クロ3 適切
どしゃり、と。
あまり心地よくもない音が聞こえてきたのは午前のこと。
アオもキィも登校し、アカはひとり書斎で呪詛についての書を漁っていた。
当然、クロの呪いに関しての調べごとだ。
あれに似た種の呪いについて、翠天のルギスの残した呪いについて。
調べようとすれば資料は膨大で、丁寧に浚っていくとどうしても時間と労力がかかる。
翠天のルギスは現存する呪詛の半数以上を開発している。
そうして書物に集中力を傾けていても、その意識の隅には屋敷への知覚は割り振っている。
この屋敷はアカの手中、常に状況を把握できる。
無論、年ごろの娘が多いので、傾注して覗きこんでいるわけでもないが、おおざっぱな状況は感じ取っていて。
だから、クロが庭で身体を動かし始めたのも知っているし、それで無理な体勢になって転んでしまったことも、やはりわかっていた。
アカはすぐに書を閉じ、庭へと赴く。
けっこうな転び方をした。怪我をしていなければいいが……。
「クロ、大丈夫ですか?」
「っ、アカ……」
玄関から顔を出せば、なにかまずいものを見られたとでもいうようにクロは畏まって作り笑い。
「なによ焦っちゃって、大丈夫よ? ちょっとこけただけで大げさにしないで」
「……念のため、確認しても?」
「でも」
「大丈夫なのでしょう? なら、構いませんね」
多少強引ながらも首肯をとりつけ、アカは軽く少女の身を検査。
足に擦り傷ていどの軽傷で、さっさと手を寄せ
そこで、ふと視線に気づく。
顔を挙げれば、ひどく近くにクロの整った顔があり。
「すみません」
アカは冷静に二歩分下がる。
年頃の少女に大の大人が不用意に顔を寄せるのは教育上よくない気がする。
すると、どうにも沈黙が下りる。
クロはなにか言いたげにアカを見つめるのだが、それが言葉にならずに口をもどかし気に動かしているばかり。
アカのほうも、なにか気まずいものを感じ取っており、なんと言うべきか迷ってしまう。
けれど延々と黙してもいられない。
拙いながら、アカのほうから。
「ええと、その……無茶は、あまりよくありませんよ?」
「……してないわよ」
「ですが――」
「無茶なんてしてないったら!」
語気強い否定に、アカは失敗したと思う。
きっと、クロにとって触れられたくない部位に、不躾に指を突っ込んでしまったのだろう。
「すみません」
「あっ」
けれど謝罪をすると、今度がクロのほうがしまったという顔つきになる。
感情的になって怒鳴ってしまったこと、謝罪までさせてしまったことが、途端に罪悪感となって彼女を襲う。
「ちがっ、ちがう……の」
「いえ、こちらこそ断定してしまいましたね。あなたが適切と思うのなら、それを強く窘めるのは……」
「ちがうの。ごめん、わからなくて」
「……」
「わからなくて、苛立ってたから……ごめん」
適切と無茶と、その秤がわからないのだとクロは言う。
心と身体がまるで一致しない。
心ばかりが急いて焦ってもっともっとと貪欲に先を目指そうと暴れている。
けれど身体がついていかない。
すぐに音を上げて立ち止まる。目指した半分も行かない内に疲れ果て、蹲って荒れた息を整えないと立ち上がれもしない。
そのもどかしさがまた心を責め立て焦らせる。身体は空回って失敗する。
愚かな悪循環だ。
経験の不足が原因で、基準が定まっていないのだ。
彼女は未だ、あらゆることが不慣れであり、手探りで自身に見合うものを見つけるのに精いっぱいであった。
どうにも互いに気まずくなって、かと言って黙っていても余計に雰囲気が悪化するのは目に見えている。
アカはふむとひとつ頷くと結論する。
こういう場合は丸投げにするに限る。
「こういう時は専門家を呼びましょう」
「専門家?」
◇
「はい、というわけで二度寝してるところを叩き起こした専門家のハズヴェントです」
げっそりした顔つきで、ハズヴェントは現れた。というか運搬されてきた。
三分前、なにを思い立ったかアカは鍵を取り出しドアを作成、どこへなりか行ってしまった。
