白銀と黒鉄
紙川浅葱
□□
城の回廊に敷かれた赤い絨毯には血に染まっていた。陛下を護り散っていった兵たちの屍を超えながら、私は煙の立ち込める回廊を陛下と急ぐ。
陛下の結婚式を三日後に控え、城の兵力はいつもの三分の二。そのここしかないという虚を突いて敵軍は今までに見せてきた戦力の一・五倍。城が崩れるのにそう時間はかからなかった。
「……!」
回廊を抜けた先、中庭に一人の影があった。濡羽色の外套に黒い覆面。黒影卿と畏れられる敵勢力の首領。
「その女を渡していただきたい」
そして、その正体を陛下が、シルヴィア様が知ってはいけない。
「貴公を殺すつもりはない。退くのだ、ブラン近衛騎士団長」
「……それは私が騎士団長と知ってのことか。陛下の死は私の、我々の死だ」
彼の言葉に嘘はないのだろう。この男が殺したいのはおそらく陛下だけだ。
「陛下、ここは私が引き受けます。この中庭をまっすぐ進み地下の湖まで下りてください。あとはグレミア様が」
私は片腕で陛下を挺して小声で告げた。
「……こんなとき、クロムがいてくれたら」
いつどんな時も弱みを見せない陛下が呟いた、その言葉が私には重かった。
「さあ、行ってください」
「貴方も追いかけてきてください、必ず」
「はい、騎士の誇りにかけて」
陛下の足音を背中で聞きながら、私はゆっくりと細身の剣を抜いた。その剣は鈍く、重い。そうさせているのは私の迷いからだ。そんな自分を鼓舞するように、噛み締めるように私は言葉を紡ぐ。
「ブラン・ベルクフリート参る……!」
黒影卿も黒い剣を抜く。私は迷いを振り払い大地を蹴り飛ばした。初撃、二つの影がぶつかり合う。火花を散らせながら、炎を橙に映す石畳の上で二人は斬り結ぶ。二つの剣がぶつかり、せり合い、キリキリと音を鳴らした。彼が振り払い、間合いができる。二連の剣撃をいなして、私は“仕掛け”をつくった。
この男があいつならば絶対に反応する隙を――。
右下からの斬り上げ。疑念が確信に変わった瞬間だった。何度も教えられた、私の戦いでの悪癖。
「ここだ!」
大きく一歩下がってそれを躱すと、私は彼の右の
「クッ……!」
烏の面の右側が砕けた。黒曜石のような欠片が石畳に散らばる。
「……その仮面を外してもらおう」
「……。」
黒影卿は無言で漆黒の覆面を外す。忘れるはずのない、その剣捌き。
「クロム……!」
そこにあったのは共に陛下を護ると誓い合った、生涯を懸けて剣を高め合えると信じた友の姿だった。
■■
オレが覚えている記憶にはいつも姫とブランの姿があった。それよりも前は思い出せないが、オレは戦争孤児らしかった。クロムという名前はふたりにもらった。
腕は立った。寒地を生き延びた嗅覚というか、闘いにおいての身のこなし、呼吸。そういうものがガキの頃からなんとなくわかった。
金属音が一閃、数秒遅れて土に何かが刺さる音がした。
「参った……!」
飛ばされた剣が城の中庭に突き刺さる。それを見て認めたくないように相手は呻いた。オレと同じくらいだというのにどいつもこいつも弱い。甘い。剣の稽古をつけてやろうというから来たのに全員オレより弱くてどうする。
「
「この……王家の民ではないガキが生意気な……」
「……腕が立つからと拾ったらしいがやはり北方の人間は野蛮だ。城に迎えるべきではなかったのだ」
オレがここで好かれていないことは知っていた。オレらみたいなちっぽけな民族を抱えているくせに、国のお偉いところは全部自分たちの民族で固めている、そういうところが嫌な奴らだった。お前たちが来なければ、山の向こうの奴らとやり合わなければ、オレはこんなところに来なくて済んだのだ。
はーっと大きくため息をついた。まあ、憂さは少し晴らせた。オレは戻らせてもらうと奴らに背中を向けた。
「まだ……まだだ、まだ決着はついていないだろう……?」
背後から声がした。顔だけ振り返ると一番にのしたヒョロガリが剣を杖のようにしてよろよろと立ち上がる。体力はないが、剣筋は一番マシな奴だった。
「おいおい、ブランがまだやる気だぞ」
「やめとけって。僕たちじゃかないっこないよ」
周りはコイツを嘲った。でもコイツはオレをまっすぐ見ている。
「決着はついた。お前の負けだ」
「ぐぬぬ……ではもう一度お願いしたい。次はもしかしたら僕が勝つかもしれないだろう?」
オレが嫌いなタイプだった。オレに恐れず一番に挑んできたり、諦めなかったり。自分が恵まれた環境にいることを知らない癖に精進ができる。それをやられてしまうと敵わないからだ。コイツ以外の奴らみたいなクソであれば留飲を下げることができるのに。
