キィ1 お話


「――センセ、ちゃんと聞いてる?」


 キィがアカの私室に訪れ、そのまま長く益体ないことを話して過ごすのはよくある恒例のことだった。

 彼女はひとと話すのが好きで、屋敷の中でもそれは一番だろう。


 口数が多く、話題を提供するのは主に彼女で、だからアカはだいたいが相槌を打つことに終始している。

 べつにアカの発言を許さないわけではないし、むしろ返答があるほうがキィは喜ぶ。話題を放れば嬉々として付き合ってくれるし、わからないことでもわからないなりに考えてもくれる。


 けれどやはり、話題の種を見つけて、それを発芽させる能力においてアカはキィの足元にも及ばない。

 

 今朝、窓の外から見た鳥が奇妙な飛び方をしていたことや。

 朝食の席でアオが寝ぼけてコーヒーに塩を混ぜてしまったことや。

 シロはコーヒーをちゃんと飲んでいるのにすぐに眠りこけることができるのがすごいとか。


 そういう、アカからしたら――言い方は悪いが――どうということもないことを会話として盛り上げて楽しそうに話す姿は素直にすごいと思う。


 感心に浸っていると、呆けて見えたようである。

 怪訝そうに覗き込むキィの瞳に、アカは苦笑を映す。


「ええ、聞いてますよ。最近、クロが歩み寄ってくれるようになって嬉しいとのことでしたね」

「そうそう。あの子、意地っ張りだけどやっぱりほんとはすごくいい子で――って、そうじゃなくて」

「? なにか違いましたか?」

「ちがわない。ちがわないけど、むぅ」


 なにやらお気に召さなかったらしい。

 キィは頬を膨らませ不満をあらわにしたかと思えば、すぐに息を吐いてどこか不貞腐れたように言葉を続ける。


「センセってさ、一度にたくさんのことをできるよね? たとえば、わたしと話しながら考え事したり」

「それは……できますが、もしや上の空でしたか?」

「んーん。ほとんど気づかないし、たぶん他の人なら絶対気づけない――けど、時々気づくと寂しくなるよ」

「すみません」


 自らに向き合ってくれない寂しさ。

 会話の受け答えに問題がないとか、膝を突き合わせて視線を合わせているとか、そういう表面的な話ではなくて。


 心の問題。

 目に見えないくせに妙に感じ取れてしまうそれが、こちらと向き合っていない。


 キィはそういうところ敏感で、だからこそ逆に申し訳なさげなアカにも嫌なことを言ってしまったと自省すら思う。


「いいの。センセはいろんなことができちゃうから、やっちゃうんだよね。たぶんわたしたちには見えないものが見えてて、想像できないくらい複雑なことを考えてる」

「…………」


 以前からわかりきっていたことを改めて話している――そういう口調だと、アカは感じた。

 つまりもうずっと以前からして、キィはそういった思いを抱えていて、それについて、アカは一切気取ることができていなかったということになる。


 すこしだけ、愕然とする。

 自分はそんなにも、大切な弟子たちのことを知ることができていなかったのかと。


 黙する間にもキィは続ける。

 怒ったわけでも責めるわけでもなく平坦に。それこそ世間話の一環として。


「センセって、時々ものすっごく寂しそうに見えるんだよねー」

「寂しそう、ですか」

「うん、わたしたちが一緒にいても、やっぱりどこかひとりきりみたい」

「――」


 否定すべきだ、とまず思った。

 しかしそれを咄嗟に口から出すでなく、すべきだと己に強制しようとしたのが最初ということ自体が――否定を否定している。


「それがわたしは悔しいよ。こんなに近くにいるのに、わたしはセンセを全然暖めてあげられないんだなって」

「そんなことは……ありませんよ」


 なんとかそう返すも、言葉に力はなかった。

 キィが本当に悔しそうに言うものだから、アカは心苦しくなる。


 もしやこうしていつも多く話しかけてくれるのは、そういうところを気にしての気遣いの一端だったのではなかろうか。

 心優しい少女がアカの不実に責め立てるでなく、寄り添おうとしてくれていたのか。


 もしやと思えば、不安は尽きない。

 自分はどれだけキィに不要なものを押し付けてしまっていたのだろうか。 


 けれど。


「ですが、だから私に話しかけてくれるのですか?」

「それはわたしがしゃべりたいだけー」


 ――問いへの答えは屈託のない笑顔であった。


 それはアカが気負うことはないと、気遣った一言ではないかと疑うことはできた。

 だがそれは無粋だろう。

 こんなにも輝かしい笑顔を疑うなんて、アカにはできない。


 親切心を送られて、では罪悪感で返すだなんて馬鹿げている。

 自責や自己嫌悪とは別に、返礼すべきはこちらも好意でなくてはならないだろうに。


 つられて笑ったアカは、ふとこんなことを言う。


「いま私は」

「うん」

「キィについて考えていましたよ」

「えっ」


 思わぬところから手が伸びてきたとばかり驚く。

 その方角にはまるで警戒を怠っていて、キィは即応間に合わない。

 首筋が朱に染まるころ、顔を俯けて、キィは彼女にしては小さな声音を発する。


「その、それ、どういう意味?」

「キィはどんな小さなことでも話題に仕立てあげ、楽しく会話をすることがとても上手だと感心していました」

「ええと、うっとうしかったかな」

「逆です。そういうあなたに話し相手に選んでもらえて光栄だと思います」


 会話が上手い少女は、ならば誰と話したってつつがなく盛り上がることができるだろう。

 屋敷内にも仲のいい子らはいて、感性が近い分だけむしろ話しやすいはずだ。


 それでもアカを選んで多く言葉を傾けてくれる。

 そんなちいさな特別が、うれしくて仕方がない。


「えへへ、わたしも。わたしもセンセとたくさんお話できて、うれしいよ」

「光栄です。……あぁ、お茶がありませんね、淹れましょう」


 それはまだまだ話を続けようという意味合いで、すぐに理解してキィは華やかに笑うのだった。

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