授業・術式構築
「今回は魔術発現における四工程の第二段階の説明をしましょう」
「えっと」
すこし記憶を探り、クロが以前語られた内容を答えようとして――
「術式構築だね!」
「あぅ」
さきに、別の声が元気よく答えてしまうのだった。
アカは黒板への書き込みを止め、思わず恨めしい目つきで振り返る。
「こらキィ、今回のあなたは見学でしょうに。答えを先に言うとは何事ですか」
「あはは、ごめん、つい」
そこにはクロの隣で席に座るキィの姿があった。
今回は暇を持て余していたキィが、授業への参加を希望したのだ。
既に過去、教えた部分……というか、基本中の基本の授業では退屈しないかと問うたのだが、本人は気にした風もなくあっけらかん。
むしろこの頃、アカから直接教えてもらっていないと不満を呈され、あっさり言いくるめられてしまった。
まあ、あまり口出しさえしなければ、キィの参加も新鮮でクロによい影響となるかもしれない。
自分の先にいる相手が横にいるというのは、それだけで緊張感と競争心を生む。
さて改めて、アカはキィの答えから先に進める。
「術式構築……一口で説明すれば発動する魔術に必要な事項を式として構築する、といったところでしょうか」
「必要な事項っていうのは、設計図みたいな?」
「そのように喩えられることもあります。他には説明書、令状と言う方もいます」
「べつに、どれが正しいとかはないのよね」
「はい。あなたの直感に従っていただければ」
魔術において直感は大事だ。
なにせすべてが術者の頭と体ではじまり完結する。その当人の感性は無二のものなのである。
はい、と今度は挙手をしてキィが問いを。
「そういえば術式構築の前に、クロは染色のほうはできるようになったの?」
「……ええと」
自主訓練はしているが、それはたしか染色ではなかったはず。
すこし考え、教壇のアカへ確認のように目を向ける。
首肯は一回。
「魔力知覚についてはもう充分な領域と言えます。そして、彼女は黒色魔力であるので、染色作業がそもそもあまり必要ありません」
「あ。そっか、黒なんだ」
黒色は素のままで白を除くすべての魔術に適応し、発動できる。あとは色合いを濃く術式に適するだけ染めればそれでいい。
それが黒色魔力の最大の優位点。
魔術における四行程のうち、ひとつをほとんどすっとばせる。
魔術戦闘において、その一工程のスキップは恐ろしいまでに脅威的だ。
……ちなみに魔力知覚を充分な領域に達するのに一週間足らずという期間は驚愕すべき短さである。
いかに三天導師の付きっ切りの指導があったとはいえ、それは彼女の才覚の一端といえよう。
比較対象のいないクロはそれに気づける由もなく、話を促す。
「ふつうは魔力を色づけて、それからするのが術式構築なのよね」
「そうなります」
「……けっこう大変ね。染色っていうのも、べつに簡単なわけじゃないんでしょ? そのうえでまた違うことを頭のなかで考えるのは想像するだけで難しいもの」
「慣れればどうということはありませんが、そうですね、初心者の方が躓く点ではあります、この並列処理というのは」
「それで、具体的にはなにをするのかしら」
並列処理が難しそうなのは、それぞれ個別に行うべきことが難しいがための相乗。
染色をほぼスルーできるクロからすると、次の構築という作業の難易度が気にかかるようだ。
「術式構築にはどんなことをどんな風にどれくらい、どの程度などといった細かい規定を列挙する必要があります」
「列挙っていうくらいだから、たくさんあるの?」
「そうですね。たとえば
「うん」
「これに必要な事項を挙げるとこうなります」
アカは黒板にさらさらと
・術起点は手のひらの上。
・魔力を指定量、放出する。
・その魔力を火に変える。
・火という現象の設定。
・火は球状にする。
・熱量はこのくらい。
・指定方向へ射出する。
・射出速度、射出距離の設定。
「とまあ、他にも細かい点を設定することもあるでしょう」
「……多いわね」
「多いよねー」
これにはキィも苦い顔をする。
彼女は既に魔術を行使できる魔術師であり、その同意には実感が伴う。
「その上で矛盾する設定はできません。したとすれば術式不全となり、魔術にはなりません」
「矛盾したって、どういうこと?」
「たとえば、十メートル前進と十メートル後退を同時に行うようにと設定すると、それは不可能となりますよね? これを成立させるのならば行動をわけ、前進をしたあとに後退をと細かく指定する必要があります」
「ん。同時にって部分が矛盾点なのね」
なるほどと得心いって、ではと違う疑問が湧き上がる。
「じゃあ、無理な要望はどうなの? 十メートルをありえない速度で前進しろ、とかは」
すぐにそうした疑問を抱けるのもまた、彼女の異才だろう。
魔術師としての思考回路が教えるまでもなく骨子になっている。
「それは必要魔力量の増大につながります」
「魔力量。じゃあ可能ではあるの?」
