第29話 静寂
「落ち着けアレックス」
「これが落ち着いてられるか!」
トーマスがあまりにも間抜けなことをリズに頼んだので、怒りが込み上げてきた俺はローテーブルを叩いた勢いで立ち上がり、トーマスを見下ろしながら怒鳴りつけていた。
「そもそもリズは、あの国の王太子から理不尽な扱いを受け、冤罪で婚約破棄され、仮にも一度は父となったあの国の貴族に国外追放されたんだぞ! なのにそんな国のためにリズを使おうってのか!?」
「そうじゃない。あくまで王国を安定させることで、ルイーネの安定化を図りたいだけだ」
トーマスの言葉は、余計に俺を苛立たせた。
「それもおかしいだろうが! リズはただの村人だったのに、人より聖力が多いってだけで聖女にさせられた挙げ句に追放された、ただの可哀想な女の子なんだよ! なのに今度は、ルイーネのために働けだ? そんな義理、リズにはねーぞ! それにアンタはリズに言ったよな?
「そ、それはあの時と事情が変わって……」
珍しくトーマスが口籠っているが、そんなの知ったことか。
「勝手なことぬかすな! リズには国がどーとか関係なく、一個人として生きたいように生きさせる! アンタが何を言おうと関係ねー! 俺がそう決めたんだ!」
「…………」
「――――っ!」
トーマスは反論の言葉を探しているのか、髭で覆われた口元をひくひくさせている。
そして怒りのあまり、知らず識らずのうちに握りしめていた俺の右拳が、何かそっと包まれた。
それは、今まで黙って事の成り行きを見守っていたリズの両手だ。
「ありがとうございます、アレクサンダー様」
そう口にしたリズは、滂沱の涙を流している。
そしておもむろに、俺の拳を包み込む己の両手に額を付けた。
その様は、まるで祈りを捧げているように思え、崇高な絵画でも見ているように気にさせられる。
リズのあまりにも神々しい姿を見た俺は、心が浄化されるように怒りが引いていき、次第に落ち着きを取り戻した。
「すみませんトーマスさん。少し言い過ぎました」
「……いや、俺の方が無神経だった。すまん」
いかほどの時が過ぎたか定かではないが、自分が未だにトーマスを見下ろしていたままなことに気づいた俺は、ひとまずソファーに腰を下ろし、あえて丁寧な口調で謝罪した。
それに対し、トーマスも改まった感じで言葉を返してくれて、珍しく頭まで下げている。
さらに俺の右に座っていたリズは、いつの間にか手にしたハンカチで目元を拭っていた。
僅かな静寂な時間。
それもトーマスが口を開いたことで終わる。
「あくまで噂話だったんだが、確度の高い情報なうえ、アレックスやリズの話を聞いた
再度頭を下げるトーマスに、俺は頭を上げるよう頼む。
「それからアレックス、俺は戦力としてお前を当てにしていた。ダンジョン都市が機能するようになった暁には、お前にダンジョンへ潜ってくれるよう依頼しようとしていた」
「俺の力量を図ったのはそのため?」
「まあそうだな」
「で、何で過去形で言ったの?」
「それも俺の勝手な予定だったからだ。まあ、時期が来たら改めて依頼を考えるが、現状ではアレックスが潜るのを前提で考えるのは止めておく」
「そう」
なんとなくぎこちないやり取りになってしまったが、今はまだ仕方ない。
とはいえ、俺は反省もしているが譲れない部分もある。
ギルマスの責務が如何程のものか知らないが、トーマスはギルマスとして考えなければならないことも多くあるだろう。
だからといって、追放されたリズに聖女の仕事をさせるのは、俺的には許容できない。
これは俺がリズに”エロいことをしたい”、という極めて個人的な願望からではなく、今日までの過酷な道程を辿ってきた可哀想な女性に、自分の望む生き方をしてもらいたいという理由だ。
それはそれで、俺の勝手な想いを押し付けているのかもしれないが、聖女の仕事をさせられるよりマシだろう、と俺は自己弁護しておいた。
その後、「別の仕事がある」と言って、トーマスは俺たちをギルマスの部屋から出すのではなく、何故か自分が出て行き、俺はしばらくリズと二人っきりに。
しかもリズは、俺の手を握ったまま半身でこちらを向いている。
実に気不味い。
あれ? ハンカチで目元を拭っていたときに手を離していたような……。
いつの間にまた握られたんだ?
「アレクサンダー様のお言葉に、私は物凄く感謝しております」
静寂を打ち破り、リズが謝辞を述べてきた。
「当たり前のことを言っただけだし」
あまりにも神々しい今のリズを見ると、浄化されてはいけない俺の性根の部分まで浄化されそうで、なんとなくリズの顔を見たくない俺は、誰もいない正面を向いたままぶっきらぼうに答えた。
「だとしても、私が嬉しかったのは確かです」
「……まあ、リズが嬉しかったんならそれでいいよ」
「はい」
なんかもう、このままやっちゃってもいいんじゃね?
