第17話:ニアミス




 最近、昔の記憶が曖昧になっているな……と感じていた。

 もう何年もアンジェリカとして生活しているのだから、当然の事かもしれないが。


 それにしても、もうすぐ昔のオレ――マルスが死ぬ大事件が起こる筈で。

 何とか出来ればいいのだが、目が見えない今のオレに出来る事は少なかった。


 そんな、ある日。

 またしてもレオンがオレの部屋を訪れた。


「前にあげた水晶玉、今でも持ってるかい?」

「うん、あるよ。必要なの?」

「ああ、悪いけど……」

「待ってて」


 オレは手探りでクローゼットを開け、服に仕込んであった鍵を取り出す。


「鍵なんてつけてたのか」

「だって、あなたからの贈り物って高価なものばかりなんだもん」


 クローゼットの床の所に敷いてあるマットをどけて、鍵穴に差し込む。


「隠し扉か。随分、厳重なんだね」

「コレは従者や侍女たちを守るための保険なんだよ。なくしてしまって盗んだとか噂をたてられたり、そんなつもりなくても魔が差したりする事が人間ならあるでしょ?」

「侍女や従者たちも知らないの?」

「うん。私だけの秘密だよ。昔アルフィに貰った玩具の宝石箱についてた鍵を使って、夜中にこっそり作ったんだ」

「……そんなに大事な秘密を、私に見られてもいいのかい?」


 オレは思わず笑ってしまった。


「レオンから貰った物だもん。隠しても意味ないよ」

「そう言えば、そうだね」

「あった。……はい」


 レオンは小箱を受け取ると、オレの事を優しく抱きしめてきた。


「ありがとう。アンジェリカ。君には、いつも驚かされるよ」

「ね……レオン」

「何だい?」


 耳元でレオンの低い声が優しく響く。


「守刀に気をつけて」


 アイツがレオンを刺す場面を思い出して身震いした。


「え……?」

「何があっても無理しないでね。約束だよ」

「ああ、約束するよ。アンジェリカ」


 レオンは身体を離すと、小指を絡めてきた。







 レオンが去ると、暇になってしまったオレは中庭を歩くことにした。

 部屋に篭もりきりだと家族や家の者が心配するからだ。


「失礼。お嬢さん」


 そう言って声をかけてきた男がいた。

 知っている者の声ではない。

 低いような高いような、とても聞き心地のいい声の持ち主だった。


「あなた……誰?」


 尋ねると、男は驚くべき事を言い放った。


「オレはマルス。ちょっと通りがかってね」


 思わずオレは後ずさる。


 前のオレって、アンジェリカに会ったっけ?

 ……覚えてない!


「そんなに怯えないでくれよ。傷つくなぁ?」

「な、何のご用ですか……?」

「あんたには借りがあるんだよ。手を出しな」


 思わず、身を引こうとして逆に腕を引っ張られてしまう。


「何にもしやしねぇってば。いいから、手ぇ出せよ」


 無理やり手を握られて、手の中に何かが残った。


「借りは返したぜ?」


 感触からいって、おそらく少額硬貨だった。


 そうだ。

 あの時の子供……!


「待って!」


 去っていくマルスを引き止める。


「お願い。待って!」

「……何だよ。あんたから貰った金、神様に恥じないような使い方をしたぜ?」

「あなた今、幸せ?」

「あぁ、勿論。あんたのお陰で、すっごく面白い人生になったよ。ありがとな」

「もうすぐ大きな混乱が起きるの……だから。どうか……どうか命を大切にして!」

「あんた見かけによらず情勢に敏いな。心配してくれてありがとよ」


 軽い口調のままマルスは行ってしまった。

 残されたオレは、何故だか急に身体に力が入らなくなって、その場にしゃがみこんだ。


 思い出した。

 あの時、オレは幸運のコインを恵んでくれた女神を偶然、見つけて、同額のコインを返したのだ。

 それがゴウル家のアンジェリカだとは知らずに……。


 幸運のコインをくれた女神――アンジェリカは。


 少しばかり年上で。


 流れるような長い金髪が印象的な。


 何故か視線をあわせない、色素の薄い灰色の瞳を持った。


 華奢で人間離れした、女神と称する値する、とても美しい女性だった――。


 オレが唯一、美人だと思えた女性。

 それが、オレだったのだ……。


 過去の自分の記憶を通して、オレは初めて今の自分の姿が"見えた"。



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