第2話 教室

 ひとしきり和室で泣いた雄和は、畳の上に散らばった漫画を集めて部屋に戻る。バラバラになったページを合わせてテープで張り合わせようとしてみたが、結局うまくいかなかった。

 自分の主張を信じてもらえず、修繕がうまくいかなかっただけでも胸が張り裂けそうな思いなのに、そのあと長兄のあさひからの呼び出しが追い打ちをかける。

 なんと、今回のことに全く関係のない旭が双葉に叱責されたというのだ。

 旭曰く、今まで雄和が怒られたときも双葉に説教を受けていたという。「あんたがしっかりしないから」「買わないように言い聞かせないから」等々八つ当たりのように言われていたという。

 それでも、旭はこれを本人に言うのは酷かと考えたために、軽い注意だけで済ましていたが、我慢の限界が来てしまったのかもしれない。


「お母さんに怒られたばかりでこんなこというの悪いなって思うけどさぁ、あんたのせいで僕まで怒られるんだよね。だからさ、ほんと、僕のためにももうちょっと行動考えてほしいというか……」


 不機嫌さを隠さない声色で、雄和を見下ろす旭はがしがしと茶髪を掻く。中学一年生とは思えぬほどの非常に大柄な体格の長兄に威圧的な態度を取られ少し怯えてしまうが、ここで歯向かうなんて愚かな選択はしない。ただじっと耐えるように旭の言葉に耳を傾ける。

 旭の言葉に相槌と謝罪を何度かして、解放された雄和は、憔悴し部屋に戻り、破れた本をまた見つめる。これはもうどうにもできないなら、新しいものを購入するしかないだろう。しかし自分の小遣いで買おうものならまた双葉に怒られてしまうだろう。他の兄弟に頼んでも同じ結果になることは目に見えている。ならば、父親に頼んで買ってもらうと良いかもしれない。

 ただひとつ心配なのは、父親は穏やかではあるが双葉にかなり忠実なところがあるため、双葉が駄目だと言う以上、雄和の頼みは聞いてくれないかもしれない。それでも、頼む前から捨て鉢になってはいけないとダメ元で聞いてみることにした。

 目元の涙の痕を拭いティッシュで鼻をかみ、続けて、何度か深呼吸をして心を落ち着かせた雄和はおもむろにリビングへと向かう。

 リビングでは、父親である海陽かいようが固いソファに腰掛け雑誌を読んでいた。淡い褐色肌と茶色がかった髪は、雄和のルーツといえるだろう。近くに置いてあるローテーブルには、湯気を立てるマグカップがある。


「あ、あの、お父さん」

「ん? どうした雄和。なんかあった?」


 顔を腫らした息子を見ても特に取り乱す様子はない。海陽はずっとリビングで家事をしていたはずだから、和室でのやり取りは耳に入っているだろう。それなのになにも触れないのは、わざとかそれとも素の態度か。

 少し不安になりながら、雄和は恐る恐る言葉を発する。


「あの、ね。さっき、お母さんに、漫画破られちゃったんだけど……」

「みたいだね。ダメじゃないか、双葉さんにダメって言われてることやったら」

「……うん。はい。……それで、お願いが、あるんだけど」

「何?」


 困ったように目を細めた海陽の反応に、このまま話をしていいのかという不安が増す。だが、話を聞く気はあるらしいので、緊張から喉が渇いていくのを感じながら口を開く。


「あれ、友達から借りたもの、なんだよね。……でも、ビリビリになったから、返せなくて……」

「うん」

「でも、返さなきゃ、いけないから……それで、その、自分のおこづかいで買おうかなって思ったんだけど、自分で買ったら、多分、また、お母さんに怒られそうで……」

「そりゃそうだ」

「…………えっと、だから、その、……お、お父さん、かわりに、買ってくれないかなって……」


 目を泳がせながら途切れ途切れに発した言葉に、海陽は一瞬とても冷たい視線を雄和に向けた。その視線から、双葉の時とは異なる異様な恐怖を感じ、思わずびくりと肩を跳ねさせ、反射的に半歩後ろに下がった。

