授業・魔力染色


「では、最初の授業をはじめましょう」


 屋敷に帰り、アオとキィが用意してくれた料理を食べ(おいしかった)、さてとクロは授業部屋に案内された。

 書庫を通ってその先にある一室。

 黒板と机が用意された、弟子らに魔術を教えるための部屋であった。

 リビングよりも多少広く、机を退かせればある程度の運動もできそうである。


 そんなまるで学園の教室のような部屋で、アカは黒板を背に教壇に立つ。

 他方、向かいには四つの机が設置され、そのうちのひとつにクロは不慣れな様子で座す。


 紙とペンは渡された。家柄、文字は書けるがどうにも緊張してしまう。


 アカのほうは手慣れた調子で舌を回す。


「はじめてなので、まず基本的な知識からお教えします」

「はい!」


 反射的に全力で答えてしまう。適量がわからず声が跳ねた。

 その語尾を待たぬほどの勢いに、アカは苦笑。


「いえその、そこまで緊張されずとも……」

「ごっ、ごめん」

「常のようにして構いません。特別なことをするわけでもありませんし、こちらが一方的に話しもしません。会話しましょう」

「聞くだけじゃだめってことね」

「はい。ただ聞くだけならカカシでしょう。自ら考え、疑問をもって、思ったことを素直に口にしてください。私はなんと言われようと侮ったりしませんよ?」

「うん、がんばるわ」


 ふんすと気合を入れる少女に、アカは嬉しそうにひとつ頷く。


 では、気を取り直して。


「そも、魔術とは?」


 黒板に言葉にしたことと同じように書き出す。

 大前提にして根本的な問いかけ。


「クロ、説明できますか?」

「ええと」上を見るように逡巡して「火を出したり、雷を起こしたり、傷を治したり、そういう人のできないことをできる、もの?」

「ええ、いささか曖昧ではあれ間違いではありません。魔術は人のできないはずのことを可能とする学問です」

「学問」

「はい。学べば誰でも習得可能な学問です」


 特別なものではない。

 独占されるものでもない。

 知恵と鍛錬をもって会得する技術である。


「もうすこし事象として説明させていただくと、魔術とは体内で生成される魔力を特定の色に染め上げることで目的の現象を発生させるものです」

「むずかしいわ」

「そうですね、順番に説明していきましょう」


 板書を交えて説明を。

 黒板には魔術から矢印を伸ばし、その先に魔力と書く


「まず、生物には生命力というエネルギーが巡っています。それがあって生存できる、根源的な力ですね。

 特に人はそれが多く、過剰なほどです。生きる以上に、生命力が溢れています。そうした生きるに余剰となったエネルギーのことを魔力と呼び、魔力を運用する術を魔術と言います」