追うべきか待つべきか悩んでいる間に、アカはすぐに戻ってきた。
混乱するハズヴェントを連れて。
「なに旦那なに? いきなり叩き起こされて専門家がどうのうって、いやなに?」
「クロが運動をしたいそうです。ですがその勝手がわからないというので、その方面の専門家のあなたに教授してもらいたいのです」
「え、それだけ?」
「それだけですが」
「そう……」
なにか言いたげな、同時に物悲しい様子で、ハズヴェントは肩を落とした。
さすがにアカも説明を省きすぎたかとざっくりと。
「クロは満足に身体を動かすこともままならないほど呪いで衰弱していました。今は体力をつけてほしいのです」
「あー、そういうことね、なるほど」
幼気な少女の不幸を語られては不貞腐れてもいられまい。
ハズヴェントは気を入れ替えてしゃっきりと。
「よし、じゃあまず動きやすい服に着替えろよ、なんで寝間着だ?」
「ほかにないんだもん」
「じゃあ旦那、作って」
ずけずけと言えるのは、ある意味で美点だ。
すくなくとも遠慮でなにも言えない関係というのはあまり健全ではないだろう。
控えめな、いや、臆病なクロからすると、アカとハズヴェントの関係はなんだかすこし羨ましい。
「わかりました」
手をかざすだけで
魔力を物質化し、その形を規定することで求めるものを作り出す。
魔法陣が黄色く輝けば、すぐにそれは編みあがる。
「こんな感じですかね?」
動きやすい服と考えて、アオたちが通う学園において運動の際に着用しているという外服を参考にしてみた。
サイズに関しても目測でおおよそわかるので、できあがったそれをクロに渡す。
すぐに部屋へと駆けていき、ほどなく戻ってくる。
気になって、感想を問うてみる。
「どうですか? なにか、問題はありませんか?」
女性に服を送るというのは、アカであっても割と緊張する。
クロは笑って。
「逆でしょ? どう、似合う?」
感想を求めるのは自分が先とばかり、クロはそう言い放ってくるりと身を一回転させる。
身軽な動作に軽い感動を覚えつつ、素直に褒め言葉は口からでていた。
「それは、はい勿論。落ち着いた部屋着や外着ばかり見てきましたが、活発な内面のクロにはそうした軽装もまたお似合いです」
「えへへ」
「半袖半パンの薄いジャージみたいなもんか……まあ、いいだろ」
一方でハズヴェントはこういう場面においては実用性にばかり目を光らせている。
請け負った以上は真剣にとのことらしい。
「あとはその長い髪、まとめとけ。旦那、ゴム」
「はいはい」
「このリボンじゃダメなの?」
「リボンは身のこなしに影響するだろ。ふわふわしてるし」
「ふわふわ……」
そこが可愛らしく、そこが実用性を損なう。
クロはサイドテールに結わっているリボンを渋々ほどき、アカへと渡し代わりにゴムを受け取る。
「アカ、そのリボン大切だからね」
「わかりました、大事にしっかり預かります」
「ん。で、ハズヴェント、結び方はひとつ結わいでいいの?」
「なんでもいいぞ。アオみたいにファッションと実用を兼ね合わせてもいい」
「ああ、アオの髪型ってそういう意味だったんだ」
ゴムを口でくわえながら、後ろ手で髪をまとめつつ納得を抱く。
「あいつにも体技を教えてるからな。そのときに髪まとめろって言ったらそのままなんだよ」
「ふぅん。でもアオに似合ってるわよね」
クロは言いながら、上手くポニーテールができたか心配げに
「さぁ? それは知らんけど」
「似合っていると思いますよ。もちろん、クロも」
「……ハズヴェント、そういうところがモテないのよ」
「どういうところだ!?」
心底わかっていないハズヴェントは、やれやれと半目のクロに答えをもらえず疑問だけが残る。
アカの返しでわからないのか、この男は。
わからんわ、とばかりハズヴェントはあっさり諦めて、気を取り直し。
「まぁいいや。んじゃ、とりまストレッチからー」
◇
「よーし、今日はこんなもんだろ」
「ぅぅ」
小一時間もしないうちに、ハズヴェントはあっさりと終了を告げる。
