57 事態雪崩のように


「グォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 唐突な大絶叫。

 その領域の境界を突き破って現れたものに、一同は一瞬ぎょっとしてしまう。


 ――偶然だった。


 全くの偶然で、そのドラゴンはハズヴェントらのいる環境調整領域に這入りこんできた。


 そも、現在すべての竜はその主たる樹魂竜魔アンフィスバエナに命令されていた。


「アーヴァンウィンクルを殺せ!!」


 そんな単純な司令を受け、竜たちは大陸中から彼のいるであろう中心部を目指して飛翔を開始。怒涛のように押し寄せていた。

 だがこの竜は元より大陸の西端にいて、他の眷属たちよりも出遅れてしまっていた。


 その結果、ちょうど付近で微弱な魔力反応を検知できて、とりあえずその反応に寄ってみることにした。

 すると、地に降り立った彼に――不意に攻性魔力が飛来した。


 どこから誰の襲撃が――!?


 かの竜はそれの結論に至る間もなく、攻撃の影響でよろめいてたたらを踏んで。

 別世界に紛れ込んだ。


 竜は環境の急激な変化に戸惑い――それ以上に領内の子らが驚愕する。


「っ! ドラゴン!?」

「なんでこの領域に!」

「言ってる場合じゃない! 臨戦態勢!」


「――待て」


 動じることのないハズヴェントは、見つめるべき視点が違うことを理解している。

 巨大で大暴れ、釘付けになりそうなその怪物を前にしても彼は惑うことはない。


 巨体の竜の陰に隠れるように、なにかがいる。


 先ほど竜を攻撃してこの空域に押し込んだ存在。

 ヒントがあったとはいえ、外からアカの隠蔽を見抜いて竜を試しに突入させた逸脱。


 それは人のかたちをした――しかしてハズヴェントの勘が最悪の警鐘を鳴らしている


「やべェのがいる」


 言語化できず、ただ漠然とした危機感でしかない。

 それでも常のひとを食ったような態度が失せ、ハズヴェントの頬が引きつっている。


 それだけで、弟子らは状況の切迫を思う。

 ハズヴェントのこんな顔、見たこともない。


 そしてなによりも――ひとり、ハズヴェント以上にあのの気配を読み取り、恐れおののく黒い少女がいる。


「なにか……変、変だよあのひと!」

「あぁ? 変ってなにがだよ!」


 クロの鋭敏過ぎる知覚力は、その差異を一目で判別してしまう。


「あのひと、人間じゃない……!」

「!」


 そこになぜは問わない。

 誤りとも思わない。

 妹弟子を信頼している。


 ならばクロの言葉通りであるとするのなら。


「じゃあ、もしかしてあれが」

「精霊……?」


 衣服を着ている。

 高級そうだが実用的なコートを羽織って、武骨なブーツを履き、ベルトを締める。

 こげ茶色の髪を半端に伸ばし、目元にキツい印象はないがどこか血走って恐ろしい。

 二十代後半かそこからの優男、そんなどこにでもいそうな印象しかない。


 そんなありふれたただの青年が、かの精霊であるというのか?


