第3話 真実

 綺麗な星が瞬く夜空の下。自動販売機の稼働音と微かな風の音を背景に、雄和ゆうわはこれまでのことを順に十真とうまに打ち明けた。

 友達に漫画を借りたことから始まった一連の出来事を下手くそながらもぽつぽつと話す。

 また嘘つきと言われる可能性に怯え心臓がきゅっとなる感覚を抱きながら、ゆっくりと話す。十真は、雄和が話終えるまで真剣に話を聞いていた。

 無意識に目元からぼろぼろと涙が溢れ、嗚咽混じりの言葉が零れてた。かなりの時間を掛けた雄和は、涙を拭って話を終え、長く息を吐く。寒さや涙のせいで鼻水がたれ、それを十真が持っていたティッシュを使い、拭った。ついでに鼻もかんで、少し落ち着いた気持ちで呟く。


「……最近は、そんなかんじ、だったんだ。……嘘じゃないよ」


 十真は真面目に話を聞いてくれたが、信じてくれたかはまだ分からない。念を押すように付け加えると、十真は悲痛げに眉根を寄せた後、再び真剣な顔つきで口を開く。


「雄和くん。叔父さんに話してくれてありがとう。ほんとに、本当に、よく、決心してくれた」


 その反応は予想外だった。殆どの人に信じて貰えなかった妙な出来事を話したのに、何故お礼を言われているのだろう。何故そんなにも悲しみを湛えた顔をしているのか、雄和にはよく分からなかった。


「……嘘って、思わないの?」

「思うわけない。君はこんな嘘をつく子じゃないと思う。……全部、本当なんだよね、漫画を捨てられたことも、クラスメイトとおしゃべりできてないのも」

「……うん」

「だったら叔父さんは信じるよ。ほんとに、今までがんばったね」


 優しげな声が雄和の心を穏やかにして、大きな手が雄和の背を軽く摩った。その行為にまた涙が零れそうになって慌てて目元を袖口で拭う。


「目元、擦りすぎないほうがいいよ」

「……うん」


 それだけの軽い注意も、とてもとても優しいものに聞こえ、落ち着いた話し方や気遣うような言い方が胸に響いた。それまで嘘つき呼ばわりされ暴言を吐かれていた雄和にとって、真面目に話を聞いてくれるだけでなくこの話を信じてくれる十真の存在はありがたく、何度泣きやもうとしてもぼろぼろと涙が溢れて止まらなかった。

 それから数分、雄和がようやく泣き止んだ。十真は複雑な面持ちで雄和の頭をわしわしと撫で、ふぅ、と短く息を吐く。


「辛かったなぁ、雄和くん。よく頑張ったなぁ」

「……そんなこと、ない……」

「そんなことないって言わないでよ。ほんと、雄和くんは頑張った。叔父さんだったら無理だ。ほんとよく耐えたね、偉いよ」


 口元を緩めた十真は、再び雄和の頭を撫でる。普段なら手を挙げられた時点で怯えてしまうのだが、十真に対する信頼のせいか、相手が怒っていないと分かっているからか、頭に手を添えられても恐怖心がない。不思議な気持ちが胸にあった。

 言葉に表しづらい気持ちを胸にベンチに座っていると、十真から温かいお茶を受け取った。沢山泣いたから少しでも水分を補給したらどうだということらしい。十真も同じお茶を手にしており、彼が一口飲んだのを確認してから雄和も口をつけた。

 多少お茶を飲んた十真は一息ついてから呆れたように口を開く。


「しっかし、姉ちゃんは相変わらず何やってんだか。友達のだって主張してたんだろ? それなのに嘘と決めつけて捨てちまうとは……」

「……でも、借りた僕が悪いんだし……」

「いや、ハッキリ言う。この件は姉ちゃんが悪い。雄和くんは一切悪くない」


 悲しげに呟いた雄和の言葉を十真はバッサリと切り捨てる。この件に関しては、姉ちゃん――つまり双葉が悪いと言い切った。僅かに動揺する雄和に十真は言葉を続ける。


「確かに姉ちゃんは昔から漫画が嫌いだ。叔父さんも小学生くらいの時、勝手に姉ちゃんに漫画捨てられてめちゃくちゃ怒ったよ」

「叔父さんも……?」

「そうそう。大事にしてた漫画を捨てられてさぁ。他にもロボットのプラモデルもさぁ――」


 物憂げな面持ちで頷いた十真は、どこか遠い目をしながら幼少期の話を口にする。意外な形で耳にする双葉の昔話は新鮮ではあるが、昔からそんな風に他人の物を捨てていたのかと目を丸くする。何故漫画等をそこまで嫌うのかは分からないが、その事で双葉と何度も喧嘩をしたという。

