62 かつて白く積もった青色は


「かっ、勝った……の?」

「なんかまだ動き出しそう……」

「やめろよ、ほんとうにそうなりそうだ」


 全身氷漬けにした上で徹底的に頭部を破壊して、なのに未だに死を実感できない。

 今にも首無しのまま起き上がってきそうな威圧を残し、竜は絶命していた。


 三人はともに疲労困憊。

 魔術を連発し過ぎたのも当然だが、なにより竜という強大無比な存在と向き合い続けた事実こそが精神をすり減らしていた。


「おぉい」


 そんな中に、気の抜けた呼び声が届く。

 ハズヴェントは緊張感なく歩み寄って。


「おー。マジでドラゴン倒したのかよ、すげーじゃん」

「……そっちは? 精霊、どうしたの」


 いろいろと言いたいこともあるが、アオとしてはなによりそれが気になる。

 傍におらず、ハズヴェントは無事で、では倒してしまったのか。もしくは――


「逃がした。すまん」

「え! 逃げられちゃったの?」

「悪かったって。で。ジュエリエッタ、おれの脚も治してくれ」

「わかっているよ」


 無言で三人姉妹に生命アカ魔術を施していたジュエリエッタは、さらにハズヴェントにも治癒を与える。

 そこではじめてハズヴェントが怪我をしていたことに気づき、クロは口ごもる。勢いで責めるように言ってしまったことを後悔して。


「あ、ごめんなさい。ハズヴェントも、がんばったのに」

「いーよ。おれが不甲斐なかったのはマジだからな」

「精霊相手にひとりで立ち回って撤退を選ばせたのは充分にすごいことだと思うが」

「本来の目的が足止めなんだ、それを果たせなかったのは落ち度だろ。それにアンカラカも奪われちまったし」


 そこでジュエリエッタは目を細める。

 ストルフェの行動を見れば、つまり。


「では、やはりあの子は彼女の息子で間違いなさそうだね」

「そーなるな」


 アンカラカを奪還するために竜をけしかけ、自らも襲ってきたのだとすれば、よほど彼女に執着している。

 それはそのように育てられた息子であることの証明と言える。

 

