07 中ノ江  知奈

弟の死刑が実行された。両親は、泣いていた。私は弟を失ったことと、解放された

ことで涙が止まらなかった。すべてが終わったわけではない。だた、私たち家族にとって、あの異物と思える弟が亡くなったことが、一つの解放に繋がっていた。

 弟は殺害してしまった有川美穂さんに対して、最後まで謝罪の念を語ることはなかった。

 殺害の動機なども、はっきりしていない。その日、精神科のあるクリニックで、帰りを待って、連れ去り、弟は自分の住んでいるアパートで殺害をしたという内容だった。

 誰かを納得させる供述などなかった。だから、理解ができることもなかった。実際に弟は、美穂さんが恋愛として好きというより、遺体となって冷蔵庫に入れた状態が美しいと言っているのだ。

 どれだけ、家族という名を使おうが、こんな理解のできない発言をしている弟を理解できるわけもない。

私自身も、この事件の後、夫に離婚を申し出された。2人の子どもは夫に親権が渡り、義理の両親が育てることになった。弟に、今まで努力したことすべて奪われた気がした。

 私は弟を拒絶し、軽蔑している。離婚後、苗字は祖母の旧姓である中ノ江を使わせてもらっている。

 母は弟に、服や本を送ったり、面会に行ったり、手紙を書いたりと、色々と尽くしていたが、全てが空回りに終わっていた。母なりの愛情で、そうすることで、弟の気持ちに向き合っているつもりだったのだろう。

 それは、母の自己満足のためでしかなかった。だから、弟には暖簾に腕押しでしかなかったのだ。私にはそれほど、厳しくなった母だったが、弟の教育には熱心に取り組んでいた。中学受験で、失敗した弟に母は「高校受験は頑張りましょう」と言っていた。何かとプレッシャーを与えられ続けた弟は、どこかで爆発をしてしまうとは感じてはいたが、殺害を犯すなど思ってもいなかった。

 弟の供述で、母のことを語っているところ聞いていると、母親を否定することは、弟自身が自分を否定することに、繋がったのではないのかと思うふしが多くあった。

 母との面会を拒み始めた時期から、供述で母との思い出を語ることが多くなっていた。

母と父なりに、弟と、どう向き合ったら良いのかを模索をしていたのだろう。でも、それは到底難しいことだった。お互いに向き合おうとはしてはいなかったからだ。考えを寄り添うことをお互いにしようとは一切しなかった。理解し合おうと努力することを拒んでいた。

私からすれば、壊れていた家族だった。それでも、私は大学受験を地方にして移り住み、あの壊れた家族から、逃げた。

 でも、弟の殺害によって、私はその家族に引き戻されてしまった。私が弟を救わないといけなかったのだろうか。反省の色が、透明のように、何色にも塗られることはなかった弟に、私は何をすればよかったのだろう。弟への乾ききった気持ちが、全く答えを出すことはできなかった。


 

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