66 マザコン


「それでハズヴェント」

「なんでい、旦那」


 アカの造り上げた環境調整領域。

 中心から半径五十メートルの半球状の結界。これは床面のみが誰であっても触れることのできる隔たりであるが、ドーム状の壁面から上面は風や雪などを遮ることしかしない。

 ここで重要なのは床面は全員が乗っているということ。

 ならばその床面を移動させることができるのなら、それは巨大な車両となる。


 つまりそういう移動方法であった。


 アカは結界ごと持ち上げ、感知できるアンカラカの魔力へと向かって高速で前進させていた。

 風圧なんかも結界が阻害するため移動していることさえ内部の人間にはわかりづらく、アカとハズヴェントは平然と会話する。


「先ほどはストルフェ氏の戦闘に関する部分は聞きましたが……それ以外はどうです。なにか、気になることなどは?」

「ありゃマザコンだ」


 即答が返った。

 アカは困惑してしまう。


「冗談ではなく?」

「大マジだ。マザコンで、マザコンでしかない。それ以外の個性を全部剥がれたみたいな奴だったよ」

「でも戦闘者として優秀だったのでは?」

「っても、そりゃマザコンとしての役に立つようにだろ。マザコンするためのスキルは備わってるマザコンってこった」

「いえあの、マザコンを連呼されると緊迫感に欠けてしまうのですが」

「――腹立たしいのは、そのマザコンは精霊がどうとかは無関係なことだ。そういうふうに育てられたからそうなったってだけだ」


 ハズヴェントの見立てでは精霊化に伴うことで情緒面の変動はない。

 ならば、それ以前からしてストルフェはだったということだ。


「あいつを見てるだけで気分悪くなってくるぜ」

「…………」


 アカはすこし、彼と対面するのが恐ろしくなってきた。

 けれど速度は相変わらず。

 空間ムラサキ魔術でマーキングなしでは自分以外を転移できない彼にとっての最速は、既に目的との接敵を果たす寸前だ。


 結界の移動を止め、全員に注意を促し、それからあと十歩も歩けば――


「さて、先ほどぶりですね、威命のアンカラカさん」

「っ、お前は」

「私の名はアカと申します」


 丁寧に名乗り、笑顔で正面のふたりを見据える。

 先ほども見た威命のアンカラカと、そして。


「確かに、精霊ですね」

「……」


 警戒態勢でこちらを油断なく見据える――ストルフェ・リトプシス。

 ストルフェの目線は特にアカと、それからハズヴェントに刺さっている。一目で敵勢力における最大の戦力を見極めていた。


 アカは両手を広げ、戦意のないことをアピールする。


「まあまあ、そう勇み立たないでください。アンカラカの捕縛はさせていただきますが、そのまえにすこし、お話をしませんか?」

「お話ですって? そんな……。っ!? まさか……尽滅のカヌイ!?」


 そのときはじめて、ジュエリエッタに意識を失い背負われた少女の存在に気が付く。

 カヌイが既に敵の捕虜となっている。その事態に驚愕し、やはり油断ならない相手と認識する。

 アンカラカは自らの腹を撫で、自分の状態を確認――もうすこし時間を要する。


 ちらとストルフェに視線で臨戦態勢での待機を指示。

 それから、慣れた調子で作り笑いを浮かべてアカの提案に承諾をする。


「ええ、構いませんわ、どんなお話が御所望かしら」

「理反のグリドー……知っていますよね」

「っ、どこでその名を」


 さらりと飛び出た名前に驚いてしまう。

 それの名がここで出てくるということは、こいつはどこまで事情を察知しているのか。


「実は私、彼の捕縛をした者でして……彼の研究についても知っております」

「捕縛……馬鹿な、あれは腐っても九曜、それも黒色のですわよ」

「おや? カヌイさんの寝顔を見ても信じられませんか?」


 アカとカヌイが一騎打ちをしに離れていったのは、アンカラカ自身が確認したこと。

 そして結果としてアカが他のメンバーと合流を果たし、その上でカヌイがあのザマということは……どういうことであるか。

 それに先ほどの得体のしれない魔力まで含めると、まさかであった。


 アンカラカは戦慄とともに記憶を掘り起こす。思い当たる節がある。


「聞いたことがありましてよ。秘密裏に処理する案件にのみ協会会長が指令を下す詳細不明の魔術師が存在すると、まさか貴方が……?」

