49 威命の
「
旧姓はアンカラカ・バラカ。下級の魔術貴族であるバラカ家の第二子長女として生まれ落ち、幼いころから才能に溢れた天凛だったらしい」
急の来訪をするや否やアカの私室まで押し入って、ハズヴェントは書類を片手に語りはじめた。
アカははじめ目を白黒させて困っていたが、話がはじまれば、これはともかく黙って聞いておくべきと判じる。
それは、明日の極北地遠征において重要な情報であったから。
「十二歳のころに両親をふたりとも事故で亡くしてからは家が傾きかけたが、兄の手腕とアンカラカの才もあってなんとか盛り返す。
順当に成長して二十歳になる前頃には兄を事故で失ったこともあって一族で筆頭扱いになった。
そんで二十代後半で風位に至った時に、その才気を見初められて上級の魔術貴族アンカラカ家の次男坊に嫁入りする。
二年後に男児を授かる――これについては後述――が、出産から一年もなく旦那が事故死。さらにほど近い時期に義兄と義父もまた事故死、三十には義母をおさえてアンカラカ一族の家督を継いだ」
「……事故死が多いような」
「なんでかなー、なんでだろー」
とぼけて笑う。
身近な者を不運で失くした相手に対する反応ではない。
「で、なんやかんやあって現在は年齢五十二歳で月位九曜」
「急に雑に端折ってません?」
「そんなことないぞ。単純に魔術師協会で地位を上げてったせいで情報が拾いづらい時期なんだよ」
資料をぱんぱんと叩いて不備の仕方なさを伝える。彼の情報源はどうしたって国軍のそれ。協会という一個独立した組織の内情までは知りえない。
もちろん、そんなことを責めたつもりはない。むしろ驚いている。
「……そもそもたった二週間でよくもそこまで調べ上げられましたね」
「これでもおれ、軍ではけっこうな地位なんだな実は」
「知っていますが……ですがそれにしても早いのでは」
「昔の伝手って大事だよな。あとはまぁ、軍用の通信魔術って便利」
ハズヴェントの住まう駐屯基地は張りぼてだ。
実際に基地にあるのはハズヴェントただ一兵のみで、しかしその施設機能は本物。
一般にはまだ普及していない軍用の魔術通信ももちろん生きており、別の基地などへの連絡は容易い。
情報部の後輩に頼み込み、資料を郵送してもらってなんとか遠征日の前日に間に合ったというわけだ。
「ま、あとは相手が九曜ってビッグネームで情報部も情報収集は既にしてあったのが幸運だったな」
「ありがとうございます」
「いやいや、適材適所だろ?」
極北地のこと。竜のこと。それらの情報はアカからもたらされたもの。
ならば残る懸念事項に相当する威命のアンカラカの情報くらい、ハズヴェントが収集しておかねば。
改めて、ハズヴェントはもうすこしアンカラカについて言及を。
「魔術師としての位階は月位。
染色可能色相は赤、青、黄、緑、藍。
得意は当然、
要想心図は不明。魔術師としてのスタイルは戦闘者寄りの研究者ってとこか」
一息置いて。
「外見は、高位の赤魔術師らしく五十とは思えないほどの若々しさで、朱色の髪の毛をしたスタイル抜群……こういう体型とかも赤魔術師は盛れるのか?」
「いちおう」
答えづらい質問をしないでほしい。
全然気づくこともなく踏み込んでくる。
「じゃああのジュエリエッタのやつは? あいつ貧相……もとい、スレンダーっぽいけど」
「本人の前では絶対に言わないようにしてくださいよ」
「了解」
なぜその言葉選びは斟酌できるのに、問いそのものの問題性に気づかないのだ。
「ジュエリエッタさんは、おそらく生命の循環に傾注しているのでしょう」
「……専門用語はなしで頼ま」
「外見的に、ジュエリエッタさんは二十代前半、もしくは十代後半に見えるでしょう?」
自らの身を満遍なく生命力で満たしておくことで若さを保つ技術は赤魔術師の最上位において可能となる絶技である。
それの応用であり対比的に特定部位に力を集中させて成長を促す、という裏技も存在し、ただしそちらは成長期の頃から続けることで可能となる本当に裏技なのだ。
ハズヴェントは大まかに理解して手を叩く。
「あー、若作りに割いてて体型盛りを控えてんのか。で、アンカラカはその逆で――」
「ハズヴェント、そこらへんを女性に話すのは絶対にやめてくださいよ。本当に」
「なんで?」
「早急にデリカシーを身に着けるべきですね、あなた」
「おれだってデリカシーがそこらへんに落ちてたら拾って食べて血肉にしてた。見当たらねぇーんだ、仕方ねぇ」
「拾うものではなく学ぶものでは?」
というか発想が獣では?
