アオ5 誉め言葉
「センセって、あんまりわたしたちのこと褒めてくれないよね」
弟子より出し抜けに放たれた言葉の矢は、残酷なほど的確にアカの急所を貫いてダメージを与える。
思ってもみなかったように瞬いて、アカは疑問符を。
「ええと。そう……でしょうか?」
むしろ教育方針として褒めて伸ばすを採用しているつもりである。
そもそも弟子の少女らは全員がそれぞれ色とりどりの才能を秘め、それを目の当たりにする度に褒めている。
努力の形跡を見つければ褒めるし、自分には思いもよらない心根の優しさを披露されることも多く、やっぱりそれも褒めている……はずだ。
とはいえキィが、そうした言葉というものに最も敏感な少女がそのように断ずるのならばなにか疑うべきなのか。
自分がそのようにしているつもりであっても、他方において通じているとも限らない。
態度や言葉に発し表したとて、十全に意向が伝わるわけもない。
疎通の困難さ、複雑さというのは、自他にわかれる以上、どうしても付きまとう問題なのだ。
「いや、待ってセンセ」
思考の沼に沈むとともに頭を抱えていく師の姿に、キィはストップをかける。
これはまた変な方向に思考をこじらせていると、直観した。
「違うよ。そういうことじゃなくて」
「はぁ」
どういうことかもわからず、アカは生返事を返してしまう。
「センセって、あんまりわたしたちにかわいいって言ってくれないよねって」
「……は?」
かわいい、とは。
「それは、その。どういう意味でしょうか」
心の底から不可解であるという心情が言葉の端々には表現されて、キィはむしろ苦笑しかできない。
「言葉通りだよー? わたしとかアオとか、シロとクロに、センセってかわいいねって言ってくれないよね」
「それは、そうでしょう」
当然に、アカのした肯定は彼女らを劣った容姿であると思っているからではない。
彼女らの容姿が優れていることは、アカとて認めている。当たり前だ。
長々と生きて枯れ果てたはずのアカでさえ、ときどきドキリとさせられるような場面や表情に出くわすことさえあるほどだ。
けれど、そうしたものは大きく吹聴するようなことでもなかろう。
女性の外見ばかりを気にした表現は、それが誉め言葉であってもどこかいずれ、ありていに言って下品に通ずる。
淑やかに健やかに育ってほしい身としては、できるだけ品というものを考慮して言葉を綴りたいのである。
そういう考え方を下地においての返答に、キィは察しよく頷いてけれど言い含めるように。
「そういう言い方、わるいほうに捉える子もいるから気を付けてよ、センセ」
「申し訳ありません」
底のほうで卑屈さを秘めているのは、実は屋敷の住人全員に共通する事項。
そうした卑屈さが表面化してしまうタイミングというのはあって、そのときアカの何気ない言葉をネガティブに捉えて飲み込み落ち込む子だっている。
今回はキィの察しのよさが防いだが、それだっていつでも万全とはいいがたい。
少女という時期というのは、どうしたって心が揺れ動く。ほんの些細なことに反応して、感情がうねり渦巻く。
大人びているとか、今まで大丈夫だったからとか、そういう言い訳で注意を怠るのは師として厳禁だ。
「わたしたちも女の子だから、外見を褒められたらうれしいし、なにも言われないと自信をなくしちゃうんだよ」
「……ですが、やはりその、大人の男が少女を褒めそやすというのはあまり上品とは言い難いでしょう。まして私はあなたがたと比べれば随分と老齢で偏屈です。
そうしたマイナスファクターが心のどこかにあるために、それを褒めるよりも、他にたくさんある大事なことに気を取られて、取捨選択ののちに後回しになってしまっているのかもしれません」
褒めるのが嫌なのではなく、そこではない場所をこそ評価対象にしているから。
キィはふむと考えこむようにして。
「大事なのは内面の綺麗さってこと?」
「そう、思います」
意図を理解して結論を述べてもらえれば、アカは頷くだけで済んだ。
とはいえ、思案の顔色は変わらない。
「じゃあ心が綺麗なら外見なんてどうでもいいの?」
「それは……そうではないでしょう」
身ぎれいに越したことはないし、不格好をそのままにするよりも装いを気にするほうがずっといい。
取り繕うと言えば印象悪く覚えるかもしれないが、自らをよりよく見せようという努力は認められるべきであろう。
ならば、アカの発言はダブルスタンダードであるのかもしれない。
とはいえ、アカとしても容認しがたい部分ではあって。
それは程度の問題に過ぎないし、どちらも大事でより大事なほうを強調しているだけだと反論することはできた。
だがそれが少女の求める納得であるかといえば、おそらくは違うとも思う。
