第8話 訳あり聖女

 なんで俺を知ってるかなんて愚問だったな。

 蒼と紅のオッドアイを見れば、無能な”英雄の息子”ってすぐわかるに決まってる。


 ようやく俺の言葉に女性が反応を示したが、その反応が俺にとって嬉しくないものだったため自問自答してしまったが、導き出された答えは肩を落とすものだった。


「ああ、俺はアレクサンダーだ」

「アレクサンダー様が助けてくださったのですね?」

「……オオカミだったら俺が倒した」

「ありがとうございます」


 既に気分がしおれた俺は、さっきまで紳士的な口調をしていたことも忘れ、ぶっきらぼうな口調に戻っていた。

 しかし女性は、俺を見下すようなこともなく、潤んだ瞳をしている。


 まあ単純に恐ろしい状況だったから、ちょっと泣きそうな顔をしてるんだろう。


 そんなことを考えていると、女性は強固な障壁を解除していた。


「さすがアレクサンダー様です」


 女性は立ち上がるとそんなことを言いながら、どたぷんと揺れた胸の前で手を組み、俺を見つめてくる。

 潤んだ彼女の瞳は、俺の左目、つまりおふくろとも似たあかい色をしている。

 おふくろに似たフェイの黒髪もちょっと苦手だが、この女性の紅い瞳もなんとなく苦手だ。


 それはそうと、女性の反応がおかしい。

 俺が”英雄の息子”と分かっていて、侮蔑ぶべつの表情をみせないどころか、さすがなどと言ってくるのは普通ではない。


「えっと~、俺が”英雄の息子”だって分かってる?」

「はい、アレクサンダー様が”英雄の息子”であることは存じております」

「そ、そう……」


 なんだろう、初めての反応で対応に困る。


「取り敢えず、アレクサンダー様って言うの止めてくれない。気軽にアレックスと呼んでもらいたいんだけど」

「いいえ、アレクサンダー様はアレクサンダー様です」

「あ、はい……」


 マジ困る。


「ところで、なんでこんなことに?」


 彼女の反応のことは忘れて、取り敢えず状況確認をすることにした。


「……様々な要因でこの状況になりましたので、長いお話になりますが」

「だったら少し場所を移そう」


 オオカミの死骸が転がっている場で長話もなんだろう。

 そう思い、馬車が止まっているであろう街道側ではなく、都市国家ルイーネの方向へ少しだけ移動した。


「改めてお礼申し上げます。この度は助けていただき――」

「そういうのいいから、詳しい話を聞かせてくれないか?」


 彼女がこの状況に陥った話を聞きたかった俺は、再度お礼を述べようとするのを遮り、話すよう促した。

 というのも、この女性は貫頭衣などという奴隷のような格好をしているが、口調や所作が洗礼されている。

 どう考えてもただの奴隷には見えないのだ。


 そして気づいてしまった。

 この女性は、貴族か富豪の馬車に関係する者であろうことから、もしかしたらそのご令嬢である可能性が高い。

 では、何故このようなみすぼらしい格好をしているのか、という疑問が残る。

 だが答えはわからない。

 しかしわかることが一つある。

 それは、当初の予想通り関わってはいけない人物だったことだ。


 それでも既に関わってしまった事実は覆らない。

 ならば、面倒に巻き込まれないためにも、状況を把握しておく必要がある。


「では、少し長くなるかと思いますが、説明させていただきます」


 倒木に横並びで腰掛けた女性は、俯いた顔を顔を上げると正面を向いて語り始めた。

 そしてそれを要約するとこうだ。


 彼女は、スクワッシュ王国王太子の婚約者であり、聖女であったイライザ。

 だがひと月ほど前、謂れのない罪を着せられ、婚約破棄を言い渡され、聖女の任を解かれたいう。

 そのことに激怒した義父により、侯爵家との養子縁組を解かれ、国外追放の処分を受けたのだとか。


 そもそも彼女は、元冒険者の両親が営む食堂の娘として生まれた、地方住まいのただの村人だった。

 物心ついた頃から、祖父や父から剣を教わっていたがあまり上達せず、魔術師の母から魔術を教わったがやはや上達しない。

 それでも噂に聞く”英雄”に憧れ、冒険者になることを夢見ていた。


 7歳の頃、祖父の伝手で”英雄夫妻”と対面する。

 しかも会えただけではなく、自分と同じあかい瞳を持つ憧れの魔導姫から直々に指導を受けたのだ。

 だが魔術師になるのは難しいと言われて落ち込む。

 しかし、多くの人を守れる力を持っていると言われ、自分を守る小さな結界型の術である障壁の使い方を教わった。

 そして、魔導姫の補助を受けて障壁を作った感覚を忘れないようにし、その後は自分だけで作れるように鍛錬に励んだ。


 練習を始めて約3年、初めて自分の力で障壁が作れた。

 その日は魔力の使い過ぎで、障壁を張ったまま気絶するように寝てしまう。

 だが翌朝、自分が寝ていた場所だけ何事もなく、家が全焼していたのだ。

 後に聞いた話によると、放火だったようだが犯人は捕まっていないのだとか。


 イライザの家族は全員亡くなり、孤児として教会に引き取られることになった。

 しかし10歳にして一晩中障壁を張っていたことから、聖力を使えるだけでなく保有量も多いと判断され、聖女の素質があるとして王都の教会本部に入れられることになる。