「……。」
オレは自分の剣を地面に刺した。ハンデのつもりか負けさせるつもりだったのか、兵士たちがオレに用意した
「お前が使えよ。お前の体格だとその剣はおそらく重い」
「……!」
ブランが嬉しそうな顔をした。
「来いよ」
オレはさっきの戦闘で弾き飛ばした剣を抜いて構えた。
「ブラン・ベルクフリート、参る!」
□□
私の少し細い剣はクロムの斬り上げた長剣に真っ二つに折られた。クロムの得意な、相手の剣を壊す右下からの一撃。
「身体に染みついてるのか知らねぇが、お前は切羽が詰まってくると相手の剣を二回いなして攻めに転じようとする癖がある。王家のお行儀がいい剣だとそれでいいかもしれねぇけどな」
「……っ」
クロムが伸ばした手に掴まって起き上がる。剣を握り続けた彼のその掌は硬い。クロムの剣は本当に天性のものだった。生きるための、かつての剣。護るための、騎士としての剣。かつて獣の面しかもっていなかった少年が、時折見せ始めた人の面。それらは共鳴を奏で、彼をさらなる高みへと上げていっているように感じる。
「心配すんな。国王サマの御前試合では上手く負けてやるよ。騎士団長にはお前がなればいい」
「ちょっとクロム! そんな言い方はないでしょう」
稽古を覗いていたシルヴィア様がクロムを窘めた。
「なんだよ」
「敗れたものに敬意を、それが王家の騎士道です。ブラン、貴方は大丈夫ですか?」
「ありがとうございます、陛下。私にはお構いなく」
「それだけの腕があるのにどうしてクロムは騎士団長になろうとしないのです。ブランと共に高め合ってくれたのならこんなに心強いことはありませんのに」
クロムの眉がわずかに動いた。この話題を嫌がっていた。
「……ブランがなった方が、都合がいいんだよ色々」
私と陛下に背を向けて彼は答えた。そのまま剣や道具を片し始める。
「今日はもう終わりなのですか、クロム」
「ブランの剣が壊れたんだ。稽古もクソもないだろ」
「それではお茶でもいかがでしょうか。久しぶりに三人でお話いたしませんか」
「パス。ついてくんなシルヴィア、お前も予定があっただろ」
「あっ」
陛下は二時から式典に参加する。
「それでは、ブラン、クロム、ここで失礼いたしますね」
ひとり残された城の中庭で、私は天を仰いだ。白亜の城壁が映える空は、何も知らないように青い。
ここで初めて二戦してから五年が経った。王女とともに育った世代一の凄腕。北方の蛮族上がりの優秀な右腕を従える次期近衛騎士団長。それが専ら王家での私の評価だろう。私の立場と自身の境遇を鑑みて、クロムは本気の剣をこの稽古でしか見せない。クロムが周りから疎まれ蔑まれていたことはしばらくしてから知った。分け隔てなく臣下に接するシルヴィア様に彼が少し特別な思いを抱いていることも。近衛騎士団からすれば陛下に恋のような感情を抱くなど許されるはずがない。しかしクロムは事情が違う。彼には我々が幼いころから育む王家への忠誠心はない。すべてを失った彼は私には想像できない逆風の境遇の中で、唯一つだけ羽根を休めることができる場所を手に入れた。
右手の掌を開き閉じるように動かした。まだ衝撃がじんわりと残っている。
「くそっ!」
クロムのそうした境遇のことを考えるたび、陛下の前でクロムに敗れるたび、心のどこかが傷むのだ。
■■
中庭で、炎と煙に包まれて銀と黒の影が斬り結ぶ。
「クロム……!」
察しはついていたんだろうが、それでもまだブランの顔に戸惑いが見て取れた。それにしても、あの癖を逆に利用してくるとは思わなかった。強くなったぜ、本当に。
「クロム、なぜだ! 答えろ」
ブランが叫んだ。
オレが理由をすべて答えたとして、お前はそれを信じるのか。そう言ってやりたかった。この城で何度も暗殺されかけたことも。城に反乱分子がいることも。シルヴィアの結婚もあのグレミアが利用しようとしているにすぎないことも。
シルヴィアが幼いころからブラン、お前を好いていたことも。
なあブラン、オレは間違ってると思うか? 自分が愛した人が、お前を愛してくれる人が手の届かない所に行ってしまう前に、また失ってしまう前に護りたいと願うことが。
教えてくれよ、その素直な剣で。
白銀と黒鉄 紙川浅葱 @asagi_kamikawa
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