第11話 馬車の中

 辻馬車はガタガタと揺れながら車輪を動かし、高級住宅街を抜けた。


 清潔感があった街並みから、徐々に徐々に汚さが目立ってあった。行き交う人々の服装も、小汚くなっていった。


 ようやくタバコを解禁された私は、左にタバコを持ち、美味そうに吸っていた。事実、美味いのだった。ニキビ面の男は向かい側の奥に座り、恐々と縮こまっていた。私に目を合わせようともしなかった。

 それも仕方のないことだった。私が、彼にリボルバーを向けていたからだ。銃口を向けられれば、誰でもそうなってしまう。


 私は左手でタバコを吸い、右手でリボルバーを持っていた。ももの上に乗せ、銃口がニキビ面の男を捉えていた。


 私は一口煙を吸い、ゆっくり吹き出すと、その煙を見ながら、

「お前らも馬鹿だな。わざわざ乗り込むなどと。リスクがあり過ぎる」

「うるせーよ……。まさかあんたみたいな人がいるとは思わいないだろう」

「だから馬鹿だと言うんだ。撃ち殺されても文句は言えないぞ」


 ニキビ面の男はリボルバーに目を落とし、ゴクリと唾を飲んだ。そして小さなため息をつくと、


「先生が殺されたってのは本当なのか?」

「私はその現場にいたんだ。本当だよ」

「いったい誰に?」

「それは解らん」

「そう、か……」

「だが、あんな騒ぎを起こしたんだ。君たちがやったと思われても仕方がないぞ」と私は言った。


「とんでもねえ!」とニキビ面の男は大声で言った。「殺しなんて、とんでもねえ……」

 確かに殺しをできるではなさそうだ。せいぜい、ゆすりくらい。それも殴られて終わるのが関の山だ。

「先生とは、付き合いがあったのか?」と私は訊いた。

「友人ではなかったが、賭博屋で顔を合わせば話す程度だ。口の汚い野郎でねえ」

「そうか。じゃあ、先生は誰かに怨まれてはいなかったか?」

 私は下に灰を落とすと、煙を吸った。


「こういっちゃなんだが先生は嫌われていた。けど殺されるほどじゃないと思う。まあ、酒場でもよく汚い言葉を吐いていたらしいから、かっとなってその場で殺っちまうってことはあるかも知れねえな」

「いや、あれは計画的犯行だった。バーで待ち伏せされ殺されたんだ。かっとなってではない。それに、犯人は変装をしていた可能性が高いんだ」

「だったら、わざわざ計画してまで殺そうとするやつは、思いつかないな」とニキビ面の男は言った。「もともと交友関係は少ない野郎だったし」

「そうか」


 だから、警察も身元を割り出すのに苦労したのだろう。

 私はタバコを下に落とし、火消しのため踏みつけた。白いフィルターは黒くなり、ひしゃげた。


「そういえば……」とニキビ面の男は言い、私を見つめた。「野郎たしか、マフィアのことをくそみそに言いやがって、それが連中にバレて脅されていたことがあったよ」

「だが、それだけで奴らが殺しをするとも思えないな」

「奴らにもメンツってもんがある」

「メンツねえ」


 私は吐息をつき、窓の外に目を向けた。

 気がつけばごみごみとした汚い街だった。馬車は貧困街に入っていた。がらも頭も悪いのがうろうろしている。

 ここがニキビ面の男が住んでいる街だった。先程までの高級住宅街とは大きな違いだった。ここではこのニキビ面の男も、どこにでもいる普通のチンピラだった。


 私はリボルバーをももに乗せると、財布を取り出し、札束をニキビ面の男に差し出した。男は私を見つめ、困惑した表情を見せた。年相応の愛らしい表情だった。


 私は言った。「お前には色々話を聞かせてもらった。これはお前が先生に貸した金と、余分なのは今回の謝礼だ。これで足りるだろう?」

 ニキビ面の男はたちまち表情を明るくさせた。やはり年相応の愛らしい表情だった。

「あんた、いい奴だな」とニキビ面の男が言った。

「知らなかったのか?」

 すると、男はニキビ面をくしゃくしゃにして笑った。ふとこいつのニキビがなくなった綺麗な面を想像してみたが、無駄だった。ニキビ面が板についていたのだ。


「またなんか解れば、あんたに知らせるよ」とニキビ面の男は言った。

「ああ、頼むよ」

 だが、私は名刺を渡さなかった。理由は簡単だった。どうせ意味がないからだ。


 数分後、馬車が止まった。私はももに置いていたリボルバーをもう一度右手で持つと、窓の外をうかがった。

 馬車は大きな道路に停車していた。左右には薄汚れたアパートやレンガのボロい家が、所狭しと並んでいた。部屋の中に陽の光はなかなか当たらなさそうだった。


 ニキビ面の男はリボルバーを見ながら言った。「どうしてまたそんな物騒なものを持つんだ」

 私はチラリとニキビ面に目を向けると言った。「もしかしたら、お前のお仲間に襲撃されるかも知れない。用心のためだよ」

「ふうん。心配性なんだな、あんた」

「そうじゃなきゃ探偵は務まらない」

「そんなもんかね」とニキビ面の男は言った。「じゃあ出るぜ」

「ああ」


 扉を開けると、ニキビ面の男は外に飛び出した。後ろを振り返ろうともさず、野に放たれた犬のように駆け出した。


 私は扉を閉めると、少しばかり外の様子をうかがった。どうやら、銃器を持った男たちが出てくる様子はなかった。

 だがその代わりに、売春婦らしい女が馬車に近寄ってきた。派手は化粧をし、胸がはだけた色褪せたドレスを着ていた。ドレスと言える代物でもなかった。


 私は御者に出してくれと言った。

 馬車が進み出すと、売春婦の足は止まった。そして忌々しそうに道路に唾を吐くと、次の客引きに向かった。

 私はにやっと笑みをもらし、シガーレットケースを取り出した。

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