第一章 遭遇-10

 身支度を済ませ、軽い朝食をとって宿を出た四人は、とりあえず昨日一度訪れた街とは逆の方角となるよう、西の街道を進んでいた。昨日使った古くから近場の街同士を結んでいた道とは違い、こちらの街道は森を切り開いて少し離れた街へと繋げたものだ。そのため、次の大きな街までは、徒歩で三日といったところだろう。乗合馬車で行けば一日半で行けるが、追われている身であるため、万一の時に周囲に迷惑をかけられないことや、小さな村が点々としているので野宿の必要がないことから、徒歩で行くことになったのだ。


 深まった秋の空気を吸い込みながら、ピユラはぐいっと伸びをした。街道を少し離れた所に残る森の名残の雑木林が色づいていて、青い空に映えている。気持ちのいい朝だった。


「こう、ふわりと飛んでいきたくなる陽気じゃの」

「飛ぶなよ~」

「物の例えじゃ!」

「ピユラちゃん、本当にできるもんね」

 昨日までの道中とは違い、そこで蒼珠以外の声が混ざってくる。くすくすと楽しそうに笑うユリアに、興味が薄そうに透夜の声が重なった。

「こいつの場合不用意だから、例えといいつつやりかねないがな」

「透夜、聞き捨てならぬ! 妾が不用意とはどういうことじゃ!」

「ピユラちゃん、私、私。直すってゆうべいってたでしょ?」

「む、そうじゃった……私が不用意とはどういうことじゃ!」

「全部言い直さなくてもいいだろうが、それ」

「お~賑やか、賑やか」


 飛び交う会話に、愉快げに蒼珠は笑った。追われる身の一団としては少々騒がしいのかもしれないが、悲壮感や緊迫感に満ちているよりずっといい。ピユラにもいい影響があるだろうと、なにやら引き続き透夜とやりあっているらしい幼い王女を、蒼珠は見守る。


「そういえば、蒼珠さんたちも、この辺りは初めて来た地域なんですか?」

 ユリアが蒼珠をその人好きのする笑顔で振り仰いで尋ねた。昨夜ピユラと話し込む中で、彼らが国を逃れたのち、各地を旅していると聞いたのだろう。だがこの軽い問いかけの様子からすると、さすがに復讐という目的までは、ピユラも話せなかったようだ。


 もちろんそれでなにも問題はない。にこにこと笑い返しながら、蒼珠は答えた。

「そだな~。ここいらはわりと平和なとことはいえ、帝国寄りなあたりだから、足を運んだのは初めてだな。帝国と縁遠い場所なんかじゃ、何度か行くような街もあったんだが、最近そのあたりも物騒になっちまってな。で、この地域は気候もいいってんで、なんとな~く流れてきたんだ。実際、観光向きなあたりだよなぁ」

「本当に、なにもなければ、」

 いいかけて、ぞくりと背筋を這った悪寒にユリアは周囲を見回した。

「ん? なんかあったか?」

「ユリア? どうした?」

 蒼珠がきょとんと瞳を瞬かせ、ピユラと前を行っていた透夜が振り返る。ユリアは自身でも首を傾ぎ、そのまま横に振った。

「ううん……なんでも。なんだか気のせいだったみたい」

 先ほど感じた気がした嫌な感覚は、もう消えていた。ユリアよりずっとそうしたことに敏い蒼珠や透夜も、なにも感じてないようだ。


(変な夢、見たからかなぁ……)

