プロローグ・白1


 ――死ぬときは自分のために死ぬのだと決めていた。


 誰かのために死ぬのは、その誰かさんに悪いから。

 恨みを遺して死ぬなんて、死に様として不様すぎるだろうから。

 なによりも、誰かのために死ぬと残されたその誰かが辛すぎるだろう。

 

 親父とお袋が死ぬとき、それぞれ別の死に際だったってのに、夫婦そろって同じことをしやがったのがひねくれはじめた原因だと思っている。


 おれを庇って死んじまった。


 命を盾に、おれを守って。

 命を懸けて、おれを救って。

 死んじまった――おれの目の前で。


 いや残されるほうの身にもなれって。

 誰かのためってことは、誰かのせいってことだ。

 おれのせいで両親を死なせちまった。おれのせいで。


 あんたらの命を背負うほどおれの命に価値があったってのか。

 百歩譲ってあったとしたら、そりゃあ他人様に背負わせるわけにもいかないだろう。


 おれの命はおれのもんだ。

 だからおれの死だっておれだけのもんだ。


 自分のせいで死ぬなら諦めきれる。

 自分のために死ぬなら迷惑かけない。

 自分が決めて死ぬなら、納得できる。

 

 だからこそ。



「まァ、この死に様もそんな悪くはねぇのかもなぁ……」


 閉じた目を開けば、そこには死屍累々の地獄が広がる。

 百を超える精強なる戦士たちが酷く無造作に、そして乱雑に殺されていた。

 力任せに肉を引きちぎられ、遊び半分で身を裂かれ、まったく無意味に血が凝る。


 殺意の嵐が通り過ぎたかのような無慈悲な殺戮は、たった一体の恐るべき鬼によるもの。

 

