第3話

 早朝。商人たちはまた二人の乗せてオリガ・ヴェティへと急いだ。というのも、雲行きは怪しくなっていき一雨降りこめられるような土の匂いが立っていた。草原から森の中へと景色は変わり、視界も徐々に悪くなっていく。たまに育ち過ぎた木の根に車輪が躓いて大きく揺れる。オルヒデアは上下に揺れる荷台から落ちないように必死で荷物に捕まっているが、とても気持ち悪そうに口元を押さえている。一方ニービスは何事もないように寝ていた。整備されていないを走らせること一〇分。ようやくオリガ・ヴェティの正門に到着した。所定の停車場所で馬車を止めたところでニービスはオルヒデアの背負っていたリュックを荷台から降ろし、オルヒデアを介抱する。

「おうえ……師匠、あの揺れでよく平気でしたね……」

「三半規管付近の脈を、一時的に超鈍足にさせてたからな」

「よくそんな、危険な、こと……うっぷ」

 オルヒデアは耐えきれず、生い茂った茂みに隠れた。

 人体の脈を加速させたり鈍足にさせたりするのは、医療に携わる者以外は禁則事項に当たる。しかしニービスは在学時代に様々な種類の本を読み漁り、時には危険を顧みず実践して技を習得した。そのおかげか、脈読速度は一般のエルフより特化しており、大まかな知識なら説明はできた。

「お連れさんは大丈夫かい?」

 心配して様子を見に来た年寄りの商人が、ニービスに寄って来る。商人たちはさすがに慣れているのか、誰一人ダウンする者はいなかった。

「一通り出し切って宿で寝とけば大丈夫だろう。すまないが、荷物を見ていてくれないか?宿を覗いてくる」

「わしらも長居せんので、早くに戻って来てください」

「分かった」

 ニービスは箱庭の包みだけを持って、雑木林を切り開いた急な斜面を上っていく。フラフラになりながら戻ってきたオルヒデアはニービスがいないことに気付くと、傍にいた年寄りの商人に尋ねる。

「すみません、師匠見ませんでしたか?」

「嬢ちゃんなら、宿を探しに行っておるよ。この街はテラほど広くは無い。すぐ戻ってくるじゃろう」

「分かりました」

「そうだ、お前さんにはこれをやろう」

 ポケットから取り出された茶色い瓶を渡された。怪しい物を見る目でそれをまじまじと観察する。掌に収まるくらいの大きさで、液体が入っていることだけは分かった。

「これは?」

「滋養強壮の飲み物じゃ。寝る直前に飲めば、起きた後は元気に動けるぞ」

「はあ……。ありがとうございます」

 リュックの小さいポケットに仕舞い、大人しくニービスを待つことにした。長針が進む毎に雨の気配は強まり、大粒の水が葉っぱを叩きつけ始めた。商人たちも引き上げようと荷台に詰め込んでいるところに、ようやくニービスが戻ってきた。

「すまない、宿の手配に手間取ってな。部屋は取れたから、今日はここで一晩休もう」

「あ! リュックは僕が……」

「お前はさっきの手荒い馬車で体力無いだろ」

 ニービスはリュックをひょいっと背負うと、オルヒデアは申し訳なさそうに、はい、と返事を返し宿に急ぐ。通り雨は勢いを増し、斜面には川のような流れができていた。時折、稲光が街を照らし、地面が唸る程の雷鳴が響き渡る。

「ひっ!」

 大きな音が苦手なオルヒデアは、時々立ち止まってはニービスに急げと急かされる。

 やっとの思いで宿屋に到着すると、雨宿りしようと立ち寄った人たちで賑わっていた。宿はちょっとした食事処も経営しており、フロアサーバーは皆忙しくしていた。

 ニービスは受付で鍵を受け取ると、早速部屋のある階まで階段を上る。上から覗く階下の様子は楽しそうに見えた。

「何か催しているんでしょうか?」

「ヴェティの人たちは雨が降ると、感謝を讃える踊りを皆で踊るらしい」

「すごい賑わいですね」

「お前も混ざるか?」

「それ、わざと言ってますよね?」

 息を切らしながら部屋に到着すると、オルヒデアは早速ベッドの上で仰向けになった。余程体は答えていた。ニービスは箱庭を窓際に近い丸テーブルに置いて包んでいる布を解き、ベッドに腰を預けた。

