51 竜魔急襲


「全員、体調に問題ありませんね?」


 北の地に踏み込んで、誰もが物珍し気に周囲を窺っている中でも、アカは冷静だった。

 魔術による環境調整はときどき他者に違和感を覚えさせ、最悪体調を崩すこともありえる。

 そういうことを気にした問いなのだが、あまり誰の耳にも届いていないようだ。


「わぁ、すごーい! なんにもない、なんにもないわね!」

「なにもないのってすごい……のかなぁ」

「……足場わるいな。踏み込みが難しい」

「そういう時は重心を意識して踏みを浅くしろ。で、地面を観察して雪の柔い部分と硬い部分を識別して――」

「アカー、足下にも領域結界を敷いてよー」

「それが一番だわな!」


 ハズヴェントは吐き捨てるように叫んだ。

 いちおう技術の教授をと思い説明したのが恥ずかしくなる。


 それにアオが慌てて謝罪を挟んでいる間に要望が通り、アカは結界を改善しておいた。

 結界に床面が敷かれ、その形が半球状となる。足場が沈むことも滑ることもなくなり、動きやすさが格段に増す。


 それを足先でつつくようにして確かめ、ジュエリエッタは呆れたように。


「いや、そんなに簡単に結界の内容を変更しないでほしい。一度発動した術式の改変なんて、すごく高等の技術なんだからね。特に空間ムラサキ魔術でやるなんて、言葉もない。誤解を生んでしまうよ」

「……わたしに言ってる?」

「ほかの子は知っているだろう」


 クロが自己申告すれば遠回しの肯定が返る。

 念のためクロが振り返って姉弟子を見遣れば、彼女らは肩を竦めるのみ。

 やはり、クロだけが知らないらしい。知識不足は如何ともしがたい。


「それで、先生」


 めげずに気を取り直して、クロは問う。


「極北地、なのよね?」

「ええ、その通りです」


 環境調整下では風も雪も寒さも厳しさも感じないため、ここが説明された最悪の地獄とやらであると実感は湧かない。

 いや、積雪量が半端じゃないことは確からしいが。

 ともかくアカの肯定を受けてから、クロは話を進める。 


「じゃあ、ここにいる……ええと誰だっけ、悲鳴のアンサンブル?」

威命イメイのアンカラカ」

「そう、そのひと! を、探すの? それとも精霊?」

「そうですね。とりあえずは探査の術を――」


 何気なく開き続けていた遠飛びの扉を片手で閉めながら、これからのことを説明しようとして。


 ばたんと。

 閉扉の音が響き、魔術としての役割を終えた扉が消え去って。


 その瞬間であった――それが現れたのは。



「――アーヴァンウィンクル!!」



 それは突如として空からやって来た。雷の如く。

 大きな翼をはためかせ、巨翼に見合った巨体をした――恐ろしいもの。


「アーヴァンウィンクル! アーヴァンウィンクルゥ! 待っていたぞ、貴様がこの地に戻ってくるこの日をなァ!!」

「っ!」


 すらりとした全長は蛇にも似ているが、丸太のごとき太く力強い四肢が当たり前にそなわっている。

 なによりサイズが段違い。長い首の上に鎮座する頭頂から尻尾の先まで目測で計って十メートル以上はある。

 その全身には褪せた赤銅色の竜鱗が鎧のごとく覆い、爪牙だけが煌めいて研がれていた。

 

 それの名を、クロは知っていた。

 絵本で読んだそのままの姿をかたどったそれは――


「ドラゴン……!」


 ぎょろりと縦に裂かれた瞳孔が人を見下す。この世の全てを睥睨するその眼光は、あらゆるを竦ませて屈服を要求する。

 クロはただその凶相がこちらを向いたという事実だけで、腰が抜けてしまう。アオやキィも膝を折ったりは意地にもかけてしなかったが、恐怖に全身が震えてしまうのは止められない。


 すぐにハズヴェントがクロの前に立ち、彼女の視線を塞いでしまう。アオやキィに攻撃が来ても即座に対応できる立ち位置をとる。

 念のため帯びた剣を引き抜いておくが――こちらから仕掛けることはしない。

 ただ竜と正面から相対するアカの背を見つめて状況を見守るに徹する。


 この場の全員の視線を集めるアカは、泰然とした風情のままでどこか無念そうに息を吐く。


「……樹魂竜魔アンフィスバエナ、どうしました。私との戦いはやめたのでしょう? 約束したじゃないですか、もう無暗にひとは襲わないと」

「ふざけるなアーヴァンウィンクル! この我が、全ての頂点たる王が――なぜ貴様ごときにひれ伏さねばならん!」

「それは、約束を反故にするということですか」


 念押しのようにアカはそれを問うが、一方で樹魂竜魔アンフィスバエナからしてみればそんな些少のことなど意にも介さない。


「貴様を殺すため、我はあの屈辱の日から長らく準備を続けた。この我が、たった一個の小さな命を奪うために準備をしたのだ。これがどれだけ腹立たしいことが、貴様にわかるかアーヴァンウィンクル!」

「……残念ながらわかりかねます」

「ならば貴様の全身に我が底深き憤怒を刻み込んで教えてやろう!」

「けっこうです」

「黙れ。殺してやる、必ず殺してやるぞアーヴァンウィンクル!」

「それはもう聞きました。他になにかないんですか」


 うんざりして言えば、樹魂竜魔アンフィスバエナはその牙だらけの口で笑みを刻む。


「ふ。余裕ぶるな。気づいておろう、既に貴様が逃れられぬ。この茫漠なる閉塞の地で、貴様は我に殺される以外に道はない!」

「……」


 樹魂竜魔アンフィスバエナの言ったそれを、アカは当然に理解している。

 アカが遠飛びの扉を閉じた――つまり空間ムラサキ魔術による遠い空間へとの接点を断ったその瞬間を狙って、彼は妨害の魔術を執行したようだ。

 それも、おそらく多重に。

 魔術の使える眷属を複数――いやおそらく全てもちいて大陸中の空間を歪ませ軋ませ、ズラしている。

 こんな悪環境のなかで転移の空間ムラサキ魔術を使おうものならば、アカでさえ転移先が狂うであろう。最悪、空間の歪みに迷い込みどこでもない場所に放り出されてしまうかもしれない。

 発動そのものではなく成功を妨げる妨害の仕方は、流石に長く生きた知恵か。


 しかし。


「だからどうしたというのです」

「なに!?」

「あなたが私をこの広い大陸に閉じ込めた。それはそうかもしれませんが、だからどうしたというのです」

「貴様は逃れられん! 我に殺されて――!」

「誰が誰を、殺すのです?」


 特に荒立てた口調ではなかった。

 むしろ静謐であり怜悧であり、この地の吹雪きとも似た冷めきった声。


「あなたが私との約束を破った。であれば、こちらも約定を守る必要はないのですよ――もはや命乞いは聞きません」


 青い魔法陣が展開する――竜の、眼前に。


「っ!?」

「あなたに構っている暇はありません。大人しく雪に紛れて隠れていればわざわざ探したりはしませんから、死にたくなければ私の視界に入らぬように気を付けてください」


 そして魔術は発動、強烈な爆撃が巻き起こる。

 その威力は本物、あっさりと竜の顔面は粉砕。頭部を失った巨体は力を失くして地に倒れ伏す。

 落下の衝撃が吹き荒れ、雪を散らし白いローブを揺らす。


「さて、面倒になってきましたね」


 それはアカにしては珍しい、随分と億劫そうなため息であった。

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