってほしいのか?」


 国家権力の横暴である。

 アカは困りながらも、それ以前の問いを。


「動けるのですか?」

「ああ、一眠りしたし、問題ねぇよ」

「……」


 ふつうはあの重体、一週間は心身の齟齬に身動きが難しいはずなのだが。

 ハズヴェント……思った以上にこの青年は強い戦士であったのだろう。

 ならば戦士として、鬼に負けたままでいられないのも理解できる。仲間の仇でもある。


 彼を捨て置いて決着をつけるというのは、酷く不実な気がしてならない。

 

 見遣ればその瞳には不退転の決意が漲り、その口元には不敵な笑みが刻まれている。

 明らかに、言っても聞く人間の顔じゃない。


 ――これも助けた責任の一端、か。


 嘆息を漏らし、アカは手をかざす。

 黄色と緑色の混じった魔法陣が地面に描き出され、その円陣から一振りの刃が作り上げられていく。


「丸腰では不安でしょう? 使ってください」


 言って、出来上がった剣を差し出す。

 ハズヴェントは嬉々として受け取り、すぐに鞘走らせ刀身を眺める。


「へぇ、こいつぁいい。随分と頑丈そうだ。もらっちまっていいのかよ」

「どうぞ、差し上げます。おそらく必要になるでしょうから」


 嫌な予感を滲ませた言葉に、ハズヴェントは上等とばかり笑ってのけた。



    ◇



「んで、同行を許可してくれたんだ、事の次第の説明もしてくれんだろ?」

「そうですね、隠していてもたどり着けばわかることです」


 アカは小屋を出ると、そこから一切考える素振りもなく真っ直ぐに道なき道を行く。

 不規則に並ぶ木々の合間を、陽が落ちそうな夕暮れで、だ。

 それは既にゴール地点を把握している者の足取りであった。


 アカは歩を緩めず、前を向いたままにこう言った。


「件の鬼とやら、それはおそらく呪いによる災厄です」

「呪いだ?」


 ハズヴェントもまた険しい道のりを苦も無くついていきながら、疑問を述べる。


「そりゃ、魔術を阻害したり、身体の動きを阻害したりとか、そういう陰湿なあれか?」

「世間一般のイメージはそういう感じなのですね……」

「嫌がらせ魔術って聞いたぞ」


 身も蓋もない呼び名に、アカはなんだか苦笑する。

 けれど、笑っていられるような呪いではない。


「此度の呪いは、おそらく「不眠の呪詛・夢邪鬼むじゃき」」

「どういうもんだ?」

「鬼を作り出す呪いですよ」


 不眠の呪詛とはその名の通り、呪われたが最後、睡眠を阻害されるというもの。


 その阻害法は様々。

 寝ていられないような悪夢を毎夜見せられるとか。

 寝ようとすると頭の中で害音が響き渡るとか。

 そもそも眠気が打ち消されるとか。


 中でも――「夢邪鬼」と呼ばれる呪詛は一等おぞましい、


 それは被呪者が眠るとその魔力量に比例して強大な鬼を具現化させるというもの。


 その鬼は周囲を破壊し他者を害す。

 その鬼は憑代である被呪者の精神を侵す。


 そういう自他ともに被害を与える厄介な呪詛。


 当然、被呪者は周囲の者に疎まれる。嫌悪され、遠ざけられ、最悪の場合は命すら狙われる。

 また寝ている間に鬼のなす残虐行為が夢とともに見せつけられるのだという。


 その殺傷風景を、非常にリアルに追体験させられる。


 命乞いの声をその耳で聞き、断末魔の悲鳴を聞き。

 徐々に動かなくなる様を見て、死体の惨状を目の当たりにし。

 吐き気を催すような血と肉の臭いをかぎ、死の悪臭が立ち込める。


 なによりも――まるで自らの手で人を傷つけているとようなおぞましい感触が手に残り、人を殺したという罪悪感が他人事でなくわだかまる。


 そうした負の感情が眠っている無防備な心に直接叩きこまれる。


 被呪者は眠るたびに誰かに襲われることに怯え、誰かを殺すことに恐れ、己が消えていくことをおののく。

 眠ること自体を、恐怖するようになるのだ。

