第5話

夢を見ていた。薄暗く紫の煙が満たされた空間で彷徨う夢だ。私は今自分が夢の中にいることをハッキリと自認できていた。そして、私はこの空間で向かうべき方角を知っていた。一歩一歩その先へ歩いていく。より暗い方、より深い方、あの人の声がする方へ。煙を吸うたび、意識がぼうっとしてくる。けれど身体が重くなることはない。


「サリー」


進むたびに、煙が濃くなっていくのがわかる。煙で窒息しそう、でも苦しくはない。


『紗理奈!』


背後から別の声。ウイングの声だ。

けれど振り向かずにそのまま脚をすすめた。

私が呼ばれたい名前は、サリーだ。

そう強く意識すると、夢から覚めた。



「よう、サリー」


真っ暗な私の部屋から、あの人の声がする。この状況がひどく懐かしくて、愛おしい。


「会いたかったです。カゲロウ」


『カゲロウ』、あの人の名前を発音する口が震える。壁にもたれかかっていたカゲロウが、私のベッドの横に跪く。そのまま私の手を取り、甲に口元を近づける、フリ。私はカゲロウのスカーフの下を見たことがない。


「私は、まだあなたのお役に立てますか」


カゲロウの手を握り返しながら呟く。怖くてこの声量が精一杯だった。無断でカゲロウの前から姿を消して、あろうことか早稲田戦士と接触した罪は重いだろうと思ったから。無言の間が怖い。涙が溢れて来そうになる。

カゲロウが鼻で笑った気配がした。そして、私を見上げる。バイザー越しだから私からカゲロウの顔色は分からないけれど、私の方はきっと見透かされている。


「ああ。」


私の手からカゲロウの左手が逃げる。その先に私の頬があり、優しく撫でられる。グローブのゴツゴツとした感触。ひんやりしていて、気持ちがいい。


「俺様の所に戻ってきたこと褒めてやる」

「俺も褒めてもらいたいものだな」


機械の起動音に振り向くと、アーグネットが闇から現れた。アーグネットは私たちを見ると、凄く嫌な顔をした、ように思う。機械だけど、なんとなく感情が凄くこっちに伝わってくる。


「全く…。探したぞ、カゲロウ」

「おう、悪いな」

「それと。『サリー』は戻って来たんじゃない。俺が戻してやったんだ」

「ありがとう、アーグネット…」

「お前に感謝されても嬉しくない」


そしてアーグネットは何故か私を毛嫌いしていた。元々人間が嫌いなのか、それとも私が特に嫌いなのかは分からないけれど。私が見るアーグネットは常にイライラしている。


「首尾はどうなんだ」

「ああ、心配すんな。万事順調よ」

「こいつを早稲田戦士共に奪われておいて万事順調だと?笑わせるな」

「…ごめんなさい」


私が口を開くたびに、アーグネットは緑の目を光らせてこちらを睨む。お前は黙っていろという圧を感じる。その目線から私を隠すようにカゲロウは私の目を左手で覆う。


「こいつは早稲田戦士によって記憶を消されたが、見事記憶を取り戻して俺様の側にいることを選んだ」


カゲロウに視界が塞がれたことで、目を開けても閉じても同じくらいに暗い。この暗さが心地良い。


「むしろ俺様たちのキズナが証明されたってワケだ。なぁ?」

「…馬鹿馬鹿しい」


左手が外され、少しだけ目に光が入る。部屋は真っ暗なはずなのに、この少しの光が心をざわつかせる。

カゲロウは右手の赤い爪をひらひらさせながらアーグネットを挑発する。


「降りてもいいんだぜ?別に。でもお前にとってもこの力は手放すには惜しいだろ」


アーグネットの目の光が曇る。人間で言う動揺のサインなんだろうか。少し考えて、アーグネットは右手の平をカゲロウに晒した。カゲロウはその手のひらを見て、私を見て、ニヤリと笑った。


「んじゃ、引き続き仲良くやろーぜ」


カゲロウは差し出された手のひらに煙草を数本押し当てた。アーグネットは無造作にそれを握りつぶすようにして受け取った。

私はいつも、カゲロウとアーグネットの会話の3割くらいしか理解できない。まるで私の知らない言葉で会話をしてるようだ。私が理解してることは、私がするべきことのみ。

紫の煙を吐くこの煙草をより多くの人間にばら撒くことだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢に酔う とぅる @trueda

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る