七 タナエス 後編



 タナエスについてファロットはどう思うだろうと後ろを振り返り、そしてそこに彼女の姿がなかったことにきょとんとして、エテンはあちこち部屋を見回した。


「あ、ええと……ファロット?」


 見つけたファロットは少し離れたところで作業台の上を熱心に見つめていて、事件の聞き込みのことなんて全く覚えていなさそうな顔をしていた。つまり瞳が好奇心でキラキラしていて、口元は楽しそうに微笑んでいて、すごく可愛い。


「見て、エテン! これ、アジエラ草よ。本物を初めて見た……それにこの魔導機器、共同実験室にだって置いてないものばかりだわ」


 なんだかよくわからないごちゃごちゃした形をした、エテンには使えない魔術仕掛けの機械がずらりと並んでいる様を、ファロットが頬を赤くして見つめている。彼女は薬学に興味があるのだが、師匠は魔法陣学の研究者、つまり新しい魔術の発明をする人なので、普段は薬品の調合よりも製薬に使える魔法陣について勉強しているのだ。だから、魔法薬専門の魔術師の部屋は憧れなのだろう。


 ファロットが同じ調子でタナエスのことも憧れの目で見つめやしないかとエテンが見張っていると、ファロットのはしゃいだ声を聞いたタナエスが振り返って「薬品棚には触れないでくれたまえ」と言った。ガラスの戸棚の中に収められた瓶の列を順番に眺めていたファロットが、慌てて謝罪の言葉を述べ、棚から距離を取る。そして少しつまらなさそうに唇を尖らせて、今度はいくつか動いている魔導具の方を観察しに行った。


「……大丈夫ですよ。ファロットはそう無闇に触ったりしませんから」

 彼女の動きを厳しい目で追っていたタナエスに向かって、エテンが言った。タナエスはそれを信用したらしく軽く頷いて、患者に向き直ると処方した目薬の説明を再開する。


 ファロットはガッカリしてしまったようだが、エテンはそんなタナエスの行動を格好いいなと思っていた。白ローブのこともそうだが、彼の研究に対する誇りとか真剣さとか、そういうものが感じられる。自分もこんな風に仕事に対して妥協を許さない感じの男になりたいと、エテンはこっそりタナエスの様子を観察した。足を組んで座っているポーズはなんというか、あちこちの角度が計算され尽くされていて変だなあと思うが、ああして薬品を一つひとつ丁寧に、敬うような手つきで取り扱うところは参考にできそうだ。


 エテンはそうしてしばらくタナエスを観察してから、今度は彼の研究室にぐるりと視線を走らせた。薬品棚の瓶はきっちり等間隔に並べられているし、紙束は端を揃えて綺麗に重ねられて、上に磨いた蛍石の文鎮が乗せられている。床は塵一つないし、室内は仄かに花の香りがしていて少しも薬品臭くない。


 神経質なくらい几帳面な性格に、医学の心得──


「内臓を一切傷つけずにメスで遺石を取り出すことが、あなたには可能ですか」

 エテンが尋ねると、タナエス以外の全員がギョッとした顔で少年を凝視した。ファロルが小さな声で「エテン、ちょっと……そんな言い方」と言ってくる。


「経験がないのでなんとも。その辺りの素人よりは上手いかもしれないが」

 タナエスが低い声で流れるように答え、口の端を上げて微笑みながらさらりとエテンに視線を流した。ここでそんなに色っぽい流し目にする必要あるんですか、と尋ねたくなったが我慢した。


「部屋全体を魔術で浄化することは?」

「可能だ。この研究室もそうして浄化している。ここ数日は申請が必要になったがね」

 今度は目を閉じて微笑みながら、「やれやれ」と言わんばかりに肩を竦めた。エテンが「申請?」と訊くと、それにはファロルが答える。


「魔法魔術に関わらず、大規模な浄化術は事前申請してもらうようになったんだ。よく使われる術だけに、ルセラの時はそれで見逃してるから。申請なしで術が使われたら、すぐに鷲族が突入する」

