アオ6 人として強く


「アオ、お前にゃ一個頼みたいことがある。託したいことがある」

「? 急にどうしたんだよ」


 それは今より二年ほど前のこと。

 ハズヴェントに稽古をつけてもらったあとに、不意に常ならざる真剣な面持ちで切り出された――アオの行く道を決めつけたひとつの頼みごと。


「お前にいろいろ教えてきて二年になるだろ。それでこれならもしかしてけっこう行けるんじゃねぇかと思った。やれるんじゃねぇかって思った」

「なにがさ」

「最初はシロの奴にしようと思ったんだがな、あいつぁ駄目だ。あいつはあっち側に行くつもりで、そうするように死にもの狂いで足掻いてやがる。行きつく先がどこであれ、それじゃあ駄目だ」

「だから、なにが」


 見えてこない話にすこし苛立って問うも、やはり答えはなく。


「おれやアオ、お前はどうしたってこっち側だ。こっち側なんだよ。だからこそ、あっち側の奴らにできないことができる――アオ、お前にしか頼めねぇ。お前だけが可能性がある」


 もはや言葉もない。

 だが、一方でハズヴェントの言葉には途轍もない熱が篭っていて、聞き流すわけにもいかない。

 彼はなにを伝えようとしている? アオにしか頼めないことってなんだ?


「ある意味でシロよりも面倒な道だ。

 あいつはただ死にもの狂いであればいいだけだ。不可能を可能にするのはそういう無尽に無益に無鉄砲でなきゃ無理だから。

 だが、アオ、お前は考えて突き詰めて人であろうとしないといけない」


 人を逸脱することと。

 人を極めること。


 それは似通っているようでいて、まるで違う方向性の極点。


「アオ、お前は人類で誰より強い女になれ。誰より強いと、誰もが思うような女になれ」

「それって」





「……は?」

「ならないとこの平穏はなかった。だからなるしかなかった」


 彼はなにを言っている。

 この話はなんだ。どういう結論が待ち受けている。

 困惑しながらも、アオは幾らか理解できた部分から想像して。


「じゃあ、ハズヴェントは」

「ああ。おれはこの国で一番強いとされる奴を倒したことがある。そして、王に認めさせた。

 ――おれなら、赫天のアーヴァンウィンクルを殺すことができると」

「!」

「たぶん、条件さえ揃えば、確かに殺せるぜ。やる気もないし、やりたくもないけど、殺ることができる」


 ひゅん、と何気なく剣を振るう。

 刃が停止するその瞬間まで、始動はもとより剣が動いていることにすら気づけなかった。

 恐ろしく鋭い斬撃――際立った何気なさこそが最も戦慄を催す。


 アオの知らない、ハズヴェントの全力の太刀は身の毛もよだつほど鋭くて。


「ただし、ここ一個だけ注釈な。

 熟達した赤魔術師と戦うなら、殺すだけじゃ不足だからな。絶対に確実なトドメを刺さないと反撃を食らう。タフっていうか、めちゃくちゃ死にづらい連中だからな」


 それは戦場での経験から断言できること。

 通常の人間にとっての致死が、彼らにはまだすこし届いていない。

 命を操る術師は、自らの命を永らえさせるに誰より優れている。


「そんで、旦那は赤の最高位。なんなら首を落としても復活する気がする」

「そっ、それは言い過ぎじゃ……」

「かもな。けど、ともかく殺すだけじゃ不足ってのは間違いない。殺し続けることができなきゃ勝ちにはならん。そんで、旦那相手にそこまではできないぞ」


 真に恐るべき赤魔術師は、一度殺した程度で死にはしない。

 それが赫天ともなれば――きっと殺し尽くすなどハズヴェントにはできない。

 最後に立っているのはアカであることは間違いない。

 とはいえ一度でも彼を殺せる可能性を持つのは、それだけで感嘆すべき驚愕の事実であるが。


 そして、そんな奇跡のような剣士はアオを真っすぐに見据えて告げる。


「アオ、おれの跡を継げ」

「あとを……?」

「そうしないと、旦那はここにいられない。昔みたいに放浪生活に戻っちまう」

「なっ、なんで!?」

「この場所に赫天のアーヴァンウィンクルが暮らしていることを、国は知っている」


 国王に話を通した上で、アカはここに暮らしている。

 隠れ潜むのではなく、大手を振って国に根を張っている。


「なのにこうして平和にしていられるのは、おれがいるからだ。おれが監視者として旦那を見張っている、その建前があるからだ」


 いつ爆発するともしれない強力な爆弾があったとして。

 それを懐にいれておくには、それに対処できる人物が常に傍に置くくらいせねば誰も安心ならない。


 アカの危険性はその人柄を知る者ならばゼロにも近いが、逆を言えば知らない者には巨大な爆弾そのもの。

 国王はアカのことを知る側であるが、その周囲の者は後者である。ハズヴェントという最上の対処役が傍にいなければ不安は残る。彼の存在は、アカへのカウンターとして必須であった。