 やっぱり駄目だ、謝ろうと判断し声を上げかけた雄和の言葉を、海陽が遮る。


「やっぱり友達のものだったんだね。雄和にしては変な嘘つくなと思ってたんだよ」

「あ、お父さんは、信じてくれるんだ……?」

「そりゃ、まぁ。雄和そこまで馬鹿じゃないでしょ。……でも漫画の代金はあげられないかな」

「な、なんで?」


 雄和の話を信じてくれたことに対する安堵を抱いたのもつかの間、頼みを拒絶されたことに衝撃を受ける。掠れた声で理由を問うと、海陽は淡々と答える。

 曰く、双葉が漫画嫌いだと知っているにも関わらず、バレなければいいという浅はかな考えからおかしなことをしたのは雄和だと。

 呆然とする雄和に海陽は更にこんなことを言う。


「それに、僕にお金もらって漫画買ったら、また怒られるよ? 僕が怒られるのはいいんだけど……雄和怒られたくないでしょ。それにまた、旭も八つ当たりされたら嫌じゃない?」

「……えっと、それは……そう、だけど」


 確かにまた漫画を買い、それが見つかってしまえば再度怒られてしまうし、旭まで八つ当たりされては敵わない。

――もしかして、 これ、どうしようもない?

 頼みの綱とも言えた海陽の協力が得られない以上、破れていない綺麗な漫画を返すことはできない。焦燥に駆られるが、もう雄和には手の打ちようがないということなのだろうか。

 海陽に詫びを入れた雄和は、絶望に打ちひしがれながら一人で風呂に入って、明日の準備をして、布団に入った。寝付けるまで、雄和は破られた漫画のことやどうするかをずっと考えていた。



 翌朝、憂鬱な気分で目を覚ました雄和は、暗い顔で登校する。

 結局漫画はどうにも出来なかった。朝起きてから双葉に漫画の代金をくれないかと頼んでみたが、そんなことはできないと突き放されただけであった。

 元の持ち主である中尾なかおに何と言って謝ろうかと考えているうちに教室にたどり着き、片隅で友達と談笑している中尾を見つけた。反射的に胸がドキリと鳴って、ランドセルの背負い紐を持つ手に力が入った。

 焦る気持ちを胸に自分の席にランドセルを下ろし引き出しに教科書をしまっていると、雄和に気づいた中尾が駆け寄ってきた。Tシャツの胸元には中尾亮太りょうたと書かれた名札がついている。


「おはよ、市河。昨日言ってた漫画って持ってきた?」

「あ、おはよ……。いや、まだなんだよね。ごめんな」

「まだなんだ? いや、別にいいよ。放課後でもいいし、明日でも明後日でもいいし」

「……うん」


 雄和の返答に溌剌はつらつと返した中尾は、談笑していた友人の元に戻る。

 それをただ黙って見送った。ちゃんと返すとも、漫画を返せなくなってしまったことも口に出来ぬまま時間が経過していき、放課後になった。

 重い気持ちのまま一日を終えた雄和は、帰り支度をしながら溜息を吐く。教室を出たところでは、クラスメイトが騒ぎながら歩いており、その中では中尾が友人と喋っていた。その光景を見て唐突に早いうちに謝罪しようと思いつく。

 中尾、と呼び止めると彼がこちらを見上げる。


「何? どしたの市河」

「あ、あの、さ。漫画のことなんだけど」

「うん」

「…………その、実は、返せないんだよね。漫画……」

「え、なんで?」

「それが、その、お母さんが間違えて捨てちゃって……」

「えっマジかよ!? なんだよそれふざけんなよ!」

「ごめん……」

「あ、もしかして、市河くんが変な顔してたのは、そういうこと?」


 しどろもどろに言った雄和を見て中尾は驚きと怒りを顕にする。小さな手でべしべしと雄和を叩く中尾を見て、隣にいた眼鏡の男子、浜野はまのが静かに問いかけた。雄和は、暫しの沈黙の後それを肯定する。


「……そう。どうしても、言えなくて、ごめん」

「じゃあ俺の漫画はどうすんだよ!」

「中尾くん、ちょっと落ち着こ」

「俺が母ちゃんの手伝いしてこづかいもらって買ったんだぞ! どうしてくれんだよ!」


 中尾の怒りも尤もである。自分だって、逆の立場だったら怒り出すだろう。浜野が冷静になって対応しているが、中尾は怒りを隠すことなく声を荒らげ、地団駄を踏むように暴れる。その時、困ったように雄和と中尾を見ていた浜野が、あ、と何かを思いついたように声を上げた。


