50 極北遠征開始


「うーし、じゃ行きますかね」

「……あなたさっきまで寝ていた割に元気そうですね」


 呆れたようにアカが言えば、ハズヴェントはまるで悪びれることもない。


「そりゃ寝溜めしとかにゃと思ってギリギリまで粘ってたからな。知ってる? あんまり寒いと眠くなるんだって。寝不足だとすぐ寝ちまうぜ」


 いや、ハズヴェントの寝坊の代償で予定時間を十五分ほど遅れてしまったことに対して思うことはないのかと聞きたかったのが……なさそうである。



 本日は極北地への遠征、その当日である。

 屋敷の玄関前には既に参加者全員が集い、出発を待つ。

 その中で一番の遅参はもはや全員の予想通りにハズヴェントであった。


 まるで緊張感のない欠伸をかまして、ハズヴェントはいう。


「悪かったよ。でも遅れたぶんだけ急いだほうがいいじゃん?」

「べつに焦って向かう必要はありませんよ、時間はあなたを急かすために決めただけですし」

「え……そうなの?」


 もしやと目を見開いたまま他のメンツを見渡す。

 全員、ちょっと困り顔で目を逸らした。

 どうやらハズヴェントだけ知らされていなかったらしい。


 拗ねたように軽い舌打ちを。


「ちぇ。なんでい」

「すみません。ともあれ、行きましょうか」

「そういえば先生」


 そこで、ふたりの話の終わりと見てクロが質問をひとつ。


「極北地に行くっていうのはいいんだけど、マーキングはしてあるの?」


 アカの遠飛びのドア、その行先は事前に魔術的なマーキングを施した箇所にしか移動できないと聞いた。

 では、例の北の果てにはそのマーキングはあるのか。

 ないのならば、最も近い地点に飛んで、そこからは別の移動方法をとるのだろうか。

 疑念と懸念に、アカはあっさりと首肯。


「ええ。以前、彼と約束したときに、いずれ戻って確かめる必要があると思っていたので」

「……樹魂竜魔アンフィスバエナ


 アオが思いのほか低い声音で呟いた。

 今回、最大の障害と捉え、最大限に警戒している。


 キィも同意して。


「センセとの約束、覚えてるかな」

「覚えているといいわね」

「そうすりゃおれも楽できるしな」

「……」


 少女らに当たり前に混ざりこんで話せるハズヴェントを、一歩引いた目でジュエリエッタは見ている。

 何度かの対面と観察で、すこしずつ彼女はハズヴェントについて理解を深めていた。


 ただの怠惰で面倒くさがりに思えて、その実は子らの身を案じているだけなのだろう。

 アカとは違った意味合いで、彼もまた過保護だ。


「ジュエルさん、どうかしましたか?」

「いや、なんでもないよアーヴァンウィンクルさま」

「……」


 ……小骨のような違和感。

 なにがなにとは言えないが、アカは今日のジュエリエッタに些細な引っ掛かりを感じとっていた。

 気のせいと言われればそれまで、考えすぎと言われれば頷く。気を張りすぎているのだろうか。


「あぁ、杖ですか」

「ん?」


 そうえいば、彼女は長杖スタッフを手にしていた。

 地面について体重を預けることで歩行の補助にもなる、立派な木製の杖だった。

 ジュエリエッタが杖をもっている姿は、はじめて見た。


 それに気づいたか、ジュエリエッタは説明を。


「これは、基本的に研究用で持ち歩くことはないんだけどね……今回は、すこしでもお役に立ちたくて持ってきた。それに、大分歩くだろうしね」

「お心遣いに感謝します」

「なに、礼を言われるほどでもないさ」


 それでも言いたげなアカに苦笑を漏らしそうになりつつ、ジュエリエッタは進行を促すことで話を変える。


「それより、姦しいところ悪いけど、そろそろ行こうじゃないか」

「そうしましょうか」


 女性に不躾な視線を送るのは失礼千万、アカは慌ててなにやら別に駄弁りだす弟子とハズヴェントを見遣る。


 彼女らと、ついでにハズヴェントが喋りだせば長引くことは明白。

 すこし強引にでも進行するのがこの場での正解である。


 金色の鍵を取り出し、アカは虚空に差し込む。

 ドアが陽炎のごとく浮かび上がると、喋っていた弟子らもハズヴェントもこちらに注目を集める。

 アカはゆっくりとノブに触れ、回す前に振り返り。


「下がってください。おそらく、吹雪きますよ」

「え」

「っ」


 わかっていないのがクロとハズヴェント、首を傾げている。

 アオとキィ、ジュエリエッタは慌ててドアから離れる。


 そして、ドアが開く。


 ――ぶわっと。


 瞬時に生じた気圧差による突風とともに雪の塊が狭い扉に多量に流れ込んでくる。

 文字通りの雪崩。瀑布の如き雪の流入は、あらゆるを圧し潰す白き鉄槌だ。

