第一章 遭遇ー13

 気を失ったユリアを伴い透夜が村の宿へ戻ると、闇に沈むその入り口で蒼珠とピユラが待っていた。階段に膝を抱えて座り込むピユラのそばで同じく腰を下ろし、戸惑うような視線を彼女へ向けていた蒼珠が透夜の気配に彼を仰ぐ。

「よぉ、お疲れ。ふたりとも無事でなによりだ。馬、借りていって良かっただろ?」

「ああ……」


 馬を繋ぎ、ユリアを抱き下ろす透夜に、無言でピユラが歩み寄ってきた。透夜が彼女へと口を開く前に、なにかを押し殺したような声が響く。

「……怪我をしておるな。治そう」

 一瞬、浅いがそこかしこにある彼女の切り傷に瞳を震わせて、ピユラは呪文を紡いだ。柔らかな風が彼女の手から巻き起こり、淡い光とともにユリアを包む。痛々しい痕の消えたユリアに目を見開く透夜へ、すまぬ、と消え入りそうにピユラは零した。

その初めて見るあまりに力ない態度に透夜はかける言葉が分からず、わずか言い淀む。しかし独りごちるように囁いた。

「別にお前だけの責任じゃないだろ……。思いつめるなよ」

「……透夜、そなた……」

 ようやく仰いできた泣きそうな紫色に、きまり悪そうに顔をそらし、透夜は蒼珠へと視線を投げた。


「それより、蒼珠。お前、あの場がああなってるって気づいてたのか?」

 遠く伸びる、巨大な爪で抉り取られたかのような地面の傷跡。未だかつて見たこともない光景の脅威が、焼き付いて消えない。ユリアを追って村を出る直前、確かに蒼珠は驚愕の目で彼女が攫われた方角を仰いでいた。そして、同時に糸が切れたように操られていたピユラが倒れ、一瞬まばゆい光が空の彼方を照らしたのだ。そのあと、馬を借りて急ぎ向かえと彼を急かした蒼珠の剣幕は、普通ではなかった。


 だが、蒼珠は緩やかに首を振った。

「いや、どうなってたかってのは、よく分からなかった。まあ、その顔じゃあ、相当酷い有様だったな……。ともかく、俺はちょいとばかり特殊で、魔法は使えねぇが、魔力の気配なら分かる。だから、感じたんだよ。ほんのわずかな間だったが、凄まじい気配をな。それで――さすがにちょっと本気で焦っちまった」

 蒼珠はそこで、面目なさそうに頬をかいた。

「ピユラもいたし、そのあと魔力の気配もなかったしで、勢いでお前ひとりに行かせちまったが――まあ、お前もユリアも大事なくて、あれでピユラも正気に戻った。ひとまず、よしとしとこうぜ」

 蒼珠は金色の瞳を細めて笑顔を作った。しかしそこへ、すまぬ、とまた、か細い謝罪が落ちる。

「私がもっと早くから正気であったなら、もう少し色々感じ取れたかもしれぬ。それに、ユリアも――私があの時動けていれば、攫われすらしなかったかもしれぬ。……本当にすまぬ。無事で、よかった……」


 ともすれば、涙に滲み消えそうな声で、そっと目を閉じたままのユリアの手を取る。その罪悪感に潰されそうな小さな背に蒼珠は歩み寄り、優しくなでるように叩いた。

「仕方ねぇよ。お前は悪くない。それに、詳しいことはユリアが起きたら聞けるじゃねぇか。みんな無事だった。なにも謝ることはない。な?」

 なだめる彼の声は心地よく、柔らかにピユラに降る。それが余計に苦しいと訴えられるほど子どもでもなく、彼女は黙って小さく唇を噛んだ。


 その仕草に気づいているのか、いないのか。蒼珠はピユラへ注ぐ眼差しから切り替えて、再び透夜へ振り向いた。

「ひとまず、この騒ぎについて、宿の者はうまくいいくるめておいた。早くユリアとピユラを休ませよう。お前、俺たちがいた部屋をユリアと使え。追撃が来ないとも限らない。四人一緒じゃ部屋が狭すぎて休めないから分かれるのは仕方ないにしても、最初から……そうしときゃ良かったな……」

