22 手袋
「それでアオ、あのひとって強いの?」
既にキィとジグムントはグラウンドに設置された円形の結界のうちで向かい合っている。
その結界を敷くのは介添え人に名乗り出たアカ。
教師を呼んでくるより早かろうとあっさり快癒の結界術を行使して――やっぱり実力者では? という疑惑は加速したが、それはさておき。
決闘の当事者でも介添え人でもないアオとクロは結界の傍のベンチに座り眺めている。
ちなみに昼休憩も終わり掛けだというのに多くの学生たちも観戦しようと陣を囲んで騒いでいるが、アオもクロもそこは気にも留めない。
「まあ、強いよ。学園であたしの次ってのは伊達じゃない」
「ふぅん。じゃあ、キィは? キィは強いの? わたしキィが戦ってるところ、見たことないわ」
「そりゃ強いさ。なにせアカの弟子であたしの妹弟子だぞ」
「そうね、わたしの姉弟子ね……で、どっちのほうが強いのよ」
わかっていることじゃなく、もうすこし詳しく聞きたかったクロであるが、まあ質問も悪かったと考え直す。
結局、率直な問いかけが一番近道だ。
アオはうーんと腕を組んで唸る。
「どうかな。あたしが相手取って怖いのはキィだけど、そのキィはたぶん本気でやる気はなさそうなんだよな」
「? それってどういう――」
「お、はじまるぞ。話して聞かせるより、見て考えたほうがいいぞ」
「……そうするわ」
アオはあまり説明が得意ではない。
そのようにクロは受け取り、とりあえず前に向き直った。
◇
キィは魔術における戦闘を好まない。
それは生来の温和で優しい性格ゆえであり、また痛みを知っているからでもある。
ひとを傷つけるのは心苦しい。自分が傷つくのは恐ろしい。
精神性が、戦士のそれではないのである。
だがだからと戦闘行為に関して完全に関わってこなかったかといえば、そうでもない。
優しいからこそ誰かが傷つくのを見てはいられないし、痛みを知っているからこそそれに耐えられる心をもつ。
アオの掲げるアカの弟子ゆえの誇りのようなものも、共感できる。アカの見てる前で不様はもってのほかだ。
それに。
なにより、キィだって当たり前の感情として――負けるのは面白くないのだから。
◇
「では、コインを弾きますので、これが地についた瞬間を開始の合図とします」
いつもの調子でアカは懐からコインを取り出し、ふたりに見せる。
いや、あなたが合図をだせばよいのでは? と周囲の学生たちは思ったが口には出さなかった。
集中している決闘の当事者ふたりが、無言でうなずいたのなら観戦に徹するのみだ。
アカはほどよい緊張感を感じて――コインを指で弾く。
高く跳ね上がったコインを、全員の目が追う。
――全員ではない。
キィは目を閉じて魔力を練って、杖を取り出したジグムントはそんなキィから目を逸らさない。
そして重力に引かれてコインは地へと落ち――その瞬間。
キィはわかっていたように開眼し、魔法陣を展開する。
落下のタイミングを完璧に読み切っていた。
魔法陣の色は当然黄色。
先制で放たれたのは造形された大きな白い拳――否、手袋だ。
――キィの
心図の対象は魔術の発現における速度が他よりも早く容易い。戦闘という目まぐるしく状況が動き即時の判断が要求される場において、頼るべきは心図の魔術となるのは道理である。
そのように、アオもキィも教わっている。
故にキィが作るアイテムは「手」に縁深く、だが「手」そのものではないなにか。
なぜ「手」そのものではないかと言えば――キィの「手」は生まれた時からあるふたつしかないから。
それはどれだけ模したところでキィの「手」ではない。暖かくない。そう魂が確信している。
故に心図であるのに心図の魔術として作用しない。
それは要想心図と得意な魔術の色との相性悪さ。
魔術師にとって珍しいことではないが、時に躓くひとつの要因とも言われる。
才能だけでなく精神性まで合致を要求するのが魔術というもの。魔術師として大成するには必要な素養が多く、越えるべきハードルが多いのである。
もちろん、キィはそんなことでめげないし腐らない。
そこで編み出した裏道が手袋の作成である。
手袋は「手」ではないし人体でもない単なる物だ、
キィにとっての、戦うために選び取った手段。
作り上げた手袋は一抱えほどの拳となって射出され、真っ直ぐにジグムントへと襲う。
開幕最速の拳打は、しかし。
ずっとキィを見つめていたジグムントにはあたらない。
どころか。
「並みの黄魔術師ならできてシングルアクションだろうが……アオくんの妹弟子だ、油断はしない」
ぎりぎりで回避し、そのすれ違いざまに手に持つ杖をあてる。
そして輝くのは藍色の魔法陣。
――
途端、手袋はその構成因子からほつれて魔力へと還元された。
魔力が物質化したのと同じ理屈で、物質が魔力化したのである。
対魔術に特化した藍魔術師は、触れるだけで他者の魔術を消し去ることが可能だ。
とはいえ。
「流石、いい魔術だ」
ジグムントは冷や汗と共に素直な感心を漏らす。
構築に使われた魔力の量、術式の精度、魔術自体の安定度合。
それらがより良いほどに
そもそも表三色よりも裏四色は発動に際する魔力消費率が格段に高く、扱いの難しさに拍車をかけている。
今の攻防、まんまとキィの魔術は消されたが、消費魔力で言えばジグムントのほうがかなり重い。
「しかし攻め手がこの程度なら、ぼくの敗北はありえないよ」