「あの、市河くん。お母さんが捨てちゃったのはもう、どうしようもないんだよね。……だったら、さ。新しいのを中尾くんに持ってくるとか、できないのかな」

「……それは……」

「そうだ! それだ! ベンショーしろベンショー!」


 浜野の当たり前の提案に、真っ赤になった中尾が便乗する。しかしそれはできない。できれば弁償したいのだが、双葉にも海陽にも拒絶されては雄和にやれることはない。苦々しい表情を浮かべながらその旨を伝えると、二人は信じられないとばかりに目を丸くした。中尾にいたってはぼろぼろと泣き出してしまい、彼を目にした雄和の胸はズキリと痛む。


「ふざけんなよぉ……おれのまんがかえせよぉ……」

「中尾くん……大丈夫? あの、市河くん、その話ホントなの?」

「ほんと、だよ。僕も返したいんだけど、だめって……」

「…………ほんとに、市河くんのお父さんとお母さんが、そんなこと言ったの?」

「……そう、なんだ、よね。友達のものって、言ったんだけど……」

「うそだろ、うそつくなよ、ふざけんなよ市河……」

「……っ、嘘じゃ、ないよ」


『嘘つくな』『ふざけんな』――そんな言葉を連呼しながら中尾は顔をくしゃくしゃにして大泣きし、動揺する浜野は疑いの目を雄和に向ける。

 雄和の話を信じて貰えないのも仕方ないのだろう。しかし、嘘つきと連呼され、疑いの視線を向けられる度に、自分の体に大きな刃物が突き刺さっていく様な感覚があった。



 次の日から、雄和の学校生活は大きく変わってしまった。まず、中尾が口をきいてくれなくなった。話しかけようとしても無視され、返答がきたと思ったら『漫画返せよ』『嘘つき』などと言われる始末。漫画を返したくても返せない雄和にとって、これを言われるのは厳しかった。

 浜野とは多少会話ができたが、明らかによそよそしくなった。

 自業自得、仕方ないことだと考えながらも、先日まで普通に話していた相手に素っ気ない態度を取られるのは辛かった。しかし悪いのは自分であるし、最初はその二人とまともに話せなくなっただけだったため、耐えることにした。

 だが、やがてその態度が男女問わず教室中に広がることになった。

 休み時間にドッヂボールなどに混ぜてくれる機会が減り、くだらない会話をしてくれる人が減り、いつの間にか孤立するようになった。元々クラスの中心人物でムードメーカーのようなポジションだった雄和が、あっという間に『いないもの』のような扱いを受けるようになった。

 幸いなことに、叩かれる、蹴られるといったことは無かったが、これは雄和が周りの子達より随分大柄だからだろう。同学年の平均身長より20センチ近く背が高く体格もいい雄和に力で勝負して勝てるわけがない――クラスメイトの男子たちはそう考えたのだろう。その代わり、暴言や物を隠されるといった被害が発生した。

 雄和にとって物を隠されるのはとても辛かった。物を失くしたことが親にバレてしまったらまた怒られてしまうかもしれない。靴をドロドロにして帰宅したら叱責を受けるかもしれない。だからこそどんな些細なものでも紛失した時は必死になって探した。どうしても見つからなくてそのまま帰宅して、親に怒られてしまうこともあったが、何故失くしたかは絶対に言わなかった。両親に対する期待なんてものはなかったからである。

 因みに、児童たちの様子に気づいた担任から大元のきっかけとなった中尾、浜野との仲直りを提案された。しかし事情を知った担任が雄和を責める物言いをしたため、もうなにも期待できなくなっていた。


 そんな状況が続けば続くほど、目に見えて異変が起きるようになった。朝起きるのが今まで以上に億劫だったり、学校に行くことが苦痛だったり、陸上クラブで測定した短距離走のタイムが遅くなっていたり――様々な面で悪影響が出るようになってしまった。

