第1話 僕の失われた半年

 知らない天井だ。


 これ一回は言ってみたかった奴だ。やったぞ。一つ夢がかなった。あいつらに自慢してやらないと。

 それよりもここは何処だろう。ベッドの上であることは分かる。

 でもなぜここで寝ているのかが分からない――というか思い出せない。


 名前は覚えている。僕は南雲なぐも優弥ゆうや。えっと歳は16歳だよな。大丈夫だ覚えている。


 では、この女の子は誰だ。だめだ、分からない。

 記憶喪失という感じはしないから、たぶん知らない子だ。ではなぜ知らない子が僕のベッドの横にある椅子に腰をかけて眠っているのだろう。

 でも、すごく綺麗な子だ。髪は茶色に染めている。太陽の光が当たっているので、キラキラと輝いて見える。顔は小さく、全体が整っている。くぅくぅと聞こえる寝息が可愛らしい。服装は何処かの制服の様だが、スカートがすごく短い。白い太ももが健康的で艶めかしい。

 そして、でかい。大事なことだから2回言うよ。でかい。2つの小山が服の上からでも強烈な存在感を放っている。

 彼女の事を端的に表すとすると、陽キャのギャルだ。僕のもっとも苦手にする存在だ。

 人付き合いが苦手な僕はクラスではいつも一人だ。仲がいい友達はラノベ研究会のメンバー二人だけだ。要するに僕は陰キャだ。

 故に陽キャが苦手なのだ。奴らは事あるごとに僕たちをバカにする。彼女がいる、いないで何がそんなに変わるというのだ。お前たちがワイワイと異性と遊んでいる間に僕たち陰キャは勉強して、将来に備えているんだからな。将来的には僕たちの方が上に立って、お前達陽キャどもを顎で使ってやるんだ――という妄想でいつも自分を慰めている。所詮、いい大学を出たからといって、陰キャが出世できるはずがないのだから。


 体が思うように動かない。体がもの凄く重い。頑張って腕を動かして驚愕した。

「なんだよこれ。何で僕の腕がこんなに細くなってるんだ」

 頑張って動かした腕はガリガリに痩せており、自分の体じゃないみたいだった。

 細くなった腕を見ると、数か所だが点滴の様な物をつけられている。頭の上の方にある機械からもピコンピコンと音が聞こえるから、よく病院もののドラマでみるピーーーってなったらご臨終ですって言われるあの機械だろう。


「南雲君、目が覚めたの、意識があるの!?」

 先ほどまで寝ていた女の子が僕を見て驚いている。枕元にあるナースコールを連打している。壊れるよ。そんなに押したら。

「なんで、泣いてるの?」

「だって、だって……」 

 彼女はボロボロと涙をこぼして泣くだけで理由は話してくれなかった。君はいったい誰だ。

 そして僕は再び眠りについた。

 

 次に起きたときには時にはあの子はいなかった。

 あの子は居なかったのだが……

水瀬みなせさんがどうしてここに?」

 水瀬瑞樹みずき、同じ学校に通う同級生で、上級生からも告白が絶えないまさに学校のアイドルだ。その彼女がどうして僕の手を握っているのだろう。

「南雲君、やっと起きた」

 彼女はそれだけ言って、ベッドで横になっている僕に抱き着いてきた。シャンプーなのか香水なのか、それとも彼女自身の匂いなのか分からないが、何とも形容しがたいとても甘美な匂いがした。女性に抱き着つかれるなんて初めて――ではないな。あの子も抱きついてきたから2回目だ。学校の男どもが彼女に夢中になる気持ちが分かるな。僕もファンになってしまいそうだ。


「南雲くん、6か月も意識が無かったのよ」

 やっと離れてくれた彼女の一言で僕は凍り付いてしまった。6か月も意識がなかっただと――という事は毎週楽しみにしていたあのアニメが終わってしまっているじゃないか。毎週欠かさずに見ていたのに。最終回はどうなったんだ。携帯で調べないといけない。

 あれ、携帯はどこにいった? いや、そんな事よりもどうして6か月も意識が無かったんだ。

「水瀬さん、僕はどうして意識が……」

「南雲君、もしかして何も覚えていないの?」

 何だろう、何を忘れてしまったんだろう。

「南雲君、私を庇ってトラックに撥ねられたのよ」

 水瀬さんからトラックに撥ねられたと聞いた瞬間に全てを思い出してしまった。


 あれは、2月の雪の日だった、前日の夜に見たアニメで押しキャラが死んでしまって、号泣した次の日の朝だった。遅くまで起きていたせいで、寝起きから気分は最悪だった。

 朝食も食べずに学校へ行くために家を出てブラブラと歩いていると、黒猫が僕の前を横切り僕の方をみてニャアと一鳴きした。迷信、迷信。何でもないさ。

 再び歩きだすと今度は、靴ひもが切れた。いやいやいや。なんくるないさ。

 