 それが故の不眠の呪詛。


「なんだその呪い、最悪じゃねぇか」

「ごもっともです」


 率直極まる感想に対する首肯はなにより重く、実感の篭ったものだった。


「今回の場合はおそらく被呪者のもつ魔力量が膨大だったのでしょう、比例して出現する鬼の強さが跳ね上がっています――おそらく、神話魔獣にすら匹敵する」

「神話だぁ?」


 信じがたいといった本音の混じった疑問。

 神話魔獣とは御伽噺の敵役、ほとんどが創作上の存在で、けれどごくわずかに現存するという。

 出遭うことは死を意味する災厄。文字通り神話の如き力を誇る最悪。

 まさかあの鬼、それほどの化け物だったのか。


「あなたがたが一方的に敗北したのですから、それくらいの強大さであったという証明はできているでしょう?」

「む……そりゃ、そうかも」


 無敗の十七部隊の壊滅は、なるほど確かに敵の力を証明している。

 神話魔獣という一個の災害にさえ、匹敵しうるのかもしれない。

 そのように、無理に納得するとして。では。


「あんた、そんなのにひとりで挑むつもりか?」

「いいえ? あなたもいるじゃないですか、ハズヴェント」

「もともとの予定じゃひとりだったんだろ」

「まあ挑むと言っても、そう切った張ったをするわけでもありませんし……」

「あ? じゃあどうするつもりだよ」

「呪い相手ですからね、戦うのではなく祓うのですよ」


 冗談めかして言うと、ハズヴェントは思った以上に淡泊な目つきであった。

 その目線がふいと自らの腰元に帯びる剣へと向かう。


祝呪ミドリ魔術だったか……そういやさっきこの剣を作った魔法陣も、奇遇にも緑混じりだったな?」


 別に疑いたいわけでもないが、疑問に思ってしまえば疑心に至る。

 だからこそ問う。

 疑心を晴らすのは信じる心だけであり、対話こそが相手を信じる第一歩と心得ているがため。


 それをわかっているから、嫌な顔もなくアカは正直に。


「あれは祝福ですよ」

「あぁ、そうか。呪いと祝いは表裏一体ってやつか」

「はい。言ったように此度の鬼は魔力の具現、物理的な攻撃ではあまり効果がありません。戦ったあなたならわかるでしょう?」

「……そういうカラクリかよ、道理でだ」


 言われて思い返せばこちらの攻撃に、鬼は怯む様子もなかった。

 後衛の魔術師部隊が撃ち込んだ魔術は嫌がっていたようにも思え……だからこそ彼らが先にやられてしまったのだが。


「そのため、その剣には形のないものを斬ることができるようにと祝福を施しています。件の鬼にも、有効でしょう」

「至れり尽くせりで助かるぜ」

「その分の働きを期待しています」


 そう言ったとき、視界が拓けた。

 まるで木々が囲って覆っているかのような合間にあって、すこしだけ平地の広がる空間。

 そして、そこにいるのは――




「なっ! 嘘だろ……?」

「っ」


 ハズヴェントは驚愕と怒りに眼を見開き、アカでさえも苦虫を噛み潰したような顔になる。

 なにせ、そこにいたのは。


「……だれ、じゃぁ?」

「子供、だと!?」


 それは言葉すらおぼつかない、まだ五歳ほどの幼い少女だった。

 長くも手入れされていない白髪を負い、粗末な服装でなんとか寒さをしのいでいる。やつれたようなところは見受けられないが、瞳は覚束ない。

 どこか足元が心もとない、ふわふわと浮いているような童女であると、アカは思った。


 ハズヴェントは直面したこの事実に、苛立ってアカへ問いを投げる。


「おい、おい! なあ、こいつなのか? 本当に、この子なのか?」

「……この森には現在、私とあなたと、そしてこの童女しか存在しません」

「じゃあ! じゃあ、いるってのかよ! こんな幼い子に呪いをかけたクソ野郎が、いるってのかよ!?」


 一等おぞましいこの呪詛を、こんな童女にかけた魔術師が、どこかにいるというのか。

 そんな非道、そんな残酷、ああなんて胸糞悪い!


