授業・魔力充填、発現
「では今回で魔術発現における四工程を締めとしましょうか」
「あれ?」
授業のはじまりを告げる挨拶の時点で、クロは首を傾げて疑問をひとつ。
「四工程なら、あとふたつあるわよ。一気にやっちゃうの?」
「はい。実は最後のひとつは区別のために四工程としてわけていますが、本来は術師側からアクションを行う必要はありませんので」
「? どういう意味かは」
「説明しましょう」
言葉を継いで、そして言葉を続けていく。
「まずは第三工程、魔力充填ですが……これは文字通りなので、理解も容易いかと思います」
「…………」
文字から連想されるままに思考して思い至るそれと、さほどの差異はない。
けれど内実を奥まで読み解けば、やはり想像に及ばない深みはあるのだろう。
クロは、あまりアカの言う「容易い」や「難しくない」を信用してはいない。
なんというかナチュラルにこちらを信じて、あなたなら大丈夫と思われている節が見受けられるのだ。
信頼はうれしいが、時に重荷にもなる。
相手の期待する自分に達していなかった時の失望が恐ろしい。
クロは必死になって期待に応えるべくアカの教えに傾聴する。
「前回の術式構築の授業を思い出しながら聞いてほしいのですが。
術式を脳内でどうにか作ることができますと、今度はそれを自身を媒介に外に、世界に現出させることになります。これを術式の具現と言って、為すのにもまた魔力が要ります」
魔力は無色無形無属性。
使い方をこちらから与えてやればあらゆることに利用できる可能性そのもの。
「よく言う喩えでは、容器を作る、という感じでしょうか」
「魔力で容器を作るって、それ魔術じゃないの?」
魔術を行使するのに魔術を行使する……なんだか矛盾染みてこんがらがりそうである。
アカのほうも困った調子ながら、返答を。
「いちおう、あくまで魔力の操作に分類される行為です。エネルギーをエネルギーのまま使っているので」
「魔術は、エネルギーを変えてなにかを起こすことだから、別ってこと?」
「はい」
「なんか、面倒ね」
「ぅ」
すっぱり言われるとなかなかダメージを食らうアカである。
研究の怠慢と責められている心地になるのである。
気を取り直して。
「以前、魔力を水に喩えましたね? それになぞらえると、術式は氷です。
流動せず固形化した骨子であり、魔力という水を注ぎ満たす容器。氷の容器に複雑な文字が刻み込まれている、とイメージしてくれればよいかと思います」
「その複雑な文字っていうのが、つまり術式ね」
「その通りです。そして具現化された術式、氷の容器のことを魔法陣と呼びます」
「魔法陣……あの、魔術を使うときに輝く円陣のこと、よね」
頷いて、開いた手を掲げる。
「こういうものですね」
手のひらに赤く輝く小さな円形が描き出される。
魔力で作り上げ、術式を具現した魔法陣。
クロは興味深そうに身を乗り出して観察する。
「えっと、その丸の中に書いてあるのが、術式なのよね? 読めないわね……」
「これは個々人の想念で編み上がった文字ならざる思念の具現であって、既存の文字とは違いますし、その性質上、人によっても違います」
「人によって違うんだ、ちょっとおもしろそうね」
とはいえ、描いているのが既存の文字に触れてきた者であるので、まず近しいものになりやすいとは言われている。
……ときどき、まるで隔絶したような文字とも思えぬ文字の魔法陣を描く者もいるにはいるが、異端だろう。
クロは思いついたことを次々と質問として投げかける。
展開しっ放しの魔法陣を指さして。
「さっきたとえで術式を氷と言ってたけど、つまり放っておくとそれも溶けちゃうの?」
「いい着眼点ですね。実はその通りでして。
魔力は外気に溶ける性質があります。内在の魔力なら肉体がそれを防ぎますが、術式を外に具現化した際にはわずかずつ構築した術式が溶けてしまいます」
魔力は空気に溶けた
あまり長時間放置している、もしくは集中力をなくせば魔法陣は消えていく。
「じゃあ、術式を手元に維持しておいて、とかはできないんだ」
「いえ、術式が溶ける速度より早く魔力を補給すれば維持も可能です。すこし練習のいる作業ではありますが」
じっさい、少しではなくだいぶ鍛錬の要する難しい高等技法である。
いや、三天導師にとってはすこしなのかもしれないが……事実、現在も特に意識も割かずに魔法陣を展開し続けている。
クロはそこらへんの機微を知る由もなく続ける。
未だに、アカの手元の魔法陣が気になって仕方ないらしい。
「人の魔法陣を見てどんな魔術がでてくるか、わかったりしないの?」
「……経験で、字を解読したりはできますが、難しいでしょうね。上手い術師ほど魔法陣の出現は短く済ましてしまいますし」
「そっか。じゃあ色は? その魔法陣は赤いけど、
「それはそうです。魔法陣で何色の魔術かは判ぜられます」
便宜的に魔力を色で喩えているわけではなく、実際に視覚的に色合いが出るというのはなかなか興味深い。
となると、しかし。
「じゃあわたしはどうなるの?