そんな考えが頭を
何故なら、トーマスがリズに聖女の役割をさせようとしていたくらいだ、王国の人間がその考えに至らないと思うのは早計だ。
であれば、リズが”要注意人物”であることに変わりはない。
いくら俺が粋がったところで、王国の高位にいる者に立ち向かえないのだ。
もしリズを取り返しにくる者がいるとしても、”ここに聖女イライザなんていませんよ”という状況を作ってやることくらいしかできない。
そしてそんな戯言が通じず、リズを奪われてしまった場合、俺がリズの純血を散らしたとバレてはいけないのだ。
聖女の純血を散らした極悪人、みたいな何かで狙われたら面倒だし。
トーマスは、俺に守るべき何かができたなどと言ってが、結局俺は俺自身が一番可愛い。
あくまで、如何にして俺に被害が及ばないようにするか、なんてことを念頭に置く小者でしかないのだから。
その後、ドギマギする時間を過ごした俺は、目の腫れが引いたリズを連れてギルドを後にする。
ギルドから出た後、「アレクサンダー様は無理しなくても大丈夫です。私が必ずお守りしますから」とリズに慰められた。
きっとその言葉は、俺がトーマスとの手合わせでしこたまやられたことに対し、リズなりに気を遣ってのことだろう。
だがその言葉は、地味にショックだった。
リズの障壁に守られている事実があっても、女性に守られるというのは、命令でそうさせるならともかく、自発的かつ自信満々に言われるのは、男として情けなく感じてしまうのだ。
そんなこんなで心身ともに疲労した俺だが、このまま帰宅する気はない。
というのも、トーマスと約束した、エルフであるオリンダの家に向かわなければならないからだ。
別に、”今日中に行く”と約束したわけではない。
しかし、なんとなく面倒に感じたので、逆に面倒は先に済ませたいと思ってのことであった。
◇
「ルイーネの街の中なのに、ここだけは都市外の自然の中って感じがするな」
オリンダの家の敷地前に着いた俺は、思わずそうごちった。
ちなみに、今は俺のものとなった邸は街の西北西方向にあり、市街地の中心地より若干城壁の方が近い場所に位置している。
そしてオリンダの家は、中心から西南西方向の城壁付近だ。
俺の邸からなら、ギルドよりオリンダの家の方が近い。
ルイーネは城郭都市とはいえ、ありえないほど巨大だ。
そのため、街の中心地から城壁に近づくほど自然が多くなっている。
それでも森と呼べるような場所はない。
だがオリンダの家の敷地は付近に比べて自然豊かで、静寂な森の中のような空気感が漂っていた。
「やはり生粋のエルフは、こういった自然を好むのでしょうか?」
「多分そうなんだろうな」
リズとそんな会話をしつつ、俺たちはオリンダの家の敷地内に入る。
すると、人間の拳よりも大きい蜂、昆虫型と分類される魔物のハッチが突如押し寄せてきた。
『鎧よ!』
【障壁】
俺は魔導袋から鎧を呼び出して自動装着し、リズは障壁の短縮詠唱を唱えた。
トーマスとの手合わせでは、余裕を持ってリズに障壁を張ってもらっていたが、不意の攻撃や唐突な事態に備えた訓練もしていたのだ。
備えあれば憂いなしとはよく言ったもので、俺とリズは練習の成果を咄嗟に発揮することができた。
ドワーフ語を知らない俺でも、【障壁】という言葉を覚えるくらいには、リズと一緒に鍛錬を重ねたのだから。
「アレクサンダー様、これはどういったことでしょう?」
「わからん。ただルイーネは、自然の要塞と呼ばれる天然の崖で守られているから、街を守る結界を張っていない。だから飛行型のハッチは、こうして街に侵入できたんだと思う」
元聖女のリズが張る障壁は、Aランク冒険者だったトーマスのお墨付きをもらっている。
そんな心の余裕があるからこそ、障壁にバチバチ当たってくるハッチを見ながら、俺は冷静に分析をした。
とはいえ、ハッチのことは知っていても、ハッチの生息地域で活動したことがない俺は、対処の仕方を知らない。
だがこのまま障壁の中にいれば、魔導袋の中に食料がある以上、いくらでも籠城できる。
しかし、そんな消極的なことをしても意味がない。
もしかすると、ハッチが俺たちを襲うのを諦めて他の得物を求めて移動し、街の住人に被害が出てしまう可能性があるのだから。
「ん、得物?」
「得物がどうかしましたか?」
俺の知る限り、ハッチは魔物の中でも比較的温厚で、人間を得物として襲うことは殆どない。
あるとすれば、巣を狙ったり人間が先に攻撃を仕掛けるなどして、ハッチの防衛本能を刺激してしまった場合のはず。
しかし今の俺たちは、別段ハッチを刺激するようなことをしていなかった。
なのに何故、いきなり襲いかかられたのだろうか?
もしかすると――
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