第一章 遭遇ー22

 近づいてくる乱暴な足音に、玄也は一瞬指を止めかけ、まあいいかと、頁をめくった。同時に、廊下へと繋がる扉を大きな音と共に荒々しく押し開けて、部屋の主が姿を見せた。くつろぐ玄也の様子に虚を突かれたようにふと瞳を瞬かせ、勢いを削がれたのか大きく肩を落とす。


「玄也さぁ……別にいいんだけど、相変わらず人の部屋で我が物顔で羽伸ばすよね」

 ゆったりとした一人がけの柔らかな椅子に腰を落ち着け、手には本。そば近くに引き寄せられている書き物用の小さな机には、湯気のただようカップと茶菓子まで置かれている。


「お茶まで用意させてあるとか、どんだけだよ」

「お前の方が時間がかかるかと思ったからな」

「いや、まあ、その通りだったし、俺の部屋でって俺がいいましたけどね? それ、また俺の本だよね?」

 彼の手元に納まる表紙を見下ろし、莠がいう。玄也が莠の本を己が物同然に広げているのは、もはや一度や二度の話ではない。彼の部屋の机や椅子の上に、本棚に収めず積んである本は、たいてい莠ではなく玄也が読んでいる途中のものだ。

「本棚の隅で埃をかぶってて、哀れだったんで引き出してやった」

 もうすぐ読み終わった頁は、本の中ほどに差しかかろうとしていた。随分長いこと、優雅に彼の部屋で過ごしていたらしい。


「そいつはどうも。でもこれ以上、俺の部屋に積んどく本増やさないでくれる? それに、それ、お薦めはしないよ。少なくともこんな薄暗い国で読むと余計気が滅入る、救いのない悲劇だ」

「名作だろ? 書名だけは良く知ってるが、読んだことがなかった」

「興味があるなら、いっそあげるよ。俺は一度読んだけどもういいや。物語は幸せな結末に限る。それより――ちょっと愚痴るから聞いて!」

「いいぞ。そうなると思ってた」

 溜息交じりながらも頷く玄也の言葉にかぶせるように、苛立ちも露に莠が咆えた。


「あんの魔獣馬鹿、ほんとに人の話聞かないよね!」

「話を聞く幹部がこの国にいたか?」

「いないけど! どっこにもいやしないけど! だからおかげでユリアちゃん方面の状況が、ぐちゃぐちゃだったんだけど! だいたい普通に考えて、なんで同じ国の追っ手が混線してんだよ! ほんと馬鹿なんじゃないの! これだから協調という言葉を知らないうえ、我の強い奴ばっかの組織は! ええい、面倒くさい!」

「確認するまでもないほど証拠はそろっていたが……やはりそうだったか」


 幻獣使いたるユリアの略取についてはふたりが請け負う仕事となっていた。だがその後も、以前主導していた総軍務卿がなにやら密かに自身の部隊を動かして続けていたのだ。それに加えて、彼だけでは説明できない追手の動きがあることも、ふたりは把握していた。今回の魔法使いの件もそれだ。誰が糸を引いているのかはおおむね予測がついていたので、先ほどまで莠はその人物に会いに行っていたのだ。


「まったくあの長官、今回の魔法使いの件を尋ねたら、あっさり認めて『なにがいけなかったのかい?』ときたよ! 全部だよ! 全部!」


 魔法技術府まほうぎじゅつふ――そう名付けられた、雲龍帝国の魔法に関わる中枢組織がある。失われていく魔法を蘇らせ、繋ぎとめるためのありとあらゆる方法と技術を開発、研究するための組織だ。帝国の力を支える重要な機構であるため、その権限は強く、そこの長官ともなれば、実質、権威と権力は軍部の長とも並ぶ。莠たちにとっても、立場上は上司にあたる存在だ。

 その長官が、此度の魔法使いを差し向け、また、その前にもたびたび、ユリア――と共にいるようになった蒼珠を狙っていたのだ。


「あの王女の連れは、魔獣にゆかりがある奴なんだろ? あの長官は、魔獣に並々ならぬ情熱があるから執心するのも頷ける。そもそも確か、数年前に僻地の研究所から逃げられて以来、ずっと再び取り戻そうと画策してた相手じゃなかったか?」

「その通りだけど、といっても、あれ完璧に国の戦力の私用だからね? 私的に使うなといってもまったく耳に入っちゃいねぇ! おまけにまた魔獣講義聞かされたし! 人生で何度目かと! もう聞き飽きた!」

「今日は随分と長かったな……」

「蒼珠さんのことで気分が盛り上がっちゃってたみたいだからね! 俺が知るか! 本当にこっちの話をまるで聞かずに嬉々としてかぶせて、『そんなことより魔獣が』、じゃあない! 聞け!」


 机に叩きつけられる拳にあわせて手慣れた様子で玄也はカップと受け皿を手に取り、そのまま口をつける。莠の方もいつものことなのかその対応を気にとめもせず、語気も荒く続けてまくしたてた。