「全て黒色の魔法陣になります、そのため、相手からするとどの種の魔術を行使するかわからず厄介ですね」
「やっぱ、魔力が黒色だと便利なのね……」
学ぶほどにつくづくそう思う。
別に疎むわけでもないけれど、やはりちょっとズルをしている心地になるのはどうしてか。
謂れのない自らの才能に、クロはいつも疑問を覚えている。
その経験が多少はわかるアカからしても、傍から見て彼女は清廉すぎると苦笑を覚える。
まあ、彼女の不幸はその才能によって訪れたものだとすると、複雑な心境にもなろう。
一朝一夕で解決する話でもない。そこには踏み込まず、話を授業に戻す。
「質問が他にないようなので続けます」
「あ。うん。お願い」
「この魔力充填の工程において、容器に魔力を満たす。氷の入れ物に水を注ぐ。これにより刻まれた術式が起動するという流れはわかりますね」
「うん、コップに水が満タンになったら飲みたくなるみたいなもんでしょ」
「ええと……たぶん、はい、そうです」
割と独特な思考回路で納得しているようだ。
べつだん、そこに異を差し挟む必要もないので、自身のイメージを大事にしてもらいたい。
「そして第四段階、魔術発現。意思を引き金に、魔力の満たされた術式が起動して魔術となって世界に顕現します」
「それで魔術は完成ね」
「はい」
言い、アカは手のひらの魔法陣を消して最後のまとめと黒板にこれまでの工程を書き出していく。
魔術発現における四工程
魔力染色…自分の魔力を発動する魔術に適した色に染める。
術式構築…発動する魔術に必要な事項を式として構築する。
魔力充填…術式を魔法陣として形成し、染めた魔力を流す。
魔術発現…これまでの工程に不備がなければ魔術が完成し、術式に忠実な発動をする。
「理論はこのような形になります。あとはわかりすく、自分なりに理解していくことが大事です。
そして理論を踏まえた上で実践して、感覚を掴むこと。それが魔術上達の道です」
「なにごとも考えてやってみろってことね」
「実践してみてなにか手落ちを感じたら理論の欠落や知識の不足を考え、また補って実践を。研鑽とはつまりこれの繰り返しですから」
知識はこうして幾らでも伝えよう。
実践もまた惜しみなく伝授するつもりだ。
では、あと望まれるのはクロの意気――言ってしまうとやる気である。
それについては、あまり心配はしていない。
これまでの子たちもそうだが、彼女らは皆、自らアカに教えて欲しいとせがむほどに魔術の鍛錬に前向きだ。
モチベーションは高く、ならばきっとクロはどこまでも上達していくであろう。
当人だけは、そう思ってはいないようだが。
「でも、実践って、わたしまだ魔力の知覚も覚束ないし、術式も難しいわ」
「ですが進歩していますとも。コツも掴んだようですし、このまま行けば一週間もせずに術式構築に関して最低限のラインに達します。言っておきますが、これは凄まじい上達速度ですからね?」
「でもまだ魔術はできないんでしょ」
「……いえいえ、術式さえ構築できるようになれば、あとは魔力充填だけですから、もうすぐです」
そう、もうすぐだ。
魔術の知識などほとんどなかっただけの十二歳の少女が、もうすぐ魔術師の域に踏み込む。
これは異例の早さと言える。
一般的に見て、ゼロからはじめてそこに辿り着くのは、およそ一年の時間がかかるだろうと言われている。
魔力の知覚を習得し、染色作業の感覚を得て、そして術式のコツを掴む。
それぞれが数か月はかかるはずで――二週間程度で半分以上を会得したクロの才は尋常ならざる。
その成長に、ひとつ教えておくべきことがあると思い至る。
もうすこし後でいいと思っていたが、タイミングとしてここがよかろう。
「……あぁそうだ」
「なによ」
「もうひとつ教えておきましょう、天上七位階についてです」
