クロ1 関係
「アカ、いる? 入っていい?」
随分と躾の行き届いた淑女である。
アカをしてそのように感想するしかない、それほどクロという少女は完成した人間であった。
交わす言葉は理知的、態度は落ち着き払って、その魂には自己が揺るぎなく存在している。
しっかりした子、などという表現では足らない。並みの大人でもここまで大人びてはいまい。
貴族として十全な教育を受けたのだろう。両親から惜しみない愛情を注がれたのだろう。
それでも感嘆するほどの上品な淑女。
そんな彼女と出会ってまだ数日ではあるが。
アカは思う。
すこしずつだが、クロという淑女を理解できた気がしてきた。
「はい、どうぞ」
返事をすれば、クロは物おじせずにドアを開けて入室をする。
やはり、とアカは苦笑しながら自らの推測が的を射ていたことを把握する。
部屋に入ってきたクロは、見るからに不機嫌そうであった。
「なにか、ありましたか? すこしだけ不機嫌そうにも見えますが」
「不機嫌じゃないもん」
つんと唇を尖らせ顔を背けて、クロは強がりを全身で表現する。
そこは指摘せず、アカは仕草でソファを勧める。
クロは不満げながらも勧められた通りにソファに座り、クロと対面の形となる。
「では、なにかありましたか」
「相談したいことがあるの」
「はい、どのような?」
「……」
ここでクロは口を噤んだ。
言い出しづらいことのようなので、アカは立ち上がることにする。
彼女のような意地っ張りは、問われても答えない。自ら話し出すように誘導せねばならない。
会話途中で立ち上がることに不満を隠そうともしないクロに、アカは先んじて告げる。
「では、お茶でもいかがですか?」
「あ、もらうわ」
クロの表情がやわらぐ。
どうにも、素直な娘である。
アカはすぐ傍の仕事机のほうに置いておいたティーポットにそっと手を触れる。
しばらく前に淹れたお茶だ、もう熱も引いてしまって陶器の器は冷え切っている。
なので、魔力を練って、ほのかな熱を与える。
感覚でこの程度というのを把握しているアカは、すぐに魔力を止め、新しいカップを棚から取り出す。
茶を注ぎ、ソーサーに乗せ、砂糖を添えるとクロの前に音が鳴らないよう気を付けて置く。
「ありがと」
短く言って、クロは砂糖を入れてから慎重に口をつける。彼女は猫舌だった。
ちびちびと飲み始める少女を横目に、アカも自分の分のカップに紅茶を注ぎ、また対面に座り直す。
ふと見遣れば暖かな紅茶が少女の頑なさをほぐしたのか、とつとつとクロは口を開く。
「アオとキィのことなんだけど」
「はい。ふたりがなにか、悪戯でもしましたか」
「違うわ。ただ。ふたりはとても仲がいいって思ったの」
「それは」意外そうに「そうですね」
思わぬ方向性についての言及だった。
彼女らふたりが仲がいいと、はて、どうして気を悪くするのか。
まさかクロだけを仲間外れにするような子らではあるまいし。
いや、この信頼は師匠としてのひいき目などではないはずだ。
他方、クロが嘘をつくとも思えず。
と、誰もそんなことは言っていないのに勝手にいらない心配に焦るアカに、クロはまるで違う切り口で告げる。ほんの僅か、寂しげに。
「ふたりともね、ふたりのことばかり話すの」
たとえばね、とクロは言う。
「アオが言ってたの。
キィと一緒に遠征? で、森の深くに入ることになったんだって」
「はい」
魔術学園に通っている以上、そういうこともある。
森深くには魔獣が潜む――命の危険と隣り合わせになるということ。
かの学園の課題は並みの術師を殺し、優れた術師だけを育て上げる。
そういった命の危険ある場所に通わせるのに、師としては抵抗がないわけでもない。けれど、そうした経験を積まずに長生きできるかと言えば、それも難しい。
彼女らは、魔術師としてアカの弟子になったのだから。
「それで、ふたりで森中を探索してたら、魔獣が小さな女の子を襲ってたんだって。まだ女の子は生きてて、でも足に怪我をして追いつめられてたの」
「ああ、その話は私も聞きましたね」
そこまで聞けばアカも思い出す。
そういう世間話を、アカはキィのほうから聞いたのだった。
というかキィはいつも今日あったことを事細かに皆に話す。
けれど、アカは今回の話の顛末になにか問題があるようにも思えないのだが……クロは続ける。
「その時、アオはすぐに魔物に攻撃を繰り出したんだって。それしか自分にはできないからって。
でもキィはまず女の子の傍に走って、女の子の怪我を治して励ましたの、がんばれって」
「はい。誇らしいことです」
自らの弟子が迷いなく人助けをできるような性根で、師としては鼻が高い。
「アオはその時、キィはすごいなって思ったんだって。自分にはできないことを当たり前にするのがすごいって」
「……」
