58 息子
「ストルフェ・リトプシス……アンカラカの一人息子だ」
それは日を遡って遠征の前日のこと。
ハズヴェントが短い時間でなんとか収集できた情報をアカに説明していた際に、重要度が低く扱われたそれ。
「魔術師としての位階は風位。
染色可能色相は赤、青、黄、緑。
得意は、
要想心図は不明。魔術師としてのスタイルは戦闘者」
「ふむ、世間一般からすれば魔術貴族であることを差っ引いても上々の実力者といったところですか」
「そうそう。アンカラカほどじゃねぇが、まあ優秀ってのが周囲からの評価だな」
資料をめくる。
「二十七歳、中肉中背のどこにでもいそうなタイプの優男。焼けた茶色の髪を半端に伸ばしてて、だいぶ穏やかな眼差しをしてる」
「親と似ず落ち着いた方なのでしょうか」
「落ち着いたっていうか、内気で弱気って感じかもな。どうにも見た感じ、アンカラカの意向で人生決めてるっぽい」
心なしかつまらなさそうに、ハズヴェントは言う。
アカは擁護ではないが腕を組んで首を傾げる。
「……貴族ですし、親御さんがレールを敷くのは珍しくもないのでは?」
「それにしたって、だ。
習得する魔術も、スタイルも、進路も目的も、全部アンカラカに決められて生きていた、らしい」
ストルフェは幼いころから魔術の勉強を強いられ、学園に入学させられ、戦闘者となるべく戦闘訓練を施されている。
その人生を紙面上から見下ろすと、なんとも格式ばったかくあるべきという作為的な小奇麗さが見受けられる。
効率的すぎるのだ。
無駄がなさすぎて、遊びがなさすぎて、彼の性格が読めない。
なんとか軍の情報部が性格分析を試みても、しかし浮かび上がった人物像とその人生設計とがそぐわない。
彼は、ひとつでも人生の岐路で自らの選択を優先できたことがあっただろうか。
いや、それどころささやかな日常での躾や食しているもの、服や身につけた魔術。そうした小さな選択さえ、彼には選べなかったのではないか。
まるで人形だ。
自らの意志をもたず、誰か別の意図によって動く人形。
人の形を模した――しかし人ではないもの。
そういう風に、アンカラカが育てた。仕立てた。
「それはもう教育ではなく支配でしょうに」
そこまで説明をされてはさすがに苛立ちも募る、アカは酷くぞんざいに吐き捨てた。
まったくだ、とハズヴェントもうなずいた。
「っても、こいつのことは考えんでもいい――一年前に死んでる、事故でな」
「ではなぜ説明を……」
情報に意味がないのなら、ただ腹が立っただけではないか。
わずか咎めるような物言いだったが、アカは手拍子でそのように返答したことをすぐに悔いた。
ハズヴェントは、アカ以上に不機嫌だった。
「アンカラカがそういうやつだって話。受け継ぐとかそういう考えを根本から理解してなくて、子は体のいい道具扱いで――実の息子を傀儡としてやがった」
すこし荒れた語尾は、ハズヴェントの胸糞悪さを示している。
◇
アカの用意した短剣による環境調整領域。
それの範囲は媒体である短剣を中心に半径五十メートルまで広がっている。
ハズヴェントはそれを踏まえ、目算と感覚で先のかまくらが範囲内に収まる程度に移動する。
互いの戦闘の邪魔にはならないが、平野のため互いの戦闘状況が視界に入る。
――なんなら急げば手助けができる。
と、それは油断かとハズヴェントは気を引き締めて目の前の相手を見据え――悪役ぶった笑みを刻む。
「やっぱあんたの目的はこれか」
わざとらしくゲシゲシとズタ袋を蹴りつけると、ストルフェは激昂して魔力を昂ぶらせる。
「かあさまを乱暴に扱うな」
「かあさまね」
なんとも言えない心地になる。
ストルフェが生きていたのは別に驚かない。アンカラカが誤情報を吐いて存在を秘匿したかったのもわかる。
なにせ精霊化だ――アカの話じゃ例外ひとりを除いてすべて死亡した、ある意味で最悪の呪いのはずだ。
それの成功例だなんて、露見すれば世界中から注目されてしまうだろう。無論、必ずしもいい意味だけではなく。
だが現状で厄介なのはそういう驚愕的事実ではない。それは一度驚いたのでお仕舞いとできる。ハズヴェントは切り替えの早い男だからだ。
問題は、精霊という規格外の存在がアンカラカの傀儡となっていること。
敵として、今ハズヴェントひとりが相手どらなければならないということ。
強大であり未知の、九曜などよりなお厄介な存在だ。
「おう精霊さんよ、あんた思いのほか百面相だな、感情的なくせに言葉少ななのは単純に無口なだけか?」
「だまれ」
それでも平然と常の態度でへらへらとできるのは、彼の百戦錬磨の証左であろう。
とりあえず素性でも聞いてみるかー、と悪人面を維持したまま詰問を。
「んで、あんたなんだよ。マジで精霊化した元魔術師でいいのかよ? でもありゃ転生に耐え切れずに死ぬもんだって聞いたぜ、ぉお?」
「……」