「それ、聞いたことあるわね」
「ええ、有名ですから」
言いながら、黒板にまた新たに書き込んでいく。
「魔術師には七つの位階があります。魔術師としての実力を表した序列と言ってもいいでしょう。
基本的に魔術師協会において判定試験があり、それをクリアできれば位階上昇とみなされます」
「位階、つまりどれくらい強いかってこと?」
「いえ、どれくらい魔術が上手いかどうかです。当然、上位のほうが上手く手数も多いので戦えば有利でしょうが、必ずしも低位が弱いとも限りませんよ」
魔術師の中では戦闘に特化した者も多いが、それ以上に学問として学ぶ者のほうが多い。
位階はあくまで魔術に対する基準であり、戦闘を基準にはしていない。
話している内に板書は終わる。
一目見て、クロは難しい顔になる。
「……なんだか覚えにくわね。数字とかじゃダメだったのかしら」
「魔術師は天を目指す者であるため位階は高低で表現されるのです」
天と地とに隔絶した世において、魔術師とはその狭間に生き駆け上がらんとする者。
いと高き天を目指して誰もが遠く見上げて背比べしている。
「天を目指すか……そう言われるとちょっと素敵ね」
それはつまり目の前のこの青年と比肩するということで、クロの目的でもあった。
とはいえ。
「これで言えば、クロ、あなたはまだ
「そりゃあ魔術、使えないものね。で、先生は
「そうです。そして現在では
軽くは説明しつつも、あまり上のほうは今はまだいいと切り上げる。
アカがこのタイミングで追加で説明したのはそこではなく。
「クロ、あなたはもう
「……わたしが、魔術師」
「自信をもってください。あなたは私の弟子です」
「…………」
クロはそこでついと目を黒板に向け、ぽつりとこぼす。
「……ちなみに他の子たちはどうなの?」
「アオは
「……それ、すごいわよね?」
あっさり言ってのけるが、上から――
あの年頃で、それは考えるまでもなくすごいことだろう。
アカは実に嬉しそうに頷く。
「はい。弟子自慢のようになってしまいますが、ふたりとも素晴らしい才能の持ち主であり努力家です。
通常一般、上に上がれば上がるほどに位階間の差は広がるもので、そのため上位位階は下位と比べて随分すくないのです」
地と花の距離よりも、人と鳥の距離のほうがずっと遠く離れている。
風と月など比べようものなら何をかいわんや。
「そのため
「……」
つまりあの年齢でそこまで到達した速度は誰もが瞠目するほどで、
遠く遠く先を駆け抜ける姉弟子たちに、クロは追いつくことができるのだろうか。すこしだけ不安がよぎる。
不意にひとり忘れていることに気が付く。
「あれ、そういえばシロは? シロはどうなの?」
「あぁ、彼女は――
「え?」
「
「あの子が、一番すごいの? なんだかびっくりだわ」
眠り続け、起きても眠たげな顔、思い出すのはふやけた姿ばかり。
アオやキィのように学園に通っているわけでも、鍛錬を積んでいるような姿も見ない。
なのに突き抜けて優れているのは、やはりアカと共にいた歳月の長さ故なのだろうか。
肯定するように、アカは言った。
「彼女はあれで、私の一番弟子ですから」
彼女の秘訣などそれだけだと言わんばかりの断言だった。
すこしだけ、うらやましくなる。
自分も、もっと早く見つけてもらえれば今より長く共にあれたのに……。
だが逆に言えば、先生と共にある今ならきっとどこまでも昇っていける。
鳥より風より月よりも、もっと高いあの
はじめたばかりの身で不安がって俯いてても仕方ない。クロは顔を上げてアカを見据える。
「わたし、追いつけるかな」
「ええ、もちろん。あなたががんばるほどに理想は近づくものです」
「そうね、がんばるわ!」
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