第一章 遭遇ー14
朝早く、朝食もそこそこに彼らは村を後にした。居場所が知られている宿に長く留まる危険を避けるためだ。街道を外れ、昨日ユリアが連れ去られたのとは逆の方角に進み、小さな泉を囲むようにしてあった雑木林の奥で、一度彼らは腰を落ち着けた。
「んで、さっそく本題だが――ユリア。昨日侵入してきたのはどんな奴らだった?」
「主観が入ってもいい。……嫌なこともあるだろうが……なるべく詳細に話せるか?」
「うん。分かった。ありがとう、透夜。大丈夫だよ」
不器用に気づかう彼に微笑んで、ユリアはゆっくりと、昨夜の目まぐるしい記憶を辿った。
「えっと……ふたり組のわりと若い男の人たちで、雲龍帝国から来たっていってた。多分、服装からして、軍人さん。長い金髪で白い軍服の人が莠っていう名前で、氷の魔法を使ってた。もうひとりは、短い黒髪、黒い軍服で、炎の魔法を使う人。名前は玄也って呼ばれてた。確かにはいえないけど、莠さんっていう人の方が、少なくとも魔法については玄也さんより強いんだと思う。その――最初の幻獣の力を防いでたのが、莠さんだったから」
「あの凄まじい痕を残してた力か――……」
「うん……」
あのあと獣の姿で幻獣が放った力と比べても、あの最初の一撃が異様であったことはユリアにも理解できた。いまだあの力が自分の力だとは信じたくない。ユリアはそっと手のひらを握り合わせた。そのまま、幻獣について彼らが零した内容についても説明する。ひとりで抱え込むには、この力はユリアには大きすぎた。
「〈意思持つ魔力〉に〈継承〉、か……。私も聞いたことのない類の魔法の話じゃ。すまぬな、ユリア。力になれぬ……」
「ううん。いいんだよ、ピユラちゃん。なんというか、私もまだ自分で処理しきれてないし、ゆっくりでいいかなって」
身を乗り出して耳を傾け、色々と自身の知識を浚っていたピユラがうなだれる。その頭を優しくなでながらユリアも頼りなげに苦笑した。
「しかし、やっぱ出てきちまったか、帝国」
可能性、としてかの国のことを挙げた蒼珠がぼやく。隣のピユラの顔が固くなったのが分かり、ユリアはそっと、彼女の手を取った。瞳を見開き、すまぬ、と彼女は苦しげに笑う。ユリアはただ首を振り、その手に込める力を強めた。
「ユリア、雲龍帝国――確かに奴らはそういったんだな?」
透夜の言葉に、ユリアはしっかりと頷く。
「うん。それは聞き間違いない。それに、帝国にこの力を見たがってる人がいるって。正直――ちょっと怖い人たちだったな……。特に、あの、莠さんって人の方は――なんていうんだろう? 最初から怖い感じというか、嫌な感じがしたというか……」
表情を暗くするユリアを、今度はピユラが労わるように気づかわしげに見上げた。
「ユリアがそこまでいうとはよほどじゃの……。そんな恐ろしげな風貌の男じゃったのか?」
「う~ん、見た目はどちらかというと、綺麗っていうか? 男の人だけど美人? みたいな? すごい整ってる感じだったんだけど……」
ユリアは首をひねる。外見ではない、どこか奥底の方で、嫌な気配がとぐろを巻いていた感覚が近い。鎖でがんじがらめにされたような、重苦しい圧迫感があった。
「ともかく、帝国のふたり組の魔法を使う軍人っつうと、嫌な思い当りがあるぜ」
蒼珠が眉をしかめて、重いため息をついた。
雲龍帝国は、独自の組織なども設け、魔法の廃れゆくこの時代にあって、どの国よりも魔法に関する造詣が深い。それは、魔法国家としてあった風羅とは違った形で、天賦の才をその血に受けない者たちとしての取り組み方であった。だが、それゆえに、他国の追随を許さない特殊な知識を手にしているようだった。抗うように魔法にしがみつこうとするその姿勢は、時代の趨勢のままにあった風羅とは対極的ともいえる。しかし、そのような帝国にあっても、魔法を十全に使いこなせる者となると、数は限られるのだ。