彼の指示に従って動きを模倣するだけであったが、動きの精密さについての指定が嫌に細かく、挙動もゆったりとして、なんだかもどかしい運動だった。
そのくせ体力はいつも以上に消耗して、疲労は激しい。
どうしてこんなゆっくりとした仕草でこんなに疲れるのか。
聞けば、こう返る。
「人間の動作ってのはだいたいが勢い任せなんだよ。だから無駄も多いけど、楽だ。
今やってるのはその反対で、無駄を減らして苦しい動き。勢いじゃなくて、筋力で、全ての動作を行ってる。これ、不慣れじゃあんまし早くはできないから動きがゆっくりなってるけど、まあそれでも辛ぇだろ?」
「とりあえず、つらいのはわかるわ」
ほんと、なんかもうヘトヘトだ。
わりと調息に気遣わないと息を切らせてしまいそうだ。
「これって無茶に入らないのかしら」
「大丈夫大丈夫、疲れてるだけだから、休めばすぐいつも通りだろ」
「……まあ、信じるけど」
教えを仰ぐということは、それだけ相手を信じているということ。
そうでなくば自らが間違った方向に陥る羽目になるのは明白で、だからこそ信じられる相手に師事してもらいたい。
へたりこんで座り込むクロに、ハズヴェントは今思いついたとばかりに手を叩く。
「ん、よし、じゃあこうするか」
「なによ」
「毎朝の訓練の際に、おれはこっちの屋敷でするから、そのときにクロもやろうぜ」
「えっ」
驚いてしまう。
「ハズヴェント……朝に鍛錬なんてしてたの?」
「そっちに驚くかー、そうかー」
彼がどう思われているのかよくわかる問答である。
とはいえ、張りつめたところを見せたいわけでもなく、ハズヴェントとしてはそれでいい。
恐れられるよりも、ずっといい。
「体ができてきたら、今度は多少の護身術くらいは教えてやれるしな」
「護身術?」
魔術師なのに? という疑問に、ハズヴェントは注意喚起。
「馬鹿。魔術師だって最近じゃ動けないと話にならんぜ。接近の心得のあるなしで全然ちがってくらぁ。なあ旦那」
「まあ、それはそうですね。魔術師だから接近されたらお仕舞いでは生き残れませんよ。アオやキィも、ハズヴェントにある程度の体技を教わっていますし」
「え、そうなの?」
「特にアオの奴はすげぇぜ、運動能力が高いのと楽しんで熱中したせいで普通に前衛戦士張れるクラスで戦える。しかもまだ発展途上で鍛錬してやがる。将来が怖いわぁ」
未だに時々、ハズヴェントのもとに訪れては手合わせを申し出る辺り、その精神性から戦いに向いている。
術師としても戦士としても大成する器が、彼女にはある。
では、クロは。
「どうするよ、クロ」
「やるわ。お願いします」
「ん。素直でいいね。というわけで旦那、送り迎えよろしく」
「……私は送迎の馬車かなにかですか」
三天導師をこうも気安くに足に使う者が今までいただろうか。
だがアカとしても助かることで文句もない。
「仕方がありませんね」
「よし、これで旦那に起こしてもらえるまで寝てていいな! 自分で起きるの辛ぇんだよな!」
「水ぶっかけてあげましょうか?」
「ベッドが濡れるのはちょっと……」
◇
「そういえば先生、この服ってどのくらいもつの?
その日の終わり、寝間着に着替えて外服を洗濯籠へといれようとした時にふと思った。
クロはその疑問と服をそのまま持ち歩き、アカのところへ赴いては問いを向ける。
消滅がすぐなら、洗いにだしても意味がないのではないか。
アカは明確に答えた。
「およそ三年くらいですよ」
「三年……」
すこし、目が伏せってしまったのは無意識だ。
だって三年後には、クロはもう――
「はい。三年も経てばきっと身体も成長してそれでは小さくなってしまうでしょうから。またそのとき、新しいのを作りますね」
「あっ……」
三年後にはもっと大きくなっている。
それは三年後にも、必ず生きてここにいると当たり前に語っている。
それが、クロにはただ無性に嬉しかった。
「うん!」
作ってもらったその服を抱きしめながら、クロは力強く頷くのだった。
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