「はン、だんまりかー? いいのか、そんな反抗的な態度でよぉ、おれがちょっと手元を滑らせたら大事なかあさまが串刺しになっちゃうかもしれねぇーんだぜ?」
手元が覚束ない演技で剣をふらふらとさ迷わせ、最終的にはズタ袋――アンカラカに刀身を添える。
そして直後にハズヴェントはその場を跳びのいた。
直後駆け抜ける一条の光は、殺傷性を伴っているであろうことが容易に想像できた。
「かあさまから離れろ」
「……」
やっぱりだ、とハズヴェントは腰を低くいつでも動けるようにしながら思う。
こいつ――魔法陣を展開せずに魔術を使ってやがる。
以前、アカに聞いてみたことがある。
魔術の発動に際して煌々と輝く魔法陣、あれの不便についてだ。
「魔法陣ってあれ不便じゃん、なしで魔術撃てねぇの?」
位置がバレる。意図が読まれる。暗所で目立つ。損壊リスクができる。ラグがある。
ハズヴェントのように魔術から遠い戦士としては、そのような感想が湧きあがるのだが。
魔術の天は、首を振る。
「無理ですよ。あれは魔術の設計図、魔力を魔術に変じるための変換装置のようなもの。装置もなく変換などしません」
そう言っていた。
アカが言うのならば間違いあるまい。
つまり魔法陣の展開しない魔術など、三天導師にすら不可能なこと。
それができるというだけで、彼の正体は割れたと言っていい。
――人にはできないことをするのは、ひとならざるものということ。
精霊は全身これ魔力――故に下級の魔術に限ってだが、魔法陣を介さず意志力だけで魔術が使える。
やはりやっぱり彼は精霊化を果たしたストルフェ・リトプシスその人なのであろう。
ストルフェによく似た精霊というありえない可能性は、さすがに考慮の外でいい。
そして、これの恐ろしいのは初動がない点。
予備動作なく魔術が撃ち込まれるのは、魔術師にとって最大のネックのひとつをクリアしているということ。
それは魔術には必ずラグと隙が発生するという弱点であり、近接戦闘に魔術が向かないとされる理由のひとつでもあった。
だがラグも隙もなく魔術を無際限に放てるのだとしたらそれは――
「ん」
剣を薙ぐ。
不可視のなにかを弾く手ごたえを得る。
風の弾丸かなにかだろうと当たりをつける。
無論、発動の瞬間などわからなかったし、射出の角度も不明。勘とかストルフェの視線とかでなんとか凌いだだけだ。
並大抵なら攻撃されたと気づくのは身にダメージを負った後であろう。
こちらをハズヴェントひとりで請け負ってよかった。
この出の早い不可知の魔術、それだけで精霊という存在はほぼ全ての魔術師に有利をとれる。
感知を待たずに敵に攻撃できるし、なによりどんな魔術師相手でも先をとって撃ち込める。
ゆえむしろ。
「
また弾く。
ストルフェは突っ立ったままこちらを警戒の眼差しで眺めているだけなのに、なんの挙動もないのに、魔術はハズヴェントへと殺到している。
ハズヴェントはじっと相手を観察し続けている。
たとえ精霊と言っても、心ある生命であることは同じ。そして、心は魔術に重要なファクターであり、その始動を一切の波立なしにはおこなえるはずがない。
絶対に、なにかサインが見つけられるはず。一切合切の予兆もなしになにかを為すなど不可能だ。
――来た。
「ここだろ?」
「っ」
酷く無造作に、
それも、強く確信ある剣技。それまでの二回とは迷いなさが顕著に表れている。
コツが掴めた、ようである。
一度目は偶然と思えた。二度目は奇跡。
ならば三度目は、読まれているということ。
ストルフェは戦慄する。ただの三度で魔術師殺しの最速を見切られるだなんて、ありえない事態だ。
そして、それはかすかにしても気の揺れ。
つまりが勝機。ハズヴェントはそれを決して逃さない。
だん、と。
常に纏っているそれを、足に集中させることで爆発的な加速力を得る。
「っ」
ストルフェが気づいたころには、そこは刃の間合いだ。
斬撃閃くは十七の剣線。
その全てが命を奪うに相応しい鋭さを備え、なによりも高速にして精確無比。
「く」
それに、ストルフェは体をねじって回避。不可視の弾丸をばら撒き逸らす。軽傷に抑えて凌ぎ切る。
見事な対処と言える。素晴らしい反応速度だと言える。
魔術師であったとき、彼のスタイルは戦闘者であったがための戦場慣れか。
「ふ――!」
ハズヴェントは無感動、呼気を乱さず追撃。
無尽に剣を振り回し、銀の閃光が絶えず乱れ飛ぶ。
反撃は許さず、移動も許さず、思考も遮る。
恐るべき連撃、まるで銀の津波か。
とはいえ、彼も人間。
鍛え上げ強化したとしても限度があり、無呼吸運動にも終わりが来る。
それを誰より把握しているハズヴェントは、限界点を理解した上でそのギリギリまで押し込む。
最後に敵の体勢を崩してからバックステップ。大きく距離をとって膝をつく様を見据える。
合計で二百近い斬撃を叩き込んだが果たして――