 有望な者が集まる教会本部でも、他の聖女候補より圧倒的な能力があり、次期聖女及び王太子妃候補になった。

 しかし平民のままでは王太子妃にななれないため、教会で枢機卿を務めるスティール侯爵の養子となる。


 15歳で正式な聖女となり、王太子の婚約者にもなった。

 だが王太子は、聖女候補だった他の貴族令嬢と良い仲だったらしく、王太子のイライザに対する扱いは酷いものだったと言う。

 その後は先程のとおり、婚約破棄をから国外追放の流れになった。


 そして現状、都市国家ルイーネ方面に向けて護送中だったのだが、もう間もなくでルイーネという場所で馬車が故障してしまう。

 護送任務中の使用人は、あくまでイライザを国外まで運び出せば良かったらしく、ここは既に国外とも言える場所だったため、森の中に放置されることになったのだとか。

 しかし、森を連行中にオオカミの群れが現れ、使用人が逃げ出してしまい、イライザは置き去りにされた。


 それでもイライザは、聖女だっただけあって様々な術を使える。

 だが攻撃の術はないらしく、障壁を張って助けを待っていたところに俺が現れた、ということらしい。


「…………」


 話を聞いた俺は、なんとも言えない気持ちになった。


 現状のイライザは家族もおらず、なんの後ろ盾もない、言ってしまえば孤児のようなものだ。

 いや、17歳だというので、単に身寄りのない独身女性と言うべきか。


 なんにしても、王太子の婚約者だったのも聖女だったのも過去の話で、今はフリーなただの美人さんである。

 俺が手篭めにしてもなんの問題もない。

 だがもしかすると、後々面倒なことになるかもしれない訳あり女性だ。

 それでも、何事も起こらない可能性だってある。

 しかし問題はそこではない。

 問題なのは――


「おふくろの顔見知り、しかも短期間であっても弟子だったのかよ……」

「何か言いましたか?」

「いや、別に……」


 あろうことか、この元聖女はおふくろと顔見知り……、いや、弟子だったのだ。

 しかも俺は、これからおふくろの世話になろうとしている。

 元聖女がおふくろの弟子だとすれば、手を出すのは非常に拙いだろう。


 違うな。


 この女性がおふくろの弟子であろうとなかろうと、スクワッシュ王国王太子の元婚約者であり、王国の聖女で侯爵令嬢だった人物なのだ。

 例え”元”であろうと、王国の重要人物だった女性に手を出すなど危険すぎる。


 謂わば彼女は、”要注意人物”だ。


 俺は関わらなくてもよかったはずの人物を、危険をして助け出し、しかも大当たりの美人だったというのに、手を出すことがはばかられる現状に陥った。

 これは、蛇の生殺し状態だと言うには生易しく、むしろ自ら魔物の餌になりに行っているような状況と言えよう。


 俺は頭を抱えたくなる。

 せっかく超美人で、粗末な貫頭衣の胸元を突き破らんばかりに盛り上げている胸の持ち主に恩を売れた。

 ただでさえたぎっていた俺の情欲は、賭けに勝った時点で更に増幅している。

 そして、やっと発散できると思ったら思惑は外れ、余計に蓄積することになったのだ。

 これは由々しき事態と言えよう。


「――そういった訳でして、私は身寄りがないのです。厚かましいことと重々承知しておりますが、私をどこかの街まで連れて行ったくださいませんか?」

「…………」


 俺が頭を悩ませていると、イライザは同行することを願い出てきた。


「手持ちもありませんので、金銭でのお礼はできませんが、私でできることでしたら何でもいたしますので」


 今、何でもって……いや、だからこそ、対価に体を求めることができない生殺しなんだよな。

 とは言え、ここで放置するのも気が引けるし、むしろおふくろの弟子を放置したのがバレたときの方が拙い。

 例え訳ありの要注意人物だとしても、ここは保護しておふくろと再会させるのが一番収まりがいいだろうな。

 何か問題があっても、それはおふくろに任せればいいんだし。


「お礼とか別にいい。それから俺たちはルイーネに向かってるから、そこまで連れて行く」


 エロい体をした超美人に恩を着せられたというのに、手を出せないとわかった俺は、ヤケクソ気味に答えた。


「ありがとうございます」


 そんな俺に対し、好意的とも思える笑顔で礼を言ってくるイライザ。

 だが今の俺には、眩しいほどの笑顔は毒だった。


「おう」


 短く答えた俺は、ままならない状況を苦々しいく思いつつ、倒木から立ち上がるとフェイと手を繋ぎ、「行くぞ」との声をイライザにかけて移動を開始する。

 イライザは何を思ったのかわからないが、弾んだ声で「はい」と答え、フェイとは逆の俺の右側に並んできた。

 ちらりと目をやれば、貫頭衣を押し上げる胸元が視界に入る。


 はぁ~、マジで蛇の生殺しだ。

 どこかに手を出せるエロい女が放置されてねーかなー。


 欲望丸出しなことを考えつつ、俺は嬉しくもない両手に花状態で足を進めた。

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