「今日はここで羽休めとしよう。お前もその調子じゃ、動けそうにもないからな」

「すみません……」

「謝ることはないさ。これも旅の醍醐味だからな」

 オルヒデアは一度体を起こし、箱庭を見た。窓を濡らす大雨の流れが反射して、脈を止めているはずの水が生きているかのように見えた。

「それにしても不思議ですね。箱庭を直してほしいなんて」

「ああ、あいつはそういう奴なんだ。箱庭はその持ち主の心を表す代物だ、とか抜かしておきながら、箱庭を私に修理させるなんて、矛盾も甚だしい」

 腕を組み、足を組み、眉間に皺を寄せる。その様子から信頼関係は少しばかり伺えたので、オルヒデアはクスッと笑って見せた。

「でもそれだけ信頼されてるってことじゃないんですか?」

「どうだろうな。――疲れただろう。食べるものを持ってくるから、寝てろ」

「ありがとうございます」

 一人部屋に残されたオルヒデアは、大の字になって天井を見上げる。そのまま雨に音に眠気を誘われながら、気付けば寝息を立てていた。

 ニービスは先程のエントランス横の食事処のカウンターに座った。広げられたスペースに男女がペアになってくるくると踊り、酒の入った男性客は無理やり女性の手を取って踊り始める。女性も回されながらも楽しそうに踊っていた。

「ここの客は皆賑やかだな」

「ええ、この街の皆さんはお祭りが大好きなんです。雨が降れば踊り、晴れやかな日は歌い、祭りの夜はどんちゃん騒ぎ。眠る事さえ惜しいと感じてしまうんです」

 カウンターの女性に話し掛けると、水を注がれたグラスが差し出された。

「へー、楽しそうでいいじゃないか。……ところで、この男を見なかったか?」

 ニービスは蘭舞の写った写真をカウンターの女性に見せた。

「ああ、この方なら、二日前にサングイ・フラトゥリス海の鍾乳洞へ行きましたよ」

「本当か!」

 あまりの驚きに興奮して、テーブルに両手をついて立ち上がった。カウンターの女性は突然のことで仰け反って首を縦に振る。

「ああ、すまない。こいつは昔の付き合いがあってな。探しているんだ。まだ水脈調査の仕事をしていると思うんだが、何かあったのか?」

 カウンターの女性は周りを警戒し、ニービスに耳打ちする。

「そこの鍾乳洞でしか採取できない『イーバンゲリウム』という鉱石が不当採取されているみたいなんです」

「イーバンゲリウム……たしか、道を迷わないようにという言葉があって、よく贈り物のアクセサリーに使われているものだよな? あいつが首を突っ込む話でもなさそうだけど……」

 ニービスが考え込んでいるうちに、オルヒデアが部屋から降りてきた。少し寝てすっきりしたのか、顔は血色を取り戻していた。

「師匠。何考えているんですか?」

「――ああ、オルヒデアか。もういいのか」

「寝てすっきりしました。お腹が空いたので、降りて来ちゃいました」

「そうか。じゃあ晩飯にしよう」

 ニービスはカウンターの女性を呼びつけて、豚の煮込みシチューと付け合わせの木の実の白ブロートというパンを注文した。三分待たずして差し出され料理は、オルヒデアの腹の虫を起こした。手を勢いよくパンっと合わせて、いただきます、と一言放つ。そしてパンを手に取り、よく煮込まれたシチューを付けて頬張る。

「んー! おいひー!」

「ここで育てられる豚はスタミナ回復には持って来いの食材だし、白ブロートに含まれる植物性たんぱく質は免疫力を高めてくれる働きがある。……って、聞く耳を持たないか」

 食事に夢中になるオルヒデアを微笑ましく見ていた。二人が食事を終える頃には食事処も静まり、安らかな夜を迎えた。

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