図書室での3秒間。
いがらし
3秒目が合ったら、両想い?
漫画や小説の中のヒロインはみんな、好きな人に話しかける勇気を持っている。
恋というものはきっと、相手と知り合わなければはじまらないのだ。一方的に気になっているだけでは、スタートラインにさえ立てていない。
放課後のホームルームが終わると、わたし・鈴木志保は友達と挨拶を交わして小走りで図書室に向かう。わたしが通っている高校の図書室は3階の廊下の突き当たりにあり、ドアを開けると右手にカウンター、その奥に4人がけの学習机が並んでいる。一番窓側の右端、小さく「20」と書かれたシールが貼ってあるその場所がお気に入りで、そこに座って勉強するのがここ最近の日課になっていた。
部活には入っていないし、アルバイトもしていない。ならばせめて勉強ぐらいしておかなくちゃ、そんな理由で通い始めた図書室だったけれど……最近は密かに別の目的ができてしまった。
(今日は、こないのかな)
季節は夏の終わり。数ヶ月後に受験を控えた3年生たちがちらほらと図書室に入ってくる。友達同士で笑いながらやってくる人たちも、学習机に座った途端真剣な顔になるのだ。それが、受験生。
……そんな3年生たちの中に、一人だけ「らしくない」人物がいた。
だって、髪の毛は明るいし、制服だって着崩している。耳にはピアスが光っていて、何も入っていないようなぺしゃんこのカバンを持っていた。どこか気だるげな雰囲気を醸し出している「彼」は、失礼だけど図書室で勉強するようなイメージがない。室内履きのサンダルの色で3年生だとわかって、驚いたぐらいに。
だけどその彼は、ほとんど毎日図書室にやってきて、わたしと同じようにいつも同じ席に座って勉強している。
カウンターに近い学習机、席の番号は「1」。こことは対角線上にある、一番遠い席。だけど、一番「見ていてもバレない」席。わたしはいつも、一生懸命机に向かう彼のことをチラチラと見ていた。
名前もクラスも知らないその人のことを、なぜこんなにも気になってしまうのか。勉強なんてしなさそうなのに、というギャップ? 明るい髪の毛が、陽の光に反射して綺麗だから?
……ううん、わたしは自分で、この気持ちの名前を知っている。人間の心には「一目惚れ」という現象があって、彼のことを目で追ってしまうのはそれに近い感情だと。
だけど恋と名付けるには、あまりにも相手のことを知らなすぎる。まだ、何もはじまっていない。相手を一方的に気にかけるなんて、アイドルに憧れるのと同じだ。
ノートと問題集を広げて、数学の問題を解いて。
一問終えるごとに顔を上げると、その度に勉強机の席が埋まっていく。「1」の席にもすでに他の女子生徒が座っていた。
今日は彼はこない日なんだ。
もともと毎回顔を合わせるわけじゃないから期待するのがおかしいのだけれど、それでも残念だと思ってしまう。
次に顔を上げたときには、目の前の席にも人が座っていた。だいぶ混んできたから今日は早めに帰ろう。最後の一問、と気合を入れてクルッと回したペンは、指から滑り落ちて軽い音を立てた。
「あ……」
学習机の上をコロコロと転がったペンは、前の人が広げていた参考書にぶつかって止まる。
男の人の骨ばった指が、わたしのペンに触れた。
「はい」
聞こえるか聞こえないかぐらいの声でそう言って差し出されたペンを受け取る。
ありがとうございます、とお礼を言ったつもりだけれど聞こえただろうか。とっさのことに、ずいぶんと掠れた声が出てしまった。
すると、その人の口元が少し緩んだように見えて。
思わず顔に目がいってしまって、……ぱっちりと目があった。
黒縁の眼鏡をかけている。そのレンズの奥の瞳。
「「……」」
何を言いたいわけでもないのに、変な間のようなものができる。その人も何か言いたげな表情に見えたけど、ふいっと顔を下げて自分の持っていたペンを動かし始めた。
なんだろう、どこかで会っているような感じ。
髪が黒くて、真面目そうな太い縁の眼鏡をかけていて、……だけどもその奥の瞳は切れ長で、鼻の形もすっとしていて。
つまり、こんなかっこいい人、クラスにはいないはず。
大人っぽいから先輩だろうか。そこまで考えたところで、思わぬ形で答えがわかった。
『いつも図書室にきてるよね?』
すっとこちらに寄せられたノートの端には、少し雑な字でそう書かれていて。
(!?)
……そこでようやく目の前の人が、わたしが気になっていた「あの彼」だと気づいた。
(え、どうして? 見た目が全然違う。それにわたしのこと知ってる……?)
