シロ6 一番弟子


「アーヴァンウィンクル先生!」

「あぁ、はい。どうかしましたか?」


 ――それは果たしていつの会話だろう。


 見まわしてみても場所すら不明で、靄がかって特定できそうにない。

 そんな中でも、見知った人物――アカは安らいだ表情で、だれか少年と話している。


「あのさ、先生には兄弟子がいるんだよな?」

「……ええ、まあ。不肖の、ですが」


 知らない少年だった。


「そっかぁ。いいな兄弟弟子って。オレ、一人っ子だからさ、そういうのちょっと憧れてんだ」


 彼は孤児だ。

 兄弟どころか親も親戚もなにもいないひとりぼっちの子。

 しかしその才覚を見出され、アーヴァンウィンクルに拾われた。

 だからこそ、その微笑ましい物言いがなんとも嬉しくて、すこし微笑がもれて。


 それに、少年はすこしムッとした。


「なんだよ、ヘンかよ」

「そんなことはありませんよ、とてもいい憧れです」

「ほんとかよ」


 なにやら疑われているらしい。

 アーヴァンウィンクルは肩をすくめて。


「私は、すこし才能というものを重視して弟子をとることにしています」


 そういう基準を設けなければ、きっと自分はみずからに抱えきれないような数の子らを背負ってしまいかねない。

 それは、とる弟子らに申し訳なかろう。


「ですのですぐにとは言いませんが、弟子は可能な限りとるつもりではいます」

「そうなのか?」


 頷いて。


「ですから、あなたはそのいずれ来たる弟弟子たちに誇れるような兄弟子であらねばなりませんよ。

 いいですね、■■」

「そっか、そうだな! なんたってオレは、アーヴァンウィンクル先生の一番弟子だもんな!」



    ◇



「……」


 そこで目覚めたのは、アカではなくシロである。

 暗がりに目を開けばただ天井だけが目に映り、夢から現実に帰ってきたことを自覚する。


白痴遊夢ヒュプノスフィア』。

 彼女特有の固独シロ魔術の内には、他者の夢を覗き見るという魔術が存在する。

 それの名を『夢見詩ヘルメス』という。

夢見詩ヘルメス』は時々、別に強いて見ようと試みてもいないのに勝手に人の夢と同調して覗いてしまうことがあった。

 無意識下でシロが望んだことなのか、それとも夢とは自由で勝手で理不尽であるという術者の心が反映されてしまったが故なのか。

 真相は不明……けれど結果としてシロは時折誰かの夢を見ることあるという事実がある。


 今回のは、まさにそれ。


「ん。橙色の髪の毛……極北地で会ったいう九曜の女の子に、記憶が触発されたんじゃろうな……」


 とはいえ、人の夢を見る行為は大抵がいい気分にならない。

 単純に覗き見が後ろめたいというのは勿論あるが、それ以上に辛いものを垣間見ることがほとんどだからだ。

 たとえば屋敷の妹弟子らの夢は、多くが過去のトラウマであったりする。


 ――ベットに縛り付けられ空を見上げる日々。

 ――誰にも見つけてもらえずただ膝を抱えているだけの風景。

 ――無力な自分が恐ろしい魔獣に襲われる幻影。


 そして誰もに共通する――大事なひとたちが自分のせいで不幸になっていくという最悪の結末。


 そのどれもにシロは遭遇したことがあり、その都度、妹たちに悲しみと感嘆を覚える。

 夢であるとわかって追体験するのと、実際にその境遇で過ごした現実とはまるで違うものだ。

 あんなにも悲哀溢れた過去をもち、なお強く笑っていられる彼女らは心から敬服できる。


 だが今回の夢はまた違った意味でシロの心に突き刺さった。


 そも、アカはほとんど夢を見ない。

 睡眠自体が不要な導師である、夢を見るほど深い眠りは珍しい。極北地遠征があれでけっこう堪えていたのだろうか。

 そんなアカが夢を見るという数少ないタイミングに、偶然にシロの『夢見詩ヘルメス』が発動するなんて低確率にも程があろう。


 そのごく稀な確率を引き当てて、今見た夢は――シロが昔から疑っていた事実を決定づけた。


 すなわち、シロ以前の弟子の存在だ。

 アカはそれについていつも口を閉ざし、話してくれることはなく、シロはずっとモヤモヤと気にかかっていた。


 彼はきっと、かつてアカの弟子であった魔術師なのだろう。

 あれほきっと、かつて存在した過去の風景なのだろう。

 シロの知らない兄弟子。シロの知らないアカの姿。

 そして、彼こそがアカの本当の一番弟子。


「……」


 アカにかつて弟子がいた――だからなんだという。むしろ当たり前、彼の格と年齢を考えればいないほうがおかしいと理屈でわかる。

 けれど。


 その事実が悔しいような悲しいような……定まらない複雑な感情の渦に、そんな風に思う自らの狭量さに自己嫌悪が混じっていよいよわけがわからなくなる。


「うぅ……」


 すこしだけ、視界が滲む。

 身を丸め、自身を抱き抱えるようにちぢこまる。


「シロは、小さいなぁ……」





「――そんなことはありませんよ」

「っ」


 不意討ちのように、頭に触れるものがある。

 暖かく、慣れ親しんだ、優しい手のひらだ。