「俺も思い当る節がある……。最近帝国はなにかと忙しい。この辺りは帝国と友好関係を結んでいる国や地域が多いから、あまり騒がしくはないが、海を渡った先では、奴ら、急に侵略戦争に力を入れ出しているからな。スティルとしても、たまに援軍の要請を受けることがあった。だが、本当にそれもごく稀だ。そうなる前に、片がつくことが大半だったからな」
蒼珠の言葉を引き継いで、透夜がいう。その視線はやはり剣呑な光を纏っていた。
「帝国は高い軍事力を誇る。普通に戦いを仕掛けても負けることはそうないが、それでも苦境がないわけじゃない。だが、そういう時には決まって、ふたり組の軍人が戦場に現れるそうだ。そして、魔法を使って帝国に勝利をもたらしてく。――そういうお伽話なら、何度か聞いたことがあるな」
「右に同じだぜ。魔法文化の盛りだった昔ならいざ知らず、いま時たったふたりで戦局を勝ちに変える魔法使いなんざ、いやしねぇと思いたかったんだが――」
古の魔法使いですら、そのような夢物語を現実にするのは難しいかもしれない。出来るとしたら、それは人ならざる魔のものぐらい。そうでなければならないはずなのだ、本来は。
「おそらくユリアを攫おうとしたふたりは……帝国の皇帝直属の魔法部隊だろうな。ここ数年、帝国と敵対する国じゃ、まことしやかに存在がささやかれ、恐れられてる相手だぜ」
蒼珠の言葉に強張るピユラの姿をユリアは痛々しく見つめた。彼女はいつも帝国の話題が出ると多くを語らないが、ずっとそのうちになにかを苦しく燻らせている。それが、その小さな細い背に、ユリアにはとても重たく見えるのだ。
「しかし、もし本当にそいつらだったとしたら厄介だな」
透夜が頭を抱え、悩ましげにいう。
「つまりは帝国の隠し玉だ。それほどの相手を差し向けてユリアを狙ったということは――幻獣は、帝国にとってそれほどの価値があるってことか……」
「まあ、昨日の夜の感じじゃ、相当な力がありそうだからなぁ。帝国としてもひとまず押さえておきたいんじゃねぇか?」
「スティルの王ばかりが敵じゃないわけだな……」
蒼珠の返答に透夜の眉根が寄る。ユリアも不安げに肩を落とした。それに気づいて、励ますようにピユラは自身の曇り顔を払い、ユリアの手をその両の掌で飛びつくように握り返してきた。
「大丈夫じゃ、ユリア。その、いま私は蒼珠たちがいう、昨夜ほどの力はユリアから感じぬ。本当じゃ。もしかしたら、最初だけすごかっただけかもしれぬぞ? もしそうだとしたら、やつらもすぐに諦めるかもしれぬ」
それは現実味がない慰めではあったが、必死に見つめる彼女の瞳は、ユリアの心を柔らかに包んだ。まるで暖かな春の風に吹かれたような心地よい優しさがある。
「うん。ありがとう。ピユラちゃん」
微笑みながら、その時、もし――とユリアは初めて思った。
(もし――ほんとに、帝国が狙うような力が、幻獣にあるのなら……)
この小さな手を守るために、使えはしないかと。あの深い傷跡を刻み、かの莠という青年に赤い血を滴らせた力は、恐しくはある。けれど、誰かをそれで守れるというならば、得難い力なのかもしれない。
「――スティルへ、戻るか」
「スティルへ?」
ぽつりと呟いた透夜を驚き見やるユリアへ、決意を秘めて紫黒の双眸は告げた。
「スティルの王も帝国も、どっちも幻獣の力を狙ってる。特に、帝国側は面倒だろ。絶対に逃がす気がなさそうな相手を投入してきている。にも拘わらず、いま俺達にはどちらからもただ逃げるという選択肢しかない。幻獣についても帝国についても、情報が不足していてその他の判断のしようがないからな」
「確かに、多少幻獣について情報は手に入ったちゃぁ、入ったが、たいしたことは分かってねぇもんな。現状、最適解も不明なまま、逃げ惑うしかないっていうのはその通りだ」
「スティルの王は幻獣の情報を探していた。帝国との繋がりもある。どちらの情報もある程度、あの国に行けば得られる勝算があるだろう。俺には土地勘もあるしな」
「そうじゃな……。風魔法は情報を集めることができるが、秘匿されたものは難しい。此度の情報はまさにそれじゃ。帝国からの情報収集は、魔法の守りもあってそもそも無理じゃしの。誠に確かな情報を得たいのならば、自分の手で探り出すより他ないのは間違いなかろう」