 猛るハズヴェントには答えず、アカは笑顔を顔に貼り付けた。

 そして、恐れを誘わぬようにゆるやかに歩み寄る。あまり近づきすぎない辺りに膝を折って目線を合わせ、なにも怖くないと優し気に話しかける。


「……お嬢さん、あなたは、こんなところでなにをしていらっしゃるので?」

「なにも。うちは、なにもしとらんよ」

「そうですか。ああ、そうだ、私の名前はアカといいます。お嬢さんのお名前をうかがってもよろしいですか?」

「なまえ……」


 その単語に、童女は俯いてしまう。


「なまえ、ない」

「そうでしたか……それは申し訳ございません」


 本当に申し訳なさそうに顔を曇らせ、けれどすぐに話題を変えて。


「お嬢さん、もしかしてなのですが……最近、悪い夢を見ませんか?」

「ゆめ……?」

「こんなところで寝ているようでは、夢見もさぞ悪いでしょう?」


 アカの観察眼は、少女が寝そべっていたであろう場所がそこにあることを見抜いていた。

 おそらくこの童女はずっとここに潜んでいた。


 寝るごとに出現する鬼が人に害を与えることを知っていたから人里から遠ざかった。

 自分がほとんど食事をとらないでも生きていけるほどの魔力量があると知っていたから人里から遠ざかった。

 なによりも――寝心地の悪い場所として、ここを選んだのだ。


 そしてそれは永遠には続かない。必ずどこかで破綻が来る――つまり、これは緩やかな自殺である。


 自己の危険性を把握し、ひとに迷惑にならないように潜む。

 まだ幼いながら童女は酷く聡明で心優しいのだと、アカにはわかった。

 だからこそ、まず言葉でもって対等に接するのだ。


「ん。ゆめ……みるかもしれん。あんまおぼえちょらん」


 目を逸らす仕草。

 声音のゆらぎ。

 魔力反応のさざめき。


 およそ嘘であろう。


 悪い夢を見ているのか、こんなにも幼く愛らしい少女が。

 そして、その事実を初対面の自分に伏せて、心配させまいとしている。

 笑顔が、曇りそうになる。

 堪えて揺るがず。


「では、あまり眠れていないのではないですか?」

「……ほうかもしれんね」

「でしたら、やはりもう少し寝心地のよい場所にまで行きませんか? この近くに小屋を建てましてね、まだしもここよりはマシというものです」

「いや、それはいやじゃ!」


 ぼうっとしたような童女であったが、そこについては激しく拒否を露わにする。

 やはり、自身の危険性をわかっているのだろう。


 アカは悲しくなってしまうも、あくまで笑顔のまま語る。


「ですが、ここにいてもなににもなりませんよ」

「え……」

「悪夢は続きます。夢のなかで、あなたはずっと辛く苦しいままです」


 言外に、少女の恐れる鬼の暴走が止まらないことも示唆して言う。

 通じるかどうかで言えば、きっと伝わる。幼くとも、この童女は言葉を交わして話し合える対等な命だから。


 童女はうつむいて、返す言葉がない。


「あなたは悪くありませんよ。なにもかも、あなたに責任はありません」

「でも、うちがいるから……きずついたひとがおる。しんだひとも、おる……」

「それはあなたに刻まれた呪いのせいです。ひいては、あなたに呪いを刻んだ術師のせいです。あなたはむしろ、そんな迷惑な呪詛をかけられた被害者ですよ……自分を責めるのはやめなさい」