 そして、コレクションしていた漫画の話をし始めたところで十真はようやく我に返る。


「――っと、ごめんね、叔父さんの話ばっかりしちゃって。僕の話はどうでもいいんだよ、ほんとごめんね」

「……ううん、大丈夫。…………お母さんは、前から、そんなかんじだったんだね」

「そう。だから相変わらずでびっくりしたんだけど……とにかく、君は悪くないからね」

「……どうして、そう、思うの」

 

 本来の話に戻した十真に、雄和はぽつりと訊ねる。その問いに彼は少しだけ首を傾けて悩む様子を見せたあと、話を続ける。


「……君は、自分が悪いことをしたと思ってるんだろうけど、そもそも、漫画を読むことは悪いことじゃないよ」

「……うん、そうだと、思う。読みすぎて目が悪くなったら、ダメだと思うけど」

「目は良いに越したことはないからね。……ってことは、お母さんの言うことを聞いてないのが嫌なのかな。でも、お母さんが言ってることはわりとめちゃくちゃだし、やったことはとても酷いことだから。あと、その……なんだ。そのせいで雄和くんが学校で辛い思いしてるんだから、お母さんにも責任はあるよね」

「……そうなのかな」

「そうだよ。少なくとも、雄和くんが一人で我慢して耐えなければいけないことではないと思うんだ。だから、どんな理由であれ、叔父さんに話してくれてありがとう」


 何度目かのお礼に、雄和は穏やかな心持ちで小さく頷いた。買ってもらったお茶は手や体を温め、十真の態度が少し胸の内をあたたかくする。やはり十真は信頼してもいい人だと感じた。


「叔父さん、ありがと。叔父さんに信じてもらって、よかった」

「うん、どういたしまして。少しでも楽になったならよかったよ。……それで、今後のことなんだけど」

「今後?」


 十真が発した言葉に、思わず首を傾げた。雄和は十真が自分の話を信じてくれただけで満足しており、これ以上なにかをし求めるつもりは無い。それなのに『今後』なんて言われては、困惑してしまうと言うもの。

 そんな雄和の戸惑いを察した上で、十真は提案する。


「……僕は、君がまた普通に学校に通えるようになってほしいと思う。クラスの子達にも、雄和くんは嘘つきじゃないと分かってほしいし、また普通にお喋りしたり遊んだりしてほしい。叔父さんは、そのためのお手伝いをしたいなって思うんだけど、どうかな」

「……ほんとに?」


 十真の提案に雄和は思わず目を丸くし、ぽかんと呆けたように口をあけた。話をまともに聞いてくれただけでもとても有難いのに、それで終わりではないなんて。これ以上頼っていいのかという不安はあるが、十真の方から言い出した事なのだ。信じてみようと決心する。


「……叔父さんが、嫌じゃないなら……」

「叔父さんから言い出してるんだから大丈夫だよ。なら叔父さん頑張らないとね」


 安心させるためか柔らかい表情を浮かべて言い切った十真の様子から、本当に彼を信じていいのだろうと思う。十真と話すのは安心感があるし、彼は真面目に話を聞いてくれる。両親と話すのは大違いだと考えながら、その後も十真の言葉に耳を傾ける。

 十真はその後確認の為に雄和にいくつか質問を投げた。

 問題の解決のためには両親や学校の先生に話をする必要が出てくるだろう。そのため双葉にも学校での状況を知られることになる。また、自分はにも仕事などの都合があるため解決のために時間がかかるかもしれない。だから申し訳ないけどそういった点を理解してほしい――そういう話だった。