「ありえない!」


 否定は、ジュエリエッタから。

 激しく動揺した声音――それは理屈と感情のせめぎ合いによって自らの沙汰が自らで決め切れていないための心の乱れ。


「ジュエリエッタ?」

「ありえないよ、それは。なにせ、あの青年をワタシは見たことがある!」

「え」


 驚きの事実を、ジュエリエッタは叫ぶ。


「あれは、あの青年は――アンカラカ氏の息子だ!」

「なにぃ!? じゃああれがストルフェ・リトプシスか!」


 それの名を知るハズヴェントも驚愕を抑えきれなかった。

 たしかに調査ではアンカラカにはストルフェという一人息子が存在した。したが――しかし彼は一年前に。


「ありえねぇのはそれもだぞ――ストルフェ・リトプシスは一年前に死んでる!」

「っ!?」


 そうなるとジュエリエッタには深刻に意味不明だ。

 もちろん他に答えのだせる者はなく、ただクロは自らの感覚を裏切ることもできない。


「でも、でも! ほんとに人間とはなんか違うのよ!?」

「……人間。だけど、人間じゃない……?」


 それって。

 思わず、キィは振り返ってしまう――顔を向けた先にいるアオは、顔面蒼白で呟いた。


「『精霊化の祝呪』……!」

「!」


 そのとき走った衝撃は、今までで一番のそれだった。

 まさかという信じがたさ。

 そうかという得心。

 ならばという戦慄。


 精霊化の祝呪とは、文字通り人間を精霊に転生させる呪い。人間という生物を、精霊という魔力生命体へと転ずる祝い。

 爪先から頭の天辺まで、肉体すべてを魔力マナに変換して置換する。そんな常軌を逸した効能は、呪詛とも祝福ともされ、故にその名を『精霊化の祝呪』。


 唯一、それを知らないクロだけは驚きではなく疑問で埋め尽くされていたが、教えてやれる余裕の残る者はいない。

 ジュエリエッタは知識の限り現状とすり合わせ、だが致命的なところで噛み合わないことに気づく。


「人間を精霊化する禁呪! だが、あれは被呪者を変質する過程において耐えかねて皆死滅すると――!」

「生存者はいる」


 いやに確信をもった断言だった。

 アオは、なぜならそれを知っている。そもそも彼女は、確信をもつに至るだけの存在である。



「あたしがそうだ」



「なっ!?」

「え?」

「……」

「だから、もしかしたらあたし以外の適合できた人がいたのかもしれない」

「……アンカラカの息子が精霊化に適合したってのか。そりゃなんて――!」


「グォォォオ――!」


 そこで、ストルフェの登場で蚊帳の外であったドラゴンが吠える。

 態勢が整い、行動を決め敵を定め、魔力を迸らせる。

 大きく息を吸い込んだ。その細身が膨れ上がるほどの吸引には、魔力が巡る。


「!」


 竜の最大の武器は――

 全てを焼き尽くす破滅の――

 絵本でも度々放たれたまさしく必殺の――


「まずい、ブレスを吐くわ!」

「アオぉ!」

「わかってる!」


 そして灼熱が呼気とともに吐き出され、紅蓮の津波が領域内を埋め尽くす。

 雪の世界を火炎地獄へと変貌させた竜の火炎吐息ドラゴンブレス、その破壊力は凄絶の一言。

 逃げ場なく、耐え得る生物はなく、生きる術はなし。


 当然、その場にいた小さき人の子など焼死体すら残らず消え失せて――


「っ! 極北地で暑いって思うなんて思わなかった!」

「なんとか逸らせたけど……くっそ、なんて威力だ!」

「ほんとう、絵本のままね」


 雪の防壁かまくらに包まれぼやく少女らがいる。

 未だ絶えず揺れめく炎の海にも、その雪は溶けては積もってを繰り返して存続する。

 アオの魔術は、たしかに竜のブレスに拮抗することに成功していた。


 ――そしてそのとき、不意に火炎が消失する。


「っ、なに?」

「ちがう。理屈通りだ、驚かなくていい」

「ここはセンセの領域だからね」


 炎が渦巻くことで過剰に膨れ上がっていく熱量を、この領域は許さない。

 環境を調整し温度を保つ領域――寒さを遮断するのと同じく、暑さも引き下げて、さらにその原因にあたる竜のブレスさえ掻き消してしまったのだ。

 さすがに発射と同時に打ち消すほどの力はなく、着弾後の延焼を止める程度が関の山だったが、それでも火の海にならないだけ随分とマシ。


