56 尽滅の
「しかし女性の方がそのような恰好で激しく運動をするというのはいかがなものかと具申しますが」
ところ変わって、極北地が南方面の平地。
どこであっても吹雪き――環境調整が行き届いているので無風の晴れだが――不変の銀世界であり続けるこの大陸において、特殊なことはなにもない場所であるが……その場にある魔術師ふたりが一線を画す存在である。
アカの状況にそぐわない妙に真面目な指摘に、けれど返答する側もまた能天気に間の抜けたことをいう。
「スパッツ履いてるからだいじょうぶだよっ」
「そう、なのですか……?」
「そうなのです!」
えへへー、とカヌイはなぜか嬉しそうにブイサイン。
なにかを心待ちにし、なにかに心躍らせ、そして誰かに期待しているような。
裏切らないでと祈るように拳を握る。
まずは、小手調べ。
「んじゃ、いっくよー!」
「ええ、いつでもどうぞ」
激しい運動をする――アカはそう言った。
そして、カヌイはそれを否定しなかった。
既に彼女の戦闘法について、アカは当たりをつけているようだった。
そのため、瞬間で消え去ったようなカヌイの移動にも、対応できる。
「おりゃー!」
気づけばカヌイは眼前にいて、そして。
右ストレート。
拳を握って真っ直ぐの拳打である。
魔術師に似つかわしくない攻撃であるが、アカには予想内。
「っ!」
「ははは!」
ぶち壊された。
防御に使用したのは風圧のガードであり、そして攻撃に使用されたのは――
「
裏四色の一色、
それは本当に破壊のみに特化し、類を見ないほどに大味にして強大な効果を発揮する。術者にまで累が及ぶほどに。
だが。
「えっ」
「こちらもそう簡単にはやられはしませんよ」
破壊された魔法陣の、すぐ裏にもう一枚の魔法陣が展開している。
端から二重、一枚を破られることを想定していた。
二枚目の
吹き飛びはしたが――それすらもカヌイの纏うものによって軽減され、彼女本人にダメージはない。
あっさりとその両足で着地をする。
そして絶賛する。
「すごいじゃん、お兄さん。アタシ、こんな吹っ飛ばされたのはじめてかも」
「ええ、ありがとうございます。ですが」
アカは右手を見遣る。
すこし、火傷している。アカの防御を貫いて、彼女の攻撃が身に届いていたのだ。
「本当に素晴らしいのはあなたですよ、尽滅のカヌイさん。まさか
宿纏法という、自らに魔術を纏う技術。
それを
なにせそんなことをしようものならば、術者に反動がかかる。それも重篤な。
破壊特化の
並みの魔術師がそれをすれば、二秒も持たずに全身が粉々になる。
たとえばアカであっても一歩歩くごとに、指先ひとつ動かすごとに――身を滅ぼしていくだろう。
現実的ではない。
だが彼女は、尽滅のカヌイはまるきり平然としているではないか。
強力無比な
触れれば崩壊を齎すその外套は、全て外側にだけその破壊力を注いでいる。そのように精密に制御されている。
史上例のない、地上唯一無二――
「んじゃ、ちょっとだけガチでやるからさー、死なないでよお兄さん?」
「っ」
踏み込む足は、それだけで雪を散らし大地を砕く。
そのエネルギーを存分に前進に費やし弾丸のごとき高速で疾走。
拳を振りかぶり、ただ傍若無人にぶん殴る。
それで必殺。それだけで天にすら噛みつきうる最強の牙。
アカは
「え!」
強力な力と力がぶつかり合い、一瞬の拮抗ののちに両者を弾き飛ばす。同極の磁石が反発するように、アカとカヌイは強く弾かれた。
そのまま雪を削りながらも制動、また間合いを開いて両者向き直ることとなる。
「あはっ」
「…………」
カヌイは笑うも、アカは笑えなかった。
打ち負けはしなかったにしても、まさか打ち消し合う結果になるとは。
「すっげー! お兄さん、今のアタシと同じ
「なにか人聞きの悪い……」
言いながら、アカは冷や汗を流している。
なにせ、打ち消し合ったと言っても、カヌイは無傷であるのに対し、アカは自らの魔術の反動で血を流している。
それは出力が同等でも制御性でアカが劣っているということ。
「……カヌイさん」
「ん、なに?」
「正直に言いますが、もはや私も余裕がありません」
その赫の瞳を戦意で満たし、鋭い眼光で目の前の少女を貫く。
「全力で行かせてもらいます……あなたもどうぞ全力で。それがお望みでしょう?」
「ふ……ふふ。あはははははははははははははははははははははははは――!!」
アカの宣言に、なぜかカヌイは腹を抱えて笑い出した。
◇
――全身全霊を尽くしてみたかった。
ただがむしゃらに、力の限り、自分自身を使い切って吐き出して、誰かと相対してみたかった。
カヌイはそう願って生きてきた。
けれどそれはきっと贅沢な願い。
全力で戦っても敵わず敗れていくひとたちがいる。
選ぶこともできずに崩れ落ち、蹂躙されて地に這いつくばるひとたちだっている。
力不足は、戦う必要をもつひとにとって最大の不運でしかない。