 双葉に知られることは少し怖いが恐らくいつかはバレることだろう。それに味方が誰もいない状態ならともかく、十真は確実な味方であると分かっているなら、また心持ちが違う。大丈夫だと頷いた。

 十真は安堵したように溜息をついて、よかった、ごめんな、と小さな声で呟いた。


「じゃあ明日、ちょっと姉ちゃんに話してみるけど、いい?」

「うん」

「分かった。ありがとね。雄和くんがこれ以上傷つかないよう、叔父さんがんばるから」

「……ありがと。でも、その、お母さん怖いよ? 大丈夫?」

「大丈夫だよ、叔父さんは大人だから! それに、雄和くんが今まですごく頑張ったんだから、叔父さんがビビってる訳にはいかないよ」


 任せて、というように己の胸を軽く叩いた十真に微笑んだ雄和は、少し寒くなってきたために彼と共に本邸に戻り、少し静かな気持ちで眠りにつくことが出来た。




 翌日の昼過ぎ、雄和が離れの小屋の掃除をしていた頃、十真は居間にて双葉との話し合いに臨んだ。忙しいだの用事があるだの言ってまともに話ができない双葉を捕まえるのは苦戦したが、なんとかこれまでの経緯を伝える。

 その上で『あんたのせいで雄和君は大変な思いをしている』と伝えた際の双葉は衝撃を受けていたが、所詮はそこまでだった。


「それで? あの漫画が本当にクラスメイトのものだったからってなによ。元々は持ってきた雄和が悪いんでしょ」

「……雄和くんが悪いとしても、せめてあんたが漫画を破らなけりゃ良かったんじゃねぇのか。そしたらこのまでのことにはなってねぇよ。……あんたが漫画嫌いなのは仕方ないが、せめて子供が持ってるものを勝手に捨てるのはやめた方がいい。漫画ばっかり読んでたら悪影響がでるなんて思ってるのかもしれんが、親でもやっていいことと悪いことはある」

「うるさい。親になったこともないあんたに言われたくないんだけど」

「……確かに僕は独り身だけど、そこは今は関係ないだろ」


 平行線の、話し合いと言っていいのかわからない話し合いは続き、結局、十真は双葉との話し合いを諦めた。雄和が苦しんでいるのに己を省みる様子も雄和を心配する様子もない。自分が同じ状況だったら? と例えに出してみたが、そもそも双葉は雄和と性格が違いすぎるうえ、自分はそんなミスはしないだの、自分ならこうすると対応策を出されてしまい、あまり上手くいかなかった。

――これで子供たちのことは好きだそうだからよくわかんねぇな。

 また、漫画を捨てたことを無理に謝罪させるのはやめておいた。上辺だけの謝罪は意味が無いし、それに、下手に謝らせたら雄和は許すしか選択肢が無さそうだったから。

 その後、味方を増やせればと考えた十真は海陽にも今回の話をしたが、彼の反応は双葉より酷いものだった。

 子供が苦しんでいても特に気にする様子はなく、双葉の肩を持つような発言を重ね、それに加えこうなることを知っていたような物言いに無性に腹が立った。

 思わず海陽の顔面に一発入れようと拳を振り上げたが、それは容易く阻止される。


「下手に揉め事起こさない方がいいよ。お義父さん、とっても怖いんですよね?」

「今更親父殿にビビってられるかよ。確かに怒ったら面倒だが、僕はそれよりもなによりも、義兄さん、あんたに失望してるよ。子供が辛い思いしてんのに、全く味方になってくれないなんてな」

「そんな事言われてもなぁ」


 何を言っても海陽は特にダメージを受けていないようで、逆に雄和に悪いことをしたのではと罪悪感が増した。

 十真にとって、海陽は嘗て憧れた相手だったのだが、その感情が一気に無くなる感覚がした。



 その後、十真の行動により雄和になにか被害がないかと不安になったが、両親からはなにも言われていないという。本邸滞在時期にこっそり渡した返却用の漫画も未だバレていないそうだ。その言葉が本当なのかそれとも心配させないための嘘かそこが気になったが、あからさまな消耗や身体的負傷などといった目に見えた変化は特に見受けられない。気にかけつつも根掘り葉掘り聞くのはやめておくことにした。