 ただ強大なる暴力を有すること以外にはその正体すらも推し量れぬ化け物。

 完全武装し臨戦態勢だった王国軍の一部隊を容易く壊滅させて、鬼はどこともしれず失せてしまった。


 部隊は全滅――一名を除いて。


 ただひとりきりの生存兵も、今にも死に絶えそうな半死人。

 剣は折れ、腹は抉れ、片腕を失くした。

 死んでいないのに驚く瀕死の体。もうわずかで死んでしまう風前のともしび。


「あー。煙草、吸いてぇなぁ」


 そんな一言を最後に、男は自らの死を納得して意識を落とし――




    ◇




「……あ?」


 納得いく死を迎えたはずなのに。

 その死にケチをつけられたのなら、それは怒るべきなのか感謝すべきなのか。


 そんな思考はすぐに消し飛んで、なによりまず現実的に困惑する。


 死するしかないほどの重傷だったはずだ。

 腹は半分抉れて腕すら失ったはずだ。

 取り返しのつかないほど血を流した、はずだ。


 なのにどうしたわけか。

 彼は無傷でどこか知らない小屋に寝かされている。

 失ったはずの腕で、えぐり取られたはずの片腹をさする。無事健在で、いよいよ困惑は増していく。


 半身を起こして見遣れば家具もなにもない、そこはあからさまな掘っ立て小屋。

 断じて人の住まうような場所ではなく、荷物のない物置か山間の休憩スペースといったところ。


 しかしはて。

 この森に、そんな小屋があっただろうか。


 溢れる疑惑に首を傾げていると、小屋で唯一のドアが開く。

 一瞬で警戒心を跳ね上げ、しかし自分の剣がないことに気づいて彼は臨戦態勢をやめる。身を寝かせる。

 目を閉じ、未だに気を失ったように装って――しかし。


「あぁ、目が覚めたようですね、よかった」

「っ」


 あっさりと偽装は剥され、これ以上の虚偽は無意味と知る。

 無言で起き上がり、膝立ちの姿勢で声の主を見上げる。


 真っ白のローブを纏った青年である。

 やけに赤い瞳だけが印象的で、あとは消え失せそうな白ばかり。

 やせ細っているわけでもないが、どこか儚げだと思った。


「――魔術師か」

「はい」

「あんたが、おれを治してくれたのか」

「はい」

「なぜ」

「……生きていたからですよ?」


 すらすらと答えていた魔術師の青年はその質問にはすこし怪訝そうだった。

 怪我した者を助けることが当たり前と思っている者の反応だった。


 じゃあ、と最も重大な問いを、最後に。


「やっぱり、夢じゃねぇんだな」

「……はい」

「おれ以外のみんなは、死んじまったんだな」

「はい。今先ほど埋葬を済ませました」

「……ありがとう」


 そこだけは真摯に頭を下げ、しかし警戒は解けていない。

 この魔術師には大きな疑念がいくつかある。


「あんた、何者だ? おれの怪我はもう死ぬしかないくらいのもんだったはずだ。こんなすぐ――いや、待て。あれからどれくらい経った?」

「私があなたを見つけてから半日ですかね」


 部隊が鬼と遭遇し敗北したのが深夜のこと。

 ならば今は昼頃か。


「そんな短時間でこうも完璧に治癒するなんてありえねぇ」


 けれど実際に傷は癒えて失せている。服装の破れすらもなく、ついさっきまで死にかけていたなんて夢と間違うほど。

 王族専門の赤魔術師であってもここまでの逸脱はできまい。魔術師協会の最上位でも可能なのかわからない。

 そういう規格外の魔術であるはずで。

 それを踏まえて。


「あんたは何者だ」


 魔術師の青年は隠し立てもなく、けれどよほど端的に。


「私は旅の魔術師です、名はアカといいます」

「アカだ? そりゃ偽名かよ」

「魔術師名です」

「あぁそういう。ちなみにおれはハズヴェントだ。王国軍第十七中隊所属、第三等位ハズヴェントだ」

「第三等位、それは素晴らしい。その年齢では珍しいのでは? 相当の努力をなさったのでしょうね」


 素直な褒め言葉も胡散臭い。

 ハズヴェントはアカと名乗る魔術師を、どうにも信用できなかった。


 とはいえ彼には隠し事を暴く話術も、本音を引き出す技法も持ち合わせない。

 あまり追及しても心証が悪くなるだけだろう。

 それはちょっとこちらの気分が悪い。

 なんとは言っても、一応の、命の恩人なのだから。


 と、そこまで考えて、ハズヴェントはため息をひとつ。


「……死に損なった、か」

「なにか問題でもありましたか」

「いんや。ただちょうどいい場面だったってだけだ。次の機会がいつ巡るのかわかんねぇなら、今回で死んでおいたほうがよかったのかもしれねぇ」

「ちょうどいい、ですか?」

「…………」