 がばりと毛布を吹き飛ばしてシロは起き上がる。

 そこに佇むのは誰でもなく当然にアカである。


「せっ、せんせー……? どうして」

「言ったでしょう、この屋敷で起こったことなら分かると。あなたが私の夢に触れてしまったことも、わかりますよ」

「っ」


 それに気づいて慌てて起きてシロの部屋にやって来るあたり、アカも彼女の気性を理解している。

 その上で、お節介なところは相変わらず。

 まあ夜中に女性の部屋に押し入るというのはどうかと思ったが、緊急事態であるとの判断である。


 シロは俯いて。


「ごめん、せんせー。せんせーの大切な記憶、かってに」

「いえいえ。あなたの術の性質はわかっております。故意に覗き見を企てたわけではない、ならばなにも怒ることなどありませんよ」

「でも……」

「それよりも、あなたのほうが心配です」


 それ以上の謝罪は聞かず、アカは遮るように言った。本音だった。


 シロがどうしてだか一番弟子というものにこだわっているのは知っていた。

 その真意はわかっていないが、常にマイペースな彼女の感情が揺れる数少ない事柄だったから。

 

 実際、たしかにアカにはシロと出会う以前に弟子としていた少年がいて……けれど彼のことはアカにとってもあまり触れられたくはない過去。

 その上でシロが拗ねるのなら、彼の話はしないほうがいいだろうと勝手に思っていた。


 だが、事ここに至ってしまえば隠し立ても無意味である。

 アカは意を決して。


「なんなら、彼のことをお話しましょうか?」

「ん」


 すこし……いや大きく迷ったけど。

 シロはふるふると否定に首を振った。


「いや、ええ。

 そういうんは、妹たちと一緒に聞くけぇ、いまはまだ、ええ」

「そうですか」


 安堵のような肩透かしのような。

 ともかくいずれの約はとりつけられてしまった。そのことに対する心の準備を今のうちにしておくべきか。

 もしかしたら、シロのほうも似たような思いがあったのかもしれないが、それは問うに問えないこと。


 ただ、幾分持ち上がってもまだ沈んでいる少女に、アカは苦笑しながら声をかける。


「シロ、あなたはやはり私の一番弟子ですよ」

「……べつに慰めてくれんでも」

「そもそもですね、一番と言って、それは弟子入りの順番で決まることではないでしょう?」

「……?」

「あなたが一番、私の弟子として私を色濃く受け継いでいます。私の弟子と言えば、それはまず誰よりもあなたです――ほかの誰でもなく」

「!」


 ただ先に生まれ先に出会い先に弟子入りした――それだけのこと。

 その程度の事実が、一番弟子という席を決めつけるのか。

 否であろうと師は言った。


 すこし懐かしそうに目を細めて。


「彼は、とても優秀な子でした」


 それが先の夢で見た少年のことであると、すぐに察せた。


「優しく、才に溢れ、努力家で……性別は違いますが、カヌイさんとすこし似ているかもしません」


 話に聞く尽滅のカヌイ――アカの腕をもぐほどの魔術師。月位ゲツイ最強の少女。

 今のシロよりも、ずっと天に近い位置にいる。


「ですが……彼には私は不要でした。

 師事せずとも彼は優しかった。

 教授せずとも彼は強かった。

 ちょっとした手助けしか、私にはできませんでした」

「……せんせーが、いらんかった?」


 そんなわけがないだろう。

 むしろ憤りを感じて否定をしようとして……なんだか酷く悲し気な表情に声はつまった。


「私などいなければ……かれは……」


 彼は死なずに済んだのに……。


 そんな風に聞こえた気がしてぎょっとしてしまう。

 掠れた囁き声、口元もほとんど開いていない……空耳か聞き間違いと言われれば頷いてしまう。


 けれどそのように聞こえてしまった。

 どういう意味か、問いたくとも問えそうにない。そんな軽率に踏み込んだことをしてしまえば、間違いなくアカを傷つける。


 何事もなかったかのように切り替えて、アカはシロに焦点を合わせる。


「対してシロ、あなたは私がいなければ日常生活もままなりませんでしたし、目標がなければがんばれないような子でしたね」

「……それ貶しちょるよね」

「だからこそ、あなたには師が必要だったのでしょう」


 それが自分であるべきかはまた別の話ではあるけれど。

 シロには弟子としての適性があったように思う。


「あなたを弟子にできてよかったと、私は思っています」

「……それ、は」


 暗に以前の彼は弟子にすべきでなかったと後悔しているようにも聞こえて。

 だがいま彼が言いたいのはかつての後悔ではなく、目の前の少女のこと。


「あなた自身が疑っていても、あなたは私の一番弟子ですよ」

「…………」

「師匠の横暴に思われるかもしれませんが、そこにあなたの意見は聞いていませんから」

「……せんせーは、ずるい」 


 そんなことを真っ直ぐに言われては、シロにはもうなにも言えないではないか。

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