「センセ、容姿を褒めるからってそれ以外を貶してるわけじゃないんだよ?」
「……」
アカは沈黙しか返せない。
口を開ければ肯定するしかない正論に、意地を張ってまで否を推すことはできない。
その拗ねたような無言で、キィは妙な直観を得る。
アカは自らの本心に気づいていないかもしれないが、キィはアカの本音をおおよそ見当ついていた。
これは、単純に気恥ずかしさが大きいだけだと。
にっこりと、黄色の少女は笑った。
「じゃ、そういうわけでアオのこと、褒めてみてよセンセ。もちろん顔とか外見ね!」
「え……」
「はっ!?」
そこで、突如としてキィの矢が明後日の方角へと射出された。
ずっとずっと会話に混じらず自らの髪をいじっていたアオに、それは見事に直撃した。
そこは屋敷で誰もが訪れくつろぐリビングルーム。
特段の用事がなくとも、いやないからこそ少女らはたいていがリビングにて過ごす。同じく時間を持て余す姉妹と駄弁ったりする。
そして今日のように学園が休みの日なら、アオもキィもまずリビングにいる。
それが、災いした。
先に来て誰もいないのでとひとり髪を整え始めたアオをしり目に、あとからやって来たアカとキィが会話をはじめた。
意識したわけでもないが、同じ室内。話の内容は嫌でも耳に入ってくる。
その、なにやら気になるようでいて妙にそわそわとする会話に、アオは絶対に関わり合いたくなかった。
静かに息を潜め、我俄然せずと髪梳きに集中。
――していたその時に。
リビングに座す恐るべきスナイパー、キィは平然とアオの心の臓を射抜いたのである。
本当に胸が痛んだかのように、アオは患部を両手で押さえて顔を俯ける。即座の返答を拒否する。
一方で、キィの言葉を向けるべきはアカである。気にせず平然と。
「ほら、センセ」
「いえ、しかし……というかアオは大丈夫ですか?」
なんだかうずくまっているようだが……。
「大丈夫、大丈夫。あれは恥ずかしがってるだけだから」
「……」
いつもならば強く反発の返答を発するところだが、生憎と今のアオにそんな余裕はなかった。
おずおずとわずかに顔を持ち上げて、前髪の切れ目からこちらを見据える。
九分九厘の不安と――ほんのかすかな期待が、キィには読み取れる。
やはりニコニコと、いけしゃあしゃあと。
「アオも期待してるよ!」
「え。そうでしょうか」
「して……ない……!」
なんとかアオも反論するが、聞いちゃいない。
キィはわざとらしいほどの不安げな顔つきを見せてのたまう。
「え。じゃあセンセはアオがかわいくないって思ってるんだ……」
「そっ、そういうわけでは……」
「でも言えないんでしょ?」
退路を断つよう、キィは詰め寄っていく。
「言えないってことは、本心を隠してるってことで。それは、言ったら悲しませるから隠してるんだよね? じゃあ悲しませる本音っていうのは……」
「わかりました! もうやめてください、アオの顔色が蒼白すぎて見ていられません!」
キィの一言一言でみるみるうちにアオの顔色は悪化していき、もはや病人のよう。
アカの本音を悪い方向に想像して、泣きそうになっている。
実際なにがそこまでアオを追い詰めているのか本質的には理解していないアカであるも、ここで言わねばまずいことだけはわかっている。
勢いで頷いただけのアカであるが、頷いたのは事実である。伴っていない覚悟を決めるべく深呼吸をしていると、いつの間に耳元にキィ。
こそりと、最後にアカだけにひとつ告げる。
「アオって、自分のことガサツで女の子らしくないこと気にしてるっぽいからさ、ちゃんと褒めてあげてよ」
「……はい」
もしかして今回の会話全ては、ここに終着するためのお膳立てであったのだろうか。
だとすればここまでスムーズに誘導してのけたキィは……
いや、考えるまい。
妙な戦慄を思考の外に追いやって、アカはアオに向き直る。
アオの顔色は赤みを帯びて随分と健康的に思え、そこは安堵して。
意識的に少女のかんばせを注視して、そこの美醜について深く思考を巡らせていく。
当然、アオはかわいらしい。
子猫のように。花のように。空のように。
その活発さから来る輝かしい笑顔には惹かれてやまない。
それは師としてのひいき目ではないはずだ。
と、そこまで考えは及ぶものの、それを言葉として発信するのはまた別問題。
「……」
「……」
沈黙のまま、アカとアオは向き合って互いを見つめ合う。
さっきまで口うるさいほど喋っていたキィもここでは完全に静観していて、助け舟はやってこない。
そしてアオのほうだって言葉をかけられる側で、だからすなわちアカから口火を切らねばならないということ。
――容姿を褒めるからってそれ以外を貶してるわけじゃないんだよ?