尽滅のカヌイは、それとは正反対のところに立つ。
負けたことがない。
いや、戦闘行為が生死でのみ勝敗を決するのなら、生きている誰もが敗北知らずということにはなる。
だがそういう意味合いですらなく、生きてなお敗北感を味わう者はいる。勝っても納得のならない勝利もある。
誰かの犠牲の上に、なんとか命だけ残して敗北から逃れた誰かだって、いるだろう。
それらの敗北ではないだけの苦い悪酒――そういうものさえ、彼女は味わったことがない。
快晴の勝利。
曇りなく、影なく、輝くほどの勝利の美酒しか味わったことがない。
それだけ、尽滅のカヌイはひたすらに強く才ある魔術師であったのだ。
故の欠落。
常人には考えにも及ばないような奇妙な渇望。歪な願い。
誰かに相談すれば驕りととられることは当人でもわかっていて、それを語ったことなどなかった。
誰とやりあっても歯ごたえがない。どんな魔術を見せられても脅威に思えない。
余力を残して対処可能。よそ見をしていても負けたりしない。
勝つのが当たり前、余裕で蹴散らすのが日常――では、自分の限界はどこにあるのか。
それがわからない。
雑魚に全力を出しても満たされない。無駄に周囲に被害を与えるのは心苦しい。無用な殺生も、できるならしたくはない。
いつも加減して、なにか気遣いながら戦うことを義務付けられていた。
そのくせ戦うのが好きだというのだから救えない。
強敵を求めている。好敵手を望んでいる。
対等に戦えて、存分に戦え、遠慮なく戦える舞台を探している。
こんな北の果てを彷徨う役割を自ら買って出たのも、ドラゴンという強大なる存在とぶつかってみたかったからに他ならない。
極北地の案内人――最も危険な役職とされるそれも、カヌイにとっては腕試し程度にすぎなかった。
結果は、尽滅のカヌイはドラゴンすらも片手間で下せる最強の魔術師であると証明したに過ぎなかった。
北の吹雪く寒冷の大地であっても、カヌイにとっては晴れ渡った空と変わらない。
一応、彼女はまだ眷属としか出くわしたことはなく、真なる竜とされる神話魔獣とは邂逅していないのだが。
だが――今日この日、尽滅のカヌイは嵐の如き破天荒と遭遇する。
まるで先が見えない。
一瞬の油断が終わりに通じ、挙動ひとつの選択が勝敗を分ける。
敵の戦力すら正確に見積もることもままならない。どこまで自分の力が届いているのかさえわからない。
眩暈のするほどの力は、握った拳を知らず震えさせている。魔力圧が重すぎて、ちょっと気を抜いたら跪いてしまいそうだった。
勝ち目が見えない。日の光の一筋さえも見当たらない。
圧倒的に、彼が強いから。
「ははっ……」
けれど、それはただ反転しただけのこと。
今まで自分が誰かに味あわせていた重圧を、今自ら感じているだけ。
ここでしっぽ巻いて逃げ出すことを、今までの勝利が……敗者たちが許してくれようはずもない。
なによりも、これは望んだこと。
尽滅のカヌイが、待ち望んだ舞台である。
誰に配慮する必要もない場所で、他のなにもかもを思考の外に放り出し――全身全霊を尽くして滅ぼし合うことのできる相手。
「名前」
「はい?」
「ごめ。もっかい名前教えて、お兄さん」
笑みが終わると、別人のようにカヌイの顔つきは真摯に引き締まる。
その切り替えはアカをして肝が冷える。
されど面には意地にかけて出すことはせず、いつものように微笑んで。
「……私の名は、アカといいます。他のなにもない、ただのアカ」
「アタシはカヌイ。尽滅の……」
言いかけ、ふとなにか思ったのか顎に指をあてて思案顔。
それからにっっっこりと深く笑って、カヌイは名乗りを上げる。
「んやー。そだね! アタシも。アタシもただのカヌイだよ!」
役職はもちろん地位も位階もこの場において関係ない。
ただひとりの魔術師として相対する。
ただひとりの戦士として、立ち向かう。
「お兄さんが誰とか、なにが目的とか、ほんとは立場的に聞いとかなきゃなんだけどー、も、そーゆーのどーでもよくなっちった」
にひひと悪戯っぽく笑うその顔には、既に職務など不在。
ただひたすら心躍る期待感に満ち満ちて――まるで無垢に楽しむ少女そのもの。
「なーんもなしにただ力の限り、戦ってくれるお兄さん?」
「ええ、付き合いましょう、どこまでも。
全力でどうぞ。存分に、思うがままに、あなたの全霊を振るってください」
あぁ……その返しを、一体どれだけ待ちわびたことか。
そして、こう返すことを夢にまで見た――!
「さあ、全霊を尽くしてやりあおう!」
□
実は九曜にひとりだけ、カヌイと戦える者もいるのだけど、彼は忙しいので個人的な理由で戦おうとしても許されない。
尽滅のカヌイは最強の魔術師だが、彼は魔術師の中で最強――藍色の九曜。
……という設定だけはある。
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