いろいろな感情が頭の中を飛び交ったけれど、どれも「?」がついていた。
だって、いつも1番の席に座っている憧れの先輩は、茶髪で、いくつかピアスをつけていて、眼鏡なんてかけていなくて。
雰囲気からしてまるで違うし、第一、こんなに近づいたことだってない。
しかも、どうやらこっちの存在を認識されていたらしい。
軽くパニックになったわたしは、震える字で『はい』と書くのが精一杯だった。
『いつもここに座ってる』
『そうです』
『1年生?』
「はい。あの、』
今まで会話さえしたことのない相手との、まさかの筆談。
字が汚いと思われていないだろうか。そもそも、どうしてわたしに話しかけてくるのか。
聞きたいことはたくさんあったけれど。
『今日は、ふんいきがちがいますね。』
"雰囲気"という漢字が思い出せなくてひらがなで書いたら、不恰好な文章になってしまった気がする。せめて"違う"くらい漢字で書けばよかった。
すると先輩は少し考えて、さらさらとシャープペンを走らせる。
『俺のこと、知ってたんだ』
「‼︎」
ここは図書室なのに、声が漏れそうになった。
こんなの、今まであなたのことを見ていたと自分でバラしたようなものだ。
そうですとも違いますとも書けなくて固まっていると、先輩は続けて何か書き始めた。
『3年なんだからさすがにちゃんとしろって担任に怒られた』
『ヘン?』
ちらっと顔を上げた彼は、苦笑いをしている。
ふわふわした気持ちがふくらんで、これは夢なんじゃないかと思った。
『ヘンじゃ、ないです』
『目、悪いんですか?』
『うん、いつもはコンタクト』
『少しは頭良さそうに見える?笑』
笑、なんて書いたくせに実際は照れくさそうな顔をしていた。
お互いのノートの上の方が埋まっていく。
すると彼は、新しいルーズリーフを1枚取り出して机の上に置いた。
『いつもなんの勉強してるの?』
そう書かれたルーズリーフがわたしのほうへ。
返事を書いて返せってことかな。この1枚が埋まるほど、会話が続くだろうか。
『数学です、苦手なので。先輩は受験勉強ですか?』
ゆっくり、なるべく目立たない動作で紙を返すと、すぐに返事が返ってくる。
『そう。俺は現国が苦手』
『数学なら少し、教えられるかも』
『本当ですか? わからない問題があるんですけど、』
『見せてもらってもいい?』
自分の問題集のわからない箇所に付箋をつけて渡す。
先輩は少し考えた後、ルーズリーフの空いていたところにさらさらと何か書き始めた。
数学が得意なんだ。言われてみると理系っぽいかもしれない。
頭良さそうに見える? なんて聞かれた眼鏡も、その通りに彼を知的に見せている。
……問題を解く顔に、見とれていた。
顔を上げた彼は、おそらく蕩けたような顔をしているわたしを見てどう思っただろう。
1、2。
3秒目を待てずに、わたしから目をそらした。
(とっくに、彼に惹かれていたのに)
ただ見ているだけで何もはじまってなかったし、見ていられるだけでいいとさえ思っていた。
だけど今、思いがけず近づいてしまった。
彼の真意はわからないけれど、わたしと交流することを選んで、こうして筆談をしている。
ここから、あなたのことを知ることができるだろうか。
そうしたらわたしの中で確実に、はじまってしまうー……。
「できた」
今度は限りなく小さい、本物の声。
問題集とルーズリーフを渡されて、ハッと我に帰る。
そこには問題の解き方が丁寧に記されていた。
まるで先生の書く黒板のような解説入りの文章に、感心しながらも嬉しくなる。だって、わたしのためにここまで。やっぱりこれは夢かドッキリなんじゃないのかと考えて、視線をさらに下に落とすと。
『3秒目が合うとお互いに好意を持ってるっていうけど、信じる?』
(え……)
なんの脈略もない言葉。
顔を上げると、先輩は頬杖をついて少しだけ笑っていた。
『問題、ありがとうございます。参考にします。
それと、3秒目が合うと、というのはロマンチックですよね。本当かも?』
わたしが書いた当たり障りのない言葉に、すぐに返ってくる返事。
『だとしたら俺は、気になる子とは両想いじゃないらしい』
……先輩、気になっている人がいるんだ。
どうしてそれをわたしに言うんだろう。ひょっとしたら、わたしの好意に気づいてて、牽制しようとしている?
何も書けなくなったわたしの手元からひょいとルーズリーフを奪って、真ん中に置く。そのまま、先輩は次の言葉を書き出した。
『毎回、俺が見ると下を向くし』
『じれったくて正面に来てみたけど、それでも3秒たたずにそらされる』
……。
「えっ……」
散々我慢していたはずの、声が漏れた。
それも中々大きかったみたいで、他の利用者の視線が集まる。恥ずかしくて顔を隠すように俯いた。
……震える手で、ペンを持つ。
漢字とひらがな、綺麗な字なんて意識することもできず、ミミズが這ったような字で言葉を綴った。
『今まで、こっちを向いてくれたことなんて、ないはずです』
『それは、君が視線をそらすから』
わたしが先輩を見ていないときに、先輩はわたしのことを見てくれていた?
……恐る恐る、顔を上げる。
先輩は頬杖をついたまま、こっちをじっと見ていた。
1、2。
3秒が過ぎたところで彼は微笑む。
広い図書室に、まるでわたしたち2人きりのような感覚。
今まで遠くから眺めているだけだった彼が、目の前でわたしを見つめてる。
この後どんな展開になるのか、少しも予想できない。
もし、これが先輩がくれたチャンスだとしたら。逃さないように、伝えなくちゃ……。
『先輩のこと、見てました』
勇気を出して端っこに小さく書いたその字を読んで、先輩は目を見開いた。
そしてしばらくの間のあと、彼の気持ちが綴られていく。
『見られてるなって思ったら、俺も気になるようになっちゃってたんだ』
先輩がそう書いたところで、ルーズリーフがいっぱいになった。
こっちを見ないまま「出よっか」と呟いて、参考書やペンケースを片付け始める。
……もしかしたら一生、はじまることなんてないと思っていた。
それがとっくに、お互いの中で芽吹き始めていたなんて。
先輩の後ろをついて図書室を出る。足もとはやっぱり夢のようにふわふわしていた。
扉を閉めて、目が合うとどちらからともなく笑う。
「……俺は3年5組の長瀬悠人。君は?」
「1年3組の、鈴木志保です」
ようやく知れた名前、はっきりと聞けた声。
淡い想いは恋心になって、これからあなたを知る度に膨らんでいくんだ。
(END)
図書室での3秒間。 いがらし @m_3104
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