第一章 遭遇-17

 森の中から立ち昇る湯気が、木々の合間を抜けて細い月を霞ませる。もう秋というより冬寄りの空だな、と、星の瞬きを見上げながら、ユリアは目の前の鍋で煮詰められたスープの味をみた。

(うん。塩だけにしてはいい味)


 今日は野宿だ。荷物になるため最小限の簡易な調理器具しかなく、煮る、焼くぐらいしか出来ないが、火が通れば十分だろう。小さな鍋なので四人分となると、あともう一度ぐらいは同じ作業をしなければならいのが手間だが、贅沢はいってはいられない。


 冬ごもりに遅れたうさぎを透夜が仕留め、蒼珠が捌き、ユリアが切って仕上げて、今日はうさぎスープなのである。ピユラがちょっと遠くに身を潜めて、うさぎ――と呟いていたが、皮や毛皮も後々加工されて路銀に化ける予定なので、無駄なく感謝とともにいただくことで、ピユラの心を射止めたあのつぶらな瞳には許してもらいたい。


「いい匂いだなぁ。こっちも焼けてきたぜ~」

 枝に刺した簡易なパンの焼き加減を調整しながら蒼珠がいう。手慣れた蒼珠の指導の元、透夜とピユラがなにやら言い合いながら持ち合わせの小麦粉と水を捏ねて作ったものだ。ピユラ作成の分は多少形が不揃いだが、それにしては焦げもなく上手に焼いた方だと、蒼珠は自身で自分の手腕にそっと拍手した。そして透夜の方は、意外にも形がいい。手先が器用なようで、磨けば光るな、と蒼珠としては今後の野宿に期待をしている。


「こっちもあらかた、寝れる程度にはなったぞ」

「落ち葉が背中にくっついとる気がする……」

 そうすぐ近くの浅い洞窟から透夜とピユラが顔をのぞかせた。落ち葉の吹き溜まりになっていたので、それを掃き出してくれていたのだ。風魔法でばっと片付けよう、というピユラの提案は蒼珠に却下されたので、地道に頑張って綺麗にしたのである。

「じゃあ、飯にすっか。いやぁ、疲れた~」


 めいめいに簡易な食器でスープを口に運び、パンをほおばりながら、ようやく腰を落ち着ける。今日は散々だったのだ。本来ならば、いま頃は次の村か街につき、宿屋で休めている予定だった。しかし、立て続けての追手の襲来に応戦して逃げているうちに、森の中で日が暮れてしまったのである。


「ユリアのいってた莠と玄也ってのは、あれ以来姿見せねぇけどさ。なんなんだろうな、ここ最近現れてくる奴ら。帝国なのか? にしちゃ、今日も最初の奴らと次に襲ってきた奴らが、なんか違う感じだったしよ」

「スティルの手の者という感じでもないな。雰囲気としては、例のふたり組が姿を見せる前に俺たちを追っていた奴らと似ているが……。あれも帝国だと思ったが、やはり違ったのか? また別のところの追手というのも、笑えないな」

「そうほいほい幻獣の話が漏れててもなぁ。もしかしたら、帝国は莠と玄也ってやつに追撃を一任したわけじゃねぇのかもな。他の部隊も動いてんのかもしれねぇ」

 もぐもぐと口を動かしながら蒼珠がぼやく。

「そうだとしても、その場合、別々の追手とはいえ同じ国からのものだろ? それにしては、統制がなさすぎだったが?」

「それなぁ。よく分かんねぇよなぁ」

 透夜の疑問に頷いて、蒼珠は肩をすくめた。

「ま、いまは考えてもここで手詰まりだな。今日はもう寝るだけってのを祈ろうぜ」

 そのまま彼らは、今夜の火の番の話や明日の動きについて打ち合わせ始めた。それを耳に止め、一度ピユラとの話を切り上げて、ユリアが問いかける。


「ふたりとも不寝番までしたら、疲れない?」

 透夜も蒼珠も、ユリアとピユラはずっと休ませることを前提として、火の番の相談をしていた。だが、今日襲ってきた者たちから逃げる時も、彼らがそれを防ぎ、逃げ道を作り、ふたりを守ってここまで来たのだ。ゆっくりと休みたいのは、どちらかといえば彼らの方だろう。

「別にまったく寝ないわけじゃないから、問題ない」

「そういうこと~。そこはあんま心配しなくていいぜ。きちんと体力配分するからさ」

 請け合わないふたりの答えに、そっか、とユリアは色に出かけた申し訳なさをそっと微笑みに隠した。火の番ぐらいは出来るかと思ったのだが、よくよく考えれば、見張るという行為に慣れていない。そうした相手に任せるのは不安の方が大きく、かえって休まらないだろう。


 やがて食事を終え、火を小さくし、四人は寝支度を整え始めた。冷えぬよう幾枚か織物を羽織って洞窟の奥で横になる。ピユラとユリアには、比較的寝やすそうな場所が譲られた。火の番と見張りは、先に蒼珠がすることになったらしい。共に洞窟内に入った透夜は、寝づらいだろうがよく休めよ、と声をかけ、自身も岩壁にもたれて目を閉じた。


 しばらくしてユリアが一度瞑った目をそっと開き、うかがい見れば、彼はもう浅く寝ついているようだった。貴族とはいえ、そうした部分は間違いなく訓練された兵士なのだ。


(どんな気持ちで、スティルに戻るのかな……)

 ユリアとしては、母と過ごした家に多少の恋しさはあるものの、国への思いというものは、囚われたことによる小さな猜疑と恐怖の蟠りを除いては、さして抱いてはいなかった。実際に暮らしていた時には、目の前の毎日に精一杯で、大きな視点でなにかを思うということもなかったのだ。いまこうして逃亡し、旅をしている方が、故国についていろんなことを考えられている気さえする。

 けれど、透夜はおそらく違うだろう。


(どこまで私は――透夜の好意を、利用する気なのかなぁ……)

 それでも彼が隣にいると心安らぐのだ。あの伸べられた手を取った日から、ずっと。どんなに先が見えなくても、どんなに幻獣の力が恐ろしくても――だからきっと、もういいよ、とユリアは彼に告げられない。このかかわりのないはずだった逃亡の日々から、解放してあげられない。

(そこに、いてほしいんだ……)

 瞳を閉じる。うとうととまどろみに身をゆだねると、あの夢の断片がふわりと頭の片隅を過って消えていった。真っ赤に濡れた胸元を押さえ、倒れ込む彼の姿は、あの白い世界であまりにも鮮やかだった。

(ああ、どうかもう二度と――)

 夢でもあのような光景を見ることがないように。

 そこでユリアの意識は、夢のない眠りへと沈んでいった。

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