「設定した項目が稼働するように必要な魔力量を算出し、それを術式に流し込む……のは次の段階ですが、つまりそういうことです。
過剰に高度な要求をすると、必要な魔力量が跳ね上がるのです。
なので可能か不可能かで言えば理論上は可能ですが、実際的に魔力が不足して不可能ということになるでしょう」
矛盾さえしなければ魔術はおよそどんな挙動も可能であるが、そこに要る魔力量が無理な動作であるほどに指数関数的に増大し現実的でなくなる。
「そういうことまでしっかり考えなきゃなのね……やっぱり大変じゃない、これ」
「おそらく四工程で最大の難関です」
その最大の難関を染色と並行して行うのか、通常の魔術師は。
いまさら、クロは自らが黒色の魔力でよかったと安堵した。
とはいえ、何事にも抜け道というのものある。
「ですが、これには裏技がありまして」
「裏技? なによ、それ」
「カンペです」
「は?」
「カンペです」
「聞こえてるわよ、説明をしなさいよ」
「失礼」
「あははは」
なぜか横合いでキィが面白そうに笑う。
なにが面白かったのか。
問うまい。
アカはそこで懐から一冊の本を取り出す。高々と掲げる。
「じゃーん、魔術師協会謹製――「教本魔術百八選」!」
「? 教本魔術?」
「基本の魔術だけですが、先ほど細々と挙げた術式の設定、それの最低魔力量でできる最大効率の設定数値が具体的に書いてある便利な教本です。
ちなみにこうした教本に書いてある術のことを「
世の魔術師の過半数は熟読しているであろう永遠のベストセラーである。
毎年、新たな更新を受けた新版が発売されるので魔術師ならチェックは必須だ。
そもそも
「初心者の方はまずなにを設定すればいいかもわからないもので、その上で設定する数値なんてチンプンカンプンでしょう、
ですがこれさえあれば暗記するだけで面倒な術式構築の工程をスルーできます。物覚えが悪い方はこの教本を読みながら術を使ったりもしますが、それはあまりおすすめできません」
手が塞がるし、低位であることが露見するし、本に集中して状況を見落とすだろうし。
得なことはひとつもなく、不利なことばかりである。
とはいえ教本自体の利便性は抜群で、現代に生きる魔術師はほとんどがこれを読んでいるはずだ。
でなければひとつの魔術を扱うに際し数値設定の試行錯誤を千は繰り返す必要がでてきてしまう。
この教本を卒業できてようやく一人前と言われている。
一方クロはそれよりも別の方向に気に入らないらしい。
「カンペ、ね」
「おや、言い方が気に入りませんでしたか? ですが最初にこの教本を使わないというのは非効率的すぎます」
「矯正道具みたいなものなのかしら」
「便利で手放せなくなることもありますが」
「なんか……ズルしてるみたいでイヤね」
「ズルではありませんよ」
言って、アカは手元の書を開く。
内容を読むでなく、ただその存在を慈しむように。
「これは言わば、歴史の積み重ねそのものです」
「書は人の知識の集積という意味かしら」
「はい。記憶するだけでなく書に残すことで他者にも知識を広め、いつかの誰かまで届きますようにと願う」
横に広げ、縦に伸ばし、あまねく知識を送る。
それが書物であり、それをしたためるということは、惜しみなき知の共有を願った誰かの祈りだ。
「教本もまた同じ。これがあってこそ、魔術師の母数は爆発的に増え、それは同時に魔術への視点が増えるということ。新たな方向性を得て新たな発想を思いつく誰かに知識が届くということ。
そしてその誰かが、また新たななにかを書に残して広めていく。素敵なことだと思いませんか?」
広がり、連なり、また誰かへ。
そうした連綿の継承は学問の根幹だ。
「そう……かな」
理性のほんとんどは納得したけど、感情的にあともう一声みたいな心地になって、クロは目線を横へ。
キィへと問う。
「……キィはどうなの、使ってる?」
「もちろん読んではいるよー? 細かい部分を数値化してくれるのは便利だもん。でも、そうだね、だいたいは自分なりの数字に変えたりはしてるかな? 教本のは、やっぱり一般的な平均値を想定してるから個々人とはちょっとだけズレるからね」
初心者は暗記だけをするが、余裕ができてくる中級者になるとキィの言うように応用して教本の数値を自分なりに変えて改造していくもの。
そして上級者にもなると新しい術を開発したりもする。
「そっか」
「道具は使いよう、だよ?」
「うん、そうだよね」
ようやく納得が入った様子に、アカも一安心。
掲げていたそれを、クロへと差し出す。
「ではこれをどうぞ、読みこんでおいてください」
「わかったわ」
「術式構築のコツや練習方法なんかも書いてあるので、参考にしてください」
「……先生は教えてくれないの?」
「とんでもない。今から解説しますとも」
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