朝ごはんの話

葡萄の実

朝ごはんの話

 私は腹が減っていた。

 と言うのも、時刻は朝の6時。

 何か食べたいと思うのは自然の摂理だろう。

 それが旅行先ならなおさらだ。


 ここは迷宮と名高い関西の駅。

 私は中学時代の友人と弾丸で遊びに来ていた。

 時間を有効に使うため、そしてお金を節約するため、前日から夜行バスで移動していた。

 駅に着いたのは早朝だった。

 今日を目一杯楽しむためには、まず腹ごしらえが必要だろう。

 私の地元では、朝ごはんを喫茶店やカフェで食べるモーニングの習慣はほとんどない。

 せっかくの地元を離れた旅なのだ。

 前から気になっていたモーニングセットを食べてみたかった。

 前もって友人には食べたいとお願いしてある。

 友人は快く了承してくれて、駅の構内にあるカフェへと足を踏み入れた。


 慌ただしく人が行き交う駅の中にあって、ここだけは静かな別世界だった。

 関西の人は騒がしいというステレオタイプなイメージがあった。

 どこもかしこも賑やかなのかと思えば、そうでもなかったことに拍子抜けしていた。

「ねぇ、なに食べる?」

 席に座ってメニューを広げる友人がうきうきと聞いてくる。

 私の中では食べたいものはモーニングセットと決めていた。

「あたしは……」

 そこでメニューを見て驚いた。

 なんかいっぱい種類がある。

 テレビや雑誌の影響を受けて作られた私のイメージ。

 コーヒーに食パン、ゆで卵にウインナーやサラダ。

 それだけのものだと思っていれば、メニューにはとても細かく書かれているではないか。

 飲み物はコーヒー以外に紅茶やミルク。

 紅茶に至っては、茶葉まで選べるらしい。

 初めての感動を味わいたくて、調べることはせずに来てみれば、予想以上にモーニングの世界は奥が深かったらしい。

「どうしよう……?」

 組み合わせ次第では無限の可能性がある。

 その中で冒険するだけの勇気は私になかった。


「この一番上に書いてあるセットでどうかな……?」

「いいね!わたしもそれにしよっかな?」

 メニューを指し示してふうと息を吐く。

 友人はああでもない、こうでもないと組み合わせを考えているようだったが、正直気疲れしてしまった。

 まだ朝の6時を回ったところ。

 いま疲れていてどうする、と己を励まして友人に向き直る。

「じゃあ……わたしも同じセットで、紅茶はイングリッシュブレックファーストのレモンティーにする!」

 その茶葉の名前は私にも聞き覚えがあった。

 好きだったドラマに出てきた紅茶だったはずだ。

「あ、あたしもそれにしたい!ミルクティーで!」

 俄然元気が湧いてきた。紅茶の茶葉の良し悪しなど、学生である私にわかるとは思えない。

 でも、ドラマに出てきたものと同じものが飲めるのはちょっと嬉しかった。

「注文するね」

 私は友人に断って店員を読んだ。

 2人分をお願いしてしばしの休憩だ。


 友人がスマホを操作しながら聞いてきた。

「なんとか駅に着いてよかったね」

「そうだね。なんか首痛かったけど……」

 私もスマホを取り出す。

 待っているとは思えないが、家族のためにいちおうメッセージアプリで報告しておく。


(今から朝ごはんですっと)


 しばらくは無言の空気が流れるが、周囲は思ったよりも賑やかだ。

 食器とカトラリーのこすれる音。

 カフェの外を行く人たちの足音。

 駅の構内アナウンス。

 地元ではないのだと少し寂しい気持ちになった。

 でも、いつもと違う体験こそが旅の醍醐味だ。

 今しかないなら楽しまなければ。

「お待たせしました。モーニングセットが2つですね」

 そうこうしていると、店員が私と友人の前にトレーを置いた。

「ごゆっくり」

 会釈を返してトレーに向き直る。

 ほかほかと美味しそうな湯気を立てるオムレツに、焦げ目のついたウインナー。

 緑が目に鮮やかなサラダも食欲を掻き立てる。

 別皿にあるトーストも程好い具合に焼かれていて、隣にはジャムとバターが置かれていた。

 ころんと丸いのはゆで卵だろう。

「わぁ!すごいね!」

「うん……!」

 友人はスマホを取り出して写真を撮っていた。

 私は普段から頻繁に写真を撮る方ではないが、今回は記念にと一枚撮らせてもらった。

「ほら、早く食べよ!」

 まだ写真を撮っている友人を急かしてフォークを手に取る。

「いただきます」

 こうして、私は人生初のモーニングを食べたのであった。


 空腹は最高のスパイスと言われるが、間違いでないことを今知った。

 カリッと焼けたトーストにバターを塗ってかぶりつく。

 家で食べる食パンの何倍も美味しい気がした。

 そんななかで問題は突然やってくる。

 食べ進めていくと、ゆで卵が残っていることを思い出した。

 おもむろに手に取った私は、何も考えずに殻を割るためテーブルに叩きつけた。

 コーンッ!!

 静かな店内に響き渡るゆで卵をぶつける音。

 思わず2人揃って身を縮こまらせた。

 周囲のサラリーマンやおばさんたちに見られている気がしたのだ。

「なんかさ……卵固くない?」

「思った……」

 なんとなく小声でこそこそとしゃべる。

 今度こそはと小さくコンコンとぶつけてみた。一向に割れる気配はない。

「どうしようか……?」

 モーニングセットは大半を完食していた。

 残っているのはゆで卵とサラダと紅茶だけ。

「んー……あれ見て」

 友人が指差したのは1人のサラリーマンだった。

 40代くらいのおじさんはお手拭きにゆで卵を包むと、テーブルの上をころころと転がし始めた。

「わたしたちも、ああすればいいんじゃない?」

 早速実践だ。

 お手拭きでゆで卵を包む。

 テーブルにそっと置いてころころ、ころころ。

 すると、手のひらの中で殻が割れた感触があった。

 ゆっくりとお手拭きを広げてみると、見事に殻が割れている。

「あっ……」

 そんな時、友人のやっちまったというような声がした。

 同じようにお手拭きを広げた友人のゆで卵はぐしゃりと潰れている。

「なんでそうなるの!」

 小声で責める私に、友人はえへへと笑った。

「まあ、食べられないわけじゃないし」

 潰れたゆで卵の殻を取り除くと、友人はそのまま口に放り込んだ。

「うん!美味しい!」

「しょうがないな」

 私も笑ってゆで卵を口に入れる。

 家で出てくるかちかちの茹で加減ではなく、ちょうどいい半熟だった。

 サラダと紅茶を食べ終えて手を合わせる。

「ごちそうさまでした」


 ドアがカラコロと音を立てて閉まる。

「今日はさ!韓国のコスメとか見たいんだよね」

「そういえば言ってたね」

 友人との会話に相づちを打ちながら駅の人混みに紛れていく。

「じゃあ、あたしも買い物したいな。お姉ちゃんたちにお土産頼まれてて……」

「ふーん。わたしも何か買おうかな」

 旅の醍醐味は、地元では味わえない空気や体験をすること。

 ハプニングもあったけど、こんな旅の始まりも悪くない。

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朝ごはんの話 葡萄の実 @budo_fruit

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