処刑

松長良樹

処刑


 ――外は淡い水色の雪景色だった。地上の濁った大気が天界で清められ、雪となって地面に降り注いでいた。刑務所の屋根が薄っすらと白んでいる。丈高い塀には有刺鉄線が張り巡らされていた。

 

 刑の執行日だった。長年神父を務めてきた私は独房に入り、囚人と最後のひとときを迎えようとしていた。


「思い残す事はありませんか」


 私は落ち着いた口調で囚人に話しかけた。囚人はただぼんやりと壁を見つめている…。年の頃なら三十代後半だろう。男の顔には深い絶望感、虚無感が貼り付いていた。時間は無情に過ぎて行き囚人は何も話さない。


「そうですか。では、そろそろ参りましょうか」

 

 私がそう言いかけると、囚人が思いがけず陰気な声ですがるように言った。


「神父様、俺は無実です。信じてはいただけないとは思いますが、あの件に関しては断じて無実なのです」

 

 その言葉をきいて平静な私の表情に一瞬でかげりが生じていたかもしれない。


「それはもう調べのついている事なのですよ。それより神の御心に従い神の国に召されるのです。あなたは救われるのですよ」


 私はさとすように言ったが囚人は話すのを止めなかった。


「俺という人間は確かに愚かな泥棒です。そして人殺しまでしでかしました。ですが神父様、話をお聞き願いたいのです。ある件については俺は無実なのです。もう一年も前、俺は立派な屋敷に忍び込みました。勿論金目の物を盗むためです。その時に、宝石類と一緒に一丁の銃を盗んでいたのです。後で分かった事なのですが、その銃が妻殺しの殺人事件に使えわれた銃だったのです。それで俺が殺人犯にされたのでございます。ですが、あの妻殺しは俺がやったんじゃない。なぜ、なぜそれをもっとよくお調べにならないのです? もう一度お願いですから調べ直してください……」

 

 私の表情が更にかげり、話を遮るように高い声を出した。


「もうやめなさい」


「神父様。俺は死にたくないんです」


「可哀想な人だ。私はあなたの為に祈ります」


「祈りなんて要りません。俺は無実の罪で死にたくはありません」


 囚人は悲痛な表情だ。


「ええ。わかっていますよ。そうでしょうとも。無実でしょうとも」

 

 私は急に神妙な声を出していた。

 

 犯人が驚いた表情になった。くたびれた表情に光が射したようだった。


「無実でしょうともって。俺の無実を信じていただけるのですか?」

 

 囚人は私と目を合わせようとしたが私は視線を外した。そしてれ以上一言も発する事が出来なかった。


「神父様。俺の無実をご存知なのですか、お願いです神父様。なんとかおっしゃってください」


 やつれた囚人の顔は蒼白く悲しそうだった。囚人の手が一瞬、私の肩を掴んだがすぐに守衛に振りほどかれた。

 

 絞首台に向かう途中、私の目には大粒の涙が溢れていた。その涙は深い慈悲の涙として守衛の目に映った事だろう。


 薄暗い通路を歩きながら、私は心の中でこの言葉を何度も繰り返した。


『神よ、許したまえ… ああ、神よ、お許しください。神よ。懺悔ざんげします。神よ。罪深き私をどうぞお許しください』


 私はその銃の持ち主が、たった一人の自分の息子だと知っていた。哀れな息子は泣きながらその事を私に告白したのだ。


 だが、私にはどうしてもそれを言う事が出来なかった。私はめまいに襲われて僅かによろめいたが、すぐに守衛が神父の腕を取った。

 

 予定通り死刑は執行された。


 ――それは雪が尚一層強く降り出した早朝の事だった。






              了


                                         


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処刑 松長良樹 @yoshiki2020

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