 自分の精神面の弱さに心底嘆き自分を責めたが、学校やクラブを休むことだけは絶対にしなかった。


 別のクラスに在籍する幼馴染の万場まんば百華ももかは、雄和の話を信じ味方になり励ましてくれた。休み時間に教室から連れ出してくれたり、一緒に帰ろうと誘ってくれた。


「雄和、学校休むのは、悪いことじゃないからね?」


 ある日の帰り道、百華は心配そうな面持ちで言う。その気遣いはとてもとても嬉しかったが、学校を休むという提案は受け入れられないものだった。


「……でも、休めないよ。お母さんにもお父さんにも、何言われるかわかんないし」

「そんな……」

「僕は大丈夫だから。それより、今度遊びに行っていい? この前の仮面ナイト、まだみてないし……」

「もちろんいいよ! うちには、いつでも来て! お父さんもお母さんも、絶対怒んないよ! というか今から来ていいよ! 一緒に仮面ナイトみよ!」


 余程雄和の事が心配なのだろう、泣きそうな顔で言い切った彼女は、力強く手を繋いで走り出した。



 やがて月日は経過し、教室での状況がほぼ変わらぬまま冬休みに突入した。

 クラスメイト達と会わなくていいこの期間は雄和にとっては楽だった。それに、宿題に陸上クラブの練習に大会、母の実家への帰省などやることは多くある。学校の事を考えている暇なんてなかった。

 とはいえ、一気に快調になる訳ではなかったし、短距離走のタイムは相変わらず変化はなかったが、それでも重苦しい空気感が減っているだけでも心が軽かった。


 年末に差し掛かった頃、雄和を含む家族八人は双葉の実家へと帰省していた。

 昔ながらの日本家屋が特徴の大きな屋敷と広い土地。この家は地元では名のある家であり、親族には社会的地位が高い人物も多い。そんな家の当主である祖父は、やたら差別的で厳しく、雄和はここに来るのはあまり好きではなかった。他の兄弟も準備や移動の際に物憂げな様子だったことから、ここに関しては兄弟で認識が一致しているかもしれない。一部の兄弟は祖父に可愛がられ優遇されているが、それ以外はまるで雑用のように扱われることを思えば、楽しくないのも当然だろう。

 因みに雄和は後者であるため、この家に来てすることといえば、食事の準備だったり掃除だったりするわけである。雄和は自らの頬を強く叩いて気合いを入れ直すと、祖母に言われての兄弟達と共に掃除に取り掛かった。


 慌ただしい一日を終えた雄和達は、明日に備えて離れの小屋にて布団に入る。時間は大体10時半ほど。普段ならとっくに眠っている時間帯ではあるが、雄和は中々寝付けずにいた。

 一日中働き体は疲弊している。共に雑用に駆り出されていた兄弟はすっかり眠りに落ちたらしく、規則的な寝息が聞こえる。

 明日も早いのだから寝なければ……そう考えて目を閉じるが、一向に眠気はやってこない。部屋が少し寒い事が原因かと上着を増やして布団に潜り込んだが、少し温かくなったこと以外変化はない。次第に時計の針の音が過剰なまでに気になるようになってしまい、雄和は気持ちを切り替えようと外に出た。


 小屋の古びたドアを開け、外に繋がる階段を慎重に降りる。外は冷え込んでおり、空気が澄んでいるのか星が綺麗に見えた。

 本邸の方から届く明かり以外ろくな光源もない中、無事降りきった雄和は、はぁ、と白い息を吐いて辺りを見回す。誰か大人に見つかったらどうしようという不安の中、様々な木や花が植えられた広い庭を歩いていると、小さな池の傍に大人の影を見つけた。

 一瞬怯えたが、癖毛の茶髪に眼鏡が特徴のその男性が雄和の叔父である十真とうまだと気づき少し気をゆるめ声をかける。


「…………十真叔父さん? なに、してるの?」

「おっと!? うわぁびっくりした、雄和くんか……いやぁ驚いた驚いた」


 十真と呼ばれた三十路あたりの和服姿の男性は、雄和の声に大仰に驚いたあと、苦い笑みを零し頭をかいた。

 それを見て、なんだか悪いことをしてしまったような気がした雄和は、眉を下げて小さな声で謝罪する。


「……ごめんなさい」

「え、いやいや、謝らなくていいんだよ。雄和くん何にも悪いことしてないし。叔父さんひとりで考えごとしてただけだからさ。……それより、雄和くんこそどうしたの。もうお兄ちゃん達と寝に行った筈だよね?」


