アオ3 褒めてほしくて
「はっ……! はっ……!」
学園が休みの日、アオは毎朝欠かさずランニングを行っていた。
どうしてもこびりつく眠気を覚ますのに丁度良く、また単純に身体を動かすのが好きだった。
屋敷の周囲の草原は広く、一周するだけで結構な走行距離になる。
一時間ほど駆け抜けると、アオは終端をフェント村としていた。少し前までは。
ハズヴェントを叩き起こして、体術の手ほどきをしてもらうのがランニングのあとの日課だったからだ。
けれど、最近はクロのコーチをするためにアカが直接屋敷に招くので、わざわざ向かう必要がなくなった。
そのためランニングが終わればそのまま帰宅、汗を拭いてすこしだけ庭で待つ。
していると、アカがハズヴェントを呼び出す時間になって、空間移動のドアが開かれる。
「あれ、アオ、早いね」
「ん。まあ、タイミングがよかっただけ」
そのうち運動服姿のクロもやって来てすこし駄弁る。
「どう? 身体動かすのにも慣れてきた?」
「うーん、前よりはってくらいね。やっぱりすぐ疲れちゃうのは変わらないし」
「毎日やってごはんも食べてればすぐに体力つくさ」
「そうね、がんばるわ」
クロはよく「がんばる」と口にするとアオは思っていた。
そして、本当にがんばる。口先だけじゃなく、精一杯にがんばる。
根性があるのだ。
その小さく幼い身で、呪いまで負って、なお挫けずに前を向く。
そういう性根は、アオにとって好ましいものだった。
真っ直ぐなひとは好き。がんばれるひとも好き。
可愛らしい妹弟子であることまで踏まえると、アオはだいぶクロを評価している。
「おーう、運動の時間だぞー……って、アオいるじゃん。なに、今日休み?」
不意に扉から気だるげな声が響く。
寝起きと丸わかりの欠伸とともに現れたのはハズヴェント。
寝癖そのままの彼に、アオは半目になって。
「そうだよ、曜日もわかんないのか?」
「いやほら、おれ毎日が休日みたいなもんだし」
「こら、教育に悪いことを言うものではありません」
後ろから続くアカが叱りつける。。
ハズヴェントは堪えた風もなく緩く笑う。
「なんだ、うらやましいのか旦那」
「……はぁ。いいですかふたりとも、このような自堕落な大人になってはいけませんよ」
「「はーい」」
返事は綺麗に揃った。
◇
「うーし、ま、こんなもんで終わっとくか。お疲れ様」
「お疲れー」
「おつ……かれ……っ」
一時間ほどでハズヴェントの遅延動作模倣は終わると、クロはひとり膝をついて息を整える。
まだまだハズヴェントやアオのようにはいかず、動作はぎこちないし精密性も欠ける。体力もぎりぎりで、終わった途端に立ってもいられなくなる。
それでも最後まで食らいつてやってのけた。
めげず腐らず、言い訳もせず。
「……すごいな」
ぼそりと漏れ出た言葉はアオの本音で、クロの姿勢に対する敬意である。
その意気にあてられて、アオもすこしやる気をだす。
身近な者ががんばる姿に、自分もがんばろうと思える――アオはそういう意気をしている。
「ハズヴェント、手合せして!」
「お? なんか元気じゃねーか。いいぜ、やるか」
へらへら笑いながらも向き合って、ハズヴェントは構えとも呼べない程度の警戒態勢に移る。
アオも威勢よく声を張って構えをとる。
「今日こそ勝つから!」
「はっはっは、やってみろちびすけ」
「ちびすけって言うな!」
「おい、昔言ったろ忘れるな――おれに勝ったらやめてやる」
「上等!」
割と本気で腹を立てながらの跳び蹴りをかます。
それを、ハズヴェントはひょいと手を添えて横に捌く。力の流れを狂わされ、アオは顔面から地面に――腕が伸びて地を弾く。体勢を立て直してしっかりと両足で着地。
「クロは離れてよく見てろ。見取り稽古ってやつだ」
「あ、うん、わかった」
言葉の内にもアオは身を反転、固く拳を握り締めて振りかぶる。
ハズヴェントは腕が伸びきるより先に手のひらで自ら受けにいく。威力がピークになる前に抑え込むそれは、傍目に見るよりもとても難しい。
アオはすぐに拳を引く。
ハズヴェントに掴みとられるより、なお早く。
そして逆の手でまた拳打。突き。鋭く。
やはりそれも勢いが乗り切る前に受け止められる。
けれどアオは連打で応戦。左右の拳を交互に繰り返し打ち込み続ける。
歯切れの良い連撃は、すなわち手番を明け渡すことを恐れているがため。
――ハズヴェントは強い。
いつもの自堕落な姿からは想像しづらいが、彼も歴戦の戦士であるがため。