 もはやぼんやり遠くなった朝方の夢。そのどこか遠い声を思いながら、ユリアは首をひねった。

 透夜と蒼珠が顔を見合わせる。

「俺たちはなんも感じなかったが……なんかあったかもしれねぇっつうんなら、少し急ぐか」

「ユリア、こっちに来い。あまり離れ過ぎずに行くぞ」

「ピユラも、ずんずん行き過ぎんなよ」

「うむ。分かったのじゃ」

「大丈夫だと思うんだけど、なんかごめんね」

 やや離れて進んでいた四人は声をかけあい距離を縮め、心ばかり足早に歩きだした。

それを見つめる視線に、今度こそ誰ひとりとして、気づくことなく――。


「――……莠、悟られたんだと思うか?」

「どうだろうねぇ。ま、結果、問題なしだったから、どっちでもいいんじゃん?」

 街道を外れた林の入り口。雑木の生い茂るその奥に、すらりと背の高いふたつの人影が身を潜め、歩みゆく彼らをうかがっていた。


「いやぁ、それにしてもひと月半。ピッタリ過ぎて、あいつのことをここまで読みきった自分が、逆にすんごく嫌だ」

 ユリアたちを映す翡翠の瞳が、形ばかりの乾いた笑みににこやかに細まる。紅葉を照らす木漏れ日のかけらが、その腰をゆうに越すさらさらとした金糸の髪を彩っていた。


「なら賭けはなしにするか。いいぞ。乗った」

 遠くなる四人を緩慢に眺めやり、隣に並び立つ黒衣の青年が淡々とそう受け答える。彼の首筋を掠める短い黒の髪先を、木々の合間を抜ける風が戯れになでて吹きすぎていった。その左耳元で、はめられた小さな白銀の装身具が揺れる。


「こらこら、玄也。勝手に乗らないでくれる? 負けは払ってもらうよ。しっかり、きっちりとね」

 視線はそのまま四人に送りながら、彼へと向けられた莠の指先が払え払えと促すように動いた。切れ長な黒檀の中に憂鬱を溶かして、低い音色は溜息を交えてぼやく。

「お前の要求を思うと気が滅入るな……」

「それはお気の毒。泣き言なら聞いてあげるよ? 負けの払いは譲らないけどさ」

 笑う若葉の瞳にちらりと目を落とし、玄也は肩をすくめた。

「泣き言分まで払いたくはない。で、なにが望みだ?」

「え~、俺そんなケチじゃないから、いつもの礼に耳ぐらい無償でお貸ししますよ? ま、賭けの支払いの方は――そうだね。それはちょっと、考えさせてもらおうか」


 上機嫌な莠の声音とは対照的に、玄也は苦い色をかすかその端正な顔に滲ませた。風がふわりと舞わせる落ち葉のざわめきと共に、零れた彼の吐息が抱かれて消える。

それが聞こえたのか聞こえなかったのか、乱れた金糸をわずか払い、莠は話題を変えて、もはや形も定かではない四人の影を指し示した。同時に、いままで湛えていた笑みが影を潜め、不服げに整った眉が顰められる。

「で、それはそれとして、いまの問題はあれだよ、あれ。聞いてないんだけど」

「確かに、同行者が増えてるな。報告ではスティルの兵だけだったはずだが」

 少ない言葉で彼の意図を察して、玄也は迷いなく、辛うじて残る蒼珠とピユラの後ろ姿を追いかけた。


「覚えのある相手か?」

「ああ。もう、覚えもあるもある。念のため事前に偵察してせいかーい。あれ、風羅の王女様だよ」

「幻獣使いを追ってきたら、亡国の王女がご一緒か」

「そういうこと。しっかし……これはちょっと、やりづらいな」

 物憂げに前髪を掻きやり、莠が囁く。そのにわかに険を帯びた横顔に、静かに玄也は尋ねた。

「なら、出方を変えるか?」

「いや――いい。そこまではしない」

 渋りがちな素振りの割にきっぱりと、莠は返した。もう見えなくなった彼女たちの消えた方角へ、薄緑の視線が鋭く注がれる。

「急ぎのご用命だ。やるべきことは、さっさとやっておこう」

「ならば、当初通り今夜だな」

 低くかかった相方の確認に、唇に笑みを引き、歌うように莠は答えた。

「ああ。今夜、あの幻獣使いに仕掛けるとしよう」

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