「しかしではアオくんの雪は……」

「それは事前に使うってわかってたんだから除外してもらってるよ、当たり前だろ」


 アオの物言いに、ハズヴェントは頭を抱えたくなる。


「……当たり前ってなんだっけ? それともこれくらい月位ゲツイとかならできるのか、元九曜」

「できるわけがないだろう!」


 言っている暇も、安心している暇もない。


「って。待て、ストルフェはどこに――!」

「――」

「っ」


 咄嗟反射、ハズヴェントはかすかに生じた違和感に従って刃を振るう。

 手応えはなし。

 だが、刃の間合いのちょうど外にて、精霊の青年――ストルフェが目を細めて身を屈めている。


「ふ――ぅん?」


 思うところはあるが、回避されたのなら即時追撃に移れるのがハズヴェントという剣士。

 狭いかまくらの中であってもその巧妙な斬剣は素早く鋭い。

 精霊に匹敵しうるストルフェに回避を選択させるほどに。


 ハズヴェントは殺意を引き絞って剣を躍らせながらも、頭の中では高速で思考を巡らしている。


 ――こちらに奇襲してきた。なぜ?

 ――狙いはなにか。不明。

 ――こいつの属性は。精霊。魔術師。息子。

 ――息子……では母親か? アンカラカを奪い返しに来た。辻褄は合う。


 気まぐれのようにふと攻撃を緩める。苛烈な攻めに回避に専心していたストルフェは不可解そうにしながらも反撃の魔術を――


「っ」


 ひゅん、と。

 ハズヴェントが懐から取り出したのは小さな刃――スローイングダガー。

 それを、驚くほど自然な動作で投擲する。投げるという所作が滑らかに過ぎて、一瞬投げているとわからなかったほど。

 狙いは――傍のズタ袋。


 刃は袋に到達する前に、しかして消滅。

 ストルフェの放った光の弾丸が、飛来するダガーを打ち砕いたのだ。

 その行動の示すところはひとつだろう。


「そーかー」


 ニヤリと笑う。

 指針は決まった。この場での最善、全員が生き延びる最も可能性ある選択は――


「全員、傾注!」

「!」


 ふたりの近接戦闘に入り込む余地がなく、ならばと竜と睨み合いをしていた面々は、その一言でハズヴェントに意識を向ける。

 ハズヴェントはストルフェへと踏み込みながら吼える。

 

「こいつはおれが引き受けた。だからあんたらはそのドラゴンをなんとかしろ」


 この場における敵性勢力はふたつ――かの竜とこの精霊。

 そして危険度が高いのは後者で、ならば前者を可能な限り手早く倒してしまうべき。その後に力を合わせて精霊ストルフェを打倒するのは悪くない案。

 だが、それは同時にハズヴェントがひとりでストルフェと対峙し、そして、子供たちと戦えないジュエリエッタだけで竜を倒す必要があるということ。


 そのどちらもが、圧倒的困難。


「無茶なことを!」

「ハズヴェントは勝てるの!?」

「やってみなきゃわからん」


 けれど。


「旦那に頼まれちまったからな、なんとかするわ。……そっちは?」

「やってやるわよ!」


 挑発を含んだ問いかけに、クロは即答してしまう。

 ハズヴェントはあまりに予想通りの反応に笑ってしまう。

 

「んじゃ、がんばれ。そっちに勝ってもらわんと困るからな」

「できるだけ早く倒してそっちに加勢すればいいんだね?」

「ドラゴン打倒か……やってやる」

「よし、その意気! あとは頼んだぜ」


 バックステップ。

 ハズヴェントは後方の、アンカラカをぶちこんだ袋を拾い上げる。

 そして欠色命術モノトーン――筋力強化、脚力強化。ズタ袋を担ぎ上げ、ハズヴェントは笑う。


「アオ。上を開けろ」

「はいよ」


 かまくらの蓋が開く。

 ハズヴェントは挑発のようにあごでしゃくって。


「おら、行くぜ……マザコン野郎!」

「っ、おまえ!」


 一足で跳躍。皆から距離を離して、領域もまた彼に追随して移動する。

 それを追いかけストルフェも跳び――この場に残るは三姉妹とジュエリエッタ、そして。


「グォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 開いた穴から恐るべきドラゴンが少女らを睥睨した。

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