「え?」


 なにそれ知らない。知らないけど、いるの? そんなのが。とアカは首を傾げ。


 おそらくはアカの素性を隠すために彼への依頼には記載に穴ができ、その穴を埋めるような謎の存在を噂話に仕立てて煙に巻いたのだろうとジュエリエッタはあたりをつける。


 誰でもない誰かジョン・ドゥ――確かに彼は隠密に表沙汰にでない事件を解決する謎の存在ではある。

 であれば知ったかぶり、ジュエリエッタは鷹揚にうなずいた。


「その通り。彼こそが会長の懐刀さ、九曜すらも凌ぐ秘されし大魔術師……きみのような九曜の罪人を捕らえるための始末屋さ」


 嘘は言っていない。

 当人のアカがどういうことだとジュエリエッタに振り返ってはいるが、嘘ではないのである。


 アンカラカは自らの推量を肯定されれば疑う余地もない。飲み込んでなるほどと納得する。


「そうとするのでしたら、たしかにグリドーの件とこの子の件を繋ぎ合わせることは容易ですね。

 ……ええ、もう黙っていてもおよそ予想できているのでしょうし、喋ってしまってもいいでしょう」

「彼はやはり、グリドー氏の研究の先にある――」

「これの名を改め、術式開発に大きな貢献をしたかの魔術師の名を借りて――『理反リハンの祝福』と名付けましたわ」

「理反……」


 人の理から反するものへの変貌。

 かつてのグリドーの研究を奪い去ったことで完成した新たなる呪法。


「協会は彼から『精霊化の祝呪』の術式についての研究成果を絞り尽くしたいと考えておりました。そのための尋問を、あたくしは仰せつかっておりましたの」


 魔術師協会は魔術を集めている。

 とはいえ当然、無理矢理に奪い去ることは禁じられていて、秘すこともまた認めている。

 だが、無数の魔術師が犇めく場所である、その不文律が逸脱する輩は必ず潜んでいて、悪心を持つ者たちだっている。

 特に編み出したものが犯罪者――それも処刑が決定した相手ともなれば、強硬な手段をとる者だって考えうる。

 それらの勢力のなかで、最も素早く簒奪に乗り出したのがアンカラカであった。


「そこで、あたくしは彼に術式の秘密を明かすのならば処刑から逃れさせてあげると約束しましたわ」

「……ではまさか、彼は」

「いえいえ、まさか。処刑対象を逃すなどというリスクの高い行為をあたくしが選ぶはずがないでしょう。それにあたくし以外に情報が洩れるのも嫌でしたし……おべんちゃらですわ」

「そうですか」


 公的には理反のグリドーはなにもかも黙したまま、残すものなく処刑されたことになっている。


 ……死の寸前まで騙され、挙句に生涯を懸けて作り出した術式を簒奪されたとは。

 彼も多くの不幸を生み出し、広く悲惨を送り出した罪人ではあるが、流石にすこしは同情する。


「それで彼から『精霊化の祝呪』の情報を取得し、そしてさらに改定を加えた上で――息子にそれを施した、と」


 ちらとアカは警戒心をむき出しのまま魔力を静かに膨らませるストルフェを見遣る。

 見る限り、たしかに彼は魔力の塊だ。以前に見知った精霊と、その体構造は非常に近しい。

 だが、天然の精霊とは違い、彼には――


「え……」

「その通り。完全な精霊化、グリドーの……いえ人類の夢をあたくしは叶えたのです」


 どこか誇らしげに言うが、その功績の大部分はグリドーであろう。彼女はそれを掠め取っただけに過ぎない。

 そこに後ろめたさをなんら感じさせないうっとりとした表情は、盗人の自覚は欠片もなさそうだ。


 ともあれ事の次第の確認はとれた。

 あとはもう魔術師協会に任せていい範囲だろう。


 残るは――


「アオ」

「おう、話は終わりか?」

「ええ。かの術式を知るのは彼女だけのようです。彼女を捕らえればそれで以後の精霊化の拡散は防げるでしょう」


 アカの一言で、アンカラカは一気に目つきを険しくし、ストルフェもまた魔力を引き絞る。

 話が終われば、あとは衝突あるのみ。

 一触即発の空気にも、アカは変わらず。


「では、参りましょう。アンカラカ氏は大人しく捕まっては――」

「誰が! ――やりなさい、ストルフェ!」

「くれませんよね」


 そして戦いがはじまった。

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