クロ5 エゴ
「クロ、今日は本屋さんに足を運ぶつもりなのですが、一緒に行きませんか」
「行くわ!」
即答だった。
朝食の席で発せられたアカの提案に、クロは期待しかなかった。
いつもより早くパンを食べ終え、いつもより早くミルクを飲み干し、すぐに部屋に戻って支度をはじめる。
そして、その二時間後には王都の本屋「空見堂」へとふたりはやって来ていた。
「王都の本屋!」
目を輝かせ、クロはその看板を見つめる。
目線を下げれば、所せましと並ぶ本と本と本がドアの向こうに揃う。
さすがに学園の図書館ほどではないにしても、それでも大量の本が並ぶ様はやはり壮観だった。
ドアをくぐれば備え付けられていたベルがちゃらりと鳴って入店を告げる。
アカはすこし目線を左右に揺らし、すぐに大量の書物が平積みされている空間を発見。その付近まで歩みよれば、書に囲まれ本棚の前でしゃがむ青年がいる。
「こんにちは、ご主人」
「おお、魔術師さまじゃないですか。お久しぶりです」
本屋「空見堂」の店主はまだ年若くも活字の海に溺れることを好む本の虫そのものといった人物であった。
彼は文字の読み過ぎで悪くして眼鏡のズレを直しながら立ち上がると、カウンターへと向かっていく。
歩きながら、後ろのアカへ。
「今日も交換で?」
「ええ、いい本をお願いできますか」
「はいはい」
「……交換?」
この貨幣社会で、今さら物々交換でもするのか。
横で聞いていたクロは疑問に首を傾げ、それにアカは頷いた。
「はい、その通りですよ。私の書斎、あれに溢れるようになると書物を手放さないといけないでしょう? それでも新しい本は欲しいので、こうして「空見堂」さんに幾らか本を売って、それの売値で購入できるものをお勧めしてもらっているのです」
「いや、魔術師さまの選書はいいからね。目利きっていうのか、いい本と出会わせてくれるから助かってるよ」
「ご主人も、最新の書籍には大変お詳しくて助かっていますとも」
「ふぅん」
アカの書斎の本は、こうして新陳代謝を繰り返して彼の知識を増やしている。
「ではクロ、こちらはこちらでやっておきますので、あなたは自由に本を見ていてください」
「はーい」
それから総額を見積もり、店主が勧める本をピックアップしてまたアカの
小一時間はかかった作業であるが、一方でクロはこれだけの本があれば背表紙を眺めているだけで楽しい。興味を惹かれれば表紙を確認したり、数ページ開いてみたりとしていればあっという間に時間は過ぎていた。
「クロ、こちらは終わりましたよ」
クロもまるで暇を持て余すこともなく、アカに呼ばれるまで没頭してしまっていた。
「あ、そうなの。もう帰るの?」
「そうですね……」
すこし名残惜しそうに言われると、なんだか言いづらい。
とはいえそろそろ昼食時、これ以上遅れると食事当番のアオに怒られてしまう。
アカは名案とばかりひとつ思いつく。
「そうだクロ、なにか欲しい本があったら――」
「「天空物語」!」
「……ぅ」
そうなってしまうか。
短絡安直な思い付きは自らの首を絞める悪手であった。
「いえ、しかしあれはさほど面白味のある書籍というわけでもありませんし――」
「ほしいわ!」
「ですがもう一度は読破したのでしょう? いまさら手元に置いてもですね――」
「ほしいの!」
「……はい」
諦め切った返事を返し、アカは店主にもう一度声をかける。
「ご主人、いただく本のなかに天空物語を一冊用立ててもらいませんか」
「おぉ、天空物語たぁ、懐かしいね。俺もガキのころによく読んでたもんだ」
ちょうど傍の書棚から一冊、引っ張り出す。
店主は表紙を確認すると、なにか回顧するものがあったのか目を細める。
「悪いことしてたら翠天さまに呪われるぞ。
いいことしてたら赫天さまが助けてくれて。
才能があったら瑠天さまが天に誘ってくれるってね」
それは古くからある小唄。
店主のみならず、多くの子どもたちが教訓として親に言われて育ったであろう馴染みの言葉。