 呪詛被害者にときどきあることだが……被呪者のほうがひどく罪悪感に苛まされてしまう事例がある。

 なにも悪くはないのに。呪詛をかけられて不幸なのは自分だというのに。

 そういう心優しいひとほど、呪いという人の悪意は深く精神を蝕む。


 そんな間違った自責の念に囚われる子を、アカは見ていられなかった。

 それも、こんなに幼い子ならばなおさらに。


「お嬢さん、私はこれから、あなたの呪いを解こうと思います」

「っ……ほんとう? ほんとうに、そんなこと、できるん?」

「はい。ですが……そのために今一度だけ、あなたの鬼とお会いする必要があります」

「だめ、それはだめじゃ! そんなことしたら――」

「大丈夫。大丈夫ですよ。なにも心配ありませんから」


 言いながら、アカは童女をやわらかに抱き締める。

 その暖かさに、童女は目を見開いて……ゆっくりと閉じていく。


「だから、今はゆっくりお休みください――どうかよい夢を」


 生命アカ魔術のひとつ……対象の生命力を抑圧し、睡眠時に近しい状態へと強制的に陥らせる。

 そうすると身体のほうが魔力状態に引きずられ、強烈な睡魔となって襲い掛かる。


 魔術的なレジストも、精神的な強固さも期待できないこの童女では、抵抗の余地もなくあっさりと眠ってしまう。


 眠りに就いた童女を、アカは優しくその場に寝かせてやる。

 そして、膨れ上がる魔力の膨大さに目を細め、走り出す呪いの術式に拳を握り締める。


 できうる限り感情を押し殺して、身を翻す。控えていたハズヴェントのところまで歩き戻って、彼の肩を叩く。

 その瞬間、凍結していたハズヴェントが動き出す。


「って……おっ、おい! 鬼が出ちまうじゃねぇか! 解呪とかできなかったのかよ!」

「……ハズヴェント」

「なんだよ!」


 慌てふためくハズヴェントに反して、アカはどこまでも落ち着き払って……見えた。


「私は先ほど、怒っていないと言いましたね?」

「はっ、はぁ? さっきって煙草の――!?」


 言葉は最後まで完成しなかった。

 振り返ったアカの相貌に絶句してしまう。


「すみません、嘘をつきました――私は怒っています」


 その赫い瞳は、本当に燃えているかのよう。

 地獄の業火が紅蓮に盛り猛り、なにもかもを焼き尽くそうと熱量を増幅させていく。

 表情はさほど変化ない分、その眼光の輝きが激烈なる憤怒を一際示していた。


「不眠の呪詛、その非人道性を承知の上でかけた何者かがいる。それも、こんな幼子に、優しい子に……許せるはずがありません」

「おっ、おう……」

「ですので、その術師を見つけ出します」

「そんなことできんのかよ」

「ええ。ですが起きたまま解呪しても、術者は見つかりません。眠り代わって起きた鬼を解析し、その居所を探り出します。絶対に――逃しはしない」


 眠る童女から噴きあがるのは無色のはずの魔力そのもの。

 しかしそれは緑色に染まり、蒸気のように童女から外部へと去っていく。


 緑色の魔力はどんどん放出され、それがひとつに集結していく。


 無形が有形に。

 魔力が呪いに。

 悪夢が――鬼に。


「くそ……出やがったな!」


 ハズヴェントが犬歯むき出しの獰猛な顔つきとなって剣を引き抜く。

 アカは無言で射抜くように鋭く見つめ。


 そして。


「これが、不眠の鬼ですか」


 三メートルにも届く巨身、くすんだ深緑の色をした肉体は筋骨隆々で腕も足も丸太のように太い。

 その凶相は見た者の怯えを誘い、漲る魔力が破滅を予感させる。


 ――邪なりし悪夢の具現たる鬼。


「ああ、確かに。神話にも匹敵するでしょうね、これならば」