「そうだな」

 小さく零れた蒼珠の後悔に、透夜もユリアを抱く腕に力を込めた。もういまとなっては仕方のない話と分かりながら、痛いほどそれは彼も思っている。

「とりあえず、俺はもう行く。――お前も、よく休めよ」

「え~? たぶん俺、一番元気よ?」

 軽い調子で笑う蒼珠に、なにもいわずに透夜は肩をすくめると、気づかわしげにユリアを抱いて宿へと入っていた。


 まだ立ち尽くしたままのピユラに、俺たちも戻ろうぜ、と蒼珠が声をかける。ゆっくりと頷き、ピユラはふとそこで、違和感に気づいた。

 いつも自然と差し出される彼の手がない。ピユラが立つ時、段差を下る時、その歩みを促す時、さりげなくその手は彼女の前に現れる。それは風羅で彼女の騎士として仕えていた時の習いか、王女の扱いはしないといいながら抜けきらない、彼の癖だ。


「蒼珠……そなた、まさか」

「あ……! おい!」

 蒼珠が止めるより、ピユラが彼の懐に飛び込んで、外套を剥ぐ方が早かった。しくじった、と手を額に蒼珠は天を仰ぐ。

「傷を負っているではないか……!」

 泣きそうな、悲鳴に近い声でピユラは顔をゆがめた。ちょうど外套に隠れる位置。蒼珠の右肩には、滲む赤い血とともに、深い切り傷が開いていた。


「たいした事ねぇよ。俺の頑丈さは知ってるだろ? 心配するな」

 気を取り直して、努めて明るい調子で蒼珠はピユラの頭をぽんぽんと叩いた。しかしそれで、ピユラの表情が晴れるはずもない。

「――……これも、私がやったのか……。奴らに操られていたとはいえ、蒼珠にまで……」

 魔法を使える身でありながら、ユリアを守れず、透夜に怪我を負わせ、蒼珠にもこれほど深い傷を残してしまった。

「すまぬ……蒼珠」

 ピユラは、彼の腕に震える額を寄せた。

「そなたを……傷つけるなど――」


 彼と彼女の出会いは、五年ほど前になる。蒼珠は埃と泥にまみれて、風羅を囲む氷の道を抜けてきたのだ。黒髪に、煌めく赤の房が混じる金眼の男。手酷く傷ついていた彼は、風羅と敵対する帝国から逃げてきたといった。少し陰りのある、けれど快活な青年だった。父王は彼をいたく気に入り、国で保護してピユラの護衛の騎士としたのだ。


 ピユラも彼の明朗な気質をとても気に入った。護衛の中でも特にそば近くに用い、城内での小さな冒険も、ささやかないたずらも共に楽しんだ。そして、国が滅んだ時も――ピユラの手を引いてくれたのは、彼だった。

 彼は、あの日すべてを失ったピユラにとって、唯一残ってくれた存在なのだ。いまではピユラの騎士である以上に、一番の理解者でもある。


(――それなのに、私は……)

 ピユラはそっと右手を蒼珠の傷口にかざした。ひそやかに柔らかに、呪文の詠唱に入る。

「汝、風を纏いし者たち。我が友なる風の精霊。慈しみて深き傷を癒し、苦痛を取り去りたまえ。我が言の葉が結ぶは古の約束――」

 蒼珠の肩口の周りに優しく風が吹き寄せ、淡い光を放った。見る間に傷が癒され、ふさがり、もはやその痕跡も分からない。ユリアへも事も無げに使っていたが、この癒しの力は、風魔法が使える者の誰もが為せる術ではない。風羅の王族だけが使える、風魔法の真髄ともいえる奇跡の力だ。


「相変わらず、すごい力だな」

 感嘆に目を細め蒼珠は呟く。だが、ピユラはさらに瞳を伏せた。

「不完全だ……。父上には及ばぬ……」

「それは、まぁ……いいんだよ。それで、結界は……?」

「張っている。安心しろ」

 少し言葉を濁してから、切り替え尋ねた蒼珠へ、短くピユラは答えた。


 蒼珠はその体質ゆえ、魔法に触れる時は同時にその身を魔力から守る結界を張る必要があるのだ。ただでさえ魔力を消費する癒しの術に、重ねての結界。蒼珠は面目なさそうに眉尻を下げた。

「そうか……手間かけて悪いな……」

 詫びる蒼珠にピユラは力なく首を振るう。

「悪いのは私だ」

「だから、お前は悪くないって、」

「蒼珠はいつもそうやって私をかばってくれる」

 蒼珠の言葉をさえぎって、ピユラは苦しそうに顔をゆがめた。

「でも、私はそれに甘えて、そなたを振り回してばかりじゃ。本当なら、そなたは私の御守りはもういいはずなのじゃ。私はもう、国のない王女じゃ……。そなたの仕えた父上もおらぬ。そなたにとっては、もう付き合わなくてもよい存在であるはずなのに、ずっと付き従わせてしまっておる……。すまぬ」