「……」
クロは、その小唄に不快そうに眉をしかめた。
◇
「アカ」
「……はい」
書店の帰路、王都の通りをふたりは歩く。
クロは「天空物語」を大事そうに腕に抱えて、けれど拗ねたようにいう。
「わたし、悪いことした覚えないわ」
「ええ。わかっていますよ」
「でも、いいことをした覚えもない」
「……そう、なのですか」
意外そうに傍らのクロを見遣れば、半泣きでこちらを見上げてクロは叫ぶ。
「だって、わたしのせいで家族は不幸になったじゃない」
「それは違いますよ、あなたはなにも悪くありません」
すぐに否定を。
理屈もなくとにかく否定を、アカは述べる。
「わかってるわよ。わかってるけど、でも、そう思っちゃうじゃない」
「……」
そこまで行くと感情的な問題。
理屈でわかっても、感情が納得しないことは世にあふれている。
いつの間にか足は止まっている。往来の真ん中であって道行く人々からはすこし迷惑がられている。
アカは周囲の目など気にせず、クロに向き直って自らの率直な思いをそのまま告げる。
「クロ」
「なによ」
「私は、あなたがいい子だから弟子にしたわけではありませんよ」
「え」
言葉をなくすクロに、アカは苦笑する。
「私が私の独断でそうしたいと思ったから、弟子にしたのです。要はエゴですよ」
別に、命を救うだけならわざわざ弟子に迎え入れる必要はなかった。
呪いさえ抑え込めれば、引き取ってくれる親類筋はほかにもいただろう。
定期的に顔を出し、状態を見守ることができれば離れていたって問題はない。
不測の事態に備え、万が一に思い煩い、なんていうのは建前だ。そんなのほんの僅かな可能性に過ぎない。
なによりどうしても死んでい欲しくない――そう思えたからこそ傍にいてもらっている。
まさしくエゴだ。
そしてエゴであるが故に正しさは行方不明。
アカの弟子としてともにあることと。
親類の家で普通に当たり前に育つこと。
そのどちらが幸せだったのかは、もはやわからないことになってしまったのだ。
であればもしかしたらアカは、クロの真の幸福を奪い去っている可能性がいつまでも存在し続ける。
運命の分かれ目に現れて、その道行きを自分の身勝手で誘導してしまったという事実を、アカは決して忘れない。
この道でよかったと、いつか振り返った時に思ってもらえるように尽力する。それが彼女らへの責任だ。
アカの言葉に、クロはしばらく言葉を返せないでいた。
なにか思い悩むように顔を難しそうに歪め、そして。
「じゃあ」
それを言った。
「わたしが先生の弟子になったのも、わたしのエゴね」
「え……は?」
今度は、アカのほうが絶句させられた。
考えた末の結論だったのだろう、クロはよどみなく。
「だってそうでしょ? わたしがわたしのために決めたのよ。先生のためになるとか、家のこととかそんなの考えなかったわ」
たぶん、クロが急に消えたことで慌てた誰かもいただろう。親類には細々とは手紙を送っていて、それも絶えたことで誰かが屋敷に訪れたと思う。
そうだ屋敷もそのままで片付けもなにもしていない。近所のひとたちも何事かと思うだろう。庭木や雑草はきっと荒れてしまう。貯蔵していた食料なんかは腐ってどうしようもなくなるだろう。
長く続いた貴族の一族が途絶えてしまったことになる。ご先祖様に顔向けできないことをした。
クロは自分がしたいことのために多くに迷惑をかけている。それを、理解している。
そのうえでアカについていき、弟子にしてもらった。
これがエゴでなくなんだという。
「わたしたち、似た者師弟ね」
クロは笑って言った。
何者にも否定できない力強さが、そこにはあった。
アカはなんだか脱力してしまい、ただ促されるままに首肯するしかできなかった。
「どうやら、そのようです」
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