 雄和の謝罪に慌てた十真は、話の途中で雄和の前にしゃがみこみ目線を合わせ優しい声で不思議そうに聞いた。目線を合わせてくれるというそれだけの行動に優しさを感じつつ眠れないという理由を素直に話すと、十真は小さく頷いて、ある提案をした。


「じゃあ雄和くん、叔父さんとお散歩しよう。叔父さんも暇してたんだよね」

「……でも、そんなことしたら怒られる……」

「お母さんに? 大丈夫、雄和くんが怒られないように叔父さんがなんとかするから。心配しないで、ね」


 任せろと言わんばかり胸を張る十真が頼もしく見えて、雄和は小さく頷いた。

 星が瞬く夜空の下、十真のあとについて田んぼ近くのあぜ道を歩く。十真の会話に小さく返事をしながら歩いていると彼は自販機近くで足を止めた。なにか飲む? と問われたが、雄和は静かに首を振った。


「そっかぁ。んじゃ叔父さんもやめとこ」

「叔父さん、なにか飲みたいなら飲んでいいよ」

「いやぁ、甥っ子を差し置いて僕だけコーヒー飲むとか嫌だよ」


 へらっと笑った十真は、近くのベンチに腰を下ろし、雄和にも座る様に促した。それに従い、大人しく横に座る。

 さっきまでいた本邸は少し遠くに見える。雄和としては結構歩いた気がしていたが、実際の距離はそんなこともないらしい。

 冬の夜だからか、流石の田舎でも静かだ。自販機が稼働する音と風の音くらいで、大した音はしない。静かだなぁと思いながら周りの景色を眺めていると、十真が静かに話を切り出した。


「なぁ、雄和くん。これは、僕の勝手な判断だから違うなら違うでいいんだけどさ」

「うん?」

「学校とかお家でなんかあった?」

「…………なにも、ないよ」


 なんでそんなことを思うんだろう、と真っ先に考えてて心臓が縮み上がる感覚がした。そして、返答の仕方を間違えたなと思った。ここは『なんで?』ととぼければいいのに、何も無いと言ってしまえば、遠回しに『何かあった』と言っているようなものでは無いだろうか?

 冷や汗をかく思いで返すと、十真はそっかあ、なんて軽く呟き言葉を続ける。


「いやぁ、雄和くん、普段より元気がなかったから、なんかあったのかなぁって思ったんだけど……叔父さんの気のせいかな」

「……そうだよ、僕、普通に元気だし」


 しどろもどろにそんなことを言いながら、彼の観察眼に内心驚く。十真なんて年に一、二回会うだけの相手なのに、それまでと比較して異変に気づくなんて、相手をよく見ていないとできないのではないか。それとも、普段の雄和が印象的すぎるのか。

 なんにしろ、今日一日本邸で過ごしてこんなことを言い出したのは十真だけであることから、やはり他人をよく見ているのではないだろうか。

 沈黙する雄和の傍らで十真は勝手に話を続ける。


「元気ならいいんだけど、もししんどいことあったら大人のこと頼っていいからね。僕でもいいし、僕以外に話せる人がいるならその人でもいいし。話したくないなら話さなくていいけど、雄和くんまだ小二でしょ? ひとりで何とかできること限られてると思うから、大人の人に頼るのは悪いことじゃないからね」


 その言葉を聞いて、ほんの少しだけ心が揺れ動く。こんな風に優しい言葉をかけてくれて、自分の異変に気づいてくれた人なら、本当に頼ってみてもいいのではないかと。

 でも、学校で起こっていることは自業自得のはずだ。無関係な人に話してもどうにもならないんじゃないか? いや、無関係だからこそいいのではないか? そんな考えが頭の中でぐるぐると渦巻いて、よく分からなくなって、つい雄和はそのまま口に出してしまった。


「あの、おじさん」

「何?」

「おじさんには、よくわかんない話かもしれないけど、その、きいてくれますか」


 半泣きのまま口にした雄和の言葉に、十真は静かに頷いた。

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