 入口が小さいぶんだけ一度に襲い来る量は知れているが、そのぶん後続は際限ない。止めどない。


 とはいえ、それを予測していたアカには当然ぶつかる前に魔法陣が展開して雪を霧散させる。

 だが強烈な風はアカの脇をすり抜けて、その後ろでもたついていた二名にまで届く。


 凍てついた強烈な風は、この冬の時期でさえありえないほどの低温でもって人体の体温を奪う。

 一瞬で、クロとハズヴェントは寒さに震えて声を失う。


 二瞬目にはアカが環境調整の魔術が発動され、半径五十メートルの気温が設定された一定にものに固定される。

 冬の厚手を着こんだメンツが、少々暑苦しさを覚える程度の気温。

 クロとハズヴェントは、それで一息つく。


「なに今の……」

「くっそ寒かったぞ」

「あれが極北地の風ですよ。その氷点下の気温は、あらゆる命を熱とともに奪い去ります。油断していたら、あっという間に凍死しますよ」

「……寒いって怖いわね」


 寒さは動きを鈍らせる。思考を遅らせる。末端から順に、人を殺しにくる。

 だからこそそれを遮断する領域は必須である。

 特に、戦闘行為を行うというのならば。


 女性陣が服を着こんで外套まで羽織っているのに対し、ハズヴェントは戦闘用の軍服であり特段に厚着でもない。アカの環境調整を前提に、動きやすさを優先している。彼はメンバーで唯一の前衛の剣士であるからして。


 同じくアカもいつものローブであるが、彼は自前で環境調整するためにいつでもどこでも同じ服装なだけである。


「さて」


 改めて向き直ると、アカは扉の向こうにひとつ魔術を撃ち込む。

 壁のように遮る雪の山を吹き飛ばす。


 以前にマーキングをした時点では足場があった平地のはずなのだが、おそらく長い年月を経て雪がさらに積もり積もってしまっていたのだろう。

 設定したポイントは動かないがため、嵩を増した雪に埋もれて、扉の向こうは雪しかない。


 なので魔術により力業で進路を確保し、アカは先んじて単身でドアを潜る。

 ――前に。


「これからすこしだけ状況確認に行きますので、みなさんはすこし待っていてください」


 頷くのを確認し、次いでハズヴェントに顔を向ける。


「それからハズヴェント、渡しておいたものを出してください」

「ん、これか?」


 ごそごそと腰元から取り出したのは、鞘に収まった短剣であった。

 装飾のない簡素なそれは、事前にアカの用意した魔剣の一種。

 一見してなんの変哲もない短剣であるが、見る魔術師が見れば精緻な術式が刻み込まれていることがわかる。


「では、鞘から抜いてください。それで術が発動するようにしてあります」

「了ー解」


 その術式のすごさをイマイチわかっていないハズヴェントは、酷く雑に抜刀。

 そして……変化なし。


「ん?」

「今は私の術が敷いてありますからね、変化はありませんよ」

「あ、そっか」


 今は同じ魔術が同じ領域に重ね掛けにされている状態。

 これよりアカがひとりで極北地に向かう際に、残ったこちらが再び零下に晒されないようにとの配慮である。


 これで大丈夫。

 アカは改めてドアを通り――北の果てへ。



 一歩で景色は切り替わり、いつも見渡していた屋敷から風景は真っ白だけのそれになってしまう。

 先ほど撃ち込んだ術が周辺を吹き飛ばしたお陰でアカを中心に扇状に積雪が溶け消えている。だが振り返ればうず高く雪の壁がそびえたつ。


「……」


 すこし考え、アカは浮遊の魔術を使う。

 底にいても仕方ない。雪の壁、その上に降り立つ。


「……なにも変わりませんね、ここは」


 一面の銀世界――果てしなく白い雪だけが視界を占領し、だがある地点で荒れ狂った吹雪きがあった。環境調整の外側までなんの遮蔽物もないがため、境界線が際立ってよく観察できた。

 見えない壁に雪と風とがぶつかっては消失していく様は、ガラス窓から嵐を眺めているよう。

 

「おっと」


 ぼうっとしていても仕方がない。

 現在展開している環境調整魔術、それをもうすこしチューニング。想定と実際の差異は、やはりすくなからずある。

 それから――


「いない、か」


 軽く周辺の魔力を調べるも、近くに樹魂竜魔アンフィスバエナおよびその眷属は見当たらない。

 まさかあの傲慢な輩が隠れてこちらを窺っているとも考えづらいし、ねぐらを変えたか。


「できれば、皆を呼ぶ前に話をしておきたかったのですが……」


 仕方ない。

 アカは開きっぱなしのドアに戻り、首を伸ばして屋敷の庭に顔を出す。


「領域は敷きましたので、みなさんもどうぞ」


 こうして極北地への遠征がはじまった。

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