 そのハズヴェントの説得と、所在把握の利、そして時々のアカの助力という対価をもって――国王の名のもとに彼の滞在は許されている。

 だが、そのきわどいバランスを保った柱が揺らぐことは、全ての瓦解につながる。


「でも、おれだってずっと生き続けられるわけじゃない。いずれ終わりが来る」


 既に五年、彼はその強さを衰えさせないようにと日々を生きている。

 まだ何年かは大丈夫であろうと自負しているし、意地にもかけて強くあろうと思う。老爺になっても気合で持ちこたえてみせる。

 それでも、アカほど長くは生きられない。


「次を探さねぇといかん。もしくは、次世代を育てあげねぇと」

「それが、あたし……」

「でなきゃお前ら家族が安心して暮らせる屋敷が失われる」

「脅しかよ」

「それくらい気を入れねぇとここまで辿り着けねぇぞ」

「…………」


 軽口にも嫌に真っ当に返答され、アオは言葉を詰まらせる。

 彼の真剣さがアオには酷く珍しく恐ろしく、上手く言葉も作れない。


 構わずハズヴェントは即時の結論を求めて問い。


「で、どうするアオ、やるか?」

「あたしは……」

「無理にとは言わん。正直だいぶ困難なことを言ってる。まだお前にゃ早い話かもしれん。了承するなら鍛錬も厳しくなるし、都度に実力を計る必要もでてくる。最後にはどっかで功績積んでもらって王様に面通しして……とかもあるだろうしな」

「……それってもしかして、国で成り上がれってこと?」

「あぁ。それも戦士としてはトップになってもらう。国一番の戦士ってやつだ」


 まるで物語に出てくる英雄のような、御伽噺に描かれる勇者のような。

 そういう、現実離れした――しかして現実的な最強の者。

 御伽噺の魔法使いの傍らにあって対等を貫くのなら、それくらいになってしかるべき。


「どうするよ、アオ。おれはどっちでもいい。

 ――お前が決めろ」

「っ」


 突然の岐路。

 決定的な人生の分岐路を提示されてしまって――アオは困惑に顔をゆがめる。

 ハズヴェントの真っすぐな視線に耐えかねて俯いて、地面ばかりを眺めて。


 けれど。


「ならやめろ」

「っ」


 一分も待たず酷薄に、ハズヴェントは言い切った。


「迷うくらいならやんな。俯くくらいなら目指すな。自信がねぇなら、無理すんな」

「それは――」

「いいか、アオ。これは無茶ぶりだ。

 天才的な才能を持った奴が、一部のゆとりもなく人生の大半を鍛錬に捧げて、その熱意を衰えさせることなく歯を食いしばり続けろって――そういう無茶ぶりだ」


 アオの言葉を待たない。挟む余地も与えない。

 ハズヴェントはつらつらと流れるように事の困難と常軌の逸した具合を伝える。


「そんで、そんな決断できるやつはな、どっかイカレてる。

 迷う理性も俯く理屈ももってねェで自信だけは満々の、そういうイカレ野郎にだけできることだ」


 だから。

 本当の本音としては。

 ハズヴェントはアオに跡を継いでほしいだなんて、思っちゃいない。


 だが役目を負う者としては、跡目を探さねばならないのも本音。

 ハズヴェントだって、割と内心では葛藤に板挟みされている。


 だからこそ、それに気づくことさえできたのならアオにも言い分はあって。

 自分の思いを、顔を上げて正面から叫ぶ。


「でも」

「ん」

「でもハズヴェントは、それをしたんだろ? 無茶でも無理でも、それをわかった上でやってのけたんだろ?」


 それは否定してはいけない彼の成しえたこと。

 だれにも真似できないハズヴェントだからこその天にも並ぶ偉業だ。


 なのにまるで自虐しているような言い様が、アオには腹立たしかった。

 そのように言わせているのはきっと自分だ。

 

「それってすごいことじゃん、なんで自分で否定するんだよ!」

「あー。いや、そういうわけじゃねぇんだが」

「つまりそれって、あたしに対する気遣いだろ! わかるぞ、そういうのは!」

「……」


 失敗したかも。

 ハズヴェントは頭を掻いて。


「そんなわけねェだろ、事実を言っただけだ」


 今更、むなしい否定の文句である。失敗を自覚して勢いも衰え、なんだか脱力気味。

 アオには響かない。それよりも、自らを慮ってくれたことにこそ心動かされる。


 ――みんなみんな優しいひとたちばかりだ。

 師も姉妹も、ハズヴェントもみんな。

 そんなみんなの居場所がここで、それを奪わせたいだなんて思わない。


 目を閉じ――開く。

 瞳には決意が満ちて、握った拳は固く揺るがない。

 腹はくくった、覚悟も決めた。あとは言葉にして宣するのみ。


「いいよ、わかったやる――あたしは誰より強くなって、アカを助ける!」


 断言は……きっと躊躇なく言えたはず。

 だがハズヴェントは随分と渋面で不服そう。


「……いいのかよ」

「決めた。それがあたしにできる一番の恩返しにもなるから」

「そーかよ」


 やれと強制するのもしたくないが、やるなと決めつけることもしたくはない。

 どちらでもいいわけではないが、どちらともよくない。

 ハズヴェントは自分で自分の結論を出せず、ゆえアオの決断になにか言う権利はないと弁えている。

 ただなんともなしに気が抜けて、どこか妙に申し訳ない気持ちになって。


「それに……ハズヴェントへの、恩返しにもなるだろ?」

「……あ?」


 その発言に意表を突かれた。

 意味を理解できないままに口は半開き、返す言葉もないままアオの続きを待つだけで。


「なんだよ、違うのか? ハズヴェントだって後継が見つかって助かるだろうし、みんな一緒にいられていいじゃんか」

「……みんな、ね」


 アオのいうみんなには。

 当然のようにハズヴェントも含まれているのだった。


 この穏やかで優しい日常を――

 刺激と驚きに満ちた生活を――


 ハズヴェントだって好んで気に入って暮らしているのだから。

 気づかせてもらえれば、ハズヴェントも笑う。


「あー。はは。そうだな。そうだわ――恩に着るよ、アオ」

「任せろ!」


 それはアオの行く道を決めつけたひとつの頼みごとであり。

 そして、ハズヴェントにとって大事なことを自覚できた契機であった。

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