ひとしきり冗談を交わし合うと、ふとハズヴェントの顔から笑みが引く。
それから真剣めかして、不足を伝える。
「けど……もうひとりのほうは、間に合わなかった」
「……極北地の案内人、ですね」
「ああ。さすがに、そっちは短すぎた、色んな意味でな」
「承知しております。
曰く最新の九曜、橙色の九曜、そして史上最年少の九曜であるとか」
「シロと同い年で九曜ってんだから、ビビるよな。世界は広いぜ」
極北地の案内人――九曜において最も戦闘能力の高い魔術師が担う、北大陸を闊歩してなお生き延びることのできる強者。
それすなわち魔術師協会現行最強と同義の役職である。
当然、時代によっては不在のことも多く、けれど今代はそれを担う術師が存在する。
まだ二十歳にも満たない少女がそれの名を拝命されることになったのは、近年最大のニュースであった。
「
◇
「ん、よし! もうばっちりだね、クロ!」
「あっ、あたりまえよ。このくらいできて当然なんだから」
話し込むふたりの男たちとは対照的に、明るく華やかなふたりが庭先にいた。
強がりはするもへたり込んだクロに、キィは微苦笑で手を差し出す。
この寒中でなぜか汗をかいたクロは素直に応じて手を取る。立ち上がる。
今回の
寝る間は惜しまなかったが寸暇は惜しんだくらいにがんばって。
迷惑になってもイヤとこれまであまり頼らなかった姉弟子にまでお願いし、アドバイスなんかをもらって。
そうして今日もまたキィのアドバイスのもと練習を重ね、なんとかお墨付きをもらうに至ったのであった。
……本当なら、キィだけでなくアオにも教えを請いたかった。
だが、ここ最近の彼女の張り詰めた空気はそれを躊躇わせた。
クロだって懸命であったが、アオはどこか切迫しているように見えたのだ。
そもそもの発端がそうであるように、今回の遠征において最も意気込みが強いのは間違いなくアオであり、なにか思い入れがあるというのもわかっていた。
だが、それがなにかはクロは知らない。知らなくたって付き合うが、それにしても。
「……」
遠征が目前となり、宿纏法も完成した。実は隠し技もひとつ身に着けて――そうなってふと、今までよりも強くアオのことが気になっていた。
「ねぇ、キィ」
「なにー?」
「アオって、その……精霊に、なにかあるの?」
言葉はぐちゃぐちゃ、問いは漠然として掴みがたい。
それでもキィはすぐさまそれを理解して、ちょっと悲し気に笑った。
「んー、そうだね。それを否定するのはしないよ」
「じゃあ……」
「でも、それについてわたしからはなにも話せないかな」
「……」
「だって、それはアオのことだもん。アオから聞かないと、だめだよ」
「わかってるわ」
そう、わかっている。
けれど、やっぱり当人に直接聞こうとするのはちょっと気後れしてしまう。
なにせ……それはもしかしたら、彼女の最大の傷に触れることになってしまうかもしれないのだから。
癒えぬ傷をまさぐるのは、痛かろう。
そっぽ向いて拗ねるようなクロに、キィは笑う。
アオの妹弟子であり、クロの姉弟子である彼女だからこそ、それが言えた。
「たぶん、アオだって今回のことで格好悪い自分を見せちゃってることに不甲斐ないって思ってる。いつもみたいにクロと接せられなくて困らせてるってわかってる。
だから、なにも言わなくてもアオのほうから言ってくると思うよ」
「……そうかしら」
「うん!」
力強く頷かれると、そうなのかもと思わせられる。
勢い任せに誤魔化されているのではなく、キィの確信をもった発言は、きっと信頼に彩られているから。
◇
「はっ……! はっ……!」
アオはひとり、雪道を走っていた。
いつものランニング。変わらない習慣。だが、その走行距離は常ならないほどに伸びていた。
走る。走る。雑念から逃れるように。
前に進むごと雪に足跡が刻まれる。一定の間隔で、一定の深さで、同じ足跡を残して駆ける。
前を向いていると、後ろを振り返らないで済む。
先のことを考えていると、過去を思い悩まないで済む。
アオは、あまりごちゃごちゃと思案するのが苦手だ。
悩むくらいなら動きたいし、迷うくらいなら間違えてもいい。間違いをしても正してくれる師がいるし、正しい答えを一緒に考えてくれる姉妹がいるから。
そんな彼女でもひとり思い悩むことになるのは、人生においてひとつしかない。
「はっ……! はっ……!」
アオは人間だ。
アカがそう断じている。誰もがそう認めている。
――アオだけが、疑いを抱いている。
「はっ……! はっ……!」
人間ってなんだろう。
精霊ってなんだろう。
その定義は知っている。差異も構造も、知識として書物で学びアカから教わった。
だけど消えない。
疑義の念は心の隅っこで執念深いほどに居座り続けている。
幾ら知識を足しても意味はなかった。
どれだけ信頼のおける人物の言葉でも届かなかった。
じゃあもう……実際にこの目で見て判断するしかないじゃないか。
それがどんな過酷な旅路であっても、どんな危険に姉妹や師を巻き込もうと――魔術師の本質は身勝手なもの、だ。
「あたし、ちゃんと決着つけるから……だから」
誰に届くでもない言の葉は、しかしかつて聞いてもらった言葉をなぞったもので。
「だから、しっかり見ててよ、先生……!」
いつかの誓いを再び自らに課すように、アオは空を見上げて告げるのだった。
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