 それにしても、眠い、瞼が落ちてきそうだ。眠いよ。学校着いたら午前中は寝て過ごそう。

 そんなことを考えていると、そう、石に躓きそうになったんだ。でも、持ち前の大した事のない反射神経で躱したのが不味かった。躱した先には水たまりがあって、氷が張っており、運動神経が下の下の僕はツルリと足を滑らせて転けてしまった。


「南雲君、大丈夫?」

 足を滑らせてこけた僕を心配して水瀬さんは声を掛けてくれた。それに驚いて立ち上がった僕はもう一度氷で滑って、彼女に抱きついてしまった。

 その後の記憶が無いということはその直後にトラックが突っ込んできたのだろう。

 くそ、そのトラックは異世界トラックじゃ無かったのか。こんなチャンス滅多にないと言うのに。やはり僕には勇者の資質は無かったのか。準備はいつでもできているというのに。


「水瀬さん、思い出したよ。あの時は抱きついてしまってすみません」

「ううん。いいの。ああしてくれたから、怪我しなかったんだから。だから、南雲君、ありがとう」

「水瀬さんが無事でよかったよ」

 僕なんかとは違って、彼女の損失は世界にとって損失が大きいからね。

 話を聞いてみると、水瀬さんは定期的にお見舞いに来てくれていたそうだ。こんな僕のために貴重なお時間を申し訳ない。


「南雲君、おはよう。と言っても今は夕方だけどね。顔色は良さそうだね。僕は君の主治医をしている、宮家みやけと言います。診察しても大丈夫かな」

「宮家先生、おはようございます。はい、僕は大丈夫です」

「じゃあ、私は帰るからお大事にね。また、明日来るね」

「うん、ありがとう。水瀬さん。え、明日も来るの?」

 僕なんかが水瀬さんとお話しできるなんて、こんな機会でもないと一生無いからね。それだけでも今日は幸運だったのに、明日も来てくれるの?


「それじゃあ、ちょっと失礼するね」

 宮家先生は僕の服のボタンを外し、診察を始めた。僕は自分の体が骨と皮だけになっているのに再び驚いてしまった。もともと痩せている方だったけど、一体今は何キロになっているんだ。40キロ切っているんじゃないか。

「うん、健康状態に異常は無いね。ただ、事故の影響でいっぱい骨折してたからね。リハビリしないと歩いたりはできないから、明日から頑張ろうね」

 リ、リハビリですか。運動とか苦手なんだけどな。痛いんだろうな。

「はい、これが明日からのスケジュール表ね。朝の9時からリハビリを始めるから迎えにくるね」


 言いたいことを言って、先生は行ってしまった。取りあえず、異常は無いけど、リハビリしないと体は思うように動かないらしい。確かに腕を動かすのも大変だった。これは長い入院生活になるな。


 うん、困ったぞ、喉が渇いたぞ。ナースコールをすればいいのかな。こんな事で呼んでもいいのか。

 ナースコールを押そうかとどうかと悩んでいるとこちらの部屋を見つめる視線に気がついた。

 あの子だ。僕の知らないあの子は僕の事を知っていた。そして泣いていた。あの涙が凄く印象的で頭から離れてくれないのだ。


「何で泣いているの?」

 あの時、自然に出てきた言葉だった。まだ答えを聞いていない。答えが聞いてみたい。


「ねえ。君」

 僕は勇気を出して声をかけてみた。

 彼女はビクッとなった後、ドアの後ろに隠れてしまったが、恐る恐るこちらを覗いてきた。


「南雲君、今晩は」

 彼女はとても小さな声で挨拶をしてきた。

「今晩は。何でそんな所から覗いてるんですか? 僕に用ならどうぞ、中に入って下さい」


 彼女のことが気になっていた僕は病室へ迎え入れた。

 僕はこのときのことを後悔している。このとき話をしなければ、今、こんな事にはならなかったのに。

 僕の平穏な生活がこの子によって木っ端微塵に消滅させられる事になるなんて思ってもいなかったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る