65 初志貫徹


「よし、それじゃこれからどうする?」


 最も取り乱していたはずのアオが、まず気を取り直してそう言った。

 ものすごく感情を爆発させてしまったけれど、ここは極北地。竜の住処。危険地帯である。

 個人的な感傷や泣き言は後回しにしなければ生き残れない。


 感情が荒ぶったからこそ、誰より素早く落ち着かねば。

 この場で最も上の姉。妹たちの手前、冷静に冷徹に状況を把握して最善を尽くす義務がアオにはある。


 それは要するに強がりで、けれどそれをあげつらうような者はない。

 ハズヴェントは至極自然と返答を。


「とりま最初の予定通り大陸から出ることだろ」

「真っすぐ進んで、交戦は控える。当初からなにも変わっていないよ」


 ジュエリエッタもまたは特段に平素のまま告げる。

 どれだけ事態が変動しても、新たな事実を見つけ出しても、いま選ぶ行動は不変である。

 弟子のうちで年長であっても子供、大人が彼女らを見守り手助けするのに理由はいらない。


 だが、クロはすこし不満げに。


「でもアンカラカが……ええと、批判のグリズリーだっけ?」

理反リハンのグリドー」

「そう、それ!

 その人と関りがあったのか確認しなくていいの? ストルフェって人間精霊のこと、気になるじゃない」

「そういうのはセンセが来てから考えればいいんだよ。今はわたしたちだけだけだから逃げたほうがいいの」


 キィに諭されればクロも押し黙る。

 一定の理解を示しつつ、わずかに悪態が漏れる。


「もう、アカが遅いのが悪いんじゃない」

「――遅くなってしまい、申し訳ございません」

「え……?」


 がちゃりと。


 ごく平凡なドアが開く音がした。蝶番が仄かに軋み、雪景色にまるで似合わないドアが開張される。

 当然、ドアを開き敷居を跨いで現れる者がいる。


「――アカ!」


 雪に紛れるような白いローブを纏い、白髪もまた鮮やかにさらさらと流れる。

 それら白一色を食い破るがごとく赫く輝く瞳だけが鮮烈で、彼の存在の高さを示す。

 誰あろう、アカである。


 彼は兎にも角にも全員の顔を見渡し、その生存を確かめる。安堵する。


「みな、無事ですね? 竜に遭遇してしまったようですが――」

「っ」


 言葉を遮り言葉もなく――アオはアカへと強く抱き着いた。

 常にない行動に、アカは困惑して咄嗟に一歩下がろうとするも、力強く背中に回った腕がそれを許してはくれなかった。

 助けを求めるようにキィやクロに目を向けるも、仕方ないといった風情で肩を竦めるばかり。


 どうやら、自分のいぬ間になにかあったらしい。

 そこらへんも説明してほしいと思いつつ、アカはなんとも意味なく名を呼ぶ。


「ええと、その……アオ?」

「ごめん、アカ。もうすこしだけ、このままいさせて」

「……はい」


 この北の果てにあってもあなたは暖かい。

 触れ合うことの尊さは離れ離れになってこそ強く自覚できて、既に一杯一杯の心は離れがたいと祈るよう。

 こんな情けない姿だけど、今だけはどうか情けない自分を見ていてほしい。


 必ずすぐに、カッコいい自分を見せてあげられるはずだから。



    ◇



「ほう、ジュエルさんの手助けがあったとはいえ三人で竜の打倒を。それはすごい」

「いや、ドラゴン絶滅させたやつがいうことか!?」

「それに、噂に名高い尽滅のカヌイを真正面から無傷で捕縛って……」


 ハズヴェントとジュエリエッタがそれぞれツッコむも、弟子らは別にそれくらい先生ならやると今さら驚きもしない。



 ……あれから五分もすればアオは顔を真っ赤にしておずおずとアカから離れ、不意に自らの手のひらに雪を作り出して顔面に押し当てだした。

 急な奇行に大丈夫かと声をかけようとして、キィに大丈夫だからと止められた。

 いやなんか小動物みたいな奇声まで発しているのだけどほんとに大丈夫? 大丈夫。そう……。


 そこまで断言されては仕方がない。

 アオが落ち着くまでしばし待機。

 さらに五分でアオは復帰。ようやく互いの事情を交換し合う。

 別れてから、なにがあったか。