声と共に、今度はジグムントが杖を揮う。青い魔法陣が展開する。
紅蓮が迸り、うねりを帯びて吐き出される火炎の砲弾――まるでドラゴンの
魔術の構成速度が早く、切り返しも早い。
術合戦は見てから反応して間に合うものではないゆえ、並大抵の魔術師ならばこれで終わる。
「この程度って、どの程度ですか?」
無論、キィはそんじょそこらのとはわけが違う。
赫天のアーヴァンウィンクルの弟子にして、ある種における天才の一翼。
既にキィは動いている。魔法陣を開いている――その数、三枚。
「!」
初手の直後には構成をはじめていて、かつその場から逃れている。
その逃れた方向に魔術を向けている辺りジグムントは手馴れている。
だから三枚のうち、二枚は防御のため。
地より隆起するは二重の壁。
作製する物質の質量がそのまま消費魔力と発動時間に影響するため、できるだけ軽く、けれどそれを補う形状とする。
攻撃を流す流線形。多重構造にして威力を分散する。
壁は炎を受け止める。
岩が川の流れを別つように、炎の奔流を裂いてキィに届かせない。
だが所詮、即興。
壁は数秒ののち崩壊し、だがもう一枚の壁がすぐ後ろに控えている。
それで耐え忍びつつ――さらにもうひとつの魔法陣がキィの頭の上に展開している。
炎と壁の衝突を飛び越した上方から、再び拳を握った手袋が撃ち込まれる。
「っ」
ジグムントは炎の魔術を中断してその場を飛び退く。
だが。
「やはり……」
手袋は拳をほどき、五指を開いて範囲を広げる――平手打ち。
初手よりさらに範囲を広げられ、ぎりぎりでかわそうとしたジグムントに接触する。
回避際に
腹をしたたかぶん殴られたような衝撃。
ジグムントは揺らぎ、けれど膝はつかない。痛みに歪む集中力でも、青い魔法陣を強引に展開させる。
「まだまだ!」
「――」
それに応じるようにキィもまた三重で魔法陣を――
チャイムが鳴った。
「「!」」
そしてぴたりと決闘するふたりは停止し、急ぎ魔術を切り替える。
攻撃から防御に。破壊から自衛に。
それは上からやってくる――!
疑問にざわめきたつギャラリーたちは、次に瞬間に理解する。
「チャイムが鳴っても続けるとはなにごとですか、馬鹿騒ぎもここまでです」
空に大きな魔法陣が開く。
青いそれは、天上より下の者どもを縛り付けるようにして戒めを与える。
例外を除く周囲の誰もが急激に空気が重くなったような錯覚を覚え、立っていられず蹲る。
それは圧力の現象発生。
それを得意とする教師は、この学園にひとり。
「おや、リュミエル先生」
既に対抗術式を編んだ例外のひとり、アカは平然と振り返って挨拶を。
他方、現れたリュミエルのほうは厳しくいう。
「アカ様、勝手に生徒たちの決闘をはじめられては困ります。教師の監督の下にのみ開始を容認すると学則にて決まっております」
「そうでしたか、それは申し訳ありません」
普通に会話しているが、彼らの周囲には倒れ伏す生徒たちが死屍累々といるわけで。
アオにガードしてもらったクロはなんだかツッコミたい気持ちでいっぱいである。無論、あの厳格を絵に描いた老女になにか言いつける勇気など持ち合わせていないが。
アカへの小言を終えれば、リュミエルは周囲の生徒たちにその鋭い目つきをじろりと向ける。
「決闘に気をたぎらせて興奮するのは仕方がないといたしましょう。しかし時間を忘れて没頭するのはいただけません。
特に三年生の皆さんは特別講師の紫魔術師シシド様の講義がありましたね? まさか、遅刻するなどという非礼を特別講師様になさるおつもりで?」
ぎりぎりと圧力が生徒らを締め付け、うめき声すら出てこない。
丁度良い塩梅と時間を見極め、リュミエル女史はふぅとひとつ息を吐く。
「さてみなさん、このままでは本当に遅刻してしまいますので、説教は後にいたしましょう。
これより十秒で術を解きますが、急いで教室へ向かうこと。しかし走らないように。いいですね」
「…………」
「返事はどうしました?」
『はい……』
「声が小さい」
『はい!』
「よろしい」
ぱん、と老教諭が手を叩くと、嘘のように圧力は消え去った。
そして一も二もなくみな急ぎ校舎へ。
その狭間に、アオとキィはアカに一言だけ。
「じゃ、アカ。あたしらは授業だから」
「またお家でね!」
「はい。勉学、よく励んでください」
「「はーい」」
そして数分も待たずにあれだけ賑やかだったグラウンドにはアカとクロしか残らない。
振り返れば大きな校舎。そこではたくさんの子らが真剣に魔術について学び、多くの仲間とともに可能性を輝かせている。
あらゆる考え、無数のやり方、重なることはあっても一致ならない思い。
そんな色とりどりの可能性たちが手を取り合って、競い合って、天を目指す。
それは素晴らしいことだとアカは思う。
どれだけ突出していようともたったひとりにはできない大勢の力がここにはある。
ぺこりと校舎に一礼だけして、上機嫌になってクロに笑いかける。
「さて、あまりここにいては授業の邪魔になるかもしれませんし、私たちは帰りましょうか」
「そうね」
「今日は、楽しかったですか、クロ」
「もちろんよ!」
それはよかったと、アカもまた笑みを深めて応えるのだった。
□
リュミエル女史はあの場にいた生徒全員の顔を覚えていたので、後日全員呼び出して説教しました。
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