 国を逃げ出してから、幾度か危ない目にあうことはあった。けれど、蒼珠がここまでの怪我を負うことなどなかったのだ。あの日以来ずっと共にあった彼を、最も傷つけたのが己自身であるということが、ピユラには許しがたかった。あの日から、もうなにも自分の周りで失うものは欲しくないのに、自分の手で、もしかしたら彼を失ったかもしれないことが恐ろしかった。


「はあ? 急になにいってんだよ」

 がしがしと頭を掻きむしり、俯くピユラに強い語調で蒼珠は顔を突き合わせた。額と額がくっつきそうな程の距離で、金色の瞳が力強く真っすぐにピユラを射貫く。

「誰が付き合わされてるだって? 俺が、付き合いたくて付き合ってんの! お前が大事なの。王女とか、父王とか関係ねぇの!」

 かがみこんだ体躯のいい長身の青年と、折れそうな細く小さな少女の影が月明りに照らされる。対照的なのに、その折り重なる影はあつらえたかのように美しい形を地面に落とした。

「俺は大切なもんは、きっちり守り通してぇの。お前が嫌だっつても付いて行くぞ、俺は。お前が俺の知らないところで死んじまったりしねぇようにな」

 瞬きも忘れて蒼珠を見つめる紫水晶の輝きに、ふと照れ臭そうに顔を染めて、蒼珠はおもむろに彼女から離れて身を起こした。

「あ~、ともかく、だ。そういうとこは、馬鹿親父に似ちまった。お前を死なせたくない。だから、俺はお前のそばについている。なんだこれ、小っ恥ずかしいな。いいか、もういわねぇけど、そういうことだからな、ピユラ。分かったか?」


 以前、ピユラに蒼珠が語った言葉が脳裏に蘇る。

『あの馬鹿親父。ある日突然、俺を残して母さん連れて、姿を消しちまいやがった』

 蒼珠がそう、笑っていっていたことがある。そこには置いて行かれた寂寞と、それ以上の父への憧憬が溢れていたのを思い出す。

 時たま彼が語る彼の父は、なによりその母を大切に想っていたようで、時にその行動は恨みがましく、時にその想いは羨望をもって彼の口からこぼれていた。

 その父と同じと彼はいう。どこか面映ゆそうに、父にとっての母が、彼にとってのピユラという。

 ようやく、ピユラは微笑んだ。この言葉に信を置かずして、なにが王女か。


「父君のこと、よく文句をいっておったくせに」

「ま、それはそうだが……こういう性質は悪くないぜ」

 いつもの調子を取り戻したらしい幼い彼女の不敵な笑みに、蒼珠は破顔した。わざとめかして、騎士のごとくその前に膝を折る。

「絶対守る。そばにいさせろよ」

「ふむ。許そう」

 笑みを引き、手を取って、不遜な瞳に真摯な色を湛え、彼女の騎士はそう誓い、強請る。王女は鷹揚な頷きでもって、それを容認した。

 その芝居がかったやり取りに、二人で同時に笑い合う。


「しかし、思えば、傷を負った時に怪我以外の大事がなくて良かった」

 彼の肩を傷つけたのは、どう間違ってもピユラの風魔法であることに相違ない。魔力に敏感な彼の体が、それで調子を狂わせなかったのは僥倖といえる。

「それは、お前の父上――冬月様のおかげ~。壊れちまったけどな」

 蒼珠はそういうとどこからともなく、ひび割れた青い石の首飾りを取り出した。

「お守り代わりにって、お前の護衛になった時に渡されてたんだよ。風羅ではついぞ世話になることはなかったが、いまここで、助けられた」 

 それは、父王が守りの魔法を込めた石だったのだろう。かかげられたその首飾りに目を見張り、ピユラは喜びに泣くように相好を崩した。

「父上は、亡き後も私たちを守ってくれたのか……」

 そっと手渡された首飾りをいとおしげにピユラは見つめる。その時、その瞼が重たそうに何度か瞬いて、やがてふわりと閉じた。倒れこんだ体を優しく蒼珠が受け止める。


「魔力の使い過ぎか、張り詰めてた気持ちが落ち着いたからか……」

 操られながらの風魔法も、癒しの魔法も、いまの彼女への負荷は大きかっただろう。何より正気に戻ってからずっと、彼女は自分を責めていた。

「お疲れ、ピユラ」

 優しく囁いて、蒼珠は彼女とともに宿へと入っていった。

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