授業・実践
「では今回、いよいよ魔術を実際に使ってみましょう」
「はい!」
意気のこもった返事は全力をもって取り組む姿勢そのもの。
消沈していないことに安堵し、空回りになっていないようでもあってまた安堵する。
前回の授業から、今回までに三日を空けた。
今までにないほどの空白期間は、クロのだす答えを十全に悩めるようにと配慮したつもりだが……この様子ならばなにがしか納得をできたのだろうか。
そう信じて、アカは事を進める。
「教本は持ってきましたね? 今回の実践は、教本に載っている初歩の初歩の
わかりやすく、調節が容易く、危険少ない単純な魔術。
多くの魔術師がはじめて使った魔術は『
それは同時にこれから先、切り開いていく魔道を照らす最初のしるべの暗示でもあり、師から弟子への激励をも意味する。
古びれた慣例でしかないが、アカはそういう仕来りを割と重んずるほうであった。
クロは指定のページを探してぱらぱらと教本をめくりながらも、気になったことを問う。
「先生、質問していい?」
「はい、なんでしょう」
「魔術って名前があるものなの?」
もらった教本にある魔術には百八全て名称が記載されていた。『
けれど、あまりそういう名称をこの屋敷では聞かない。
どちらが多数派なのか、世間知らずであって判別つかない。
「あぁ、それは術者が命名するかどうかで変わります」
「自由ってこと?」
「はい。ただ
それは必要があるから命名するということ。
「他には命名しておいたほうがいいパターンはないの? なんというか、わたしは名前があったほうがいいと思うんだけど」
「それはその魔術師の考え方次第でしょう。クロのように名があったほうがいいと考える者も多いので独自に名付けたりもしていますし、理由もなく名づけることのない者もいるでしょう」
「……先生は?」
「私は、あまりですね。以前も言いましたが、そういうセンスがありませんので。ただ……」
内緒話のようにすこし声をひそめて。
「一部の、おそらく余人には継承できないような類や、分類しておかないと面倒になることが明白な術などにはつけることもあります」
「そっか」
それで満足したのか、クロは教本のほうに視線を戻す。
開いたページには
「……」
「やれますか?」
「うん。たぶん、だいじょうぶ」
「では、今まで学んだことを思い出しながら、練習したことを反芻しながら、落ち着いて」
「うん」
そこでクロは目を閉じた。
暗闇のほうが明かりを想像しやすいから――といった実利的な理由ではないだろう。
少女の顔つきは真剣そのもので、どこか迷いを残すもの。
未だ葛藤は晴れず、されどおそらくもう一息。
どれだけ教えても、どれだけ手伝っても、最後の最後はクロ自身の意思こそが引き金である。
ここまで来ると、もはやアカにできることはなにもない。
ただ心配と期待とを織り交ぜたまま、見守ってやるだけ。
がんばれ、と言葉にならない応援を乗せて。
◇
クロは思う。
自分はいったい、どう思っているのだろうかと。
あまり自らを省みることをしない少女は、自身の思いを把握できてはいなかった。
師に諭され、それを考えてみたけれど、しっくり来る答えを出せないまま今日を迎えてしまった。
だから割とぶっつけ本番みたいなところはあるけれど、いちおう思いを巡らすための欠片は集まったように思う。
クロは考える。
自分はどうやら魔術に関して天才というやつらしい。
天賦の才をもって生まれ、それは三天導師のお墨付きであり――そのため翠天の男に呪いを刻まれた。
けれど、そのお蔭で赫天のひとに拾われた。
ならば功罪相殺となるか?
それはならないだろう。
不幸中の幸いがあったから不幸せの根源を許せるかと言えばどうしたって非であろう。
手を伸ばしてくれたあの得も言われぬ喜びはないにもかえがたい幸福だった。
けれど、ずっと無力感に苛まれ続けてベッドに縛り付けられた日々は不幸のどん底だった。
どちらも事実で、どちらも独立した別の感情だ。
混ぜ合わせたり掛けあわせたりはできやしない。
いや、いや。
違う。クロはそういう方向に悩んでいるのではない。
幸不幸の秤なんてものはその時々に変動し、死の刹那になってようやく結果を判断できるもの。
クロが思い悩む最たるは、自己の責任について。
ならば
もちろん、最悪はかの翠天たる男である。
けれど僅かなりクロにも原因があったのは事実で、そこはどうしようもなく否定できない。
自責の念は、幼い少女の心を縛り付けて離さない。
突き放して全部、翠天に悪役を押し付けることができるほど面の皮は厚くない。
全て自分が悪いのだと悲劇のヒロインぶって嘆くふりをした陶酔に浸れるほど小さくない。
事実を事実として受け止めて、そしてだからこそへこんでしまっていた。
復讐してやるというほど燃え盛るものはない。
絶望して立ち上がれないほど沈んではいない。
忘れ去って先だけを見据えられるほど家族愛が希薄であったわけでもない。
どうにも、スタンスが不安定なのだ。
複雑に絡み合いすぎて、自分で自分がどういう感情を抱いているのか、わからない。
突き詰めて、突き詰めて、自分の思いを探す。
考えると痛みを覚える。喜ばしい思いは湧いてこない。
やはり、クロは自身の才能が疎ましいのだろう。
好きで才をもって生まれたわけじゃない。誰も頼んでなんかいない。
けれど、そのようになった以上、それを踏まえて生きるしかない。
自分に嫌いなところがある。
ああ、要するにそういうことでしかないのだろう。
人間だれしも自分のどこかに嫌う場所があって、それはコンプレックスというやつで。
ありふれていること。当たり前のこと。
であればそう悩むことでもないのではないか。劣等感をバネにして駆け上がれと、そういう王道の結論でなにも問題はないはずだ。
そうだ――わたしは
これまで不幸にしてきたぶん、きっちり返してもらうから覚悟しておけ。
それが、クロという魔術師としてのはじまり。
胸に刻んだ最初の誓い。
――そして目を開けば、手のひらの上には淡い輝きが灯る。
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