「さかみづく」〜合同短編集「つづりぐさ」収録【11/22文学フリマ東京 サンプル】

ワニとカエル社

【土佐の夜】

 白く光る看板から店に目をやる。年季のはいったすだれのむこう、ガラス戸の奥にちいさなカウンターが見える。客はいない。この店ではめずらしいことだ。

 ふっと息をはいて戸をあけた。

 いらっしゃいと顔をあげる大将の顔がほころぶ。

「よう来たねえ」

 奥からおかみさんが顔を出す。

「まぁ、いつ来たが?」

 今日着いたばかりです、と言いながらカバンを下ろして席に着く。

「いつものでかまん?」

 大将が聞く。

 えぇ、いつもので。

「いらっしゃい」

 おかみさんがおしぼりとお箸を目の前に置く。ありがとございます、と受け取った。

 もう心臓は爆発しそうだった。

 やっと会える。

 待ちこがれた『あなた』に。

 『あなた』は大将に導かれて目の前に降りたった。

 やっと会えましたね。

 ちいさなグラスの隣にたたずむ三〇〇ミリの小瓶をじっと見つめる。薄い青をたたえた透明なガラスの奥、『あなた』はいる。

 封を切りグラスに注ぐ。冴えわたる液体はまさに命の水。グラスを鼻に近づけるとさわやかですこし惑わす香りが鼻に抜ける。

 あぁ。

 極上の香りを十二分に楽しんだあと、口から息を吐き、一気にグラスをあおった。するどい切れ味の酒がまっすぐ喉の奥に突き刺さる。

 待っていた。まさにこれが酒。これこそが土佐酒と、美しい『あなた』に一瞬で酔う。

 うまい、うますぎる。

 この一口のために遠路はるばるやってきたが、苦労も疲労もなにもかも吹き飛ばし、それ以上の喜びとうまさを飲むたびに『あなた』は惜しげもなく与えてくれる。その感動にただひれふし、ひたすら『あなた』を眺めながら『あなた』を飲んだ。

 グラスが空になると新しくそそぎ、また香りを存分に楽しんでからぐっと喉を通す。飽くことのないすっきりとした飲み口は万人の喉を潤し、後味にしっかりとアルコールを刻みながら最後まで滝のような清涼感を保ちつつ胃の腑に落ちる。

 三〇〇ミリを飲みきるまで何度重ねても、いつでも新鮮に『あなた』はこの運動を与えてくれた。

 至極、至極とひとりごちる。

 まずひと瓶『あなた』を楽しんだあとは、やはり地のものを味あわねばもったいないと、カツオやら青さのりやらウツボを頼む。

 寒い時期なら東京とはひと味違ったおでんを味わうのも乙だし、夏なら新子がはいるかもしれない。カウンターに並んだ大皿から選んでもいいし、冷蔵ショーケースの魚をあぶってもらってもいい。

 テレビの下のホワイトボードのお品書きを眺めて戦略を練る。

 刺身にするか、たたきにするか。

 天ぷらも捨てがたいが唐揚げも気になる。

 しめは茶漬けかおにぎりか。

 さまざまなせめぎ合いをへて今日の作戦を立てる。

 ひさしぶりに来たのだから懐具合より腹具合でこの夜の決戦といこうじゃないか。

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