 妙に興味深そうに顔を寄せてくるアカに、ハズヴェントは面倒そうに頭を掻く。

 普段より口が軽くなっている自覚はあったが、そこを堰き止めることはしなかった。


「おれは死ぬときは自分のために死ぬんだと決めてんだ。だから、誰も彼も死んじまった状況なら、それが叶うと思っただけだ」

「それは……」

「あー。いい、いい。正論はよしてくれ。捻くれてる自覚はあらぁ」


 真っ直ぐ生き延びたことを喜べばいいのに、どうして水を差すのか。

 そういうところを追及されるのは嫌いだ。

 それはハズヴェントだけの考え方で、そこを他人に踏み入られて心地いいとは思わない。

 捩じれてたって、彼の芯なのだから。


 強引ながら、ハズヴェントは話を曲げる。


「そういや、剣は? おれの剣はどうした」

「ああ、申し訳ありません、あれはもはや粉々となって修復は不可能でした」

「……そうか」


 かなり落ち込んだように見えるのは、彼もまた剣士であり、その得物は相棒であるがため。

 あるいは、自分よりも早く正しく死ぬことのできた愛剣がわずかに羨ましかったのかもしれない。


 消沈とともに言葉が失われ、アカはこちらから話してもいい頃合いかと判断。


「さて、そろそろ状況の把握は充分にできましたか?」

「ん、待て、もういっこ。ここはどこだ? こんな小屋、あの森にはなかったはずだぞ」

「ここはあなたが倒れていた場所ですよ。この小屋は私が作りました」

「……は?」


 今なにか変なことを言わなかったか、この男。

 間抜けた顔をして不可思議で頭を埋め尽くすハズヴェントに、特段に思うところもなくアカは聞きそこなったかともう一度いう。


「ここはあなたが倒れていた場所で、この小屋は私が作りました」

「いや聞こえてるわ! そうじゃねぇーよ、そうじゃなくてなにとんでもないことあっさり言ってんのって驚いてんの!」

「ええと、すみません……」


 なぜか謝って。


「怪我人を野ざらしというわけにもいきませんし、私もちょっと疲れていたので休憩用のスペースが欲しくてですね」

「だからそういう話じゃ……! はぁ……」


 小型とはいえこのサイズの質量を魔力だけで構築するなど、一般的な黄魔術師には不可能だ。上位勢であっても可否で問えば可能でも、非常に困難かつ苦労がかかる。

 そんなことができるのなら土木建築の作業員がまとめて失業だろう。

 そこらへんは魔術師と兼ね合いが成立しているはずなのだ。


 なのにこの男はけろっとした顔でなんらの疲労も感じさせない。先の言葉を信じるのなら、ありえないレベルの治療を施しもしたはずで、一体全体どれだけ魔力量と魔術技術を保持しているというのか。


 そんなことが容易くできるのは、それこそ御伽噺の――


「いや」


 首を振る。

 拉致の開かないことを考えても仕方ない。現実離れした発想がよぎるくらいに、どうやら頭が煮詰まっているようだし。

 ハズヴェントは考えることをやめ、尻を床に着けて座る。


「もういいぞ。で、なんか話でもあるのか?」

「はい。あなたを助けたのは、生きているのなら死なせるのも悪いといった程度の感情と、もうひとつありまして」

「なんだよ」

「あなたがたは、鬼に襲われましたね?」

「……」


 ――東端の森には毎夜おそろしい鬼がでるという。


 西大陸の果て、東大陸との大橋にも近い位置に深い森があった。

 その森では鬼が旅人を食らい、村を襲って大地を荒らすという。

 一年ほど前から噂は広がり、それから被害はどんどん増大し続けている。


 森にほど近い村が一個、滅ぼされてようやく国から派兵があった。

 しかし。


「まあ、そうだ。全滅したがな」


 派遣された部隊は精強なる戦士が百。練達の魔術師が十。

 一般的な魔獣の類ならば余裕をもって撃破が可能な戦力であり、大型であっても拮抗できる、幾度もしてきた精鋭部隊だった。


「第十七中隊の噂は聞いたことがあります。王国最強と名高い無敗の軍集団だと」


 幾多もの魔獣どもと交戦、これを撃破して多くの民を守護してきた。

 人間同士の戦闘行為や軍事行動よりも怪物狩りを専門として名を馳せ、王国随一の魔獣殲滅率を誇る。


 だからこそ此度の鬼の出現に対し全幅の信頼のもと送り込まれ、そして――


「あー」


 ハズヴェントは気落ちして、懐からシガーケースを取り出す。

 同じ部隊の魔術師に、頑丈に作ってもらった一品だ。先の一戦で形は歪んでしまっても開閉に問題なく、中の煙草も無事である。


「……」


 なんともなしにケースをぼんやり眺める。


 ――適宜メンテをしておけばお前の一生涯くらいならほどけないぞ、すごいだろ?