 ただそこに生まれ落ちただけで、アカがそう評価せざるを得ないほどにこいつの存在強度は凄まじい。


 それは取りも直さず、いま悪夢を見る童女の潜在能力の高さを示している。

 いや、それどころかこれほどの資質、もしかすると――


 アカが驚きに思考を回していると、鬼は叫ぶ。ハズヴェントが前に出る。


「■■■■■――!!!」

「人語使えや、ボケェ!」


 爆発のような咆哮をする鬼に、ハズヴェントが一足で踏み込む。

 速い。風の如く。

 閃く銀閃は、全ての挙動に先んじて鬼へ届く。

 しかし。


「ハズヴェント!」


 鬼の咆哮は魔力を帯びる。

 魔術とも呼べない原始的なエネルギーの奔流は破壊力を伴って周囲に拡散する。

 その様、まるで全方位に轟く稲妻か。

 斬りかかったハズヴェントに回避の余地はなく――


「焦りすぎないよう」

「わかってたさァ」


 彼の正面に、赤い魔法陣が展開される。

 魔力そのものの破壊運用ならば、生命アカ魔術によって容易く往なせる。

 ハズヴェントに直撃するはずだった雷は魔法陣に飲まれ、散らされ、無為となす。


 それをわかっていたかのように、剣は一瞬の怯えもなく進行。

 斬撃は、深々と鬼に傷を刻む。


「っしゃ! いいね、ちゃんと斬れた!」

「■■■■■!」


 無論、鬼も止まったままではない。

 ハズヴェントが剣を振りかぶった段階で、既に腕を掲げ上げていた。

 そして斬られた直後に鉄槌のように右腕が振り下ろされる。


「はやっ……魔術師!」


 剣を振り抜いたハズヴェントは動きがとれない。

 だから、後ろに任せる。


「あなた、魔術師との共闘に慣れていらっしゃるようで」

「そりゃあな」


 ――剣士は術師の防御を信じて突っ走れ。


 それが剣士と術師のコンビの鉄則だ。

 そしてハズヴェントはそれに忠実で、回避も防御も捨てている。捨て身なほどに後衛の魔術師を――アカを信じている。


 応えられないでは、名折れだろう。


 今度は青い魔法陣。

 振りかかる拳骨を風で逸らし左方向へ。直下のハズヴェントはその一瞬で右へ飛び――爆砕音。

 爆弾でも破裂したかと思うほどに、その拳は強力。小さなクレーターを抉ってその威力を物語る。


 反対方向に逃げたハズヴェントが引き攣った顔になる。

 ありゃ掠っても死ねる。


 ちょいと警戒心を跳ね上げて、バックステップでアカの正面にまで戻る。


「あいつヤバくない?」

「神話魔獣ならもっと破壊規模が広いですよ?」

「これでか?」


 ちらと周囲を覗けば、先の生命力の雷によっていつの間に周囲は馬鹿げたほどに拓けていた。

 ついつい先ほどまで密集した森林だったのに、今や見渡す限りほとんど焼野原の平野だ。


 それを承知の上で、


「はい」


 アカは迷わず頷いていた。

 ハズヴェントは未だに神話魔獣と遭遇したことはないし、その予定もないが、今後も一切お目にかかりたくなくなった。本当に。


 言っているうちに、鬼はゆらりと体勢を整えてこちらを向く。

 刻んだはずの斬痕は、既に消えている。


「マジか」

「いえ、その調子で剣で触れてください」

「……触れるって?」


 斬れではなく触れろ。

 ニュアンスの違いに、なにやら企みがあると直感する。


「解析の術式を刻んであるので、その剣には」

「なんだよ、直に腹ん中ツッコんで温度でも計れってのか」

「近いと思います。できるだけ情報が欲しいのです」


 しかしとなると、この剣には対魔の祝福と解析の術式の二重で付与されているということになる。

 ひとつの器物にふたつの術を施すのは、非常に困難であると聞いたことがある。


 ――まったく、こいつこれで隠す気あるのか?