 次に、十真は学校に連絡を取ろうと考えた。だが、今の期間は学校が機能を停止するほぼ唯一の期間であるため、すぐの行動はできない。なにも出来ない事に対し少し歯痒い思いを抱きながら、十真は年明けを待つことにした。



 年明けから数日後。漸く学校と連絡が取れるようになり、十真は学校に電話をかける。雄和から聞いた彼のクラス等を添えて正直に身分を明かし事情を説明すると、電話は担任に繋がる。担任は年配の男性のようだった。

 忙しい時に電話をして申し訳ないという気持ちをきちんと添えて雄和の状況を伝えるが、しかし、まともに話を聞いてくれそうにない。どうやら、担任すら雄和の話をあまり信じていないようだった。

『面談で話した時のお母様はそんなことをするような人に見えなかった』――そう言うが、人は見た目で分からないもの。それに、多忙な双葉は今まで面談に行っておらず、海陽もしくはその姉の美郷が行っているはずだ。おそらく勘違いだろう。

 それに、母親がどうあれ雄和が辛い思いをしているのは事実のはず。それなのに放置するのだろうか。

 そういった不満を柔らかく言葉にし、冷静に問うたが、担任の返答は芳しくなかった。


『なんであれ、借りたものは返すように貴方からも言ってください。父親ならそれくらいきちんと言っていただかないと』

「私は叔父ですが。父親じゃありません」

『あぁ、それは失礼しました』


 悪いと思っているのかいないのかよく分からない声が響く。担任すらもこんな対応なのかと十真は愕然としたが、諦めはしなかった。任せろと、大丈夫だと言った以上なんとか改善したかったし、なにより、自分を信じてくれているであろう雄和の期待を裏切りたくはなかった。

 その思いで学校と話を続けていると、対応する相手が他の教師や校長と言った者に変わった。その度に説明するのは手間がかかったが、やがて雄和が主張していたことを信じる教師も現れた。一月の半ばには、担任教師も漸く認識を改めたらしく、当事者であった雄和に対する謝罪もあったという。その事は雄和からの電話で知った。

 二月頭のある夜、雄和からの電話を受け取った十真は、彼の報告に胸を撫で下ろした。


『ちゃんと、先生が教室で僕のこと話してくれたんだ。僕が嘘ついてたわけじゃないよっていうより、なんか、この前本返したんだから許してあげなさいって、感じだったけど……』

「それは……どうなんだ? いいのか?」


 十真が訴えていたことからズレているような話に思わず呆れたような反応をしてしまうが、電話越しの雄和の声は非常に穏やかだった。


『いいんだ。叔父さんのおかげで、本も返せたし、先生にもちゃんと信じてもらえた。中尾とか浜野とはまだ全然話せないけど、少しずつ話せる子も増えたんだ。ほんと、ほんとに、ありがとう……叔父さん……ありがと……』


 耳に届く雄和の声が少し変化していく。涙混じりの声が聞こえて、何度も礼を口にした彼は、次第に大泣きしそうになっていく。

 十真としては、そこまで感謝されるほどのことをした覚えはない。感謝されるのは悪い気はしないが、頼られた大人として当然のことをした――そんな心境である。


「……本当は、もっと早く解決したかったんだ。それなのに、時間かかってごめんな」

『そんなこと気にしないで。というより、叔父さんに頼れなかったら、僕、今でもクラスで一人だったよ。……だから、ほんと、ありがと』

「そっか。雄和くんのためになったならよかったよ、本当に」

『えへへ……』


 嬉しそうに笑った雄和の声色に安心し、また何かあったら頼ってほしいと伝えて十真は会話を終えた。

 完全に解決したのかは分からない。とはいえ、クラスの子達と話せるようになりつつあるならよかったのだろう。少しでも雄和の学校生活を取り戻せる助けができたなら本当によかった。

 反対に、雄和の両親――つまり、自分の実姉や義兄に対する不信感は随分と募ってしまったが。


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