「……はァ……はァ……っ!」
ストルフェは生きている。
無数の斬痕を残しながら、血を流すこともなく、とはいえ表情は苦悶に満ちている。
ダメージはしっかり通っているらしい。だが致命には至っていない。
ハズヴェントは呼気を整えるついで、時間稼ぎのようにすこし笑って見せる。
「なんだよ、その程度か? 手も足もでてねェぞ精霊サマよぉ」
――さて厄介だな。
面立ちでは笑んでいるも、内心では苦い顔をしそうになるのを堪えている。
まずハズヴェントの太刀を致命を回避し受け流しているのが尋常ではない。
おそらく事前に
それでも、アンカラカのように油断があればハズヴェントならば意識の隙間を穿つことができるのだが、流石に真正面から斬り合っていて油断する阿呆でもない。
なにより呼吸が読めない。
ハズヴェントですら見切れないほど浅い呼吸。いや違う、こいつ――
こいつは呼吸をしていない。
精霊――ひとでないものゆえの、人体との生命活動の差異である。
呼吸は全身のリズムの基点、それを正しく見極めることが戦闘において重要な要素のひとつ。
それが一切読めないとなると、ハズヴェントはいささか戦いづらい。
それに血が流れないのはなんでだ。あぁいや肉体が魔力で出来てるみたいなこと言ってたか。
じゃあもしかして内臓とかもないのか? 心臓も脳みそもないとすれば、どうすりゃ殺せるんだ? 首を落とせば流石に死ぬのか?
まったく、精霊ってのは本当に面倒極まる。
なんでこんな化け物と遭遇戦かまさにゃならんのだ。
しかして――その憂鬱な思考は、ストルフェ側からしても同じであった。
ハズヴェントの握る剣――それはアカが作ってアカが術式を刻んだ特別製の魔剣である。
刻まれた効果は魔術への干渉。そして対抗である。
触れ得ざるものに触れ、切れぬものさえ断ち斬る。それだけの魔剣。
特殊になにか担い手を高めることも火を吹くこともない。そういう意味では平凡。
頑丈で鋭く、どんな敵にも通じるよう――そういう所持者に実力を求め、だがその実力のぶんだけそのまま強さに直結させる特等の魔剣であった。
そう、精霊という魔力で形作られた生命体にさえも抜群の効果を発揮し、故に攻撃が通じる。
本来ならばただの斬撃ではストルフェには大した痛痒もない。身がわずか乱れるが、すぐに復元できる。
だが魔を断つ剣が相手となるとそうはいかない、確かなダメージを負う。
ストルフェは呼吸もしていないのに荒い息を吐く……というのは彼の人間性の残り香のようなものだが、それだけ追い詰められているということ。
勝敗が決したというほどの決定打ではないし、ここからどちらにも傾き得るとはいえ、現状はハズヴェントが優勢であろう。
「……」
ストルフェはそれを踏まえて決断する。この場での最善を選ぶ。
ばっと右手をハズヴェントへと差し向け――魔法陣を展開する。
「お?」
精霊は下級の魔術に魔法陣を必要としない――ならば、これは高レベルの魔術を使おうとしている。
この距離ならハズヴェントが発動前に斬り込めるとわかってのそれは、ダメージ覚悟の大技で回避も防御も許さないつもりか。
だが。
「なら魔法陣を壊せば――」
ハズヴェントのもつその魔剣なら、確かに構築中途の魔法陣を斬り裂くことができた。それで彼の魔術も思惑もご破算だ。
ただし、
「っ……?」
ハズヴェントの脚を、不可視の弾丸が貫かなければの話だが。
がくんと身を崩し、ハズヴェントは片膝をつく。血が流れ力が抜ける。
痛みよりも驚きのほうが強い。
まさかあの野郎、魔法陣を囮にして下級魔術を撃ちやがった。
大技に浮足立ったところを狙いすまして、確実に命中させた。
「――!」
この崩しの次には本命が来る。
先の魔法陣をそのまま使うか、踏み込んでくるか――ハズヴェントは覚悟して構えるが。
「なに」
ストルフェは消えていた。
身を固めて防御に立ち止まることを見越して、撤退を選んだのだ。
反射で後ろを振り向くも、ズタ袋――アンカラカもまたそこにはいない。
回収されたらしい。してやられた。
「ち。引き際を心得てやがる」
ここでの撤退は最善だろう。そして、きっともう二度と彼はハズヴェントと近接でやりあおうとはしないだろう。
それは正しき判断力と確かな経験による選択で、彼のひとであったころの戦士としての卓越を窺わせる。
「ひとであったころ……か」
ハズヴェントは脚の傷を確認しながらひとり思う。
彼には人間であった時の記憶が確実にある。
戦闘判断力や戦い方、ダメージに対しての反応からもそれはわかる。
そしてなにより母親への執着心。
とりもなおさず彼の人間性を強く示している。
「精霊になっても、ひとはひとってことか……」
なぜだかどこか嬉し気に、ハズヴェントは呟くのだった。
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