 なんて言っておいて、メンテナンスする方が先にくたばってちゃ世話ねぇぜ……。

 ハズヴェントは一本の煙草をつまみ、もう一度懐に手を入れるが――


「ん、マッチがねぇな。おい、ちょっと火ぃくれ」

「いえ、あなた図々しいにもほどがあるのでは?」

「人懐っこいの」

「自分で言いますか……」


 やれやれと言いながらも、不躾な質問をしたのはこちらのほう。アカはハズヴェントのくわえた煙草に指を向ける。

 するとふわりと青色の魔法陣が煙草の先端に編みあがり、火を灯してふっと消える。


「さんきゅー」


 煙草を深く吸い、ため息のように紫煙を吐き出す。

 すこしだけ落ち着いた。


「んで、そんな敗残兵になにが聞きたいってんだ?」

「対峙して、かの鬼の印象などをお聞きしたい」

「なんだよ、あんたもあれが目当てで来たのかよ」

「そうですね、少々気になりまして」

「……ふぅん」


 アカの真意が読み解けず、ハズヴェントは含みをもって頷いた。

 とはいえ、今さら別段隠し立てすることでもなし。


「うちの魔術師連中の話じゃ、ありゃ生き物じゃなくて魔力の塊だとかなんとか」

「精霊ですか?」

「いや、それとも違うって話だ。おれぁ詳しくねぇからよくわからんけど」

「そうですか……」

「役立てなくて悪いね」

「いえ、そんなことはありませんよ」


 その存在の実在確認と、そして推測の補強はなされた。

 ハズヴェントは油断なくアカの表情を観察しつつ、紫煙を吐く。


「んで、あんたはどうするんだ?」

「それはこちらの台詞でもありますが、どうとは?」

「鬼探し、するのか?」


 咥えた煙草を指の間で挟むことで口もとを隠し、ハズヴェントは鋭い視線だけをアカに差し向ける。

 直接的な言葉を放ったのは、真意を探ろうとするためだった。


 アカは疑いの眼差しを理解しながらも、特段に偽ることなく予定として語る。


「……そうですね、夕刻あたりにでも探しに行くつもりですが、あなたはどうしますかハズヴェント」

「おれ? まあ、生き延びた以上は任務失敗を国に伝えねぇとな」

「その場合、すこし休んでからにしたほうがよいかと思います。傷は癒えても、動くには未だ辛いでしょうから」

「ん、まじか」


 言われてみると全身に深刻なほどだるさがある。

 動かせないわけではなく、動かそうとする意志が鈍いという感覚。体力があっても気力がない。とってもとっても寝ていたい気分である。


 はじめての感覚に、なにこれとばかり目を向ける。アカはひとつ頷いて説明をはじめる。


生命アカ魔術による急治療に際して発生する心と身体のギャップのようなものです」

「ギャップ? さっきまで死にかけたのに無傷でびっくりって?」

「その通りです。ひとの心は、身体程急激に癒えたりはしません」

「いや、身体もふつうこんなに早く治らんわ」

「魔術は心に影響しがたいということです」


 ふぅんとハズヴェントは納得したのだかしていないのだか判然としない風に唸り、短くなった煙草を床に押し付けて消す。


「……あ」

「ん? あ、わり。つい」

「いえ」


 アカが吸い殻を見遣ると、それだけ青の魔法陣は展開。刹那で灰とする。

 淡々とした風情に、ハズヴェントはビビッてすこし身を縮める。


「怒ってない?」

「怒っていません」

「じゃあいいか」

「っ」


 そう簡単に流されるというのもちょっと不服である。

 とはいえ怒ってないと言った以上、それを態度とだすのは大人げない。

 アカは肩から力を抜いて息を吐く。

 飄々としたまま、ハズヴェントは人懐っこく笑う。


「つーか腹減ったな、あんたなんか食い物もってねぇの?」

「ありませんね」

「旅してんじゃねぇの? なんで持ち歩いてねぇんだよ……」

「……まあ、都度購入するなりしますので」

「ふぅん?」


 なんとなし歯切れの悪いものを感じ取ったが、ハズヴェントは追及しなかった。

 頭に両手を置いて丸まって寝そべる。


「まあいいや、じゃあ寝ようかね。どうせ上手く体動かねぇし」

「そうするといいでしょう」

「……あんたは寝ねぇの? 夜に鬼探しにでるんだろ、仮眠しとけば?」

「眠くありませんので」

「なんだよ警戒してんのか? こちとら国の軍人さまだぜ、寝込み襲ったりなんざしねぇよ」

「それはこちらの台詞ですよ……警戒していますか?」

「……」


 ――もしかしてこの男こそあの鬼を生み出した魔術師なのではないか?


 そうした疑問がないとは言えず、かといってならば命を助けてもらったことに矛盾がある。

 理屈では大丈夫であろうと考えていても、心の底の警戒心は解けてくれない。


 言葉にならない複雑な心境を感じ取り、アカは苦く笑った。


「すこし、出歩いています。あなたは寝ていてください」

「ん。わり」


 ぎこちないふたりは、その距離感を未だ掴み切れずに離れている。


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