 アカの側は、カヌイとの戦闘。竜の掃討。そして樹魂竜魔アンフィスバエナとの決着。

 アオらの側は、アンカラカの捕縛。竜との遭遇戦。そして精霊ストルフェ――『精霊化の祝呪』のこと。


 アカの琴線に触れたのは、やはり精霊の件。


「しかし、そうですか。精霊化の……」

「旦那がグリドーを捕らえたんだよな?」

「ええ。ですが、協会に預けてそれきりですからね。その後までは関与してはおりません」

「……おそらく、アンカラカがどこかで介入してきたはずだよ」

「そして息子を精霊に……それは果たして」


 言葉を止めたのは、アカの想像が非常に気分のよくないものだったから。

 だというのに、クロはその先を理解できてしまう。


「親として子を思って、なのかな。たぶん……ちがうわよね」

「そんな上等な奴かよ。まともに会話したことねぇおれでも違うと断言できらぁ」

「ワタシもそう思う」


 口々にいうふたりに、ふとアオは絞り出すように。


「それでも、子供ってのは親を信じたいんじゃないかよ」

「……アオ」

「親がどんなダメなひとでも、それがわかってても、信じたいんだよ」


 思うところがあるのか、アオの言葉は儚くも確信に満ちていた。

 アカはそれに頷いて。


「では、ストルフェさんの説得は難しいでしょうね……」


 親の期待に応えたいと、それはなんと人間臭い精霊なのだろう。

 アカの呟きは誰に届くでもなく、すぐに切り替えてこれから先にのことを優先させる。


「それでそのストルフェさんと、それからアンカラカ氏のことですが――」

「ちょっと待って」


 そこでクロからストップがかかる。

 なにやら不満そうに苛立ち混じりな声。


「どうしました、クロ」

「なんで誰もツッコまないのよ! わたしさっきからずっとずっと気になって話してること半分くらいしか把握できなかったわよ!」

「ええと。なにに、気を取られているのでしょう」


 びしっと指を指す。

 あくまでも真っ直ぐなそれの指し示すのはアカの背――そこに背負われた少女である。


「なんでアカがその子背負ってるのよ!」


 尽滅のカヌイ。

 茶髪にオレンジメッシュの少女は深い眠りに就いてアカに運ばれていた。

 体全部で密着して、彼女の太ももを支えに、肩に顎を乗せ、顔と顔なんか息の触れるような距離で――負ぶっている。


 いや、それはダメだろう。ダメだ、ダメに決まっている。世界で一番ダメなやつだ。なにやってんだ此畜生は。


 なにか強烈な意志を乗せた眼光に貫かれながら、その何故を解きほぐせないままにアカは普通に理由を話す。


「それは勿論、彼女を放っておけば凍死してしまうからですが」

「人命は大事ね認めるわ! でもじゃあそんなおんぶの必要はないでしょ」

「ですが抱き上げるより負ぶるほうがしっかりと支えられますし、移動の際にも前より後ろのほうが邪魔になりませんし……」

「む。理屈ね」

「……他になにかありますか?」

「感情でしょ! わたしが気に食わないからそれやめて!」

「ええ……」


 クロの横暴な言い様に困惑する。しかも視線を回せば、表立って加勢はしないものの後ろでうんうんと頷く姉弟子二名。

 これは自分がなにか悪いことをしてしまっただろうか。首を捻りたくなるも、行為として見せれば惚けていると思われてしまいかねない。

 首を真っ直ぐにしたまま、アカはなにか言おうとして……先にジュエリエッタがため息とともに。


「わかった。ワタシが負ぶろう。それで誰も文句はないだろう?」


 有無を言わせずアカからカヌイを受け取り、ジュエリエッタは背負う。生命アカ魔術で自らの強化も忘れない。

 そして話を推し進めるようにとハズヴェントに顎でしゃくって促す。


 頷いて。


「んで、旦那。どうするよ――ドラゴンは全滅させたんだよな。じゃあ、もう帰れるんだろ? 帰るか?」

「そうですね……」


 すこしだけ考えて、けれど結論は決まっている。


「いえ、アンカラカ氏、ストルフェ氏を追いましょう。ここで逃すともはや追走は難しくなってしまいますからね。

 ……ただ、それは」

「あたしもいくぞ」

「ですよね」