 都度都度に、隠し切れない実力を見せている気がするのだが。

 というかもしかして、


「……あんたなら、あれ、倒せるんじゃねーの?」

「私、いま加減できそうにありませんので。粉々にしてしまいます」

「あっそう」


 もう隠す気もなさそうだった。

 いや、単純に本当に怒っているためか。

 どちらにしても、この一戦を終えたのなら話を聞かないとな。

 そのためにも、


「死ねないな……」

「当たり前でしょう」

「お?」

「存分に踊りなさい。フォローは全て私がこなしましょう」


 その確約が、なによりも心強い。

 ハズヴェントはにやりと笑って、テンション高く疾走する。


「はっはー! そりゃいい、楽しくなってきた――敵討ち、めちゃくちゃさせてもらうぜェ!」



    ◇



「……んで、これあとどんだけ斬ればいいんだよ」


 月の薄明りは、魔術の照明によってかき消されてわかりづらい。

 けれどハズヴェントの感覚で言わせてもらえば、月の位置は既に天頂にまで昇っているころだと思う。


 要するに、これけっこうな時間やりあってるけど、いつまで続けるの? という疑問である。

 当初、テンションを上げて斬り結んでいたハズヴェントだが、流石に長引いてくると疲労も隠せない。


 アカは文句が飛んではじめて気づいたように、あぁと頷く。


「そうですね、まあそろそろいいですかね」

「あっ、あんた、適当だろ! おれが陳情申し立てるまで続けるつもりだったろ!」

「そんなことはありませんよ?」


 目を逸らすな、目を。

 というかちゃっかり椅子作って座っている辺りにもハズヴェントは物申したい。


 当然、後ろのアカに振り返って文句を飛ばしてる間にも鬼は不眠不休で暴れ続ける。彼は夜の暗がりの続く限り暴れまわる悪夢そのもの。

 その破壊の権化のような拳を突き出して――腕が切断された。


 立ち上がったアカが、手の平に魔法陣を描いている。


「潮時ですね、そろそろ仕留めましょうか」

「おー、じゃあおれ下がっていいよな?」

「どうぞ。お疲れ様でした」


 言われて、一気にハズヴェントは弛緩。剣を鞘に収めてぐっと伸びをする。

 ここまで共同戦線を張っていると、互いの実力はほぼ把握できている。


 鬼と刹那ごとに位置を変えるような激しい戦闘中にも入る確実で素早いフォロー。

 森を半壊させるほどの破壊力を受け止めてビクともしない防壁。

 長期戦になっても一切陰ることのない術の精度と魔力量。


 ハズヴェントが敵の目前で緊張感をすっかり失う程度に――アカという魔術師はずば抜けて強い。


「■■■■■!」


 背を向け、隙だらけのハズヴェントに鬼は襲い掛かろうとして――今度は左腕を撃ち抜かれる。


「残念ながらもうあなたに手番は回しません」


 鬼には傷一つない。

 何度となくハズヴェントが斬り裂いたのに、いま両腕を奪ったのに、その全てを即時に再生回復して万全……のように見える。

 だが彼の刃もアカの追撃も確かに鬼の魔力を削り、鬼自身の攻撃だって魔力を浪費している。

 確かに弱体化しているのだ。


 その上。


「あの剣は私の作です。それに幾度も触れて、私の魔力があなたの身に残存しています。それがどういう意味かわかりますか?」


 とん、と。


 指先で虚空を叩く。

 それだけで。


 魔法陣が――鬼の内部から広がり展開される。


 出現した魔法陣に拘束されたように鬼は動きがとれずにもがくが精一杯。

 なぜなら魔法陣の色は赤――生命を操る生命アカ魔術である。


 魔力の塊の鬼に、自身の赤色の魔力を織り交ぜたのならば――その操作は容易いこと。

 ……アカという魔術師にとってはという注釈がつくが。


「では、おさらばです不眠の鬼よ……その呪いとともに眠りなさい。あなたもまたよい夢を見られますように」


 そして、赤の魔法陣が輝きを増し――それだけで、鬼は塵となって崩れ去った。

 劇的なものもなく、風に吹かれたように鬼は悪夢とともに消え失せる。



    ◇



「いぇい、いぇい、いえー!」


 鬼の消滅を見届け、ハズヴェントが実に楽し気な様子で近寄って来る。