「昼にあの長官の部屋入ったはずなのに、あと少しで日が暮れるよ! どんだけだ! どんだけ話してたんだ! 魔獣魔獣と! 一生分魔獣って聞いた! ……本当に、せめて椅子ぐらいは勧めろ。人の話を聞け……」

 最終的に顔を覆った彼に、玄也は形容しがたい同情の視線を投げかけてやった。

「よく耐えたな……お前」

「人のことお構いなしの熱意の圧と勢いに、逃げる機を完全に逸したんだよ。くそっ……! こんなことで忍耐力を鍛えたくなかった」

 腹立たしげに深い深いため息を吐き出して、しかし多少気持ちが晴れたらしく、莠は適当な椅子を引き寄せると、机を挟んで玄也の向かいにようやく腰を下ろした。


「まあ……なんとか、次に何かするときはこちらを通すってとこは承諾を得たよ。成果以上に無駄に疲れて帰ってきたけど――それで、そっちは?」

「怪我が酷かったので、ひとまず治療に回した。終わり次第、今回の行動について話をする予定でいたんで、そろそろ向かう。釘を差すのは俺よりお前の方が効果があるかと思っていたんだが――」 

「俺がいまいくと、怒りのままに彼の心を折る。やめとくよ」

「そうしてやれ。それともうひとつ。例の宰相の娘の件だ」

「ああ、セーラちゃんね。どう? ご飯食べてる?」

 机の上の茶菓子をひとつ、無造作に指先につまみ、莠は口に放り込む。

「昨日、様子見に行ったら、すんごい睨まれた。ひどい」

「にこやかに迎えられるとでも思ったのか? 食事は減ってた。安心しろ」

「それはなにより。下手に死なれると後味悪いからさ。で、他になにかあった? 脱走試みたりしてた?」

「……部屋の隅に、本人としては隠していたんだろうが、実に分かりやすく、長くひも状になるよう繋がれたシーツや衣類が置いてあったんで、とりあえず燃やしておいた」

 冗談で聞いた問いかけへのまさかの返答に、莠は声を立てて笑った。

「可愛い! なにそれ無駄な抵抗! そして君はひどい!」

「あそこが何階だと思ってる? 下手なことをされたら怪我で済まないだろ。本題は、そのあとだ。あの娘の部屋から出た時、ちょうど総軍事卿の部下に出くわした」

「あ~……」

 とたんに眉間を寄せて、莠は不快げに顔を曇らせた。そもそも、彼女は攫った時点でその役割は終わっている。人質ですらないので、捕らえ続けておく必要もければ、生かしておく意味もない。それをわざわざ総軍事卿が側近くに閉じ込めておけと命じたのは、つまりは、そういうことだ。


「丁重になんの用向きか声がけしたら、またあとで構わないと引き下がっていったが……。近々、場所を変えた方が良くないか? いったんは従ってやった。もうそれだけで十分だろう」

「だろうね。移動先と体のいい移動理由を考えとく。しかし分かっちゃいたから気をつけてはいたけど、それ、まだ昼頃の話だろ? 本当に節操がない」

「そもそも節度があったらそういう行為に及ばないだろ」

「ごもっともで。今度あの無駄に大きいあいつの自室のベッドごと、背骨叩き割ってやろうか」

 舌打ちして莠はぼやく。薄緑の眼差しは忌々しげに顰められたままだ。それを眺めて、気持ちはわかるがな、とかかった玄也の声に、彼は気を取り直すようにその長い髪を軽く払った。


「ま、どうせあとで、ちょろつく追手の件をお話ししなきゃと思ってはいたんだ。その件も併せて、丁寧に進言させていただくよ」

「――叩き割るなよ」

「え? ベッド? 背骨?」

「物に罪はない」

「俺、玄也のそういうとこ、嫌いじゃないなぁ」

 平然と言い切った相方に、莠は楽しそうに笑った。本を置き、玄也が椅子から立ち上がる。

「俺からの伝達事項は以上だ。奴に小言をいってくる」

「よろしく頼むよ。で、本は? まだ途中だろ。持ってかないの?」

「置いておく。ここにいる時間の方が長い」

「俺の部屋は君の図書室か」

 言い置くだけ言い置いて、取り合いもせず扉を閉める音に、莠の抗議ともつかないぼやきは重なり流れた。こうしてまた、積まれる本が一冊増えるのだ。

 肩をすくめ、残された茶と茶菓子を手持無沙汰につまみ、さて、と莠はひとりごちる。

「総軍事卿のとこに行く前に、少しこっちもやっておくかな……」

 ふわりと風が彼の髪を撫でて行き過ぎた。閉ざされた窓の向こう、薄曇りの空はいつしかわずか差していた陽射しすら失い、夜に飲まれて暗く闇に抱かれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る