 苦笑で肩を竦める。

 当初の目的は、アオとジュエリエッタが精霊に会いたいとのことで、それが精霊化した人間であったのならもはや叶わぬ願い。

 ならばアンカラカに追跡を仕掛けるだけならアカひとりで充分で、みなはここで帰還してもいいはずだ。


 けれどアオは力強く宣する。


「あたし、ストルフェと話せてない。話してみたい――おなじ呪いを受けたある意味での同類と、話してみたい」

「アオが行くならわたしも行くわ!」

「わたしも、ちゃんと見届けたい」

「ええ……わかりました」


 もはや諦観している。

 彼女らの意志の強さは誰にも阻むことなどできやしない。

 いや、アカこそがしたくないのだ。


「ではハズヴェントは自動的に付き合っていただくとして――」

「旦那おい旦那」

「ジュエルさんはどうしますか?」


 完全にハズヴェントの茶々入れは無視。本当に彼にのみアカは雑である。

 ジュエリエッタもまた気にせず問いに答える。


「そうだね、足手まといで悪いけど、ここまで関わった以上できればワタシも終わりまで共にありたいね」

「ではそのように」


 結局、誰も帰ることもなくこのまま続行。

 一度はじめたことだ、仕舞いまで付き合いたい。半端でやめるには踏み込み過ぎたのだ。

 既に終わりは見えている。切り札にあたるアカとも合流できた。進むに躊躇いなどないではないか。


 では行こうと歩き始めようとして、おずおずとアオがまた上目遣いで。


「あとアカ、もうひとつワガママ言いたいんだけど」

「……なんでしょうか」


 また嫌な枕詞だな、とアカは思った。

 今まで彼女らの我がままを果たしてこれまでどれだけ断ることができたか、数えたくはない。


「あたし、ストルフェと戦いたい!」

「それは……」


 ちょっと厳しいのでは。

 実力は当然のこと、キィやジュエリエッタよりは容量が大きくマシとはいえアオは既に一戦交えて疲労している。随分不利ではないか。

 と、現実的な考えは浮かび上がるも、しかしアオの戦闘を好む性質と、それによって相手を見定めようとする交流法を知っている。

 彼を知りたいという強い欲求が見えて、頭ごなしに否定はしづらい。


 すこし遠回しに。


「ハズヴェント」

「ん?」

「先ほど、あなたが戦ったのですよね?」

「ストルフェとか? おう、そうだぞ」


 精霊とタイマンを張ってけろりとしているこの男は、それだけの戦士である。

 その洞察力もまた優れているはずで。


「どうでした? ストルフェさんの実力のほどは。アオひとりでも、勝てそうでしたか?」

「強ェな。それに魔術師が相手取るにゃ厄介なところがある、アオひとりじゃまず勝ち目はねェよ」

「では――」

「だからまあ、おれが助太刀してやるよ」

「え」


 予想外の返答に、アカは驚いてしまって会話の主導権をもっていかれる。


「アオひとりじゃ心もとないのは同意する。から、おれもやる。それなら勝てるぜ」

「……」


 いや、こちらは止めて欲しかったのだけどとジト目をぶつけるも、ハズヴェントは気づいた風もない。

 そうこうしている内に、アオは決意に満ちて。


「わかった、ハズヴェントと一緒に戦う。それならいいだろ、アカ」

「……危なくなったら止めますからね」


 そう、渋々に頷くしかなかった。



    ◇



 ――かあさまは、師として厳しい人だった。

 ストルフェ・リトプシスは幼少のみぎりより魔術師となるべく教育を施され、鍛錬を強いられてきた。


 苦痛を伴う魔力拡張、年不相応の術式理解、本当に死にかねないような実践訓練。

 ストルフェは泣きながらその厳しさに応えようとした。それは母からの期待であると受け取り、従順にタスクをこなして成長をしていった。


「あなたのためを思ってやっているの」


 そう、かあさまは都度都度何度も繰り返した。

 同じ口でこんなこともできないのかと罵倒し、愚図だ鈍間だ罵られ、不出来の度にぶたれてきたけれど、母の本質はストルフェのためであると彼は信じた。


 だって鍛錬が終われば、母はいつも優しく暖かに抱きしめてくれる。

 