 そうこう会話している間に、ジュエリエッタの治癒は終わる。

 全員が怪我を癒し、活力も戻って――翻ってジュエリエッタ本人だけがやや精彩を欠く。


「どうしたよ」

「ちょっと魔力を使いすぎた」

「もしかしてさっきのあたしの強化って」

「あぁ、ワタシの魔力の半分くらいは使ったものさ。もともと魔力量は月位の中では少ないほうだったからね」

「そう、だったのか」

「残念ながら打ち止めだ。次はフォローできないから留意しておいてくれ」


 同じくこの場で魔力量に劣るキィもまた少々、疲労感を隠せていない。おそらく先と同じような術合戦はもう難しいだろう。

 逆に魔力豊富なアオとクロはまだ平然としているが、後者は繕っているだけである。


「クロ、きみももう術は使わないほうがいい」

「なっ、なんでよ。わたしはまだ魔力に余裕が……」

「魔力じゃない。その両手だ。自分の魔術で焼けてしまっているじゃないか」

「っ」


 治療を施したジュエリエッタにはわかる。

 クロはあの雷の魔術を使うたびに自らを痛めつけていたということを。

「並列式重陣法」――たしかにそれはクロに制限解除をした威力をもたらした。

 しかし同時に高威力が自傷にまで至ってしまっていた。ちょうど破壊ダイダイ魔術のように。


 自然アオ破壊ダイダイに近しい威力を発揮できたのは驚きだが、制御技術がまだそれに相応しいまでに育っていないのだ。


「それを繰り返すと自らの手を失うよ。それでなくても魔力の巡りが悪くなって不調を引き起こす。他の魔力障害まで引き起こしかねない。

 ワタシでは怪我は治せても、そういう内部のものは難しい。きみの身体をしっかりと理解した掛かりつけの赤魔術師がいないと正しく対処できないものだからね」

「……わかってるわ」


 それは既にアカから言われていたこと。

 そもそも並列式の『黒雷』を連発することは止められていた。


 できれば日に一発――二発撃たざるを得ないときにはせめて時間をおいて。


 そのように厳命されていたのに連打したのはクロの失態と言わざるを得ない。

 アカがいないからといって、隠し通せるものではない。


「んじゃ、クロももう戦力外……んだよ、残ってんのはおれとアオだけか?」

「関係ない。精霊とアンカラカを取り逃がしてる。追わないと」

「いや、アーヴァンウィンクルさまを待つべきだ。彼が戻ればそれですべて解決だ」

「でも!」


 焦燥して言いつのろうとするアオに、ハズヴェントは言わせないで先んじて。


「ともかく最初の予定どおり、このまま西に向かおうぜ。話は歩きながらでもできるだろ」



    ◇



「アオくん」


 ともあれ歩き始め、しばらく進んでいつ頃か。

 竜からの襲撃もストルフェとアンカラカの出現もなく静かに進行していた中。

 ふとジュエリエッタが落ち着かない様子のアオへと水を向ける。


 そこはかとなく緊張気味に、アオは振り返る。


「なんだよ」

「ずっと考えていたんだがね、先ほどの発言、やはり聞き逃せない。確認させてくれ」

「……」


 無言で促せば、ジュエリエッタも小細工なく問う。


「きみは精霊化の祝呪を受けたのかい?」

「ジュエリエッタさん!」


 弾かれたように叫んだのはキィ。

 姉弟子の踏み込むべきではない部分への侵入に過敏に非難の色を見せる。彼女には珍しく、睨むような目つき。


 けれど、当人は予想していたことと平静を努める。


「いいよ、キィ」

「でも」

「いい。聞かれるのはわかってた」


 咄嗟だったとはいえ、覚悟した上で発言したのだ。

 こうなるのは遅いか早いかの違いしかないとわかっていた。


「すまないね、不躾なのは重々理解しているのだけど、どうしても聞きたくてね」


 ジュエリエッタも非常に申し訳なさそうに言った。

 彼女にだって、そこが非常にデリケートで、この上なくプライベートな領域であるとわかっていた。

 この問いが、それを著しく侵犯しているのだということも。


 それを承知していても聞きたい、聞かねばならないと思う。

 なぜならジュエリエッタ、彼女もまた精霊という存在にその人生を大きく動かされたひとりなのだ。


 せめてもの誠意として、ジュエリエッタは自らを指してある意味の同類であることを明かす。


「それのお詫びと言ってはなんだけど、さきにワタシのことをすこし話そうか」

「え」


 急な転換にアオはついていけず、いぶかしんで首を傾げる。

 ジュエリエッタはよどみなく。


「ワタシはね、ずっとむかしの幼いころ精霊と出会ったことがあるんだ」

「!」

「もう彼女の名前すら憶えていないけど、たしかに友達だった。ワタシの、はじめての友達だったんだ」


 遠い過去を懐かしむように、ジュエリエッタは目を細めてどこか遠くを見つめている。

 今ではない過去は既にほとんどが靄がかって思い出せないけれど、たしかに心に刻まれている。