どんな状況下ものらりくらりとやり過ごし、緩く笑って受け流してしまう。それが日常であれ戦場であれ変わらず――そういう柳のような強さ。
間違いなく剣における天稟。
そして、その才を磨き上げ鍛え上げ尽くした鍛錬と実戦の総量は想像を絶する。
文字通りの百戦錬磨である。
剣を持たずとも、アオをあしらうなど容易いことなのだ。
そして、アオはそんなハズヴェントから手ずから体技を教わっている。
今もこちらが成長できるようにわざと突くべき隙を用意してくれて、ぎりぎりガードできるくらいの技を繰り出してもらい、手順を正しく通れば拮抗できるようにリードしてくれている。
戦闘思考を働かせ、警戒を怠らず、体に動きを染み込ませるための、これは訓練である。
だからと言って手を抜くわけにもいかず――どうせならば勝ちたいというのが本音だ。
アオはアカに魔術を教わり、ハズヴェントから体術を学んでいる。
三天導師という魔術の天と、暦の騎士という剣の頂にあるふたりに、その技術を惜しみなく伝授されている。
幸運だ。
間違いなくアオは幸運だ。
こんなにも幸運なアオが弱くていいのだろうか。
アカやハズヴェントの手抜きのない懸命な教えを無下にして、努力を怠っていいのだろうか。
いいわけがない。
アオはふたりの師が誇れるように強くならねばならない。
誰よりも何よりも強くなって、そしてきっと、そのあとには――
「おりゃぁ!」
「おっ」
ぐいっと。
突如アオの全身が沈む。
驚くほど低い姿勢、そんな状態からでは拳は届かない。
ならば脚か。ハズヴェントは当たり前のようにそこまで考える。
それを証明するようにアオは両手を地面に支えとしておいて、長い脚が空を切る。
わかりきったことのようにハズヴェントは軽く後ろに跳躍して足払いを避ける。
「ん」
が、そこからアオの脚が伸びた。
両手で地面を押し込み、その反動で全身をハズヴェントへと投げだしたのだ。
回避直後でかわせない――鋭く低空の蹴撃は、しかし。
「惜しい」
ハズヴェントはひょいと足を上げるだけでひざ下部位で受け止め――
「はぁ!?」
その足をくるりと回す。
円運動からアオの足を巻き込んで絡めとり、いつの間にやら膝でがっちり掴まれるという意味不明の結果を起こす。
アオは足をとられ背中から地面にぶつかり、上半身を必死に起こすも――
「はい、残念」
「……うぅ」
それより早く、ハズヴェントのデコピンが少女の綺麗な額を弾いていた。
決着――アオの負けだ。
◇
「いや、おかしい。なにその足技、気持ち悪い。ほんとに骨入ってるの?」
「なんでおれ悪口言われてんの?」
立ち上がったアオの遠慮のない言葉に、ハズヴェントは困ったように頭を掻く。
まあ負けて悔しいのだろう。あまり大人げなく勝ち誇るのもよくないし、ここは素直に受け入れよう。
罵倒に手ごたえを感じないアオは、不満そうにしながらも問いを向ける。
「いまのどうやったの、足で足を絡ませたのはわかったんだけど」
「ありゃ、なんていうか、こう……あれだ。真っ直ぐ飛んでくるアオの足を受け流しつつ、その勢いを利用して動きを誘導して膝の裏で掴み取った……みたいな」
「……それ事実の羅列じゃん?」
「そうだぞ。それ以外になにを言えばいいんだ?」
いや技術的な方面でのレクチャーが欲しかったのだけど……ハズヴェントには自分の技能の言語化が難しいらしい。
苦手なことに労力を割くのは面倒。ハズヴェントはさっさと話を変える。
「まあ、なんだ……ともかく、アオ」
「ん」
「よかったぜ、いい動きで、いい気迫だ。その調子でがんばれ」
「うん! ありがとハズヴェント!」
ちょっと不満の残った顔は、褒められてすぐに嬉し気にほころぶ。
やっぱり戦いを終えたそのあとには――
「本当に、ハズヴェントにここまで食い下がれるのは見事というほかありませんね」
「アカ!」
振り返ると縁側から歩み寄るアカがいた。
すこし驚いてもしかしてと問う。
「見てたの?」
「ええ、面白そうだと思いまして、一部始終を」
「どっ、どうだった?」
期待に満ちた瞳に苦笑して、アカは嘘偽りなく思いのままに。
「ええ、素晴らしい動きでした。よくがんばりましたね、アオ」
「……えへへ!」
戦いを終えたそのあとには――きっとアカが褒めてくれるから。
それだけで、アオは幾らでもがんばれるのだ。
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