【函館の夜】

 あれから七年たった函館は、なつかしいような、初めて見るような不思議な街に感じられた。この店はあった、この店はなかった、などと郷愁と感嘆の入りまじった気持ちを練りながら、市電の通る道を横切った。

 『あなたたち』との待ちあわせは、かつて不思議な巡りあわせで訪れたバーである。

 そのバーはひとに連れて行ってもらった店である。

 


 不慣れな土地で、どこをどう通ったか覚えていなかった上に店の名前もわからなかったが、記念に撮った写真から店を探しだし、いま七年前に通った道を歩いている。

 空き地に店が点在するこの感じはおぼろげに覚えていた。地図でもう一度場所を確認する。この角の先だ。交差点に立って前方右、一軒だけ残されたように立つ建物が目的地だった。近寄ってドアを見る。店名が書いてないとあせるが、横を見るとしっかりとプレートに店名が刻まれていた。

 外観はまったく覚えがなかったが、一歩中に入ると七年前の記憶と同じ内装で、ついにここまで来たという謎の達成感に包まれた。

 店を貫く長いカウンター、マスターの背後に並びたつ色とりどりの瓶、印象的な階段の内装。あの時もう一度来ることになるとは夢にも思わなかったこの店に来ていると、人知れず震えた。

 前述のとおり、当時『あなたたち』を知らなかった若造のなかの若造は、平素は滅多なことでは口にしないカクテルをちびちびと飲み、よもや数年後に『あなたたち』の虜になるとはこれっぽっちも思っていなかったゆえに、もうこの店にはひとりではこないだろうと感じていた。

 しかし人生とは稀なるもので、一生縁がないと思っていた『あなたたち』を英国旅行であっさりと好きに、いや虜になり、以来旅先で『あなたたち』に出会える店は必須の条項になったのである。そして今回白羽の矢を立てたのがこの店である。

 しかし『あなたたち』とはまだまだ打ち解けていないゆえにマスターに案内を請うた。

 マスターはしずかに『あなた』を紹介してくれた。

 翡翠のように美しい瓶と相対する真っ白なラベル、シンプルな黒一色のフォント。かざり気がなく、しかし気品に満ちあふれたたずまいはまさにアイラモルトの王。

「しばらくぶりですね」

 グラスに顔を近づける。独特の強い潮の香りが鼻を魅了し。脳を焼く。これだけでもう忘我の境地に連れて行ってくれるのだから、飲んだら昇天してしまうのだろうと甘美な破滅を想像して愉悦にひたる。

 一口飲む。

 一瞬で心はあなたの彼方に飛ぶ。

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