「けれど彼女は突然いなくなってしまった。なにも告げず、ワタシの前から消えてしまった。ワタシはずっと探していたのだけど、今の今まで見つかってはいない」

「それで今回の遠征に参加したのか」

「そうさ。もしかしたら、万が一。そう思い始めると止まらなかった」


 まあ、やはり彼女ではなかったのだけど。

 苦笑いなのに嫌に物悲しい。


 かつて少女だった女性の、それはひとつの分岐点。

 その別離こそが今の偽命のジュエリエッタという魔術師を生み出した原点である。


「彼女はね、ワタシにあだ名をつけてくれた。ジュエルと、呼んでくれた」

「それって」

「うん。アーヴァンウィンクルさまに無理して呼んでもらっている名さ。

 この名はね、恥ずかしながらワタシの魔術師名なのさ」

「え。でも、ジュエリエッタ、あなたってたしか」

「そう。ワタシに師はいない。ずっとひとりぼっちだったさ」


 孤独の天才。

 いつもひとりで魔術師をやっていた。友人どころか親も師もいない。

 たったひとり、独力で月をも超えた恐るべき才女。


「だからこそ友とも等しく、師という存在には憧れたものさ。

 それで、かつての友人にもらった名を魔術師名と自分で勝手に決めた。それで彼に呼ばれれば、彼の弟子である錯覚ができた。なんて、いい歳をして気色悪いだろう?」

「そんなことないわよ」


 茶化したりせず、クロは断じた。アオもキィも、真剣な瞳で頷いて同意する。

 彼女らは現状の僥倖を理解していて、それを羨まれることもわかっていた。

 魔法使いの弟子……まるで御伽噺の登場人物のような身に余る幸せを、彼女らは常に受け取っている。


 薄く笑ってジュエリエッタは礼を返す。


「ありがとう」

「こっちこそ、話したくないこと、話させた」


 アオは一度、深呼吸をしてから。

 真っすぐこちらを覗くジュエリエッタに視線を合わせる。 


「いいよ、わかった。話す」

「いいの、アオ」

「うん。べつにもう気にしてないさ、それに」

 

 不意とそこで、アオは横合いのクロに目を向けた。

 クロ自身は突如のことに理解及ばず不思議そうにするだけ。

 

「ほんとはクロに、ずっと話そうとしてたんだ。言いそびれてた……いや、違うか。あたしが臆病で、踏み込む機会を見過ごし続けたんだ」


 けれど、事ここに至ってはもう逃れられない。

 そう自分に言い聞かせ、話すに丁度いい機会であろう。


 真実を語るのはいつだって恐怖を伴う。

 自らが離れがたいと思っている相手にならば、それは一層に。

 なぜなら真実とは、常に綺麗であるとは限らない。見てほしくはないものを、知ってほしくはないことを、すべて含んでいるからこそ真実なのだから。



「あたしは半人半精霊。半分だけ、ひとから外れた命」



「えっと」


 クロは、慎重に。


「それって、どういうことなの?」

「人間であった命が、祝呪ミドリ魔術によってその肉体構成を変化させられたってこと。

 それが『精霊化の祝呪』。本来の目的は人間を精霊へと進化、あるいは退化させる魔術」

「精霊にって……そんなの可能なの? たしか精霊は魔力で肉体ができてるって先生が言ってたわ」

「うん、だからこの魔術は成功した例は存在しないんだって。そんな急激で凄まじい変化に、ひとは耐え切れないから。大抵が一割二割の変化の段階で死んで、この祝呪はただの人を殺すだけの呪いだった」


 そのようにしか使い道を見いだせなかった。皆がそう信じた。

 精霊になるなど不可能ごとだと――御伽噺に過ぎないと。

 けれど。


「けど、そんなわけなかった。

 なにせこの祝呪の作成者は、もとを辿れば――翠天スイテンのルギスだったから」

「っ!」


 その名にだけは、クロは強く反応した。

 呪いと関わる数奇な人生を送るアカの弟子らは、必ずどこかで呪詛の天に繋がっている。


「ただ術者が上手く使いこなせていないだけだった。

 ただ被呪者が耐えうる資質をもっていないだけだった。

 そして――ぐうぜん、本当にぐんぜんだってアカは言っていたけど、成功に近い例が出来上がった」


「それがあたし」


「――この世界で唯一の、と思ってたんだけどね。まさかあたしと同じ半精霊――どころか、完全に精霊化した人間までいるなんて思ってもみなかった」


 いや、あの時。

 アオも一歩間違えていたら完全な精霊化を果たしていたかもしれないのだったか。


「まっ、まってよ! そもそもなんでアオはそんな呪いをうけたのよ。だれがそんなことを……!」

「御伽噺を信じた魔術師がいたんだよ――三天導師とは、精霊となった進化した魔術師であるって言ってさ」


 その仮説を実証するための実験を重ねた男がいた。

 ――間違いであるという結論に至るしかない、不様な実験を。


「そいつの名はグリドー。理反リハンのグリドー……元九曜の、黒魔術師だ」

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