クロ6 好きなもの


 ある日のこと。

 ソファのアカに、クロが嬉しそうに走り寄ってきた。


「先生、遊びましょ!」

「ええ、はい。構いませんよ。なにをして遊びましょうか」

「んー、んーとね」


 うーん、うーん、とクロは腕を組んで唸りだす。

 それからすぐに満面の笑みを広げる。


「じゃあ、好きなものゲームしましょう!」

「……好きなものゲーム、ですか?」


 聞いたことのないゲームである。

 疑問をもって沈黙していると、クロがあぁと納得のように声をだす。


「そっか。これ、うちのマイナーゲームだったわね」


 マイナーというか、なんならクロが考え出したゲームである。余人が知るわけもなく。

 笑みでもって説明を加える。


「好きなものゲームっていうのはね、わたしの好きなものを交互に言い合っていくゲームよ! 同じものを言っちゃダメなの」

「……えっと」

「ちなみに判定はわたしがするわ!」

「……えぇ」


 なんというゲームであろうか。

 流石にルールが杜撰では、とか。

 当人が有利すぎる、とか。

 言いたいことは諸々とあるが、なによりも。


「それは……その、なんとも気恥ずかしい気がするのですが……」

「そう?」


 きょとんとした顔で、クロは首を傾げる。


「でも、これで先生のわたしのこと、どれくらいわかってくれてるかがわかるわ」

「む」

「今あんまりわかってなくても、一回やればどんどんわたしの好きなものを知れるの。仲良くなるのにとっても便利だって母様と考えたのよ」

「そう、ですか」


 彼女の好きなものを、アカは一体どれくらい知っているのだろう。

 想像してみると、ほとんど知らないと結論づけられる。もしかして、たぶんきっと、とそういうレベルのものでさえあまりに少ない。

 なにせ、彼女とはまだまだ出会って半年と少し。

 近くにあって、共に暮らしても、あまりに遠い。心が、歩み寄れていないのだ。


 気恥ずかしいからとここで足を出しあぐねるのは、きっとそういうこと。


「それをうかがえば、確かにいいゲームかもしれません。やりましょうか」

「うん!」


 そうと決まれば早い。

 クロは力強く。


「じゃあ、わたしから――家族!」

「ほう」


 順当なところを突いてきた。

 だが、この言い方から察するに、これで父や母、兄弟姉妹などという細かく分類して挙げることはできないのだろう。

 一手で多くを封じられたようだ。


 アカは感心と苦笑の狭間のような心地で、手番を受け取る。


「では、私の番ですね。――姉妹弟子」

「わ、ずるい。家族の判定に引っ掛かるわよ」

「そっ、そうですか?」

「うん。でも、今回は認めてあげる。次はダメだからね」


 クロにそう言われては、頷く他にない。

 だが、すこしだけ嬉しくもある。

 既に姉妹弟子らを、クロは家族として認めているということだから。


 ほっこりしている内に、クロの手番。


「ホットミルク!」

「おや、そうなのですか?」

「うん、ハチミツをすこし垂らすともっといいわね」

「次回から、お出ししましょう」


 アカの趣味で紅茶ばかり出してきたが、確かに彼女の趣向を聞いてこなかったのは落ち度である。

 なるほど、このゲームは言い出しづらかった些細な誤解に対する具申に丁度よいのか。


 理解して、アカもどんどん進めていく。


「……本、などお好きでは?」

「好きよ! というか、ベッドの上でできることは大抵好きね」

「ヒントですか?」

「逆よ。そういうのはもう禁止」

「え」


 厳しい。それはとても厳しい判定ではないのか。

 このゲームのルールを完全にクロが握っているため、文句も言えない。


 というか、あまり細かく攻めていくと、互いに細かいものの言い合いになった時、当人に敵うべくもない。大きな括りを禁止されたのは、どちらかと言えばアカに有利とも言える。そういうことにしておく。


「んーと、じゃあわたしは――ホワイトシチューとか好きよ」

「好きな料理……」

「あ。ちなみに食べ物とか飲み物はこれで禁止ね」

「う」


 また一気に狭められた気がする。

 アカの有利とかではなく、単純になにかジャンルを絞っていくのが当初からのルールだったのかもしれない。

 長引くのを嫌った、のだろうか。


 わからないまま、アカは次の思案をする。思いつく。

 女性なら大抵が好むであろうもの。


「お花などは、お好きでは?」

「はい、ぶっぶー。ばってん」

「む」


 クロは両手の人差し指を重ねてばつを作る。

 不思議そうなアカに、若干の呆れと共にクロはいう。


「どうせ女の子ならまあ好きだろていどで言ったんでしょうけど、わたしは嫌いだから」

「そうなの、ですか?」

「だって花って、すぐ枯れちゃうじゃない」


 意外に思った心は、次の一言ですぐに納得に切り替わった。

 病床に伏した少女は、常に傍らに花瓶があったのだろう。差された花の美しさも、それが枯れていく姿も、ずっと眺めていたのだろう。


 これはまずい間違いを挙げてしまったか、慌ててすぐに別案に思考を巡らす。

 焦りをともないながらも考え、迷い……思い出す。


「空、などはお好きだと仰っていましたね」

「んー。嫌いでもあるんだけど、まあセーフね」

「……ふぅ」


 なんだか安堵してしまう。

 とはいえこれは一手番の安堵だ。だいぶアテが減って、既にそろそろ手詰まり感がある。


 なにか次の候補を考えておかねば負けてしま――


「先生」

「え」

「先生、好きよわたし」


 その時に空いた空白は、衝撃に比例して随分と長かった。

 ゆっくりと再起動を果たしても、リフレインしてまた停止しそうになる。

 なんとか堪えて。


「……それは、先ほどの家族の判定に含むのでは?」

「さっき先生の姉妹弟子も認めたでしょ? だから、先生も今回は認められるわ」

「……」


 ずるい。

 アカは自らの顔を隠すようにして右手で覆い、項垂れてしまう。

 それはずるいだろう。

 そんなにストレートに好意を表現されるのは慣れていない。

 もちろん、それは親愛の情。子が親に向ける感情であり、弟子が師に送る師弟愛であろう。


 それが、アカには分不相応に思えるほどに嬉しくて。言葉もない。

 色々と考えていた。

 諸々と思っていた。

 けれど、そんなのどうでもいいことだったのだ。

 きっと、最初からこれを言いに来たのではないか。アカは、なぜかそう思えた。


 なにも言えないでいるアカに、クロは首まで朱に染めながらも笑った。花のように。


「……ふふ、時間切れ。先生の負けー」

「負けてしまいましたか」

「うん。だから、次のときまで、ちゃんとわたしを見ててね」

「ええ。必ず」


 確約を期すれば、クロはそれだけ見届けて一目散に逃げていく。

 まあ、やっぱり。

 聞くほうも恥ずかしいが、言うほうはもっと居たたまれないのだろうな。

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