「なるほど」


 僕は魔法も魔術も使えないから通達されなかったってわけか……。


「一応全員に教えた方がいいと思いますよ、それ。僕みたいなのだって大きな魔法陣自体は描けるわけですし」

「教えてるさ。弟子には師匠から連絡が行くようになってるはずだけど」

「お父さん……」


 ファロットがため息をついた。どうやら彼女も聞いていなかったらしい。師匠の魔力と鷲族の母親の魔法体質を受け継いだ彼女は、エテンと違って魔法と魔術どちらも扱える才能の塊みたいな女の子だ。基本は土持ちだが少しだけ水も持っているようで、鼻歌を歌いながら自分の部屋を丸ごと魔法で浄化してしまう。「危ないとこだったわ」と呟いているのはかなり本気だろう。


「……ルセラやトナと面識は?」

 気を取り直して質問を続けると、タナエスは椅子の肘掛けに頬杖をついて、優雅だがとても人の話を聞くとは思えない姿勢になった。


「顔見知りといったところだろうか。彼女らの研究は特に私の専門分野と被ることもないし、特に話が合うと感じたこともない。ルセラの方には、たまに目で追われていると感じることはあったがね」

「あ、そうですか」


 平坦な声でエテンが言い、ファリルが「まあ、女の人ならつい見ちゃうわよね」と楽しげに言って夫を慌てさせた。その様子を少し見守ってから、タナエスはエテンにふっと笑いかける。


「まあ、そこのお嬢さんは私になぞ目もくれず、研究室を探索しているようだがね」

「えっ? あ、すみません」

 数本の試験管を温めながらゆっくり動かしているらしい魔導具を夢中で眺めていたファロットが、振り返って顔を赤くした。


「魔法薬に興味が?」

「はい」

「ふうん」

 タナエスが実に格好良く目を細めてファロットを見つめ、彼女は少しぽうっとした様子でそれを見返した。慌てたエテンが間に割り込むと、宝石のような紺色の瞳が問うようにこちらを見る。


「……ええと、聞き込みを続けても?」

「構わないが、手短にしてくれたまえ」

 もう少しであれが終わる、とファロットが見ていた試験管の方を顎で指した彼に、やっぱり仕事をしていると格好いいんだよなと思いながらいくつか質問をしてゆく。犯行時刻には自室で眠っていた、火の魔術は扱えるがそこまで得意ではない、エテンの増幅陣は描くことができる──得られた答えはどれも彼の無実を証明しなかったが、犯人だと裏付けるような証拠もない。


「何かわかりそうかね?」

 一通り質問を終えたエテンに、タナエスが尋ねた。余裕たっぷりなのは、自分の無実を知っているからか? それとも証拠が掴めないことを確信しているからか?


「いいえ、何も。……次に狙われるのは風持ちの可能性がありますから、お気をつけて」

 エテンが言うと、彼は「ありがとう」と言ってから「研究に戻っても?」と眉を上げた。


「ええ、お邪魔しました」

「ああ」

「──あの、また来てもいいですか?」

 と、エテンの横からファロットが口を挟んだのにびっくりして彼女を見つめる。


「何のために?」とタナエス。

「道具とか、もっと見せていただきたくて」

「……何を学びたいか明確にした上で、君の父上を通じて連絡をよこしなさい。内容が真っ当なものなら予定を開けよう」

「ありがとうございます!」


 ファロットが弾んだ声を上げ、エテンは嘘だろ……と絶望した。少しよろよろしながら甘い香りの研究室を後にして、スキップでも始めそうな幼馴染を横目で見る。るんるんと小さな声で何か歌っていたファロットが、視線に気づいてこちらを見た。


「なあに、エテン?」

「いや、なんでも」


 そう言って口の端を上げ、目を細めて微笑んでみる。さっきファロットが頬を染めて見つめていたタナエスの真似だ。ついでに肩に掛かっていた髪を軽く整えるように片手で背に流してみる。


「エテン……」

 ファロットが立ち止まってエテンを見つめた。もしかして、手応えがあったか? いや、焦るな。余裕たっぷりにさりげなく返事をするんだ。


「ん? なにかな」

 よし、決まったぞ。


「お腹痛いの?」

「……痛くないよ」


 どうせそんなことだろうと思った。エテンは項垂れながらファロットの後を追ってとぼとぼ歩き、その後ろに護衛として「目」のファリルが続いた。彼女は隠しているつもりだったようだが、小さな声で「ふふっ、可愛い……! ふふふっ、タナエスと張り合ってる……!」と言いながら笑いを堪えているのがバレバレだった。





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