「ん。いのちの力。余ってるなんて思えないけど……」

「あなたの場合は、その余剰分を呪詛の原動力へと方向づけられている状況なので、わかりづらいかもしれません」

「ああ、だから魔力が多いほうが呪いがひどいのね」

「そうなります。

 魔力とは無色無形無属性のもの、ただそれだけではなんの影響もありません。よって、形や性質を与える必要があります」


 呪いはその性質を悪用したものだが、ここでは説明を割愛。


「よくある喩えですが、魔力は水に似ていると言います。水を瓶にいれれば瓶の形になる。水を飲んでも味はしませんが、砂糖をいれれば甘くなる。そういう話です」

「その瓶を用意したり、砂糖をいれるのが魔術の工程というわけね」

「すばらしい」


 十二歳とは思えない理解力。

 貴族令嬢として家庭教師や両親よりある程度の教育は行き届いているとは考えていたが、思った以上だ。


「魔術発現における四工程というものがありまして、これは魔術を発動するに必要な工程を指します」

「よっつやることがあるってことね? それをすれば魔術が使えるんだ」

「はい」


 頷きながら、アカは黒板に書き加えていく。


 魔力染色

 術式構築

 魔力充填

 魔術発現


「今回はこのうち、最初の魔力染色について説明しましょう」

「ひとつだけ?」

「はい。あまり一気に詰め込んでも、わからなくなってしまうでしょう? 焦る必要もありませんし、ゆっくり確実にいきましょう」

「……先生がそういうなら」


 若干だけ不満そうなのは、魔術を覚えようという気概の高さと受け取っておく。

 モチベーションが高いのはよいことだ。


「そもそも、人の魔力には生まれつきうっすらとですが色があります」

「いろ、っていうのは、その、赤とか青とか、ああいう色合い?」

「そうです。たとえば、私は赤色魔力、あなたは黒」

「……もしかして、アオは青色、キィは黄色でシロは白ってこと?」


 わずかに気まずそうに目をそらしつつも、アカは頷いた。

 クロは呆れたように一息。


「はぁ。アカの命名、雑」

「うっ。それは……その……私にはセンスがありませんので……」


 苦しい言い訳である。

 まあ、彼こそ師にアカなどという雑な名をもらっている。ひいては師のせいなのでは? そうも思ったが、ひどく言い訳じみて情けないので黙しておく。

 していると、率直さが悪口になったかと僅かに慌てるクロから話を戻す。


「それで、色が違うとなにかあるの?」

「はい……。

 色ごとに使える魔術が変わります。赤色魔力は生命アカ魔術しか扱えませんし、青色魔力は自然アオ魔術にしか使えません」

「ふぅん。じゃあわたしは黒魔術しか使えないのかしら?」

「いいえ、そうでもありません、魔力の色は、変えることができますから。それが染色です。魔力の色を染め上げる、そういう魔術の基本的な技法ですね」

「染め上げるっていうのはなかなか詩的ね。色って、何色あるの?」

「九色です」


 言いながら、アカは黒板にまた新たに書き込む。



 表三色オモテサンシキ

 赤

 青

 黄


 特二色トクニシキ

 白

 黒


 裏四色ウラヨンシキ

 緑

 橙

 紫

 藍



 クロは怪訝そうに、


「表と裏と、特別?」

「九分九厘の人は生まれもった魔力色が表三色のどれかになります。ごく稀の残りが特二色ですね」

「じゃあ、裏は?」

「基本的には生まれもって現出しえない色合いということです。つまり染色前提の、新しい色です」

「新しい……それって、誰かが発見したってこと?」


 やはり察しがいい。

 頭の回転が早い。

 この幼さでこれとは恐れ入る。


「その通りです。かつては五色と思われていた魔力色と色相魔術だったのですが、ある時期ごと天才たちが色を加えていき、魔術が増えていき、現在の九色にまで至ったわけです。同時に、これからも増えていく可能性があるということです」

「奥が深くて、底が見えないわ」

「はい。まったくもって」


 長く時を生きる三天導師にさえ、魔術という学問の終着は未だに見えていない。

 その終わりを見つけようとすること事態がおこがましいのかもしれないが。


「九色九通りの魔術が現在あるわけですが、それは置いておきまして」

「え、置いとくの? 気になるんだけど……」

「次は染色の実践をしてみましょうか」

「やるわ!」


 立ち上がって前のめり。

 知識を得ていくのも面白いが、やっぱり実践してみたいのである。

 まあ、だからと期待に沿うような実践というわけではないのが申し訳ない。


 やってもらうことは地味極まる。


「と言ってもその前段階からです。まずは自分の魔力を感じることです。知識としてではなく、身をもって」

「……えっと、どうやって?」


 魔力が身を巡っている。それはいい。

 けれどそれを実感してはいない。

 知識として知っているだけの状態で、体感していないということ。

 血流を身近に感じ取れていないのと同じで、身の内側の出来事など知覚外と言わざるを得ないだろう。


 見えず聞こえず感じえないものを、はてどうやって実感するというのか。


「魔術師は人の持ちうる五感に加え第六の感を持たねばなりません。それは魔力を感知する感覚です。これができずに染色は叶いません」

「第六感? 五感以外で感じるって、よくわからないわ」

「ですが目を開けばものが見える。耳を澄ませば音が聞こえる。それだって、どういう理屈でどうして感じ取れているのか、説明できますか?」

「……それは、その……わからない、けど」


 なんとなくは知っているし、書物で見かけた気もする。

 けれどしっかりと記憶して理解しているわけではなく、説明は難しい。

 そういう、あやふやな知識として身についていないような知っているだけのこと。


 人は多くをそういう微妙な無知と既知の間で揺蕩わせている。

 ならばこそ。

 