けれどそれは、とアカは思った。
言う前にクロが言いたかったであろう言葉を継ぐ。
「けど、この話をキィにしてもらったら、キィは逆のことを言うの」
「逆ですか?」
「うん。あんなに怖い魔獣に臆することなく真っ直ぐ挑みかかっていった勇気はすごいって。アオが魔獣を抑えてくれたから、自分は女の子を助けに行けたって」
クロの言いたいことは未だに伝わってこない。
けれど、アカはただ嬉しかった。
「これって、要は互いに互いを褒め合ってるわけじゃない? 自分にないところを持っている相手を嫉妬じゃなくて尊敬してる。
すごく仲がいいんだって、わたしは思ったわ」
そしてやっと、クロが落ち込んでしまった理由にたどり着く。
「わたし、誰かとあんなに仲良くなれるなんて、思えないわ」
クロは不貞腐れたようにぼやいた。
それがどうにも儚げで、けれどすこしばかりおかしくて。
アカは声なく笑った。
「クロは」
「なによ」
「クロはこの話を聞いたとき、そうですね、キィから聞いたときに、彼女が勇気がなくてと落ち込んでいるとき――そんなことはないと伝えてあげたのではないでしょうか?」
「え」
「あるいはアオに話してもらったら、やっぱり同じように、それしかできないと自分を責める彼女に――そんなことはないと伝えてあげたでしょう?」
いやに確信を持った声音だった。
クロはクロでよくわからない居心地の悪さを感じている。
自分の言った言葉をあっさり言い当てられては、もしかして自分は単純でわかりやすいのかと思ってしまう。
とはいえ事実を否定もできない。憮然として肯定の語を避けるくらいしかできない。
「それがなによ」
「それがあなたの優しさということです」
「……」
なにを言っているのか、クロにはわからない。
アカはやはりどこまでも誇らしげに。
「キィやアオと同じです。自分にできることを精一杯やったのだから、それに対して妙に卑屈になってはいけませんよ?」
「できることって、そんなことないって言うことがわたしのできることなの?」
「はい。それも大事なことです」
「でも、誰でもできることだわ。当たり前のことよ」
「当たり前のことを当たり前になすのは、何事においても重要でしょう」
納得いかない顔つきのクロに、アカは別口から教えてあげる。
「それに、アオからもこの話を聞いたと仰いましたね」
「え、うん」
「私はキィからしか話を聞いていません。ですから、互いが互いに思いやった話という筋を、知らなかったのです」
「それは……そんなの」
「大したことはありませんか? ですが、友人関係というのは大したことのない積み重ねですよ」
一息分だけ間をおく。
次に大事なことを言うための呼吸。
「あなたは友人を作ったことがないから、劇的で明確な友人の線引きが存在するように思えるのかもしれませんが、往々にしてそういうものは地味で曖昧なものです。
いつの間にか友と呼べるような間柄になっていた――そういう例が最も多いはずですから」
いつの間にか、と口慣れない様子でクロは呟く。
実例をひとつ。アカは秘め事を明かすように密やかに。
「たとえば昔、来たばかりの頃はアオもキィもあなたと同じように相手への接し方に困っていましたよ。けれど徐々に打ち解けて、今はあんなに仲良しです」
「わたしもそうなる? 友達、作ったこともないのに」
「あなたを不幸にする呪いも、あなたの周囲を不幸にする呪いも、ここにはありません。だから、壁を作ってはいけませんよ」
「ん、そうよね、自分から否定しちゃ駄目だよね」
アカは頷いて。
「まあ、すこしずつ、すこしずつ慣れていきましょう」
「ちょっとじれったいわね」
「そう言わず。このゆったりとした空気を楽しめるようになりましょう」
「難しいわよ」
「そうですね。では、まずは私と親睦を深めましょうか。なにか、私に言いたいことなどはありますか?」
「あるわ!」
たじろぐほどに即答であった。
「言いたいこと、一杯あるわ」
「そっ、そうなんですか?」すこし気後れしつつも、アカは腹をくくる「では夜が更けるまで伺いましょうか」
◇
「そういえば先生」
「どうしました」
「どうしてわたしが不機嫌だってわかったの?」
「ああそれですか」
苦笑して頬を掻く。
些細な発見があったのだと。
「どうやらクロ、あなたは機嫌がよいと私を先生と呼ぶようですが、逆に悪いとアカとそう呼びますから」
「……」
一瞬の沈黙のあと、クロは顔を真っ赤に染めて。
「ばか!」
叫んで出て行ってしまった。
あとに残ったアカは呆気にとられてただ見送ることしかできなかった。
「……怒らせてしまった」
しかしはて、どうして彼女が怒ったのか、アカにはよくわからないのだった。
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