キィはそう言ったが、どうしても、外見を褒めることにはそれ以外を蔑ろにするニュアンスが含まれてしまうように思えた。
長生きしているせいか、アカは自らのうちに存在する観念が非常に強く凝り固まってしまっている。
それを覆して思考することが難儀になってしまっている。
年寄りの頑固さというのは厄介で、アカ自身を縛っているかのよう。
踏ん切りがつかずにいると、ふと気がつく。
「…………」
アオの顔つきが、またすこしずつ暗澹と曇っていく。
目じりが下がり、瞳は揺れ、口元はわななく。
悲哀が、その綺麗な面立ちを支配していこうとしている。
一刻の遅れが、その躊躇いが、アオをどんどん不安にさせているのだ。
いや、アオを諦観に追い込んでいる。
自分なんてと――自身を蔑もうとしている。
それも、アカのせいだ。
そんなことが許されるはずもない。
アカが意を決して何事かを口から発そうと――そのとき。
「あ」
「え」
常の髪型。アオのトレードマークとも言える二つ結わい。
それが、突如としてほどけた。
後から考えれば、先からずっと髪の毛をいじり続けたことが原因でリボンが緩んでいて、ふと外れてしまったのだろう。
ただそれだけのこと。
だが束ねるリボンが失われたことでアオの長髪がふわりと放たれて。
涼やかな川のように青い髪が流れ、少女を包む。
その様は、なんとなんとも。
「――きれいだ」
言葉は、ごく自然とせり上がってきた。
意識もなく、他意もなく、ただ心が飛び出したかのように感情がそのまま言葉となっていた。
「えっ」
「あ、いえ……その」
虚を突かれたという風のアオの姿に、アカは一瞬我に返るも、ここで躓けば二度と走り出せないと判じて言葉をそのまま形作っていく。
「常の髪型も、もちろんにお似合いでしたが、髪をおろすとまた別の、大人びた趣きを見せてくれますね」
「あ……ぅ」
「それがあなたの整った顔立ちを引き立て、愛らしさとともに美しさをも感じさせてくれます」
口にだしてみれば、もう言葉は後から後から湧き出てくる。
押し殺していたものが柩を切ったかのように。
「いつも手入れしている髪の毛は、毛先まで整って揺れる都度に見惚れます。それから……大粒の宝石にも見紛う瞳もまた吸い込まれるような光を秘めていると感じますし、笑った声も魅力的です。もっとずっと聞いていたいと思います」
言いながら、なにか結論をと思う。
あれやこれやと乱れ、言葉の方向性がまとまりを失いかけていることを自覚し、言葉の終着、最後に言っておくべきことを総括したい。
アカは、アオの顔立ちのどこを最も好いているか。
「つまり、ええと。私はあなたの整った顔立ちがおよそすべて、好きですよ」
一息で言い終えると確かな清々しさがあったが、そんなものは即座に消え失せる。
とんでもなく頓珍漢なことを言ってしまった気がして、途端に多量の発汗が襲う。焦りに焦って滅裂におかしなことを口走ってしまった。
そんな言葉を浴びせかけられたアオはなにを思うか――ひどく反応が恐ろしい。
頬を張られるくらいは覚悟しよう。
そう思いながら恐々の体で下からうかがうようにしてアオを見遣ると。
「アオ?」
「……は、ひ」
アオは糸が切れたように倒れてしまった。
「アオ!? 大丈夫ですか?」
「は……ひ……」
慌てて抱き起すと、アオは目を回して気を失っていた。
一体全体どうしたことか、アカはともかく
心配そうに傍につくアカに、キィはどこか呆れた調子。
「あー。大丈夫だよセンセ、ただの許容量超過のオーバーヒートってだけ」
「……それは大変なことでは?」
「大変じゃないようなやつだから」
どういうことであろうか。
首を傾げるアカだが、けれど確かに術のかけた具合からアオの身体のどこかが悪いというわけでもなさそうだった。
ならば、本当にどうして倒れてしまったのだろう。
わからないながらも、ともあれ彼女が目覚めるまで寄り添おう。
◇
その後。
なぜかむくれたキィを慰めたり、起きてからしばらくアオとギクシャクしたりして。
アカは、やはり自分にはこういうのは向いてないなと改めて思い直すのだった。
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