その5
目が覚めた。いやな感じのする朝だ。
目に入ってきたのは、当然魔王。部屋の半分を占めているのではないかという大きさだ。盤に向かって何やら考えている。ちゃんと勉強していてえらい。
部屋の中は明るい。そういえば、いつ寝たのか覚えていない。座椅子に座っている。パソコンに向かったまま寝落ちしてしまったようだった。
時計を見る。9時15分。とんでもなく長く眠ってしまったようだ。
ん? そもそも昨日、「明日に向けて」研究していなかったか? 明日の、対局に向けて……
「どっしゃーっ!!」
「なんだ突然。ようやく起きたと思ったら」
「た、対局があるよ! やばい!」
「出かけるのか。留守は任せておけ」
「いやいや、間に合わないんだよ、ひーっ!」
慌ててスーツを着る。ここから駅まで10分。走れば5分か。電車がすぐ来るとは限らない。電車を下りてからも連盟まではそこそこ距離がある。
「連れて行ってやろう」
「え」
「世話になっておるからな。こんな時ぐらいは助けてやろう」
ベランダの窓を開け放つと、魔王はぐい、と僕を抱き上げた。
「え、え」
「暴れると落ちるぞ」
ぐおん、と翼が広がる。
「む。邪魔だな」
そういうと魔王は、右足を振りかぶって柵を蹴破った。そして、二歩の助走で大空へと飛び立ったのである。
「ぐ、ぐへえ」
「なんだ、情けない声を出して」
「こあいよぅ……」
「そんなんでは対局に勝てんぞ」
空から見る東京は……正直そんなもん見る余裕はなかった。約10分ぐらいだろうか。永遠にも感じられる時間の果てに、ようやく魔王は地面に降り立った。
「頑張れよ」
僕を地面に置くと、魔王は再び飛び立っていった。
這うようにして対局室に向かう。時間は9時45分。間に合った……
だがもちろん、集中できるはずもなく。あと、財布を持っていなかったので、お昼を注文することもできなかった。
落ち着いてきた頃には空腹に襲われ、将棋は完敗してしまった。
「はー」
ため息ばかりが出る。
自分が嫌になる。魔王のおかげで遅刻こそしなかったものの、全く内容のない将棋で負けて、少ないチャンスをふいにしてしまった。昔からそうだ。たまたま勝ち星が固まることがあるのでプロにはなれたけれど、全力で将棋に向かえない状況を作ってしまうことがあった。緊張して寝不足になり、寝つけた思ったら寝坊。電車に乗り間違えて遅刻寸前。
本当は、誰かの師匠になれるような器じゃない。
「どうしたんだね、田山君」
控室に、黒幕の理事が入ってきた。
「空を飛んだので気分が悪くて……」
「ううむ、なんの比喩だかわかりにくいけど。ところで魔王君は元気かな?」
「ええ、まあ」
「君はちょっと引っ込み思案なところがあるというか、野心が見えないというか。何か変わるきっかけになるのではないかと思ったんだよ」
「はあ」
適当に押し付けられただけの気がするが……
「実は五冠王も、若い頃は魔王と呼ばれていた」
「そうなんですか」
「人間とは思えない、魔法を使っている、魔界のパワーで相手を支配する、とね。まあ、本物の魔王が来るとは思わなかったけれど、運命的なものを感じないでもなくてね」
「そういうものですか」
「君は世界で唯一、魔王から何か学べる立場にもあるわけだ。今後に期待しているよ」
「はい……あの」
「なんだね」
「お金貸してもらえませんか? 帰りの電車賃もなくて……」
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