「あたくしの自慢の息子」


 師としては厳しくとも、母としては優しく褒めてくれる。

 それは痛みも苦しみも、全部溶けて生きていくような抱擁だった。


 なにせそれは生命アカ魔術による直接的な快楽の注入で、もちろん禁忌の術のひとつ。


 ――魔力の譲渡と脳への作用は生命アカ魔術における禁忌とされる。

 前者はほかにどうしようもない場合は許されることもあるが、基本的に魔力は譲られた側に悪影響が及ぶため。よほど卓越した術師は例外とされるため、実は本当の意味での禁忌ではないともされる。


 だが後者は違う。厳格厳重なる禁忌である。

 脳への作用は、当然にそのまま人格に影響を及ぼす上に治すこともできないためだ。

 それは魔術的な麻薬みたいなものであり、ある意味で心に影響する数少ない魔術ともいえる。が、心そのものではなく脳を汚染することで起こる間接的作用でしかなく、魔術師はそれを心への干渉とは断固認めない。


 ストルフェは生まれたころより定期的にそれを施され、もはや生命アカ麻薬なくしては心の平穏を保てないほどの中毒者ジャンキーとなっていた。

 けれどその術式については決して教えられることはなく、ストルフェ本人は習得していなかった。

 それはアンカラカによってつけられた首輪。


 ――僕にはかあさましかしない。


 そう思わせるためだけに、ストルフェの人生にあった無数の可能性を丁寧に丁寧に摘み取ったのだ。



「かあさま、ご無事ですか?」

「っ、遅いのよ、鈍間! お前が遅いからあたくしの腕が切り落とされたのよ、どうしてくれるの!」


 アンカラカは目覚めて早々に不機嫌そうにまくし立てた。

 ストルフェが自分を助けたことなど当然のこと、むしろそれの遅参が腹立たしい。

 彼女にとって、息子は最上の奉仕に身を尽くすべき存在。期待外れなど許されない。


 おずおずと、ストルフェはいう。


「それは治しておきました」

「治した? はっ、それであたくしの苦痛と屈辱まで癒したつもりですか? そういうところが愚図だというのです」

「申し訳ありません」


 傷は癒え、腕は再生し、しかしそれでは気が収まらない。

 あれだけの痛みを覚えたのはいつ振りか。あれだけの怒りを覚えたのはいつ振りか。

 小憎たらしいジュエリエッタに、その連れ合いのあの男は必ず報いを受けさせる。

 今の彼女にはどんな障害であっても無関係、あらゆるを打ち砕いて自らの望みを叶え得る。

 なにせアンカラカには無敵の精霊がついている。自分の意のままに操ることができる最高の戦闘人形だ。


 ここでジュエリエッタ一行を皆殺しにできれば、それで自らにかかった容疑は宙に浮くだろう。いや、ジュエリエッタの死体を用いれば改めて濡れ衣を着せることも可能かもしれない。


 まだ終わっていない。

 地位も名誉も力も財もなにもかも、あらゆるものは自分のものだ。アンカラカはそれを受け取るに相応しい人間なのだ。

 なにかを欲することに善も悪もない。欲しいものを手にするために力の限りを尽くすことのなにが悪い。

 だから。


「……かあさま、追ってきたようです」


 不意に視線をどこかへと定め、ストルフェは言う。

 彼の広大な感覚器に感あり。先ほどの一行がこちらに向かっている。


「ふん。ならばちょうどいいとしましょう」


 だがすこし懸念は残る。

 ジュエリエッタに、あの剣士。それから――カヌイとともに消えた謎の男。あれまでいるとなると、ストルフェにさえ手に余るやもしれない。

 彼が魔力の隠ぺいを解きその力を露呈したあの時、アンカラカをして肝が冷えた。

 まさかあの尽滅のカヌイが敗れるはずもないが、説得される可能性はある。彼女は最初会った時から、どこかアンカラカに距離を置いていた。

 つまり、あの魔術師とカヌイが揃ってこちらに向かっているかもしれないのだ。


 それは、彼女であっても震えがくる。


「仕方がないわ……最終手段をとりましょう」


 邪魔するものは全て消す。障害物は必ず取り除く。

 今までもそうして積み上げてきた、これからもそうして突き進んでいく。

 手段は選ばない――どんな手を使ってでも自らを押し通す。それが威命のアンカラカのやり方だ。

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