透夜の言葉に真面目な顔で考え込みながら、ピユラも同意して頷く。
「ならなおさらだな。一度は逃げたが、状況が変わった。危険だろうがなんだろうが隠れて戻り、この件に関する情報収集をするのが、ただ逃げ続けるよりはましだろう」
透夜はそっと腰の剣の柄へ手をやった。またあの兄と、今度こそ本当に対峙することになるかもしれない。だが――。
(元よりそれも覚悟で国を出たんだ……)
透夜はユリアを見つめた強い眼差しをそのままに、蒼珠とピユラを振り返った。
「お前たちはどうする?」
「どういうことじゃ?」
「同じ追っ手に追われてはいたが、いま、確実にいえることは、帝国が幻獣を狙い、厄介な相手を差し向けてきた、ということだけだろ。いままでの追っ手も帝国のものと考えるのが道理が通るが、とはいえそこは推測の域を出ない。どういった奴等なのかは不確かだ。なら、お前たちはここから行動を別にした方が、危険が少ないかもしれない。少なくとも、莠と玄也って奴らは幻獣を追ってるようだからな。一緒にいなければ、そいつらには巻き込まれない」
「愚かなことを申すでない! 帝国の名が出て、奴等が脅威となっておって、私が退ける訳があろうか!」
毅然と言い切り、ピユラはなにかを振り切るようにすっくと立ち上がった。透夜を捉えて、その大きな瞳でしかと見つめる。
「帝国絡みならば、望むところじゃ。彼奴らの思い通りに事を運ばせなどせぬ! そも、ここまで道を共にしたそなたらを放って別れるなどしたくはない! 人手は多い方がよかろう。連れていくがよい!」
「……分かったし有難いが、なんで上から目線なんだよ……」
呆れた透夜の声音に、ようやくくすくすと笑ったユリアの音色が重なった。蒼珠が歩み寄り、透夜の肩をぽんぽんと叩く。
「まぁまぁ、とにかく、そゆこと。いまさらお兄さん相手に、水くさいこというなよなぁ、透夜くん」
「その呼び方やめろ」
「つれねぇなぁ。ともかく、ピユラは駄目っつってもついてきそうだし、帝国の情報はこちらもほしい。スティルでもどこでも俺たちは付き合わせてもらうぜ」
八重歯をのぞかせて笑み、蒼珠は透夜をのぞき込んだ。
「それより俺としては、お前はいいのかって思うぜ? だって、お前が一番しがらみ多いだろ? なんかあった時に大丈夫か?」
「不要な心配はするな」
表情からして、蒼珠としても念のための配慮なのだろう。透夜は肩をすくめてそれに応えた。しかしそのやりとりに、はたと気づいてピユラは急にしゃがみ込むと、ぎゅっとユリア膝頭にすがった。
「ユリアは平気か? それでよいか?」
心配に陰らせた紫の瞳で、ユリアを振り仰ぐ。
「透夜もしがらみが多かろうが、かの国に足を踏み入れて、もっとも危険にさらされるのはユリアじゃ。かといって、ひとりスティルの外に残すのもそれはそれで危ないしの……」
またいつ何時、帝国の手がかかるとも分からない。
「それなら、安心しろ。昨夜のようなことは、もう起こさせない」
ピユラの不安を除こうとユリアが口を開くより先に、そう短く透夜が言い切った。ユリアは呆けて彼を見つめ、やがてすぐに、そのかんばせをほころばせる。
「うん。大丈夫みたい。すごく心強い護衛さんがいるから」
気恥ずかしげに透夜が柳眉を顰めた気もしたが、ユリアはそれには気づかなかったことにした。そこはまだお互い、踏み込まない方がいいのだろう。彼が守ると告げた確かな言葉を抱きしめるので、いまは十分だ。
「よし! それじゃ、決定だな。スティルを目指すぜ!」
ぱん、と蒼珠が拳を手のひらに打ち付け立ち上がる。
ユリアと透夜にとっては思いがけない帰郷の旅路。ピユラと蒼珠にとっては、初めて足を踏み入れる帝国同盟国への道だ。明るい蒼珠の声に不釣り合いな少しの緊張をはらみながら、昨日まであてのなかった彼らの旅は、スティルへと方角を定め、進みだした。
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