5

 夜の帳が降りた頃、執事は城の北に広がる森に向かって歩いていた。埋み門まで来ると中庭を横切る魔者の子に気づいた。

「今夜も魔術の講義を受けられたのですね」

 魔者の子は頷き、執事の持つ籠に目を留めた。

「これですか? 今から森に胡桃を採りに行くのです。一緒に参りませんか?」

 魔者の子はもう一度頷いた。


 同じ頃、居室で伝記を綴っていた侍従の元に使い魔が舞い戻ってきた。

「どうした?」

 使い魔は城内の異変を伝えた。

「そうか分かった。お前は引き続き監視しろ」

 侍従は使い魔を空に放ち、急いで部屋を出た。螺旋階段を駆け上がり、大広間を抜けた先にある玉座の奥で、侍従は立ち止まった。

「陛下」

 呼びかけると、目の前に小さな扉が現れた。侍従はその扉を押して中に入った。

「陛下……」

 寝台に座る陛下は侍従の言葉を手で制した。

『構うな』

「し、しかし」

 闇の中に浮かび上がる銀の眸が侍従を貫く。

「御意……」

 圧倒された侍従はようやく声を絞り出し、首を垂れた。

『案ずるな、任せよ』

 侍従は陛下を見上げた。

 澄んだ銀の眸は金色の輝きを帯び、虚空を見つめている。眸と同じ色の美しい髪が、ほのかな光を纏って暗闇を漂う。

 なんと美しい御姿——。

 何度目の当たりにしても、陛下が〈術〉を使う時は目を離せないでいた。

 陛下は右手を上げ、纏った光を放った。

 光は一閃して闇に消え、辺りに静寂が戻った。


 〈英雄〉が多大な犠牲を払って牢から脱出した時、向かいの主塔から光が飛び出すのを見た。

「何だ、あれは」

 今まで見たことのない現象に〈英雄〉の足は一瞬止まった。嫌な予感が全身を包んだが、〈英雄〉は目を閉じて大きく息を吐いた。

 行かねばならない——。

 〈英雄〉は狭間の開口部クレノーに立ち、眼下に見える湖へ身を踊らせた。


「大分採れましたね」

 執事は籠の半分ほど溜まった胡桃を見て微笑んだ。

「あともう少し欲しいところですが——」

 執事は言葉を切って城の方を見やった。侍従の使い魔が飛んできて、執事の差し出した手に留まった。

「どうしたのでしょうか」

 言付けを受け取った執事は、戸惑いの表情を浮かべた。

「私に城に戻れとのことですが……」

 執事は胸に抱える籠を見た。魔者の子は籠の持ち手をそっと握った。

「お任せして良いのでしょうか」

 魔者の子が頷くと執事は喜びを露わにしたが、すぐに長い耳を下げて顔を曇らせた。

「私がお誘いしたのに申し訳ありません」

 魔者の子は首を振った。

「ありがとうございます。でもあと少しで大丈ですから、早めにお戻りくださいね」

 執事は柔らかな笑みを残して、使い魔と共に戻っていった。


 魔者の子は胡桃で満たされた籠を持って立ち上がった。

 ——その時、背後の湖が風ではない音を立てた。目を転じると、黒い水から這い上がる影がいた。金色の髪が、続いて瑠璃色の瞳が月の光で輝きを取り戻した。

 〈英雄〉——。

 魔者の子は腰に下げた片手剣ショートソードの柄に手をかけ、〈英雄〉に一撃を放った。

 〈英雄〉はすんでのところで身を翻し、距離を取った。

「待て」

 魔者の子は容赦無く〈英雄〉に切り込んだ。

 〈英雄〉はわざと転んで斬撃を躱し、地面に落ちていた太い枝を掴んだ。

 魔者の子は間髪入れずに横薙ぎを放ったが、〈英雄〉は打ち込まれた剣を枝で受け止め、動きを封じた。

「待て、話を聞いてくれ」

 〈英雄〉は魔者の子をまっすぐ見つめた。射抜くような黒い瞳と出会い、言葉にできない激情が身体中を駆け巡る。

「やはり、あなたは……」

 〈英雄〉は魔物の子から目を逸らせなかった。乱れた黒髪が頬の白さを際立たせ、薄く開かれた唇の赤がよく映えた。

 ——美しい。

 魔者の子の唇が真一文字に結ばれ、仕掛ける気配を見せた瞬間、〈英雄〉は枝ごと剣を振り払い、魔者の子の手首を掴んだ。

「……一緒に行こう。ここにいては駄目だ」

 魔者の子は微動だにしなかった。

 〈英雄〉は温かい手首を引き寄せようと力を込めたその時——。

『愚者め』

 魂をも魅了する美しい声がふたりを分かつ。

 〈英雄〉は痛みを覚えて、初めて自分が吹き飛ばされていたことに気づいた。

「お前は……」

 魔者の子を守るように立つ陛下の姿を見て、〈英雄〉は怒りの咆哮を上げた。

「〈魔王〉ッ!」

 〈魔王〉と呼ばれた青年は銀髪に黄金の光を纏わせながら、厳然と〈英雄〉を見据えた。

「そのひとを解放しろッ」

『何故?』

 〈魔王〉の声は、大地の奥深くから響く地鳴りのように〈英雄〉を揺さぶった。

「そのひとは——、だッ」

 魔者の子は、〈魔王〉の変化を感じて顔を上げた。無表情に見える顔にわずかな歪みを発見し、それが怒りだと本能的に悟った。

 〈魔王〉の凄まじい威圧感に森は揺れ、湖は震えた。〈英雄〉は何度も膝から崩れ落ちそうになりながら恐怖に耐え、叫んだ。

魔物お前たちに人間そのひとは渡さない。——返せッ」

 〈英雄〉が〈魔王〉目がけて飛び掛かった。

 〈魔王〉は右手を虚空に掲げ、左手で魔者の子を抱き寄せた。

 ——……。

 眩い閃光の中で、魔者の子は声を聴いた。

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