「では同じです。理屈や仕組みを知れずとも、それをなせないわけではありません。

 そうした知識は追々で、今は感覚で魔力を知ってみてください」

「ん。ちょっとズルい気もするけど、わかったわ」

「ちなみに魔力を感じ取ることができるようになれば、他者の魔力量を把握したり魔力色を見抜いたりもできます」

「先生がわたしの色をすぐにわかったのも、その第六感?」

「そうなります」

「へぇ、ちょっと面白そうだね」

「まあ、まずは自分の魔力を感じ取ることからはじめましょう」


 言いながら用意しておいたアイテムをとりだす。

 手のひらに小さく筒状のスポンジ。


「……耳栓?」

「はい、耳栓です。これをして、目を閉じて」

「なにか怪しいのだけど」

「五感を極力閉じることで六感を研ぎ澄ませる修行方法ですから」


 なにも見えずなにも聞こえない状況に追い込むことで、新たな感覚を掴む。

 魔術師の初歩の初歩の訓練としてはポピュラーと言えた。


「ん、やってみる」


 怪訝さをとりあえず脇に置き、クロは耳栓を受け取ると自らの耳に差し込む。

 そして目を閉じ、集中してみる。




 ……五分でギブアップ。


 耳栓をとって不満げに。


「……なにも感じないわ」

「五分で諦めないでください」

「だってこれけっこう怖いんだもん」


 耳栓の遮断性もやたらといいせいで本当に無音だし。無音で無明だし。


「…………」

「アカ?」


 きみょうな間に、クロは首を傾げる。


「いえ、まあそうですよね。私も覚えがあります」

「あ、そっか。先生も昔はこういうことしたんだ」


 すこしだけ声音が弾んだのは、アカと同じ道を辿っているということを今更に納得できたから。

 ただし、アカのほうはいささか辛い記憶のようだが。


「私の場合は師が非常に厳しい方でしたので、無音無明の空間に浮遊と感覚遮断の魔術を掛けられてしばらく放置されましたよ」

「えっ、なにそれこわい」


 未だ思い出すだに恐ろしい体験であった。

 あれこそが本当に五感を失うということで、端的に言って拷問の類であろう。気が狂ってもおかしくはない所業と言える。


 無論、そのような無茶を課すほどアカも横暴ではないつもりだ。


「そうですね、ではすこしアドバイスを。

 魔力というのは体中を巡り流れる運河のようなもの。指先から足先、全身隈なく満たす流水。

 そして、あなたの魔力の色は黒です。

 それらをイメージして、もう一度やってみてください」

「……わかったわよ」


 気を奮わせ、再び耳栓をして目を閉じる。

 世界から自己を隔離し己だけを見つめる。


 真っ暗で、なにも見えない。音すらない。

 だから脳裏に想像を描く。


 体内に流れる血流をイメージする。

 それを魔力であると考え、その流れる赤色の血液を漆黒の……なんだろう、エネルギー? として頭で置換していく。


 皮膚の下で駆け巡る黒いエネルギー。

 クロという命を維持し、そしてこれより新たな方向へと歩みだすための力。


「……ぁ」


 思わず目を開く。

 すると途端に構築したイメージが崩壊し、アカの顔を映してしまう。


「あ……」

「どうやら、なんとなく感じ取れたようですね?」


 耳栓を外す少女に、師は眩しげに眼を細める。

 たった十分足らずでコツをつかむか。本当に、なんと素晴らしいポテンシャル。


「うん。けど目を開けたらわかんなくなっちゃった」

「最初はそれで充分です。もうすこし慣れてくれば、日常的に意識せずとも感じ取れます。それこそ他の五感と同じように」

「じゃあ、練習あるのみ、ってことかしら」

「そうなります。その耳栓は差し上げますので、毎日欠かさず行ってください。慣れてきたと思ったら私に報告を」

「わかったわ!」


 といったところで、本日のはじめての授業は終了となった。

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