 すっと片手を開いて掲げ、じっとアカを見つめる。急かすように顎をしゃくる。


「ん」

「はい?」

「ん、ん!」

「なんですか」

「ハイタッチだよ、ハイタッチ!」

「え」


 一瞬、言葉の意味をとりこぼし、慌てて拾い上げる。

 いや、手に取ってみてもよくわからない。


 困惑ばかりのアカに、ハズヴェントは子供のような無邪気さで破顔する。


「色々と疑ったり警戒してたけどよ、一緒に戦えば戦友だろ? 勝ったんだから分かち合おうぜ、なあ

「……」


 目を見開いてしまったのは、彼の本心からの言葉だと理解できたから。

 アカはなんだか気恥ずかしくて顔を俯かせ、頬を掻く。


「はい、そうですね。けれど旦那というのは……?」

「え? おれ的、親愛の情をこめた敬称なんだけど」

「そうですか。まあ、そこはご自由に」


 アカは言い、顔を上げると同時に手をハズヴェントと同じように掲げて――

 ぱしん、と軽やかな音を立てて両者の手が重なり合った。

 ただそれだけのことなのに、なんだかとても彼の心を近くに感じ取れたのはなぜだろう。


 不思議に苦笑していると、ハズヴェントはしてやったりとばかりににやりと笑う。


「よし! ハイタッチしたな? じゃあ戦友、おいこら聞きたいことがあるんだがよ」

「……謀りましたね?」

「それはそれ、これはこれだ」


 きっぱり言い切る辺りに清々しさすら感じる。

 アカはため息ひとつだけついて、まあいいかと逃げることもなく――その核心的な問いに受けて立つ。


「あんた、やっぱりあれか……魔法使い?」

「まあ、流石にバレますか」

「というか隠す気、途中からなかったろ」

「そうかもしれません。ちょっと感情を優先してしまいましたよね」


 瀕死の重傷者を一夜で癒し。

 立派な小屋をあっさり作り上げ。

 広大な森を残らず観察してひと一人を見つけ出し。

 神話にも等しい鬼と対峙して圧倒する。


 そんな神業を容易くできるのは――


「それこそ御伽噺の魔法使いくらいだろってな」



「その通り、私の名は赫天のアーヴァンウィンクル。三天導師の末席を汚す者」



 御伽噺に謳われる三色の天――三天導師。

 若干、格好つけて名乗りを上げるアカに、ハズヴェントはもはや驚くこともなく。


「あ、あと旦那。気づいてないかもしれんけど、旅してるくせに全然荷物もなく食糧もないってありえんからな。おれなんかここらを根城にしてると勘ぐって、そいで鬼の件を関連付けちまったからな?」

「む。それは、確かにそうですね。気を付けます」


 道理で警戒心が高かったわけだ。細かいことにもちゃんと気づいていて、軍人としてはやはり優秀そうだ。

 戦闘中も、後衛のアカに鬼の手が届かないように前衛としてしっかり意識を釘付けにしていた。だからこそ、アカは椅子に座っていられるくらいに余裕をもてたのだ。


 術師が剣士を守るように、剣士もまた術師に害が及ばぬように敵を抑え込む。そういう基本的の立ち回りが上手い。


「さて。私のことはもういいですかね」


 言いながら、アカは平野になったそこをすこし歩いて童女のもとへ。


「あ、忘れてた。その子、大丈夫なのか?」

「ええ。呪いも解け、生存にも問題ありません」


 アカはやさしげに童女を抱え上げ、すこし悩んでから背中に負ぶさる。

 すぅすぅと安らかに眠る顔を覗き込み、ハズヴェントは安堵とともに言ってみる。


「そりゃよかった。起こすか?」

「やめておきましょう。ようやく悪夢から解放されて久しい安眠でしょうから。邪魔はよくありません」

「違いねェな。じゃあ寒いし毛布でもかけてやれ」

「はいはい」


 造形キイ魔術で暖かな毛布を作り、童女をくるりと覆う。

 これなら寒くあるまい。


 ついでとばかり、ハズヴェントは懐からシガーケースを取り出す。


「あと煙草に火ぃくれ」

「駄目です。子供の前で煙草なんて吸わないでください」

「……あー、そりゃそうか」

 

 名残惜しそうに、ケースを仕舞う。

 勝利の一服はお預けらしい。


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